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ブラックな聖女『終わっことは仕方がないという言葉を考えた者は天才ですね』  作者: ヨシムラ


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トリニティ

天井は回廊と同じくおよそ5mの高さがあり、広大な30m角の空間がゆったりと広がっていた。ここは、1階層の番人――中ボスと呼ばれる魔物との戦闘に向けて設計された特別な部屋である。乾いた空気が微かに床を撫でるように流れ、壁に取り付けられたブラケット照明は淡い光を部屋全体に投げかけていた。光の加減は十分で、妙に落ち着いた心地よさが漂う。戦いの場でありながら、どこか不思議に快適な空間――熟練の職人が一つひとつ丁寧に仕上げた結果なのかもしれない。大判の石版は隙間なく敷き詰められ、床面は凹凸ひとつなく滑らかで、足裏に伝わる感触すら整然としているように感じられた。


しかし、肝心の中ボス――スライムの姿は、どうやら影も形も見当たらない。私達はペンギンと15歳の初心者魔導士・天賀茶と共にここまでたどり着いたが、目の前に広がるのはボスらしい魔物の気配ではなく、対峙する3人の魔導士だった。その3人とは、部屋に入る直前に傭兵として名乗り出た者達であり、ペンギンの情報によれば、初心者冒険者狩りの容疑がかけられている者たちである。


私の目の前には、ペンギンが背をこちらに向けるように立ち、その斜め後ろには15歳の少女魔導士が控えるように立っている。ペンギンを中心に、S級相当の攻撃力を誇る12機の軌道兵器――ドラグーンが、規則正しく整列し、まるで鎖のように部屋を取り囲んで展開されていた。空間には緊張の空気が漂い、静かでありながらもどこか不穏な秩序が宿っている。


このボス部屋に潜むスライムは『トリニティ』と呼ばれるE級相当の三個体であり、三位一体となることで生まれる攻撃力はD級冒険者でも退かせるほどだ。初級冒険者にとっては、決して超えられない高い壁であり、3体の連携を崩さなければ攻略は困難であることは明白だ。ここまでの状況から考えれば、傭兵に名乗り出た3人こそが『トリニティ』であり、人間の姿を模倣しているのではないか――その推測は自然に頭をよぎるのだった。


乾いた風が、床をかすめるようにヒュッと吹き抜ける。奇妙なほど臭気はなく、清浄な空気が張り詰めた緊張を一層際立たせていた。天賀茶――ペンギンと共にいる仲間は、3人の傭兵に対して警戒心を隠せず、表情を強張らせている。静寂が数秒、いや10数秒ほど続いたろうか。やがて3人の魔導士は観念したかのように、体の一部をぐにゃりと曲げ、正体を明かす兆しを見せた。


「お前達が考えているとおりだ。俺達3人こそ、この部屋の番人――『トリニティ』と呼ばれるスライムだ」


余裕たっぷりの態度なのか、彼らからは一切の敵意が感じられない。階層ボスでありながら、塔を攻略してきた私達に攻撃を仕掛ける気配は微塵もなく、むしろ穏やかに振る舞っている。部屋に入る前、冒険者ランクをF級と申告していたため、こちらを軽く見ているのかもしれない。『トリニティ』は間髪入れず、友好的とも思える口調で会話を続けた。


「俺達の正体に気づくとは、さすがだぜ。最強生物と名高い聖女様というのは本当のようだな!」


「人でありながら、絶対的王者とされる黒龍を葬り去った噂は本当なのか?」


「伝説のメタルスライムが眷属になっているとも聞くぜ!」


「そこにいるのは『最後の参賢者』と呼ばれるペンギン様だろ?」


「確かパーティ名は『無敵艦隊』とか!」


「……まじで無敵過ぎやしないか!」


やはり、知性も情報収集能力も高いスライムだったのか。喋りながら3個体は、ゆっくりと本来のスライム形態へと体を戻しつつある。黒龍とは、54話で処刑したあの駄目な奴のこと。メタルスライムはスライムの上位存在であり、『無敵艦隊』という名称は、97話でペンギンが命名したものだ。情報の精度から察するに、私達を戦うに値しない相手と認識しているのだろう。


ペンギンは背を向けたまま、完全にスライム形態へ変化した3個体に向かい、戦う意思の有無を確かめる。


「トリニティ達に聞く。お前達は私達のことを知っていて、戦うつもりなのか?」

「俺達雑魚が聖女様に叶うはずがないだろ。降参するぜ」


「最近、この階層で冒険者狩りをしている者達がいるとの報告があがっている。それはお前達のことで間違いないな?」


「そうだ。音速キャットが持ち込んだウイルスの影響で、俺達トリニティは進化したんだ」


ぬらり、とスライムの表面がわずかに揺れ、粘性のある音を立てる。

塔の奥に漂う気配が、微かにざわめいた。


「ほーう。進化、とな。人の姿に、ほぼ完璧といえるレベルまで擬態できるようになった、ということなのか?」


低く、落ち着いた声で問い返すペンギン。

その視線は鋭いものの、どこか余裕を感じさせるものだった。


「さすがペンギン様。話が早い。元々、俺達は擬態が得意だったんだ。だが見てのとおり、進化によって完成度が段違いに上がったわけだ」


スライムがぐにゃり、と形を整え直す。

皮膚の質感、輪郭、表情――確かに、人間と見紛うほど精密だ。


「この塔にいる他のスライム達も、お前達と同じように進化しているのか?」


「どうだろうな。ウイルスに抵抗力を持たない個体が全て進化すると仮定すれば……そう考えて間違いないんじゃないか」


「そうか」


ペンギンは一拍置き、塔の上層を見上げるように視線を上げた。


「私達は上を目指している。お前達を倒した証を、こちらへ渡してもらえないだろうか」


「1階層の中ボスを倒した証のことだな」


「あー。それが無いと、2階層に通じる転移装置が起動しない仕組みだからな」


その言葉に、スライム達が一斉にぴたりと動きを止めた。

ぬちり、と床に落ちる雫の音だけが、やけに大きく響く。


「……だがな。その前に、俺達の話を聞いてくれないだろうか」


「困っていることがあるんだ!」


必死さを滲ませる声。

先ほどまでの余裕は影を潜め、焦燥が空気を重くする。


「私達に頼みたいこと、か。音速キャットが持ち込んだウイルスに関する話だな?」


「そうだ……そうなんだ!」


スライムの表面が、ぶるぶると震える。


「俺達一族は、そのウイルスのせいで、今まさに絶対絶命の危機に陥っているんだ!」


――スライムの一族が、滅亡の危機。

そういうことなのかしら。


音速キャットのおかげで進化できた、とはいうものの、同時に致命的な悪影響も受けている……そんな話なのか。

トリニティ達の言葉は、ペンギンの予想の範囲内だったのだろう。彼は驚いた様子を一切見せず、淡々と、しかし的確に情報を引き出していく。


じっとこちらの反応を待ち続けるスライム3体。

その沈黙を破ったのは、相変わらず抑揚のないペンギンの声だった。


「無理やり進化した結果……お前達の体が、崩壊し始めているのだな?」


「そうだ。ペンギン様の言うとおりだ。俺達は、いわゆる副作用ってやつに苦しめられている」


「つまり」


言葉を区切り、こちらへ視線を向ける。


「私達に、その崩壊を止めてほしい、ということか?」


「このままじゃ、俺達一族は絶命するだろう。だから……世界最高位の聖女様にお願いがある!」


スライムが一歩――いや、ぬるりと前に出た。


「ウイルスに感染した俺達を、治癒してほしい!」


「ほーう。三華月様に、か」


「世界最高位の聖女様なら、簡単なことなんじゃないのか?」


「そうだな。世界最高位であることは間違いない」


「俺達は見て確信したぜ! とてつもない治癒ができる、大聖女様だってな!」


……私に、治癒を期待しているのか。

まずい。これは非常にまずい展開だ。


確かに私は、見た目だけなら聖女の中の聖女といった雰囲気をしている。

だが実態は極端な武闘派。治癒など、一切できない。


ボス部屋の前で、やけに視線を集めていた理由。

あれは鬼可愛い姿だから――ではなく、治癒を期待していたからだったのか。


所詮スライム。

可愛いという価値観が違うのは仕方ない、とはいうものの、納得はいかない。


それにだ。

あれほど異常な情報収集能力を持っていながら、私が治癒をしない聖女であるという最重要情報だけが、きれいさっぱり抜け落ちているのは何故なんだ。


ペンギンが名付けた『無敵艦隊』なんてパーティ名――どう考えても一番いらない情報じゃないか!


その時、背中を向けていたペンギンが、くるりと振り返った。

私が絶体絶命の状況に追い込まれているにもかかわらず、その表情は、なぜか楽しげである。


……まさか。

最初から、スライム達が治癒を求めてくると分かっていたのか?


これはペンギンが仕掛けた、周到な罠だったのかしら。


必死に知恵を絞り、この危機をどう切り抜けるか考え始めた、その瞬間。


静かに脇に控えていた魔導少女――天賀茶が、一歩前へ出た。

そして、私の代わりに、はっきりと口を開く。


「三華月様。治癒は……弟子である私に任せていただけないでしょうか」


ぺこり、と深く頭を下げる、華奢でペラペラな体格の少女。

しかし、その姿は不思議と頼もしかった。


渡りに船、とはまさにこのことだ。


彼女は、私が治癒できないことを知っていた。

……なるほど、そういうことか。


ペンギンは、魔導士の塔に入る前から、この展開を予測していた。

スライムが治癒を求める未来を見据え、あらかじめ対策を用意していたというわけだ。


慈愛に満ちた――それらしく見える笑顔を浮かべ、私は天賀茶へ声をかける。


「天賀茶。あなたの手で、彼等を救ってみせてください」


「三華月様。承知しました。必ず……期待に応えてみせます」


空気が、ぴんと張り詰める。

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