31 AIvs運転手
地下迷宮からの脱出を果たしたバスは、今まさに《移動都市グラングラン》を目指し、果ての見えない砂海を真正面から切り裂くように突き進んでいた。
ゴウゥゥゥ……と低く唸るエンジン音が車体全体を震わせ、分厚い車輪が砂を噛み砕くたび、乾いた振動が床越しに伝わってくる。砂嵐の名残を孕んだ風が車体を叩き、外界がいかに過酷かを否応なく主張していた。
車内に視線を巡らせると、運転席には、五位堂というでっぷりとした親父が、仁王像めいた貫禄を纏ってどっしりと構えている。腹回りの圧だけでハンドルが安定しているのではないかと疑いたくなるほどだ。
そのすぐ後ろ、最前列にはバスガイドが立ち、背筋を糸で吊られたかのように一直線に伸ばし、微動だにしない。笑顔を貼りつけたその姿は、もはや人というより「規律」という概念が服を着ているようだった。
脳裏に、最高司祭の言葉が蘇ってくる。
――《移動都市グラングラン》に囚われている奴隷を解放せよ。
それが、今まさに進行中のクエストである。
とはいうものの、問題は一つ。到着まで、あとどれほどかかるのか。それがまるで読めないのだ。
私は静かに席を立ち、ゆとりある通路を足音ひとつ立てずに歩いていく。
その気配を察したのだろう、バスガイドがくるりと振り向き、ぱっと花が咲くような営業スマイルを浮かべた。
「三華月様、どのような御用でしょうか」
声は明るく、よく通る。訓練された完璧な応対だ。
「目的地《移動都市グラングラン》まで、あとどれくらいで到着するのかを伺いたくて」
「運行スケジュールの確認ですね。それでは運転手に確認してまいります」
彼女と並んで運転席を覗き込んだ、その瞬間――私は思わず息を止めた。
運転手の五位堂は、両手をハンドルに添えたまま、堂々と、
「ZZZZ……」
と、豪快な寝息を立てていた。
背中は完全に脱力し、姿勢は崩れ、舟をこぐどころではない。これはもう港に着いて昼寝を決め込んでいるレベルだ。
乗客席側から見た限りでは起きているように見えたのだが……これは意図的な擬態か。常習犯、いや、怠惰を極めた老練な魔導師の域なのかもしれない。
そもそも、この「運転手」という存在……地上世界に本当に必要なのだろうか。
バスガイドは慌てて五位堂の肩を揺さぶっている。
「五位堂さん、起きてください!」
「……なんですの」
目を開いた五位堂は、一瞬も眠ってなどいなかったかのような澄ました声音で答え、何食わぬ顔でハンドルを握り直している。
職務怠慢を現行犯で押さえられているはずなのに、この鋼鉄のメンタル。
おまけに、黄ばんだ歯をニカッと見せつけるという、悪い意味でのサービス精神まで発揮してくる。人を不快にするためだけために進化した顔面なのではないかと疑いたくなる。
バスガイドが運行プランを尋ねようとするものの……この親父の存在そのものが、全方位的に邪魔だった。
「運転手さん。運転席を譲っていただけますか」
このバスは自動運転対応だ。思考型AIを搭載しており、そちらと直接対話したほうが、確実に話が早い。
ところが――五位堂は私の言葉に反応し、ギラリと目を光らせると、妙にキメた表情で語り出してきた。
「聖女さん。この運転席はワテの戦場です。誇りを胸に、お客様の命を預かっとるんです。いくら可愛らしいお嬢さんの頼みでも、運転手の聖域に他人を踏み入れさせるわけにはいきまへん!」
……すさまじいドヤ顔だった。
プライドを語る前に、まず寝るな!
説得する価値すら感じられず、私は静かに五位堂の襟首をつまみ上げ、そのまま――ひょい、と後部座席へ放り投げていた。
ドスンッ。
肉塊が布張りの座席へ叩きつけられる鈍い音と、不快極まりない悲鳴が車内に響きわたってくる。
バスガイドが慌てて駆け寄っていくその光景が、「平常運転」になりつつある事実を、少しだけ恐ろしく感じていた。
私は一切気に留めず、運転席に腰を下ろし、正面を見据えながら、その機体に向かい質問を開始した。
「私は三華月と申します。あなたのお名前をお聞かせいただけますか」
「私の名は北冬辺。このバスの運行を統括するAIです。三華月様、どうぞよろしくお願いします」
柔らかく、落ち着いた声。
思考性AIは人間よりも遥かに高次の存在だが、神格を持つ私には、こうして礼節を尽くしてくれるらしい。
さらに会話を続けようとした、そのときだった。
背後から、じわりと嫌な気配が侵食してくる。
振り返れば、五位堂がいつの間にか這い寄り、私の横から運転席を覗き込んでいるではないか。
「おい……いま、なんや。バスが喋っとらんかったか」
思考型AIは格下の人間には応じない。ゆえに五位堂の驚きは、ある意味で正しい。
とはいうものの、こちらとしては無視して構わない存在だ。
念のため、北冬辺に告げていた。
「北冬辺。運転手には一切反応なさらなくて結構です」
「承知いたしました」
「承知ってなんやぁぁ!」
「五位堂さん、落ち着いてください。三華月様に、また投げられてしまいますよ」
バスガイドの一言で、五位堂の顔から血の気が引くと、彼はそのまま後方へ全力で逃げ去っていく。怪我を避けたいなら、その選択は賢明だ。
さて――気を取り直そう。
「北冬辺。《移動都市グラングラン》までの運行ルートを表示してください」
「承知しました」
AIの声が車内に満ちた直後、フロントガラスに淡い青白の光が走っていく。
砂漠を切り裂く一本の光の道。その先は、未踏の戦場へと続く道標のようだった。
陽炎めいた揺らぎがガラス越しに波紋を描き、そこから三次元の立体映像が、ふわりと膨らむように浮かび上がっくる。
透きとおった光のラインが起伏の激しい砂漠地形を正確になぞり、バスの現在位置を示す光点が、ゆっくりと、しかし確実に前進していく。
その動きは生き物の筋肉のように滑らかで、蛇めいたしなやかさを帯びていた。
進行方向が示されるたび、光の粒子がぱらぱらと空気中へ散り、乾いた砂塵に淡い彩度を残していく。
静かで、なのにどこか荘厳。
胸の奥が、理由もなくざわついた。
どうやら、このルートは途中で1度、大きく蛇行するらしい。
寄り道ではない。砂漠そのものが強いてくる、必然の迂回――逃れがたい流れに身を委ねさせられている、そんな印象だった。
私はその光景を見つめながら、静かに問いかけた。
「このバスは、今どこへ向かっているのでしょうか」
運転席のすぐ横、制御パネルに浮かぶホログラムへ視線を向けて問いかける。
「まもなく、次のバス停に到着します」
返ってきた声音は、相変わらず一定だった。温度も、湿度も、感情の揺らぎすら含まない。
「そこが終着の移動都市……というわけではなさそうですね」
「移動都市には、3時間後に到着予定です。次のバス停では、お客様が3名ほど乗車される予定となっております」
「北冬辺、ありがとう。引き続き、安全運転をお願いします」
「承知しました」
AI――北冬辺の声は、砂を撫でながら吹き抜ける乾いた風のように、どこまでも均質だった。とはいうものの、その無機質さが、かえって胸の奥にざらりとした違和感を残す。
これから乗ってくる3名とは、どんな人間なのか。奴隷商人だろうか。それとも、ただの旅人か。
いや、誰であれ私には関係ない……はず。
運転席から客席へと足を向けた、その瞬間だった。
「北冬辺! 返事せんかい!」
背後から、獣が喉を裂くような怒声が炸裂した。
「ワイは運転手やぞ! 無視すんなや! なんとか言えや! わいを下にみとるんか!」
振り返る必要すらなかった。
濁った声色、荒れた語尾、その下品な抑揚。
五位堂が地団駄を踏み、唾を飛ばしながら喚いている光景が、容易に脳裏へ浮かぶ。
社会のどぶ底に沈みかけたこの男に対し、北冬辺は一切応じない。
返事はない。
音もない。
冷え切った無音が、車内に張りつく。
氷塊のような沈黙そのものが、返答だった。
――――――
やがてバスは、砂丘の斜面に沿って造られた小さなバス停へと滑り込み、ザザッ、と砂煙を跳ね上げ、重量感のある揺れとともに停止した。
扉が開いた瞬間、砂漠風が吹き込み、ローブの裾がばさりと揺れる。
遮熱術式を編み込んだ衣をまとった3人が、砂埃をまとったまま乗車してきた。
フードを外した先頭の男が、ぱっと花が咲くような笑顔を浮かべる。
「僕は一級商人で星運と言います。綺麗なお姉さん、よろしくお願いします!」
年の頃は10代後半。
平均よりわずかに低い身長。鍛えた痕跡のない体躯。旅人特有の逞しさも感じられない。
どこにでもいそうな青年――普通なら、そう判断して終わるだろう。
しかし、彼は「一級商人」だ。
帝国4大貴族、東條家が与える最高位の称号。
本来なら、抜きん出た才覚を持つ者にしか許されない肩書である。
とはいうものの、星運本人からは、その片鱗がまるで感じられない。
ヘラついた笑みばかりが目につき、仕事ができる雰囲気は限りなくゼロに近い。
特殊なスキルを隠しているのか。それとも本当に能無しなのか。
現時点での印象は、正直に言えば最悪だった。
続いて乗り込んできた2人の女性は、星運とは明らかに釣り合いが取れていない。
1人は背が高く、鋭さと知性を併せ持つ眼差しの女性。
立ち姿だけで、芯の通った緊張感が伝わってくる。
もう1人は15歳ほどの少女。
小柄な背中に、常識外れの巨大な槍を縦に固定していた。
「私の名前は万里と言います。よろしくお願いします!」
20代前半ほどだろうか。
腰には鋭利な刀。首元には『剣豪』のネックレス。
侍の上位JOBであり、奥義を体得した者にのみ許される称号だ。
本来なら、立っているだけで凄烈な戦気が溢れ出るはず。
だが、彼女の気配は驚くほど静かだった。
抑えているのか。それとも、気配遮断のスキルなのか。
「私は水落だよ。よろしくね!」
少女は太陽のように明るく、声が弾む。
150cmほどの体躯に似合わぬ巨大な槍。
首にかかるネックレスには『ゲイボルグ』――槍の奥義を極めし者の証。
……それでも、おかしい。
本来なら2人とも、空気を震わせるほどの強者であるはずなのに。
気配が薄すぎる。
一般兵より弱く感じるほどだった。
なぜなのか。
その疑問が胸をよぎった瞬間――
――――――スキル“未来視”が、星運から攻撃されてくる映像を捉えた。
星運が、私へ鑑定系スキル『スキャン』を使用する未来。
鑑定スキルは微弱なダメージしか持たないが、人への無断使用は攻撃行為とされており、れっきとした犯罪となる。
とはいうものの、そんな攻撃が私に通じるはずもない。
――――――視線が交差した瞬間。
ビリッ、と。
空気そのものが震え、不可視の衝撃波が走った。
空間が水面のように歪む。
普通の人間には感知できない微細な揺らぎ。
だが、私にははっきりと見えた。
衝撃波は、私が身に着けた聖衣の巨大な十字架へ触れた瞬間、
キィン、と金属を弾くような鋭い音を立て、霧散する。
……未熟。
……幼稚。
攻撃の意思だけは認めよう。
だが、実力は笑ってしまうほど低い。
バス前方では山茶花が朗らかな笑顔を崩さぬまま、案内を続けている。
場の空気は穏やかで、誰1人として気づかない。
星運の愚かな企みも。
弾け飛んだ衝撃波も。
そして――今まさに、星運自身が死地へ踏み込んだという事実すら。
やれやれ。
処理するのは、やはり私なのだろう。
私は静かに立ち上がり、星運へ向けて指先を伸ばす。
「私が何故、攻撃をされたのかは分かりませんが、正当防衛ということで――攻撃をしてきた星運を、ここで処刑させてもらいます」
その瞬間だった。
バスガイドの笑顔が、氷の彫像のように固まると、星運の取り巻きである万里と水落が、反射のような速さで私と星運の間へ割って入ってきた。
ピン、と。
空気が張り裂ける音がした気がした。
透明な刃が何本も宙に並び、誰かの喉元へそっと触れているかのような緊張。
2人は同時に、さりげなく――しかし確実に、武器へと手を添える。
戦闘の気配が、音もなく、確かに満ちていく。




