表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

施設育ち

作者: 睡憐



「あいつ、施設で育ってるから」



近くを通りすぎていった社員が、もう一人との会話の中にふとそんな言葉を溢す。彼らの知り合いであろう誰かに向けられたその言葉には侮蔑の念が含まれており、彼らが“施設育ち”を差別的に見ていることは明らかだった。そんな場に居合わせた僕は、静かに足を止める。


生温い風が社内を流れ、僕の頬を撫でた。彼らは立ち止まった僕には目も向けず、気にした様子もなく去っていく。こちらに聞こえる距離だったことには気付いているはずだが、それでも構わないということだろうか。当たり前のようにそんな態度をとる彼らに、僕はそっと溜め息をついた。







僕は、施設で育てられた。物心ついた頃から両親は傍にいなくて、顔も名前も知らない。今どこにいるのか、何をしているのか、そういったことも全くわからなかった。だけど、僕はそれを当たり前と思っていたし、周りの大人も、その事に関しては何も口にしなかった。だから僕は、両親がいないことは何もおかしなことでは無いのだと、信じて疑わなかった。


施設の先生は優しかった。僕は自己主張が少なくて、常に独りでいるような子どもだったけど、ある1人の大人だけはそんな僕のことも気にかけてくれた。時にはゲームを持ってきて「一緒に遊ぼう」と誘ってくれたし、かといって距離を詰めすぎることも無く、独りで居たい時には声をかけずにいてくれた。僕はそんな彼女が大好きで、施設の大人の中でも彼女だけを先生と呼び、親の代わりのように慕っていた。


先生はよく絵本を読んでくれた。眠れない夜には決まって本を持ってきて、落ち着いた声音で読み聞かせてくれた。



「その子はきっと、お空の星から生まれた子。キラキラ光るお星様の光が、何千、何万と集まって。そうして誰よりも、何よりも綺麗なヒトになったんだね。」



僕はその本が特にお気に入りで、先生はそんな僕の気持ちを察してか、何度も繰り返し読んでくれた。僕もきっと、この本の子のように星から生まれたのだと、幼い思考で夢見ていた。


僕は幸せだった。毎日美味しいごはんは貰えるし、遊ぶ時間も寝る時間もたっぷりある。決まりごとさえ守れば怒られることも無かったし、必要なものは全て与えられた。ほとんどの大人には空気のように扱われていたけど、いつも本を読んでくれるあの先生は、変わらず優しく接してくれた。


それだけで僕は幸せだった。施設に居られることに、喜びすら感じていた。両親なんていらないと、心の底から思っていた。


しかし、そんな考えが打ち破られるのは、時間の問題だった。






始まりは、僕が10歳の頃。僕は施設でもらったお古のランドセルを背負って、小学校に通っていた。本当は施設の子が通う特別な学校に行く予定だったけど、訳あって僕は外の学校に通っていた。


そんなある日、僕がいつものように教室に入ると、そこではそれぞれの家のことが話題になっていた。



「俺ん家は○○公園の近くで──」



「え、めちゃくちゃ近い!私の家は───」



僕は学校でも独りでいるタイプだったし、その話題に興味も無かったから、その輪には入らず自分の席についた。そして静かに授業の準備をしていると、どこからか視線を感じる。不思議に思って顔を上げると、目の前に1人の女の子が立っていた。



「──くんの家はマンション?一軒家?」



僕は突然話しかけられたことに驚いたが、彼女が期待の込もった目で答えを待っていたので、恐る恐る



「マンション、ではないけど...」



と答えた。すると、彼女はぱぁっと表情を明るくさせ、興奮した様子で立て続けに質問してきた。



「やっぱり一軒家なんだ!!私、ぜったいそうだと思ってたんだよね!ねぇ、家広い?どこにあるの?今度遊びに行ってもいいかな!」



僕はそんな彼女の勢いに気圧されていたが、何か答えないとと思って、言葉を選びつつ断ろうとした。



「広いけど......遊びに来るのはちょっと無理...かも、遠いし...」



だけど彼女は僕の家に興味を持ってしまったみたいで、引き下がってはくれなかった。



「遠くても大丈夫!私、自転車乗れるもん。だから、ね?いいでしょ!」



僕は押しが強い人は苦手で、いつもならこの時点で諦めて引き下がっていた。けど、施設に誰かを連れていくことは禁止されているから、今回ばかりは引き下がることもできない。彼女は何度断っても引き下がろうとはしなかったけど、僕は根気強く断り続けた。何度も頼まれては何度も断り、ということを続けていると、次第に彼女の中で苛立ちが募ってきたようで、言葉がきつくなってきた。これはまずい、と僕はなんとか宥めようとしたけど、彼女はついに怒りを露わにして言ってきた。



「ねぇ、なんで駄目なの?!ちょっと覗かせてもらうだけじゃん!!一度お母さんに頼んでくれたっていいでしょ?!」



僕はそんな彼女の態度に泣きそうになりながらも、説得を続けようとした。



「ごめんなさい......僕、施設に住んでるから......、」



「................え、」



それからだった。あの悪夢が、始まったのは。






最初の頃は、誰も気がつかない程の小さなことだった。学校に行ったら、机が少しずれている。気がつくと筆箱が床に落ちている。そんな些細なことばかりだったから、僕はそれが意図的なものだと気づくことができなかった。


たとえ気づいていたとしても、その程度の嫌がらせなら、僕も大して気にしなかっただろう。けれど、嫌がらせは次第にエスカレートしていった。


上靴が失くなる。ノートや机の落書き。クラスメイトは、以前よりも僕を避けるようになっていた。そんな典型的な「いじめ」には、さすがの僕も気がつく。だけど僕は、なぜ自分が虐められているのかわからなかった。


自分が何か悪いことをした訳でも無ければ、誰かに恨まれるようなことをした覚えも無い。僕はただただ困惑した。どうして虐められないといけないのか。どうして自分なのか。どれだけ考えてもわからないその答えを、日に日に落ち込んでいく心の中で求めていた。






そして、そんな状況に変化があったのは、いじめが始まって数ヶ月経った頃。放課後、傘を忘れてしまった僕は、急ぎ足で取りに戻っていた。教室の前にある傘立てに自分の傘を見つけ、無くなっていないことにホッと息をついたその時。教室の中から、クラスメイトの声が聞こえてきたのだ。



「...嫌がらせする理由?そんなの、あいつが施設育ちだからに決まってるじゃん」



その言葉を聞いた僕は、傘に伸ばしていた手をピタリと止めた。



僕が虐められているのは───施設に住んでいるから......?



頭が真っ白になった。今まで生きてきたことの全てを、否定されたような気がした。


僕はそれ以上その場にいられなくて、傘を傘立てから引き抜くと、何かを堪えるように走り出した。駆けて駆けて、やがてひとけの無い近くの公園に着くと、そこのベンチにフラフラと力なく座り込んだ。



「............どうして、、」



施設に住んでいる、それだけの理由で虐められているなんて、僕は思ってもいなかった。施設に住んでいたって、両親がいないだけでみんなと何も変わらない。みんなと同じように生活してるし、みんなと同じように学校にも通ってるし、みんなと同じように勉強もしている。なのにどうして、どうして施設に住んでいるというだけで、差別されないといけないのか。どうしてこんな目に遭わないといけないのか。どうしてこんなに苦しまないといけないのか。どうして────



「施設に住んでたって、両親がいなくたって......僕はみんなと何も変わらないのに......っ」



僕は初めて、涙を流した。施設の大人や先生に心配をかけないようにと、今まではずっと我慢していた。けど、この日ばかりはどうすることもできなかった。僕はぽたぽたと零れ落ちる涙を見つめながら、悲しみと絶望に心を浸していた。






その日から僕は、学校帰りにはいつも、公園に立ち寄るようになった。幸いその公園は人があまり来ない場所にあったので、僕は毎日足を運んでは、声を押し殺して独りで泣いた。


登校して、虐められて、公園で泣いて、帰って。その日課にも慣れてきた頃、僕はだんだん泣くことにさえ疲れを感じ始めていた。






そんなある日、僕がいつもの公園に行くと、そこには珍しく先客がいた。その子は、僕と同じくらいの歳の女の子だった。短めの髪に淡い色の服を着た彼女は、僕がいつも座っているベンチで、ハトにエサをやっている。


僕は人がいるなら仕方ないと、立ち寄るのを諦めて帰ろうとした。だけど、その時。



「ねぇ、何してるの」



背後から冷たい声が聞こえ、僕はバッと後ろを振り返った。そこにいたのは、放課後に僕の悪口を言っていた、あの女の子だった。彼女はその声と同じくらい冷たい目線で、僕のことをじっと見ている。



「.........っ」



僕が怯えて何も言えないでいると、彼女は不快そうに口を開いた。



「ここ、私の家の近くなんだけど。あんたに会うと不愉快だから、この辺りうろうろするのやめてくれない?」



僕は少し理不尽だと感じたけど、彼女に逆らう勇気も無かったから、



「...ごめん、ね。次からは、気をつける......」



と答えた。しかし彼女は、そんな僕に腹が立ったとばかりに距離を詰めて来ると、苛立ちの込もった言葉をぶつけてきた。



「施設育ちのくせに気安い口利かないでよ!あんたみたいなやつは施設に引きこもってたらいいの!」



そして彼女は、僕をドンッと突き飛ばした。僕はその衝撃で転び、ランドセルの中身がばら撒かれる。彼女はそんな僕を冷たい目で見下ろしていたが、ふと僕の荷物の中から1冊の本を手に取ると、馬鹿にしたように言ってきた。



「まだ絵本なんて持ってんの?幼稚園児?」



それは、先生がいつも読んでくれていた、僕のお気に入りの絵本だった。何度も繰り返し読むのならと、誕生日に先生がプレゼントしてくれたのだ。



「.....っ!それは...っ!!」



僕は慌てて立ち上がり、本を取り返そうとした。しかし、その前に彼女は絵本を地面に投げ捨てると、そのまま足で踏みにじった。



「..................っ」



その本は、僕が他の何よりも大切にしているものだった。それを踏みにじられたというショックはとても大きく、僕はその場にへたり込んでしまった。彼女はそんな僕を見て嘲るように笑うと、公園から立ち去って行った。


僕はしばらくの間、呆然としてその場に座り込んでいた。しかし、近くからザリ、と砂を踏む音が聞こえ顔を上げると、最初からこの公園にいた女の子が、こちらへ歩いてきていた。彼女は僕の横を通り過ぎ、地面に落ちている本を拾うと、丁寧な手つきで本に着いた砂を払う。そして、僕の前に歩み寄って、そっとその本を差し出した。



「......君も、星から生まれたの?」



僕はその言葉に驚き、目を瞬かせた。彼女はそんな僕に本を渡すと、優しく微笑んでこう続けた。



「私も、星から生まれたの」



それから彼女は、自分自身のことについて話してくれた。彼女も、両親を知らないということ。施設で育ったということ。近くの一般の小学校に通っていること。...僕と同じように、虐められていること。


僕と彼女の境遇はよく似ていた。けれど彼女は僕と違い、希望を見失ってはいなかった。



「私ね、絶対に強くなるの。強くなって、賢くなって......私を見下してた人たちを、見返すんだ。施設で育ってもこれだけやれるんだって、証明するの。」



そう言った彼女は、とてもキラキラ輝いて見えて。僕の沈んだ心の中に、一筋の光が差した気がした。



「君もいつか、そんな日が来るといいね」







僕は思考を現実に戻すと、先程の社員が向かった方向を一瞥した。その目には、もう絶望の色はない。


僕はもう、希望を見失ったりしない。心には、いつもあの子の言葉があった。



───いつか、施設育ちでもやれるって、証明してやる。



僕は今日も前を向いて、新たな一日を歩き出した──────







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ