星の降る夜
昔々、ある街に1人の少年がおりました。名前はトム。親のいないトムは毎晩、皆が寝静まった頃に工場に行き、真っ黒になって煤や灰を取り除く煙突掃除の仕事をして暮らしていました。
ある日のことです。トムがいつものように煙突掃除をしていると片隅にキラキラ光る小さな石を見つけました。トムはポケットに入れて持って帰ることにしました。
家に帰った時には東からまばゆい朝日が差し込んでいました。トムはポケットにある石のことを思い出し、取り出しました。
するとどうでしょう!
石は朝日をあびた途端、あっという間に溶けるように消えてしまったのでした。
次の日の夜もトムはまた光る石を見つけました。昨日の石よりもさらに小さな石でした。トムはそれをポケットに入れて、持って帰りました。
次の日も、そのまた次の日もトムは毎日のように石を見つけました。それは時に親指ほどの大きさだったりりんごの種程の大きさだったりしました。
トムはそれを全部拾い、家に帰るとカーテンがきちんとしまっていることを確かめてから薄暗い引き戸に入れてあるビンの中に入れていきました。
ビンの中の小さな光はだんだんだんだんと大きな光になり、見る者を温かく灯す光になっていったのでした。
きっとこれはとっても凄い石に違いない。だって、この石を見ているだけで心がウキウキして幸せな気持ちになれるんだから。そのうちきっと、素敵なことが起こるに違いない!
トムはそう信じていました。
だから、ビンを引き戸の奥にしまって石が消えないように大切にしました。
ある日のことです。仕事がお休みになったトムは夜の訪れと共に光る石のビンを引き戸から出して眺めていました。
温かな光をうっとりと見つめているとコツコツと、部屋の窓を誰かがつつく音がしました。トムが窓の外を見ると、そこに1羽の小鳥がいました。小鳥は窓の外で何やらトムに話しかけています。トムは窓を開けて小鳥を入れてやりました。
「どうしたの?」
トムが尋ねると小鳥は喉を鳴らしながらトムにいました。
「僕、おうちがわからなくなっちゃったんです。やっと上手に飛べるようになったから嬉しくて夢中で飛んでたら暗くなってしまって、何も見えなくなっちゃって。困ってたらあなたのおうちの灯が見えたんです。どうかお願いします。僕を一晩泊めてください」
心優しいトムは、すぐに小鳥を迎え入れました。
小鳥は大変喜んでトムの周りで可愛くさえずりました。
やがて、トムと小鳥はビンの中の光る石を眺めながら色々な話しをしました。そして、尋ねました。
「ねえ、君はこんな光る石見たことある?」
「ううん、初めて見た。パパやママからも光る石の話なんてきいたことないよ」
そしてうっとりとビンの石に見惚れました。
「それにしても、不思議な石だね。この石見てたら、不安なんて吹き飛んでしまうよ。明日きっとおうちに帰れるような気がしてくる」
夜明け前、トムは羽音で目を覚ましました。
「もう行くの?」
「うん。東の空が明るくなってきたし、きっとパパもママも心配していると思うんだ」
「そうだね、きっと心配しているよ」
トムは記念にと、ビンの石を1つ小さな布きれいに包んでプレゼントしました。
小鳥はトムの周りを飛びまわり大喜びすると、お礼を言って口にくわえ帰っていきました。
小鳥がいなくなってしまうと、トムは寂しくなりました。
でも、大丈夫。まだまだ石はたくさんあるから。きっと石の数だけ素敵なことが起こるに違いない、そう言い聞かせてトムは引き戸にビンをしまいました。
次の日の夜明け前。仕事が速く終わったお陰でまだ暗い時間に帰ることができたトムは光るビンを取り出してながめていました。
すると、部屋のドアを叩く音がしました。
誰だろう?
そう思ってドアを開けた途端、トムはびっくりしました。光る石が2つ並んで宙に浮いていたのです。
驚きのあまり固まっていると、勝手にそれは入ってきました。
「やれやれ、出迎えの声掛けもなしか」
しわがれた声をしたそれは1匹の黒猫でした。黒猫はしっぽでパタンとドアを閉めると、トムの座るテーブルへとやってきました。
宙に浮いた光る石の正体はこの猫の瞳だったのです。部屋に入ってきた黒猫の瞳はもう光っていませんでしたが、光る石にも負けない位大変澄んだ瞳をした猫でした。
「おお!まさしくこの光だ。なんと懐しい!」
黒猫は感嘆の声をあげました。
「あの、あなたはこの石のことを知っているんですか?」
戸惑いながらも尋ねるトムに、黒猫は興奮しながらも答えました。
「もちろん知っているとも!これは星のカケラだ。最後に見たのはもうどれくらい前のことかのう。小鳥の坊やから話を聞いた時はにわかに信じられんかったが、本当にまた見られる日が来るとは!」
目を細めた黒猫はそういった切り黙り込み、長い間ビンの中を覗いていました。
「星は毎日空から少しずつ落ちてくるのだよ。流れ星、と人は呼んでおるがね」
朝日が差し込む前に星のカケラを引き戸に隠すトムに黒猫はポツポツとトムに話し始めました。
「地面に落ちた星は砕けて小さなカケラになる。ワシも、しばらくの間色んな所に行ってこれを探し回っていた時期があった。しかしどこに落ちるかわからんし、落ちていく星が見えたとしても実際に落ちたカケラを見つけるのも難しい。そして朝になれば太陽に当たって消えてしまう。だから星のカケラは存在すらほとんど知られていない。見られることも滅多にない。こんなにたくさんの星のカケラを見たのは初めてだよ」
「そうなの?」
「ああ」
「じゃあさ、君も煙突掃除してみたら?煙突掃除してたらよく見つけるよ!」
名案を閃いた!とばかりにトムが言うと、黒猫は首を横に振りました。黒猫はトムの真っ直ぐな瞳を見つめた後、ビンに視線を戻し、少し考えてから答えました。
「遠慮しておくよ」
「そうかなぁ?よく落ちてるから、すぐみつかると思うけど。ここにあるのだって、全部煙突掃除で見つけたんだし」
「それだけを求める者にはなかなか難しいもんだ」
不思議がるトムに黒猫は優しく笑いかけました。
「いつか落ちる星ばかり見ていても、見ている星が落ちるとは限らん。空を見上げてただ待つ者よりも、一生懸命日々を送る者にこそ星の奇跡はやってくるものかもしれん」
黒猫はトムの方に体を向けました。
「こほん、とにかくワシはやらんよ。自慢の毛並みが煤まみれになるのは我慢ならんからな。それより、だ。ワシはこの辺りでは長老と呼ばれる位長生きで物知りな猫なのだぞ。そんなワシを『君』呼ばわりはいかんな。お主もワシを長老と呼ぶように」
「えー」
「『えー』じゃない、『えー』じゃ。まったく、近頃の若い者ときたら年寄りを敬うということを知らんからいかん」
「敬うって?」
「言葉も知らんのか。そもそも、敬うというのはだな―――」
長老の長い話を聞きながら、トムは何だか嬉しくなってきました。
「ふふふ」
「お主!ちゃんと儂の話を聞いておるか?」
「トム」
「ん?」
「トムだよ。僕の名前。長老も、『君呼ばわりはいかん』って言っていたでしょ?僕も『お主』じゃなくてトムって呼んで欲しいな」
「ん?あぁ、ん、そうじゃな。ではトム、でいいか?」
「うん!そう呼んで。名前を呼ばれると嬉しいんだ。僕」
嬉しそうに笑うトム。
「ねえ長老、長老は色んな所に行ったって言ってたでしょ?どんな所に行ったの?僕、聞きたいな」
その一言に、長老はピンッとヒゲを伸ばしました。ゆらり、としっぽが揺れ始めます。
「そうか?ふむ。そうか」
こほん、と咳払いした長老のしっぽは相変わらず揺れ続けています。
「そこまで聞きたいと言われれば教えてやらんではないぞ。ふふふ、それではたんと聞くといい!我が武勇伝を~」
それから長老は熱く若き日々の思い出を語り聞かせました。町の外に出たことのなかったトムにとっては長老の話しはどれも新鮮でとても面白く聞こえました。
分からないものは質問し、長老は丁寧にそれを教える。
そんなやりとりがずっと続いたのでした。けれど、どんなに時間が経っても疲れることはありません。
長老の話はとても楽しく、充実したひとときでした。
そして気づけば日が暮れて仕事に行く時間になっていました。
「やれやれ、こんなに喋り通したのは初めてじゃ。しかし、楽しかったよ」
トムも長老と同じ気持ちでした。本当はもっと喋っていたいのですが、そういうわけにもいきません。
トムはせめてもの気持ちとして、長老にビンの中にある星のカケラを布に包んで首にかけてやりました。長老は嬉しそうにそれを受け取ると「また来るよ」と言い残して行ってしまいました。
トムはやっぱり寂しい気持ちになりましたが、長老の言葉を信じることにしました。
―――それに、きっとまだ素敵なことは続くに違いない。だって僕にはたくさんの星のカケラがあるんだから―――
その期待通り、それから仕事を終えたトムの部屋には毎日のようにお客様がやってきました。それは鳥だったり、ネコだったり、犬だったりネズミだったりしました。時には前に来たお客様が訪ねて来ることもありました。最初にお客に来た小鳥がパパとママを連れて遊びに来たり、もちろん長老も友達のネコを連れてやってくることもありました。どんなお客様でもトムは喜んで迎え入れ、楽しい時間を過ごすのでした。
休むことなく動いていても、トムは疲れることがありませんでした。
どれもこれも、きっと星のカケラの魔法だろうとトムは思いました。
星のカケラはそれからも毎日のように落ちていて、連日訪れる皆に分けてあげることができました。
―――きっと、今以上に幸せなことなんてないだろう!―――
そう思ったトムでした。
そんなある日のことです。トムはこれまで以上の奇跡に出会いました。
いつものように掃除のために煙突に続く梯子を登ったトムの手に星が落ちてきたのです。それは完璧な星の形をしていました。
「なんて綺麗なんだろう!」
トムはうっとりしました。そして同時にもう1つの気持ちが生まれたのです。
この星を誰にも見せたくない、という。
いつものように仕事を終えたトムは、ポケットに入れた星が壊れないように注意しながら足早に家に戻りました。
そして大事に小箱にしまい、今日のことは誰にも言わずにいることにしました。
―――だって、これは僕が見つけた僕だけの宝物なんだもの―――
それからというもの、トムは今まで感じたことのない気持ちになるようになりました。あの星が誰かに見つかってはいないか、ちゃんと日の当たらない場所に置いたかなど、いつもあの星のことが心配で手元にないと仕事もきちんと出来ない程でした。
動物たちもトムの変化には気づいていましたが、何があったか尋ねてもトムは何も言わないのでどうしようもありませんでした。
トムはいつも星のことばかり気にして星のカケラを探すことも忘れていました。そして、ビンの中のカケラはどんどん少なくなっていき、ついに無くなってしまいました。あれほど明るく輝いていたビンの中にはもう何もありません。
「ごめんね。君たちにあげられる星のカケラはもう無いんだ」
トムはすまなさそうにそう言って、やって来た皆を帰しました。そして、とうとうトムの部屋には誰も来なくなってしまいました。
けれど、トムは寂しくありませんでした。だって、トムには宝物があるのですから!
―――だれも来なくなったけれど、その方がいいや。だって、それだけこの宝物を見ている時間が増えたんだから―――
そしてトムは小箱をそっと開けて、星の光が外に漏れないようにしながら眺めるのでした。
―――これは僕の星。ぼくだけの宝物―――
ある夕暮れのことでした。トムが仕事場に向かって歩いていると、一人の男性が目に留まりました。
その男性は身なりのきちんとした紳士でした。裕福な家の人に違いありません。
けれど、ひどくやつれて見えました。トムは気になって足を止めました。
紳士は深刻な顔をしたまま顔に手をあて長いこと公園のベンチに座っていました。やがて大きなため息をついて立ち上がりました。そのまま歩き出した紳士を、トムは大声で呼び止めました。
紳士はビックリして振り返りました。紳士だけではありません。周りを歩いた人皆がトムに注目しました。
皆の目に気づいたトムは顔を赤らめながらベンチの下を指しました。
ベンチの側に懐中時計が落ちています。紳士は慌ててそれを拾い上げ、トムに歩み寄りました。
「教えてくれてありがとう。大事な娘の写真をなくすところだったよ」
懐中時計を開くと、そこには愛らしい女の子の絵が飾られていました。
「これはお礼だ、受け取りたまえ」
そして数枚のコインを差し出しました。トムにとっては大金に当たるお金です。
けれどトムはすぐに首を横に振りました。
「いりません」
トムの答えに紳士は驚きました。
「そんなつもりで教えたわけじゃありませんから」
紳士の顔がさっと赤くなるのが夕闇でもわかりました。
「………すまない、君の厚意に対して無礼な態度をとってしまったようだ」
紳士は膝を折り、トムに目線を合わせて言いました。
「教えてくれてありがとう。とても助かったよ」
優しい瞳をした紳士でした。トムは笑顔で頷きました。そんなトムの様子を見て、紳士はまた口を開きました。
「―――よかったら、君とまた話しがしてみたい。明日また、この場所で会うことはできないだろうか?」
トムと紳士はそれから時々会うようになりました。
年が離れているのに、2人はとても気が合いました。
紳士と下町の少年という対照的な2人が親しく話しているのを周囲は奇妙なものを見る目で見ていましたが、紳士はちっとも気にした様子はありません。「年の離れた友人ができて嬉しい」とトムに言ったこともありました。
トムも紳士と話す時間が好きでした。紳士は長老と同じくらい物知りで、トムに色々な土地の興味深い話を聞かせてくれたり、時には本を与えてくれたこともありました。
トムにとって紳士と過ごす時間はとても楽しい時間でした。
そして思い出すのです。今はもう来ない皆と語り合ったり騒いだりしたあの時のことを。今になってみると、なんて幸せな日々だったのでしょう。
星を独り占めしたいばかりに大切な友達を失ってしまったことを、トムはひどく悔やんでいました。
今はもう、あの星を独り占めしたいとは思いません。いえ、それどころかもう一度あの楽しい時間が戻るのならば星などいらないと思っていました。
そう思うようになっても、トムの部屋を訪れる者はもういません。トムはとても寂しくて仕方ありませんでした。そして、あの楽しかった日々に心を温かくしてくれていたものは、星の魔法ではなく訪れてくれていた皆なのだと知りました。いくら悔やんでも皆はもう来てくれません。そして、星のカケラを見つけることもありませんでした。
トムはあの幸福の日々を思い出すたび、涙を流さずにはいられませんでした。
ある日のことです。
―――コン、コン―――
部屋のドアを叩く音がしました。久しぶりのお客様です。
トムは大喜びでドアを開けました。すると、そこには紳士が立っていたのでした。
トムは思いもよらなかったお客様に戸惑いながら質素な部屋に招き入れました。
出せるお茶も何もない部屋でトムは恥ずかしくなりましたが、紳士は気にしない様子でトムにすすめられるままギシギシ音を立てる椅子に座り、おもむろに口を開きました。
「突然だが、しばらくこの街を離れることにしたんだ」
トムは驚きました。紳士は構わず続けます。
「私に娘がいることはもう話したと思うんだが、とても病弱な娘でね、その娘の病状が思わしくないんだ。速く手術を受けないと大変なことになると医者に言われたよ。今回この街を離れるのもそのためなんだ」
紳士は今まで見たこともない程、疲れた顔をしていました。
「手術の成功率は低くはないが、決して高いともいえない。娘はひどく怖がって、手術を受けるのを嫌がっているんだ。だが、このままではあの娘は弱っていくばかり………そんな娘の姿を見るのは耐えられない」
「………」
「ああ、すまない。話がそれたね。今日君に会いに来たのはこのことを伝えるためなんだ。やはり、友人の君には言っておくべきだからね」
トムはドアを叩く音を聞いた時とは逆に、ひどく落ち込んだ気持ちでした。それは紳士にも伝わったようでした。
トムは慌てて言いました。
「きっと………きっと、治ります!お嬢さんの病気、きっと治りますよ!」
トムは懸命に紳士に言いました。紳士は優しく目を細めると、トムの頭を撫でて頷きました。
窓の外から、馬車を引く音が聞こえてきました。トムの住むところを馬車が走るのはめったにありません。
「迎えが来たようだ」
紳士が立ちあがりました。去ろうとする紳士をトムは慌てて引き留めて、引き戸の奥から小箱を取り出し差し出しました。
「これは?」
「ぼくの、宝物だったものです。どうぞ、お嬢さんに渡して下さい」
「しかし、君の大切なものなのだろう?受け取れないよ」
「えぇ……以前は。でも、今これが必要なのは、ぼくではなくお嬢さんの方だと思うから、どうぞ受け取ってください。でも、必ず、日の当たらない場所で開けてくださいね」
真剣なトムの眼差しに紳士が何を思ったのか、それは分かりませんが紳士は差し出された小箱を丁寧に受け取りました。
「………ありがとう。必ず娘に手渡すよ。次この街に帰ってきたら、1番に君に会いに来るよ。もちろん、娘と一緒にね」
紳士がこの街を去ってしまい、トムは今まで以上に寂しい気持ちになりました。けれど、同時にその気持ちに負けてはいけないと思うようにもなりました。
『いつか落ちる星ばかり見ていても、見ている星が落ちるとは限らん。空を見上げてただ待つ者よりも、一生懸命日々を送る者にこそ星の奇跡はやってくるものかもしれん』
そんな長老の言葉を思い出したからです。
そうしてトムは、前にも増して仕事に精を出すようになりました。
そしてもう1つ、トムに生まれた気持ちがありました。
それは誰かと出会った奇跡を今度こそ大切にしようと思う心でした。
それから日々は刻々と過ぎ、冬になりました。トムは相変わらず忙しい日々を送っていましたが、毎年のことながら冬の寒さは身に沁みます。
でもその寒さに心まで負けてしまわないようトムは歯を食いしばって耐えました。
冬の帰り道。町にはクリスマスをあしらった飾りがあちらこちらに見られ、華やいだ雰囲気になります。
その日の空は澄み渡って今にも零れ落ちそうなくらいたくさんの星々が空を覆っていました。身を切るような寒さにトムは背中を丸めて歩きましたが、それでも顔だけは空を仰がずにはいられませんでした。
「なんてきれいなんだろう」
白い息を吐きながら、トムは感嘆の声を上げました。
そして、長老もどこかの屋根の上でこうして空を眺めているのだろうかと思いました。
その時です。星がスゥッと空を流れていき、近くの丘へ落ちて行くのが見えたのです。
トムは寒さも忘れてその丘に向かって駆け出しました。
丘の頂にある大きなモミの木の近くでカケラは見つかりました。
トムは感動のあまり声も出ず、カケラを持つ手が震えました。
―――あぁ!これがきっかけに、いいことが起こるかもしれない―――
そう思いました。そこへ、トムを呼ぶ声が聞こえました。
「誰?」
しかし、誰も何もいません。
―――気のせい?―――
そう思いましたが、また聞こえます。振り返るとその声がモミの木の声だと気づきました。
モミの木は枝をざわつかせながら言いました。
『私は長い、とても長い間この丘でずっと街を見守ってきました。誰にも気づかれることなく。あなたに会えて、あなたは気づいてくださった。これも何かの縁、どうぞ私の願いを聞いていただけないでしょうか?』
モミの木の願いはクリスマスツリーになることでした。たくさんの人に見てもらえる美しいツリーに。
誰にも気にかけてもらえず、名前を呼ばれることもなく、ただそこに在るだけだったモミの木の願い。
トムはその願いを叶えてあげたいと思いました。しかし、残念なことにトムは貧乏で飾りの1つすら買える余裕はありません。トムは困りました。
そしてフとある考えが浮かびました。
しかし時間も人手もないないこの状況で、あまりに無謀な考えでした。けれど、モミの木の願いを叶えるにはその方法しか思いつきません。
トムはモミの木に「まかせて!」と言いました。
トムの考えは単純ながらに大変なものでした。夜の間に落ちた星のカケラを集めてモミの木に飾り付けようというのです。
そのために、トムの生活は前にも増して慌ただしいものになりました。
寝る間も惜しんで仕事をするようになったのです。工場だけではなく、個々の家の煙突掃除まで請け負いました。
しかし、というべきか、当然ながらというべきか、それはうまくいきません。多く見つけても数個のカケラ、まったく見つけられない日もあります。
ちっとも溜まらないカケラにトムの心は焦るばかりでした。
そしてクリスマスイブ。
肩を落としてモミの木に会いに行きました。
モミの木はトムの様子で察したようでした。
すまなくて、あやまるばかりのトムにモミの木は言いました。
『こちらこそ、無理なお願いをしてすまなかった。ずいぶん大変だったろう?ありがとう。そこまでしてもらえるなんて、とても嬉しいよ』
申し訳なく思うトムに、モミの木の声はとても優しく響きました。
「………これっぽっちしかないけど、君の枝に飾ってもいいかな?」
モミの木は快くそれを受け入れました。
飾り付けはすぐに終わりました。大きなモミの木に灯ったほんのわずかな光。それでもモミの木は喜んでくれました。
丘から見下ろす街は、温かい光がたくさん灯っています。空には満天の星。
たくさんの光がトムの周りにあふれて、とてもきれいな夜でした。
でも………、いいえ、だからこそ、トムは悲しくなりました。
「きっと、こんなにたくさんの光があるんだから僕が灯したこれっぽっちの光なんて誰の目にも届かないよね。僕は結局、君の願いを叶えてあげることはできないんだ」
この光の中、今頃たくさんの人々がクリスマスを祝っていることでしょう。
だけどトムは独りきり。あの光の中に入ることすらできないで、こうして街外れの小さな丘でほんの少しの光を灯すので精一杯。
誰も見ない。誰も側にいない。
―――誰にも気づかれないで立っていたモミの木も、こんな思いをしていたのでしょうか。
「………僕も、独りぼっちだ」
話し声が聞こえました。それはだんだん丘の上に近づいてきます。
―――なんだろう?
「ああ、やれやれ。やっと着いた。」
「おいおい、立ち止まらないでくれよ。後ろがつかえるだろ」
わいわい、がやがやとにぎやかな話し声が聞こえてきます。
トムはそれらの声に聞き覚えがありました。それは以前トムの部屋にやって来ていたお客様でした。
「みんな、どうしてここに」
トムは驚いて叫びました。
「それはこっちのセリフだよ。トムをビックリさせようと皆で来たのに部屋にいないんだもん」
「そうだよ。それで皆で捜しまわってやっとここの光をみつけたから、ここにいるに違いないって皆で来たんだよ。でも、何でこんなところにいるの?」
トムはモミの木のために星のカケラを集めていたことを話しました。
「でも、僕じゃこれだけで精一杯なんだ」
トムは悲しそうに言いました。それを聞いて、皆は笑顔を見せました。そして、それぞれ手に持っていた袋をいっせいに開けたのです。
今まで闇が広がるばかりだった丘にたくさんの美しい光が灯りました。
「これどうしたの!?」
丘一面に散らばった星のカケラにトムが叫びました。
「皆であつめたんだ。トムが持っていた星のカケラがなくなった時から」
「僕たちがトムにもらってばかりいたせいでトムの分が無くなっちゃっただろ?………そのせいでトムの様子がおかしかったし。だから、ちゃんと反省してトムのために集めたんだ。僕らはもう星のカケラはいらないよ。トムとお喋りしたり騒いだり、それだけで十分なんだから」
「もし星のカケラがもっと欲しくなったら、僕らにいってよ。探すの手伝うからさ」
その時、トムは初めて知ったのです。
皆、星のカケラがもらえなくなったから部屋に来なくなったのではなく、星のカケラを集めるために………トムだけのために星のカケラを探してくれていたことを。
トムの胸に熱いものがこみ上げてきました。
「皆………」
皆の顔を前に、トムは言葉が続かなくなりました。かわりに出てきたのは、頬を伝う涙だけ。
「ど、どど、どうしたの、トム!」
「トムが泣いちゃったじゃないか、誰だ?トム泣かせた奴は」
「やっぱりカケラのことで僕らのこと許せないのかな?」
「ホラ、だから言っただろ?これくらいの星じゃ足りないって」
動揺して、皆がざわめきます。トムは大きく首を振りました。
「ちがうよ」
トムはやっと声を絞り出しました。
「ちがうんだ」
声が震えてうまく喋れません。それに、伝えたい気持ちはたくさんあるのに、言葉になりませんでした。
言えたのはたった一言、
「うれしいんだ」
ふいてもふいても溢れる涙にそれ以上続けることができませんでした。
だけど、トムの一言に皆はわかってくれました。
そして思い思いの言葉をかけてくれました。
『もう、独りじゃないね』
そんな声がトムの耳に届きました。トムは、モミの木に笑顔を見せました。
―――そうだね、モミの木さん、皆、見つけてくれたね。こんな、これっぽっちの光を。そして、たくさんの光を僕に与えてくれたね―――
皆に囲まれたトムを見下ろしながら、モミの枝が微かに揺れました。
今は冬。とても寒い冬………のはずなのに、丘の上はまるで春のようでした。
犬もネコも、ネズミも鳥も皆陽気に歌い、楽しそうにモミの木を飾り付けています。
誰も寒さなど感じていませんでした。
「やれやれ、とんだお祭り騒ぎじゃな」
トムの横にやってきた長老が呆れたような声を出しました。
久しぶりに会えた長老の姿に、トムは嬉しくなりました。
長老はトムににんまり笑いかけました。
「何もさせてもらえんで、ウズウズしとるようじゃの」
図星にトムは声をつまらせました。
寝る間も惜しんで星のカケラを探しまわっていたために、目の下にできたクマを目ざとく見つけられたトムは休んでいるようにと作業から追い出されたのでした。
「………大丈夫なのになぁ」
トムは口をとんがらせました。
「フォッフォッフォ。皆トムが心配なんじゃよ。………にしても、今回の出来事で少し認識を改めたよ。前は奇跡を起こすにはがむしゃらに突っ走っていてはダメじゃと思っとったが、それは自分一人だけの時に限るのかもしれんのぉ。現にカケラを探す時だって、トムのためだー!とか言って皆張り切ってこれだけ集められたからのぉ」
「その1番張り切っていた奴が、なに他人事みたいに言ってるんだい?」
タイミングよく現れたネコの言葉に、長老はノドを詰まらせむせ返りました。
現れたのは長老の古くからの友達で、トムも紹介されたことのあるネコでした。前足を口にあてて忍び笑いすると
「ほんと、毎晩毎晩飽きもせず屋根の上で星が降る度にあっちだこっちだ言って若いネコたちに取りに行かせたんですよ。その姿ときたら!トムにも是非お見せしたかったわ」
長老がむせて何も言えないのをいいことに長老の友達は言うだけ言って逃げるように皆の輪に戻っていきました。
長老はフイっと横を向いて「でたらめなことばかり言いおって」とぼやきました。照れているようです。
「ありがとう、長老。すごく嬉しいよ」
長老は、荒い鼻息で「ふん」と言いましたが、しっぽがフリフリ揺れておりました。
星のカケラでできたクリスマスツリーはとてもきれいでした。街にあるどんなクリスマスツリーだってかないやしません。
皆自分たちが飾り付けたツリーを見上げてうっとりとため息をつきました。
「これはすごい!」
突然、皆の後ろから声が聞こえました。
その声に向かって皆一斉に顔を向けましたが、見知らぬ顔に皆一様に首をひねりました。
ただ一人、トムだけは歓声をあげてその声の持ち主に駆け寄りました。
そこにいたのは街を離れていた紳士の姿でした。紳士は最後に会った時とは比べ物にならないくらいハツラツとした表情をしていました。
………と、トムは紳士の後ろに隠れるようにして立っている女の子に気が付きました。女の子は紳士の影からトムをちらりと見ると、すぐに顔を赤くして紳士の後ろに隠れてしまいました。
「これ、お前の恩人にちゃんとご挨拶しなさい」
紳士は女の子をトムの前に促しました。
紳士はトムとした約束をきちんと守ってくれたのです。
女の子は見覚えのある小箱を両手に持って、緊張した面持ちでトムの前にやってきました。
「これ………ありがとう。このお陰で、なんだか勇気が出てきて、手術、受けようって思ったの。あなたにちゃんとお礼が言いたくて。本当にありがとう」
おずおず差し出された小箱。しかし、トムはそれを受け取りませんでした。
その答えに驚いたのは女の子だけではありません。理由を問われたトムは、こう答えました。
「それは君にあげたものだから。それに、僕にはもう必要のないものだから」と。
「ぼくは今までたくさん星のカケラを集めて、そしてこんなに素敵な友達にたくさん出会えた。今思えば僕がカケラを集めていたのは友達に出会いたかったからなんだよ。最初は、星の魔法が僕に幸せな気持ちを与えてくれるんだと思っていたんだけど、友達がいなくなってわかったんだ。友達はそれ以上の幸せな気持ちを与えてくれていたって。皆がいれば、僕、星の魔法なんていらないんだ。それに………」
トムは皆を見回してゆっくり尋ねました。
「皆も、僕が星を持っていなくても、変わらず友達でいてくれるんでしょ?」
「もちろんさ!」
皆はすぐに答えました。
トムは嬉しそうに笑うと、女の子に向かって言いました。
「だから、僕には必要ないんだ」
すると女の子は大声でいいました。
「だったら、私も必要ないわ!だって私、あなたとお友達になるんだもの!お父様だってそうだわ!ねぇ、そうでしょう?」
顔を真っ赤にして父親を見上げる女の子。紳士は頷きました。
「そうだね。でも、私とトムはもうお友達なんだよ?」
すると女の子は真っ赤な顔のままうつむいて、消え入りそうな声でいいました。
「私と、お友達になってくれる?」
それから小箱にあった星がどうなったかというと、それはモミの木のてっぺんに飾られて、一際輝く星になったのでした。
美しいクリスマスツリー。それ以外何もありません。豪華な食事も、プレゼントも。
だけど、皆は幸せな時間を過ごしていました。
女の子がトムに言いました。
「私ね、今まで色んなパーティーを見てきたけれど、今日が一番素敵だわ。こんなに楽しいパーティー初めてよ!」
2人は顔を合わせて笑いました。
楽しい時間はあっという間にすぎてしまい、夜が明けようとしています。
星のきらめきがうすれていくと、モミの木の光もまた、だんだんとうすれていきました。
『ありがとう、ありがとう………』
モミの木は何度も何度もお礼の言葉を言いました。
モミの木が葉を揺らす度、キラキラと星が零れ落ちていきます。それはモミの木の涙のように見えました。
最後の光が落ちた時、太陽の光が東の空から姿を現しました。するとツリーの上の大きな星がまばゆい光を放ち、周りにいた皆を覆いました。
一瞬の出来事でした。
気が付くと、誰もが信じられない光景が目の前に広がっていたのです。
しばしの間声もなく、呆然と目の前の光景に見入りました。中には何度も目をこすって確かめる者もおりました。
目の前には、たくさんのプレゼントがあったのです。数えきれないほどのプレゼント。大きなモミの木と同じくらいありました。
夢ではありません。
皆は大はしゃぎでプレゼントに向かって駆け出していきました。
それから、トムは優しい紳士の家に引き取られました。
紳士の家族は皆いい人ばかりで、トムは前よりももっと幸せになりました。もちろん大切な友達もトムに会いに来てくれます。
丘の上のモミの木がどうなったかというと………
クリスマスの夜以降、何もなかった丘は美しい花が年中咲き乱れる花畑になりました。そしてたくさんの人が訪れ、大きなモミの木の下で体を休めたり、その木に登って遊んだり、人々の憩いの広場になりました。
トムたちも週に一度は訪れて、そしてパーティーを開くのです。
あの日と同じ、何もないパーティーを。けれどいつも、なにより素敵なパーティーになるのです。
トムが星のカケラを見つけることは2度とありませんでした。そしてトムがそれを必要と思うことも2度とありませんでした。
トムは見つけたのです。その胸に。
いつも輝く、心の星を。