17 METEO_STRIKERS
太陽が、ゆっくりと、しかし確実に地平線へ沈みこもうとしていた。
空の端では朱が揺らぎ、そこへ紫が滲むように重なり合い、まるで世界そのものが昼と夜の境界で立ち止まり、次の一歩をためらっているかのようだった。
そんな黄昏の光の下、私は帝国領最南端――霧と乾いた風が交互に吹き抜ける辺境都市の中心部、その中でもひときわ喧しく、熱と匂いと声が渦巻く酒場の中にいた。
木製のテーブルがざっと見ただけでも20席ほど並び、そのすべてが人で埋まっている。
ガタン、ゴトン、と乱暴に置かれるジョッキ。
油の染みた皿が重ねられ、酒と肉の匂いが混ざり合い、天井近くでこもる。
ランプの橙色の光が、泡立つ酒面や濡れた木目を照らし、反射した光がせわしなく揺れていた。
白壁に嵌め込まれた窓へ、何気なく視線を向ける。
そこから見える中央大通りでは、冒険者、行商人、旅人、そして地元の住民たちがひっきりなしに行き交っていた。
日が沈みかけているというのに、足取りは鈍らない。
むしろ夜を前にした高揚感が、歩幅を大きくしているようにも見える。
人いきれと熱気は、壁越しでもはっきり伝わってきて、酒場内の喧騒と溶け合い、街全体が巨大な生き物のように鼓動している――そんな錯覚すら覚えた。
――そして、その騒音の中心。
灰色の石床の上に、純白の聖衣が転がっていた。
声にならない嗚咽を漏らしながら。
声とも息ともつかぬ、ひゅう、ひゅう、という音を洩らし、横転したまま丸みのある身体を左右にゴロゴロと転がす人物。
帝国第5位の聖女、藍倫である。
つい先ほどまで、無謀にも私へ決闘を挑み、そして当然の帰結として鉄拳制裁の餌食になった、その成れの果てだった。
石床の上を転がる様子だけ見れば、かなり派手だ。
表情は完全に崩壊しているのに、妙に動きだけは力強い。
ダン、ゴロッ、ガン、と身体が床に当たるたび、鈍い音が酒場中に響く。
満席の店内は、その光景を前に一気に騒然となった。
悲鳴まじりの笑い声、慌てて椅子を引く音、誰かがジョッキを落とす乾いた破裂音。
だが藍倫本人はというと、まるで慣れた動作のように、自分へ回復スキルを連打し続けていた。
ふわり、と光粒子が彼女の身体から立ち昇る。
霧のように淡く、しかし確かに力を宿した光。
砕けた骨や内臓の損傷が、瞬時に巻き戻されるように修復され、生気が一気に満ちていく。
さすがA級相当の実力者、というべきなのだろう。
勇者と強斥候の“うんこ達”に叩き込んだものと、ほぼ同等の鉄拳を落としたはずなのだが。
藍倫の転がりぶりを見る限り、常人なら一撃で彼岸へ旅立っていてもおかしくはない。
そう考えると、あのうんこ達の危機察知能力が異様に発達していたということなのか。
……考えれば考えるほど、よく分からない話だった。
やがて藍倫は、床に手をつき、よろよろと身体を起こしてくると、ふらつきながらも立ち上がり、腫れた顔のまま、
「ず、び、ば、ぜ、ん、で、じ、だ……」
と、鼻づまり声で呟いてきた。
その動きに連動するように、張り詰めていた酒場の空気が、ようやく少しずつ緩みはじめていく。
――その矢先だった。
外から、突然、怒号が叩き込まれてきた。
「機械兵がこちらにやって来るぞぉ!」
木製の扉が、ビリビリと震えるほどの大声。
酒場のざわめきが、ひと呼吸分だけ、凍りつく。
私たちがこの都市へ来た理由のひとつ。
それが、まさにその機械兵の討伐だった。
まだ都市に直接の被害は出ていない。
ものの、「機械兵が帝国領に侵攻する」という不穏な占いが下されていたため、先回りしてここに滞在していたのだ。
とはいうものの、こうして現実になってしまった以上、もはや迷う余地はない。
私は反射的に酒場の外へ飛び出していく。
ギィッ、と扉が軋み、夜気が一気に流れ込んでくる。
――だが。
通りを行き交う人々の顔に、危機感は欠片もなかった。
むしろ、祭りの続きとでも言いたげな笑顔さえ浮かんでいる。
避難誘導の流れもなく、屋台で酒を飲み続ける者すらいる。
さらには、衛兵の活躍を見物しようと、機械兵が来る方向へ走っていく輩までいる始末だった。
この緊迫と無自覚の落差。
それが逆に、不気味さを際立たせる。
胸の奥で、ざらり、と嫌な感触が広がった。
そこへ、ほぼ全快した藍倫が、肩をぐるぐると回しながら近づいてくると、面倒くさそうに、しかし淡々と、こう言ってきた。
「神の加護を持たない魔物は、本来なら地上じゃ生きられないはずなんです。でも、何故か機械兵は迷宮の外へ出てこられるんですよ。森から現れることが稀にあるらしくて、そのたび衛兵が追い返してたみたいなんです」
藍倫の言葉は、原則として正しい。
加護を持たない魔物は地上活動が不可能――それが常識だ。
先日、ショートカットに使った砂漠も、実は丸ごと迷宮であり、黒色ワームが砂地から這い出すことはあっても、その外へ出ることは決してない。
だが、機械兵は魔物ではない。
異界の生命体だ。
そして、地上活動の許可を与えたのは、他ならぬ私自身だった――とはいうものの、その事実を知る者は、誰一人としていない。
街の空気がざわめく中、背後から冷ややかな声が落ちてきた。
黒いマントに全身を覆われた死霊王である。
「藍倫様。最前線ですが、『侵攻の意思』を明確に示す機械兵が、大規模でこの辺境都市へ迫っています」
この通りから前線は見えない。
建物が密集し、視界は遮られているからだ。
だが死霊王にはスキル『千里眼』がある。
超災害級アンデッド。
その名は伊達ではなく、地上においては私に次ぐ戦闘力を有すると言っていい。
黒マントの報告に、藍倫が即座に噛みついてきた。
「おい黒マント。機械兵が侵攻しているって……本当なんだろうな? 適当なこと言ってたらぶっ飛ばすぞ!」
前線が見えない以上、疑いたくなる気持ちは分かる。
ものの、S級枠すら外れる危険性を持つ死霊王へ、そのまま怒鳴りつけるのは、どうにも綱渡りに思えた。
もっとも、移動中に藍倫が何度か黒マントを殴り倒していたのも事実だ。
それにも関わらず、死霊王は毎回丁寧に謝罪していたのであった。
今さら気にしても仕方ないのかもしれない。
私は、ふと夜空を仰ぐ。
雲ひとつない空。
白銀の満月が、冴え冴えと輝いていた。
満月の光が降り注ぐ夜。
私は神域へ踏み込む。
スキル『真眼』すら、自在に扱える領域へ。
視界が、黄金に染まる。
『真眼』が発動した。
その瞬間、死霊王の報告どおり、100体の機械兵が辺境都市へ迫ってくる光景が、くっきりと浮かび上がってくる。
ギギ……ギィ……。
金属の軋む低音が風に乗り、
ドン、ドン、と地面を踏み砕く振動が夜気を震わせる。
距離は、まだある。
それでも、殺意だけが先行していた。
鋭く研がれた槍の穂先のように、一直線。空気を裂き、私の意識へと突き刺さってくる。
都市に駐留する衛兵が対処できるのは、せいぜい3体が限界だ。
それ以上となれば、もはや戦闘ではなく蹂躙となる。壊滅は避けられないだろう。
とはいうものの。
この侵攻を見過ごす、などという選択肢は最初から存在していなかった。
ならば結論は1つ。
私が、動くしかない。
視線を走らせていく。
この付近で最も高い建造物――酒場の屋根。
あそこならば視界は遮られず、射線も確保できる。狙撃には理想的な位置関係だ。
思考は迷いなく収束した。
決断は、一瞬だった。
「藍倫。100個体の機械兵が侵攻しているという話ですが、黒マントの報告は正しいようです」
声に出した瞬間、藍倫の反応は早かった。
「マジですか。それ……三華月様にも、もう見えてるんですか?」
「はい。こちらへ一直線に向かっています。速度も、隊列も、乱れはありません」
「それ、本当に来てるなら……辺境都市の帝国兵じゃ、どうしようもなくないですか?」
わずかな間を置いて、私は静かに答える。
「そうですね。ですから――ここは、私が対処させてもらいます」
その言葉が落ちた瞬間だった。
藍倫の瞳が、ぱっと光を宿す。期待と興奮が混じった、わかりやすすぎる輝きだ。
「おおお……! 三華月様、ついに“あれ”を出すんですね! 運命の弓で、一掃しちゃうんですか!」
「はい。この酒場の屋根から、狙い撃たせてもらいます」
「さすが最強聖女……! 三華月様、マジで格好いいです!」
……勢いがすごい。
藍倫が、こちらを全力でノせにきているのは、声色だけでなく、背中越しに伝わる熱量でもはっきりわかった。
どうせ「さっさと片付けて食べ歩きしよ♪」とか、そのあたりの軽い目論見でも立てているのだろう。
いや、立てている。間違いない。
……ほんと、自由な聖女だ。
私はスキル『跳躍』を発動させ、踏み込んだ瞬間、足裏の感覚がふっと消え、次の瞬間には身体が宙へと放り出された。
ヒュン――
空気が遅れて追いつき、屋根瓦がギシ、と低く鳴く。
夜気が頬を切り裂くように冷たく、視界が一気に開けた。
無数の屋根が、波打つ海のように広がっている。
その向こう。
都市の境界線を越えた先には、満月に照らされた沈黙の草原。
銀の幕を敷き詰めたかのような、静かな異界が横たわっていた。
背後で、影がすべりこんでくる。
死霊王だ。藍倫を片腕に抱えたまま、まるで重力を裏切るかのように、音もなく屋根へと上がってきた。
瓦1枚、鳴らさない。
私は満月を背に、闇の奥へと視線を伸ばしていく。
――見つけた。
およそ6km先。
草原そのものが、白い津波へと変貌したかのようだった。
機械兵の群れ。
整然と揃えられた隊列は、巨大な兵隊蟻のようで、1歩踏み出すたびに大地の空気が金属質に軋む。
異界特有の、“生命が存在しない”感覚。
それが波のように押し寄せ、胸の奥を冷やしていく。
遠目であっても、肌に刺さる嫌悪感ははっきりと伝わってきた。
ここから、狙撃させてもらいましょう。
私は指先で空をなぞり、運命の弓をスナイパーモードで召喚する。
白銀の巨弓。
全長3メートルを超えるその弓は、月光を吸い上げるように輝き、表面を淡い光粒がさらさらと流れていく。
弦に触れた瞬間、
――ビリッ
骨の髄まで震えるような神気が走り、胸が一拍遅れて跳ねた。
背後では、藍倫と死霊王の交わす声が聞こえてくる。
「黒マント……あれこそ、アルテミス神から贈られた運命の弓。あれで、機械兵たちの運命は、確実に終わるぞ!」
藍倫の声は、静かに、しかし確信に満ちていた。
「藍倫様……つまり、三華月様は全攻スキルを使って、6km先の機械兵を一掃するおつもりだと……?」
「その通りだろうな。三華月様なら、余裕も余裕。黒マント、今この瞬間、奇跡を刮目しておけ」
「承知しました……刮目させていただきます!」
……そう、藍倫が私の戦闘を直接目撃するのは、これが初めてのはず。
にもかかわらず、彼女の脳内で増殖を続けている“三華月無双伝説”のせいで、期待値だけが、知らず知らずのうちに天井を突き抜けているようだ。
正直、どうでもいい。
……とはいうものの。
ここまで煽られると、少しは応えたくなる。
それに、今夜は満月。
火力なら無限大にまで引き上げられる、特別な夜だ。
ならば――少しくらい、派手にいかせてもらいましょうか。
「それでは、天空スキル『METEO_STRIKERS』、披露させてもらいましょう」
「おおっ、なんすかそれ! 名前からしてもう格好いいじゃないですか! さすが最強美少女……!」
……まったく、鬼可愛い聖女というものは、何をしても褒められる存在なのだろうか。
まあ、悪い気はしないのだが。
私は矢先を天へ向け、ゆっくりと深く息を吐いた。
満天の星々が、呼吸に合わせて瞬き、かすかに色を変えていく。
弓を引き絞ると、体内の信仰が光となって噴き出し、弦を伝い矢先へと流れ込んでくる。
矢先には月の加護が降り注ぎ、白い燐光がぎゅっと凝縮されていくのを、指先で確かに感じ取っていた。
ジリ……
周囲の空気が焼けつくように震え、世界そのものの鼓動が指先を中心にゆっくりと集束する。
時がスローになったかのような感覚。標的は、遥か天空。
そして――
エネルギーが臨界に達した瞬間、私は声を振り絞った。
「狙い撃たせてもらいます!」
――――――SHOOT。
放たれた矢は、音速を軽々と突き破り、白い死線と化して夜空へと消えていく。
残光の軌跡は、まるで銀糸のように長く伸び、夜の闇へと溶けていた。
藍倫を見ると、口を開けたまま固まり、完全に脳のスイッチが落ちていた。
……言語野でも破壊されたのかしら。
「藍倫。間抜けな顔をされていますが、どうかしましたか?」
「空に……矢を、1本しか撃ってなかったように見えたんですけど……あれ、私の見間違いですか……?」
「見間違いではありません。1本だけしか射ておりません……」
「ですよねー。ここで質問です。1本の矢でどうやって100体を殲滅するんですか! 算数は、大丈夫なんですか? いや。絶対大丈夫じゃないでしょ!? 矢の質量は!? 防御力は!? 物理法則は!? あと『METEO_STRIKERS』って名前ですが、 三華月様って、中二病なんですか!?」
……全力でディスられている。
「期待外れだわー」などと平然と言い放ち、さらには「喪女はこれだから」などと、やれやれポーズまで、決めてきた。
ほんと、口の減らない聖女だ。
そろそろ——空へ放った矢が『流星群』となって戻ってくる頃だ。
藍倫が私につられて空を仰ぎ、次の瞬間、絶叫した。
「な、な、なんじゃあれは!!!?」
夜空に無数の光線が走り、尾を引きながら地上へ降り注いでくる。
星屑の海が崩れ落ちるような幻想的な光景……なのに、視界を焼くほどの圧倒的な力を宿している。
辺境都市の住民たちも気づき、空を指さし、歓声と悲鳴が入り混じる不思議な声が街中に響き渡ってきた。
これこそ、かつて天界戦争で使われたと言われる天空スキル――隕石落とし。
藍倫の声は、驚愕から露骨な恐怖へと変わっていく。
「こ、こ、こっちに堕ちてくるぞ!? 逃げなきゃ死ぬやつじゃん、これ!!」
確かに、まずい。
この角度、この距離で受ければ、辺境都市など即座に蒸発してしまうだろう。
今さらながら、かなり危険な状況であることを理解する。
——そして。
流星群は、機械兵100体のいる草原へ、圧倒的な衝撃とともに着弾した。
空気が破裂し、世界の鼓動が一瞬止まる。
続く衝撃波の気配に、私は藍倫の手を掴み、屋根から飛び降りた。
ドォンッ!!!
遅れて響いた重低音が都市全体を揺さぶり、地面の突き上げに人々の悲鳴が重なっていく。
屋根瓦は連鎖的に崩れ、窓ガラスが次々と破裂した。
着弾地点は6km離れていたため直撃は免れたものの、天を焦がすような煙柱が立ち上がり、黒い土砂が雨となって降り始めてくる。
沈黙のあと、死霊王が静かに呟いた。
「……機械兵100体がそのまま侵攻してきたほうが、都市の被害は少なかったかもしれませんね」
いやいやいや。
今は私を励ますところでしょうに。
時間が経つほど街のあちこちで悲鳴と怒号が混ざり合い、絶望の匂いが濃くなっていく。
このままでは、私のメンタルが先に死んでしまうのではなかろうか。
機械兵討伐は完了した。
あとは、亜里亜を救うため、森へ向かうだけ。
完全に停止し、目も口も限界まで開いたまま固まっている藍倫の手を引き、私はそのまま森へ歩み出した。




