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ブラックな聖女『終わっことは仕方がないという言葉を考えた者は天才ですね』  作者: ヨシムラ


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47 もう一つの鎖について

無限回廊――

その名を聞くだけで、背筋に薄ら寒いものが走ると噂される異質の迷宮。

どれほど歩こうとも終わりは見えず、出口という概念そのものが存在しないとも言われている。

そこへ堕とされる裁定、「無限回廊堕ち」。それは単なる追放や隔離ではない。死罪よりもなお重い、救済なき結末だとさえ囁かれていた。


とはいうものの。

私自身、一度だけ、好奇心に負けて足を踏み入れたことがあった。


だが――そこで目にした光景は、拍子抜けするほどに単純だった。

視界の先まで、ただ真っ直ぐに伸びる一本道。分岐はない。罠もない。魔物の気配すら感じられない。ただ、歩けば歩くほど、靴音だけが乾いた音を返してくる空間。


そして、少し歩いただけで、あっさりと出口に辿り着けてしまったのだ。

あの肩透かしの感覚は、今なお胸の奥に引っかかっている。

名前だけが、やけに重々しい迷宮――それが、私にとっての無限回廊だった。


その無限回廊へ堕とされることが、今まさに確定した男がいる。


星運。

一級商人であり、同時に奴隷商人でもあるという肩書きを持つ割には、今はひどく頼りない姿を晒していた。背中を丸め、視線を宙に彷徨わせ、ただ呆然と立ち尽くしている。


ペンギンが発動した『ジャッジメント』。

その冷酷無比な裁定によって、彼の行き先は無限回廊だと断じられたのだ。


同じく無限回廊堕ちとなった万里は、星運とは対照的だった。

微動だにしない。呼吸の乱れすらない。

静かで、薄く知性の気配を纏った佇まいは、まるで感情を削ぎ落としたお姉さんのようだ。


星運の『覚醒』の影響を受け、秘剣『燕返し』すら体得したという経歴を持つ女。

その身に宿る技と覚悟を思えば、この静けさは、むしろ当然なのかもしれない。


そして――

この結果に、最も激しく反応した者がいた。


水落だ。


四十九に肩を支えられながらも、彼女は烈火のごとき勢いでペンギンへと詰め寄っていく。

その一歩一歩に、怒りと焦燥が滲み、裏庭の空気が目に見えて震えていた。


「どうして万里ちゃんだけが有罪になるのよ! 私だって同じよ! 奴隷契約に縛られて、星運に逆らう自由なんて、最初からなかったんだから!」


乾いた怒号が、空間を叩き割るように響く。

その叫びの中で、星運を平然と呼び捨てにしている時点で、水落の怒りがどこへ向いているのかは明白だった。


しかも――庇っているのは万里だけだ。

星運の無限回廊堕ちについては、「当然だ」とでも言いたげな気配すら感じられる。


だが、問題はそこではない。


水落は、心の底から信じ切っている。

――自分と万里は、まったく同じ境遇だったのだと。


しかし、『ジャッジメント』は公平無私。

情けも忖度もなく、ただ事実だけを切り分ける。


その裁定が突きつけたのは、ふたりは“同じではなかった”という、あまりにも冷酷な現実だった。


ペンギンがちらりと私へ視線を投げ、それから水落へと向き直っていく。


「ふむ。万里に無限回廊堕ちが下された理由を知りたいのだな――よい。答えは実に単純だ。水落の罪は徹頭徹尾、外部から強いられた呪縛。しかし万里のそれは、誰にも強制されぬ、彼女自身が選び取った罪なのだ」


――水落は、知らない。


万里が、すでに“奴隷ではなかった”ことを。


正確に言えば、万里もかつては奴隷だった。

だが、必要な対価はすでに支払われ、契約は正式に終了していた。


つまり――彼女は、自由の身だったのだ。


この事実を知らなければ、水落は万里に対して、「自分だけ助かった」という終わりなき罪悪感を抱え続けることになるだろう。

それはあまりにも残酷で、あまりにも救いがない。


水落には、真実が必要だった。


二度目の『ジャッジメント』を求め、なおも食い下がる水落へ。

私は、静かに、しかし確かな重みを込めて問いかける。


「水落さん……万里に無限回廊堕ちが下された理由。その“全て”を聞き、受け止める覚悟はありますか? もしあるのなら、私は真相を隠しません」


その言葉は、刃のように静かで、しかし確実に心臓へ突き立てられる響きを帯びていたのだろう。

水落は、まさかそんな問いを向けられるとは思っていなかったのか、表情を作る暇すらなく、顔面が一瞬で硬直した。


呼吸が、止まる。

瞬きすら忘れたように、瞳だけがわずかに揺れ、血の気がすっと引いていく。


万里はというと、ほんの僅かに眉を動かしただけだった。

それ以上の反応はない。

感情の揺らぎすら拒絶するかのような静けさで、ただそこに立っている。


星運は、どこか現実から距離を取るように目を伏せていた。

まるで、これから語られる内容が自分とは無関係だとでも言いたげに。


しばらくの間、水落は両手を強く握りしめたまま、立ち尽くしていた。

爪が掌に食い込み、ぎゅ、と鈍い圧が伝わる。

指先は細かく震え、その震動が腕を伝い、肩にまで波及していく。


葛藤。

拒絶。

恐怖。

それらがない交ぜになり、心の中でせめぎ合っているのが、痛いほど伝わってきた。


やがて――

喉が、ひくりと鳴る。


血の気を完全に失った顔のまま、水落は震える唇を必死に動かし、小さく、か細い声を絞り出してきた。

それは言葉ですらなかったのかもしれない。

ただ、覚悟を決めたという意思表示として、彼女はゆっくりと、しかし確かに頷いた。


……そして、話は“あの日”へと遡る。


第46話。

水落の心臓に絡みつき、魂ごと締め上げていた『奴隷契約の鎖』を、私が破壊した、あの瞬間のことだ。


あの時、すべてが終わったと――少なくとも、そう思われていた。

だが実際には、違った。


実は――

そのさらに奥。

心臓の深部、魂の核に近い場所に、もう1本、異質な鎖が潜んでいたのだ。


それは、より陰湿で、より悪意に満ちた呪縛。

名を――『盗魔の鎖』という。


水落が星運の奴隷として、血を吐き、命を削り、積み上げてきた対価と成果。

その“すべて”を、無条件で、無制限に、万里へと一方的に転送するいう代物。


努力も、苦痛も、絶望も。

何もかもを吸い上げるその鎖は、まるで悪意そのものを凝縮したかのような鎖だった。


『奴隷契約の鎖』は、定められた対価さえ支払えば外れるものの――『盗魔の鎖』が存在する限り、水落はどれほど命を削って働こうとも、決して自由にはなれない。


支払っても、支払っても、奪われる。

得た瞬間に、すべてを吸い取られる。


つまり――

水落は、“永遠に奴隷”という地獄から、最初から抜け出せない仕組みの中に閉じ込められていたのだ。


すべてを聞き終えた水落は、もはや立っていられなかった。

糸の切れた操り人形のように、がくりと膝が折れ、ドサリ、と鈍い音を立てて地面に手をついている。


そのまま、嗚咽が零れ落ち、抑えようとする意志すら砕かれ、喉の奥から漏れ出す、悲鳴にも似た泣き声。


そして――

無表情のまま説明を受け止めていた万里へ、縋るように、必死に叫んでいた。


「万里ちゃん……お願い、教えて……私が命を削って稼いだ対価を、奪い続けていたって……それ、本当なの……!?」


声は震え、言葉は途切れ途切れだった。

信じたくない。

だが否定してほしい。

そんな感情が、叫びとなって噴き出していた。


その声に、最初に反応したのは――

しゃがみ込み、涙を零していた星運だった。


「万里! その話しは本当なのか? 水落の対価を奪い続けるなんて、外道のすることだろうが! お前……水落に、どれだけの地獄を背負わせてきたんだよ!」


怒りに満ちた声。

だが、その響きはどこか薄っぺらい。


万里の方は、相変わらず無表情だった。

ただし――星運へと投げる視線だけは、腐った肉を見るかのように冷酷で、容赦がない。


そして、その表情が、ゆっくりと歪んでいく。

口角が、ぎぎ、と軋むように吊り上がり、卑猥で、歪んだ笑みが浮かび上がっていた。


「星運様……よくも、そんな戯れ言を吐けましたね。“自分は潔白だった”と取り繕い、審判に縋るだなんて……滑稽にも程があります」


「聖女様! どうか、どうか信じてください! 俺は……俺は本当に、何も知らなかったんです! 万里の方こそが、俺を欺き続けていたんだ!」


なぜか水落ではなく、私へと縋るように釈明を始める星運。

必死さに震える声。

とはいうものの、その奥底には、微かだが計算の匂いが確かに滲んでいた。


「俺だって……俺だって、被害者で――」


言い募ろうとした、その瞬間――


キン、と乾いた音も立てず、万里が、鞘を抜かぬまま刀を振り抜いた。


———星運への横薙ぎの一撃。

空気が、びしりと裂け、衝撃波が裏庭の石壁に叩きつけられ、パァン、と乾いた破裂音が弾けた。


スローモーションのように、星運の身体が宙で折れ曲がっていく。

『く』の字に歪み、驚愕と痛みの混じったうめきを残しながら、地面を転がっていった。


「星運。お前、私達のステータスを何度も鑑定していたよな? 水落の心臓に“盗魔の鎖”が巻かれていたこと、知らぬはずがないだろ」


「万里……てめぇ……許さねぇ……!」


「許さない? それは私の台詞だ」


「な……なん、だと……?」


星運は地面で激しく咳き込み、顔を歪め、憤怒を露わにし、万里は、一切の容赦を見せなかった。


次の瞬間、渾身の蹴りが星運の横腹に叩き込まれていく。

ドン、という鈍い衝撃。

一級商人の男は両腕で必死に防御するものの、喉の奥から押し出されるのは、かすれた呻き声だけだった。


悪党同士は、利が一致している間だけ、仲間の仮面を被る。

とはいうものの――その一致が崩れた瞬間、躊躇なく互いを食い合う。


そんな典型を、今まさに見せつけられている気分だった。


芋虫のように地面を転がる星運へ、万里は冷たく、とどめの一撃を放ち――

それから、ゆっくりと水落へ視線を向けていく。


「水落のおかげで、私はすぐ奴隷契約を断ち切れた。星運の下らない性処理を一手に引き受けてくれたお前には……感謝している」


その言葉に、水落は耐え切れず、ぐしゃぐしゃに泣き崩れていく。

声も出ず、ただ涙を流すばかり。


四十九が、そっと寄り添い、肩を抱いて支えていた。

ペンギンは、淡々と万里へ問いを投げた。


「万里。奴隷契約が終わってもなお、なぜ星運に従っていた?」


「金だ。金に困らずに済むから。他に、あんな薄汚いブサメンに価値など欠片もない」


「つまり命令に縛られぬ身でありながら、自らの意志で人を殺し続けてきたというわけだな」


「ふん。だが星運の方がよほどの悪党ではないか? どうして私が、あんな地べたに転がる卑劣で下衆なブサメンと同じ重さの罪を背負わなければならないんだ? 理不尽にも程があるだろ」


――うむ。

星運と万里は、なかなか……いや、疑いようもなく、相当なクソ外道であることが、これ以上なく明確に証明されたのだった。

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