低魔力で不器用で継承順位も低く生き辛い私ですが、理解ある彼くんのおかげでなんとか生きています。
「誰が理解ある彼くんだ」
げし、と頭を小突かれて、私は頭を擦りました。
もちろん全く痛くはありませんが、居たがる素振りも可愛げというもの。
「乙女の日記を盗み見るなんて、はしたないですよ。魔王様」
「そんな大層な名で呼ぶなと言っているだろ。第一、書きながら声に出して喋っているのが悪い」
「まあ……いやだわ、私ったら」
まさかの指摘に、顔が火照ってしまいます。
恥ずかしさで俯きいてしまいそうですが、魔王様も満更でもなさそうな表情を見て私は顔が赤いままニッコリと微笑みました。
「いいか、俺はお前に利用価値ありとみて攫ったんだ。継承順位も低いにも関わらず国王の寵愛を受けるお前をな」
「心得ておりますとも。私は囚われの姫君」
「なら、なぜ敵である俺を愛すなどと戯言を抜かす?」
「それは魔王様、貴方に救われたからです」
忘れもしない、あの月のない夜。
夜ごと訪れる悪夢に怯える私を、魔王様が外へ連れ出してくれたのです。
窓から空を見上げていると、翼をはためかせ現れた魔人――それが彼でした。
身の丈を超える大きな羽と、頭から生えた立派な角、妖しく光る切れ長の瞳。
すぐに近隣諸国を騒がせるあの魔王だと、すぐに分かりました。
それほどまでに、闇夜に浮かぶ姿が強大な圧力を発していました。
圧倒された私は同時に、ああ、遂にすべてを終わらせてくれる時が来たのだと、そう期待したのです。
しかし、彼から差し出されたのは剣でも魔法の光でもなく。
私を誘う優しく繊細な手でした。
あの瞬間。
あの時、私は恋をしたのです。
「私をあの部屋から救い出してくれた。それでは理由にはなりませんか」
私のそのままの気持ちが彼に伝われと強く願うように、しっかりと魔王様を見つめました。
魔王様は小さく鼻を鳴らしてそっぽを向きました。
でも、私は見逃しません。
彼の耳が赤くなっていることを。
私は口元が緩むのを抑えられませんでした。
「魔王様。たしかに貴方は人々から忌み嫌われるお人かもしれません」
「……そこは理解はしているようだな」
私の言葉に、魔王様はゆっくりと向き直ります。
そこには赤面など少しもなく、机に向かう私を見下ろすその相貌はまるで氷のよう。
それほどまでに冷酷な雰囲気でした。
「でも、私にはそれがただの一面でしかないことを知っています」
誰にでも、冷酷で身勝手な部分がある。
私はそれを嫌というほど知って――理解せざるを得なかったのです。
「……なにか分かったような顔をしているがな。俺はお前のその無邪気な好意が邪魔で仕方がない」
ぎろり、と魔王様の薄く光る眼が私を射抜きます。
人々が恐れ忌む龍の因子を持つ瞳。
その目で睨まれると、流石の私も肌が粟立つのを抑えられません。
「俺の力は、人々から恐怖と嫌悪を向けられて強大になっていく。俺を見たことがない遠く離れた地でも口伝で俺を畏怖すればまた力が増す。一人であればこそ俺は魔王足り得るのだ」
「まあ……このお城に家臣もメイドもいないのはそういう理由だったのですか」
「そうだが、話を最後まで聞け!」
話の腰を折り、怒られてしまいました。てへ、です。
「お前のむき出しの好意は俺を弱らせる毒だ。
本来なら殺してしまいたい……が、お前は姫君だ。国王の寵愛を一心に受けるお前を攫い幽閉すれば国中から俺への敵意が向けられる。
殺して憎悪させる手もあるが、死人の為に義憤を燃やす輩はそう多くないし長続きしない。
お前が生きていることで、俺を討ち姫を助けると言う大義が人々の心に生まれ敵意が増幅されるのだ」
「要するに、私を恐れさせたいと?」
「……妙に物分りがいいな」
「これでも姫君ですから!」
えへんと胸を張るも、魔王様はやれやれと頭を振るだけ。
こっそりアピールしたのですが、空振りだったようです。
大きさは結構自信あるのですが……
「死を願うほど痛めつけてもいいのだぞ」
「そうしないと、私は信じております」
「根拠もないのによく言える。苦痛は精神はおろか記憶すら破壊できるものだ」
「では、お好きなように」
私は両腕を広げ魔王様を迎え入れるように待ちます。
瞳は決してそらさず。
あるのは魔王様への揺るがない愛のみと全身全霊で伝われと、今度は私の瞳が射抜く番です。
一方で私は愛する殿方との見つめ合いで心臓が暴れ狂い頬が朱に染まるのを、決して内なる感情を顔に出さない宮中特技を使って抑え込みます。
「殉教者気取りめ……」
しばしの見つめ合いの後、先に視線を外したのは魔王様でした。
忌々しそうに、しかしどこかホッとしたような雰囲気を私は感じ取りました。
だから私は畳み掛けます。
こんな程度で怯んでいては、魔王様の彼女失格ですから。
「魔王様。『人から嫌われること』で魔王様は圧倒的な強さを得ていたのは理解しました。好意を向けられるとその力に陰りが出来てしまうことも」
ぐっと目に力を込めて、再度魔王様を見つめます。
次に繋ぐ言葉はきっと、お父様よりも劣る非道の提案。
でもいいのだ。
私には魔王様だけ居ればいい。
「なら魔王様、この国を――世界を恐怖と混沌で満たしてください。
人々に血と土の味を徹底的に教え込むのです。
恐怖と憎悪しか感じないよう、満遍なく虐げましょう。
希望と勇気を奮わないよう、あらゆる芽を踏み潰しましょう。
私一人の愛よりも強く大きい呪いを育て上げましょう、ね?」
唖然とした顔の魔王様。
私の口から吐き出される怨嗟と邪悪に驚かれてしまったのでしょうか。
なんだか急に恥ずかしくなってきました。
赤くなった頬を両手で抑えて縮こまります。
「……俺よりも魔王らしいじゃないか」
魔王様がフッと小さく笑いました。
その可愛らしい溢れた笑みに、私の心臓が心地よく高鳴ります。
「何がそこまでお前に世界を呪わせた?」
魔王様の問いに、答えることが出来ませんでした。
いえ。
本当は明確な答えを持っている。
でも、それを私の口から伝えるのは―――嫌。
「フン……」
鼻を鳴らして、私に向かって手をかざす魔王様。その手がぼうと薄く発光しました。
私は魔力が低いのでどんな魔法が検討も付きませんが、何をしようとしているのかは何となく分かりました。
私の逡巡――拒否をあざ笑うかのように、この人は私の内面を魔法で覗こうとしたのです。
やめてと叫んだところで止めてくれるわけもなく。
魔力が低い私では抵抗もできない。
だから私はただ静かに待ちました。
「お前……」
時間にして一瞬。
かざした手を降ろし、私を見た魔王様の顔はどんな表情だったのでしょうか。
怖くて私は彼を見られず、ずっと足元を見て何を言われるのか待っていました。
「お前があの城へ戻りたくない理由はわかった」
「……穢れた女だと、軽蔑しますか?」
足元を見たまま、ズルい質問をしました。
「そうだ」とは答えてほしくないという願望が見え透いた、すがるような問い。
私を囚われの姫君としてではなく、女として拒絶されるかもしれないと思うと途端に視界が滲みました。
この人にだけは嫌われたくない。
そう強く願えば願うほど鼻の奥がツンと痛み、滲み出てしまった涙が零れそうになります。
「フン――好都合だ」
予想外の言葉に、私は弾かれるように面を上げました。
魔王様は、腕組みをして口の端を吊り上げた不敵な笑みを浮かべていました。
突き放すでもなく慰めるでもなく。
こちらをお構いなしに記憶を覗いて、勝手に納得して。
「……俺の話し相手が浮かれたただの女ではつまらんからな」
欲しかった言葉とはまるで違っていたし、一見優しさのカケラも無く感じてしまいますが、彼の言葉は今ここにいるありのままの私を認めてくれたものでした。
けれど私にとって欲しかった言葉であり、これが彼の優しさなのです。
そうして魔王様は私の抱える苦しみをほんの少しだけ屠ってくれたのでした。
「女の記憶を許可なく覗いて、それですか。
本当に本当に身勝手な人です、貴方様は」
遂に零れてしまった涙は、心に満ちる幸せな気持ちと同じように温かいものでした。
愛する人の前でなら、涙を見せてもいいはずです。
だってほら、あの魔王様が腕組みしたまま狼狽える面白い姿が見れましたもの。
「お前を殺すのも痛めつけるのも止める」
魔王様は努めて平静を装いながら、慌てて当初の脅しを下げました。
それから、と付け足します。
「――それから、こうして時折話すくらいなら。それでいいならお前の望み通り傍に置いてやる。
まあどうせお前は囚われの姫君だ。この城からは出られんがな」
たまらずといった様子で言い終えて遂にはそっぽを向く魔王様。
ああ、なんて可愛いのでしょう。
「貴方様のお傍に居させてくれるなら、私は何もいりません」
「フン……俺はまだお前からの好意を受け入れたわけではないからな」
「魔王様、好意などではありません。愛です」
「………いらん。俺を弱くするだけだ」
「ですから私がいっぱいいっぱい与える愛以上の恐怖と混乱をこの世界に振りまいてください、魔王様」
今はまだ私しか幸せになっていませんが、いつか、いつか魔王様も幸せと思ってほしい。
そうして二人だけのこのお城を愛で満たして暮らして生きたいと私は決意しました。
だから。
だから、世界中が呪いで覆われればいいなと、胸の内でそっと願って。
「――魔王様、愛しています」
◆
◆
国王は誘拐された第四王女の救出のため、「魔王」と称される竜人の討伐隊を派遣。
幾度も失敗したが遂には見事討ち取り、王女の救出に成功する。
しかし、魔王が王女に施した3年にも及ぶ”洗脳”の効力は凄まじく、王女は心神喪失となり、治療の甲斐なしと判断され”塔”に隔離される。
その狂乱についには国王もさじを投げ、あとは死ぬまで”塔”を出ることはなかったとされる。
記録によれば、王女の享年は30歳という若さだった。
長らく神経症を患った姫君として歴史書に記されていたが、偶然発見された王女の手記により再び研究され、魔王との蜜月が判明し悲劇の王女として国民に知られることとなった。
拙作お読みいただきありがとうございました。