Re:order 壁ドンから始まる恋 ~男装令嬢がお嬢様に変わるとき~
「壁ドンから始まる恋があってもいいじゃない!」
そんなばかな事をほざいたクラスメイトの提案で、クラスの出し物の方向性が決まった。
月城学園。秋ではなく春に学園祭をやるあたり、ここの学校はどこか普通と違うのだろう。入学、そしてクラス替えで強制的にクラスメイトが入れ替わるから、ここで親睦を深めるためだとかそれらしい理由を担任が述べていたけど正直どうでもいい。
普通と違うと言えばもう一つ。制服ではなくて私服オッケーなところも珍しいかもしれない。一応標準服として制服も用意されているらしいけど着てる人は少数派だ。ちなみに俺は私服が着たくてここを選んだんじゃない。家から近いって理由で選んだ。つまり俺は制服派ってこと。
華やかな飾りで彩られた校門をくぐって校内へ。普段は無味乾燥な廊下と階段も、お祭り仕様に変わっていた。二年一組の教室前に立てかけられている看板にはデカデカとした文字でこう書かれている。
『ムーンキャッスルカフェへようこそ! お帰りなさいませ、ご主人様、お嬢様!』
月城学園だからムーンキャッスルなんだけど、なんの捻りもないよなこれ。
他にまともな代案がなかったからこうなった訳なんだが……ただまあそれは良いとしよう。
問題は後半の『お帰りなさいませ、ご主人様、お嬢様!』だ。
誰だよこんなの書いたのはとも思ったけど、うちの店がどんなものかを端的に表しているという意味では秀逸だろう。
諦め半分で教室に入ると、そこでは開店準備に追われる仲間たちがあれやこれやと騒いでいた。
その中心には我らが誇る王子様――ではなく執事にクラスチェンジンジした月城悠がいた。直接本人から聞いた訳ではないけど、名前から想像できる通り親族にこの学園の関係者がいるらしい。それに加えて普段の態度と恰好が決め手となってみんなからは王子様と呼ばれている。だけどその実態は麗人という言葉が似合う女の子。そんな月城悠を一言で表すなら男装令嬢と言ったところか。
そして月城は女の子には優しいけど、男には若干……というかかなり冷たい態度を取ることでも有名だ。
俺は挨拶をすれば返してくれるし、軽く会話もできるぐらいには仲もいい。
隣の席に座ってるから単純に他の男子よりもちょっとだけ接点が多いってだけだけど。
そんな彼女はいつもの様に綺麗な黒髪を後頭部の低い位置で一つにまとめ、腰の位置まで垂れる長い尻尾を作っていた。
男物の執事服は私服で持ってるものと違って微妙にサイズが合わないのか、胸元を抑えて若干苦しそうにしている。
まあ月城ってスタイルはモデルもかくやという感じだからなと、遠目に眺めつつ適当に朝の出席確認を終わらせた。
クラスの出し物の当番は三交代制で俺は昼過ぎ、つまりは最後。
それまでは適当に校内を回る予定だ。
交代の時間が近づいたので着替えのため更衣室へ。
慣れない執事服に着替え終え、二年一組に向かう。
途中、どのクラスも使っていない、人気のない空き教室を見つけた。
時間を確認するとまだ余裕がある。
俺は真面目キャラで通してる訳でもないし、交代の時間ぎりぎりに行けばいいか。
そんな考えで空き教室に入り、適当に時間を潰していた。
そして手元でスマホを弄っていた俺は、声をかけられるまでその侵入者に気づかなかった。
「あなた、こんなところで何してるのよ?」
凛とした声に反応して顔を向ければそこには月城がいた。
開けっ放しだった扉をわざわざ閉めて、俺の前までやって来るあたり律儀な性格してるな。
というかなんでこいつはまだ執事姿なんだ?
月城の当番は三交代の一番最初、そして今働いてるのは二番目で、これから三番目の俺が入る予定なのに。
明らかにおかしい。
それともあれか、執事服が気に入ったから着ているだけとか。
……そんな訳ないよな。
「何って交代の時間までここで暇つぶししてるだけだよ。月城はもしかしなくても延長だったのか?」
「そうよ」
あまりにも端的な返事。
わざわざこんなところに入って来て声をかけてきたのにそれだけかよ。
「なんというかお疲れ様。月城はどうしてここに?」
「この部屋の前を通った時にあなたが見えたから。さぼってるのかと思って」
あ、そうですか。
「というかどうしておまえはメイドじゃなくて執事なんだ?」
「あの子からお願いされたのよ。そっちのほうがお客さん入るって」
「ああ……なるほど」
俺は開店してから少し経った頃に一度教室を覗き見ていた。
そしてその時の状況を思い出して納得。
ムーンキャッスルカフェは飲み物やお菓子以外にもメニューがある。
執事やメイドと一緒に写真を撮ったり、ビンタされたり、壁ドンされたりなど――いわゆるオプションというやつだ。
執事、メイドによっては注文できないオプションもあるけど、これが中々好評らしい。
というよりも「壁ドンから始まる恋があってもいいじゃない!」と言ったやつが、どうにかしてその野望を押し通すために執事・メイド喫茶という形に落ち着かせ、オプションとして実現させたと言っても過言じゃない。
そして月城はバレンタインの日にはチョコを渡す側ではなく大量にチョコを受け取る側で、女子のファンが多いというのは去年その場面を見たから知っている。
必然的に壁ドンを頼む女子連中が後を絶たなかったという始末。
ちなみにこれは本当にどうでもいいことなんだけど、壁ドンの発案者は月城の大ファンで、つまりそういうことだ。
月城の様子を見るに、百合百合しい展開にはならなかったようだけど。
「男に壁ドン頼まれたりしなかったのか?」
「馬鹿なの? 男は全部拒否したわよ。女の子だけ相手したに決まってるでしょ」
「まあ月城はされる側じゃなくてする側のほうが似合ってるもんな」
腕を組んで苛立つ様に佇む月城。
「…………そうよ、悪いかしら。でもそうね、もしかしたら男のあなたよりも似合ってるかもしれないわね」
一瞬言い淀んでいたように感じたのはなんだろうか。
いや今はそこじゃない。
明らかにこちらを挑発するかのような口調。
それは俺の売り言葉に対する買い言葉。
ここでちょっとした悪戯心が芽生えた。
「じゃあ私は行くわ。ちゃんと教室行きなさいよ」
俺に背中を向けて教室の後方、その壁際を歩いている月城。
その後ろ姿に声をかける。
「月城、ちょっと待ってくれ」
「何?」
月城が足を止めて、振り向く、その瞬間に彼女の腕を引いて――
「えっ――?」
俺は壁に片腕を押し当てて寄り掛かるような体勢になった。
そして月城はそんな俺と壁の間に挟まれている。
「……何してるのよ」
「もしも俺が壁ドンの指名を受けた時のために練習しておかないとって思って。どう? 少しは様になってるんじゃないか?」
「ばかじゃないの」
俺たち以外にも誰かが入ってくる可能性のある空き教室。
もしも今誰かがこの場面をみたらどう思うだろうか。
クラスの出し物の練習? それとも……
そんな想像が俺の鼓動を強く、速くさせていく。
「ちょっと、早く離れなさいよ……」
語尾が徐々に弱くなってるけど、もしかしてこいつ、普段強がってる割には男に対する免疫ないんじゃないか?
確かめるようにさらに顔を近づけた。
息と息が触れ合う距離、月城の顔が目の前にある。
宝石のように輝く瞳と長いまつげ、きめの細かい白い肌。
隣の席とはいえ今までじっくり見たことはなかったけど……
「おまえ普通に、いやめちゃくちゃ可愛いんだな」
「はあ!?」
思わず口から出てきた称賛には、怒りと恥ずかしいが半々ぐらい混ざった感じの睨みが返ってきた。
ただなんというか、睨まれてもまったく怖くないんだけど。
それどころか月城からめっちゃ良い匂いがしてきて頭の中やばい事になってきた。
月城の事、男に対する免疫ないんじゃないかって思ったけど、俺も女に対する免疫なさすぎじゃね?
「どうして普段男っぽい格好してるんだよ」
ついでとばかりに以前から気になって、でも聞けなかった疑問を投げかける。
曰く、跡取りに男がいないからうんぬんで男としての教育を受けてきた。
曰く、動きやすい格好を選んだ結果。
曰く、実は男。
噂は数多くあれど、実際のところどうなんだろう。
さすがに最後のはありえないというか、こんな可愛い子が実は男だったら俺は何を信じていいのか分からなくなるからまじで勘弁してね?
「………………似合ってないからよ」
「はあ?」
月城の小さな呟きに、今度は俺が間抜けな声を上げた。
いや、え? まさか本当にそんな理由で?
あまりにも予想の斜め上を行く答えに固まっていると、キッと目を細めて見上げてくる腕の中の少女。
「だから似合ってないからよ! 女の子っぽい服装が! ……昔、男子たちに何度も何度も馬鹿にされて……それから着なくなったのよ」
「もしかしてこの学校選んだのってそれが理由?」
制服が義務付けられてる学校だとどうしたってスカートになるだろう。
それならいっそのこと私服が認められてるところに行けばいいってことか?
親族が経営してる学校だからって理由じゃなくて?
「そうよ」
その男子たちがなんと言ったのかは不明だけど、馬鹿なやつら。
どうせ好きな女の子に意地悪するっていうありふれた事なんだろうけど。
「一つだけ言っていいか、いや二つだな」
「なによ?」
「一つ目。昔おまえの事を馬鹿にしたってやつらな、多分おまえの事が好きだからそんなこと言ったんだと思うぞ」
「意味わかんないし」
そりゃそうだろうよ。
だから今でも引きずってるんだろうし。
まあ一つ目はどうでもいいとして、もう一つのほうが重要なんだよ。
親とか親戚、女友達からは言われたことあるだろうけど、同年代の男からは言われたことないだろ? 男友達いなそうだしな。
顎に手を当てて上を向かせる。
今の俺たちを誰かが見たら、きっと恋人同士がキスをする間際だと思うだろう。
いや、もしかしたらした後かもしれない。
そんな超至近距離で視線を重ね合わせ、強く断言する。
「二つ目。月城悠は女の子っぽい服装が絶対に似合う。俺が保証する。だから今度着てみろよ」
目の前の少女は息を呑んで、大きく瞳を見開いていた。
どれだけ時間が過ぎただろうか。
一分? 三十秒? もしかしたら十秒程度かもしれない。
胸を強く、だけど優しく押された。
それで俺の時間は再び動き出す。
彼女と距離ができて、冷静さを徐々に取り戻してきた。
祭りの日とはいえ、これはいくらなんでも調子に乗り過ぎた気がする。
俺が内心でテンパり始めたところで、俯いている彼女が抑揚のない声で言った。
「私が話した事は誰にも言わないでよね。それと……今のは一つの意見として受け止めておくわ」
それだけ言い残して彼女は一人で教室を出て行った。
ビンタの一発でも飛んできたっておかしくないと思っていただけに拍子抜けというか、心底安堵した。
それにしても今までの俺は彼女の何を見てたんだか。
いや、見てこなかったのか。
たしかに態度はちょっとというかあれだけど。
男子に冷たい態度をとるのにも理由はあったし、男の服装を着ているのも同じ理由。
そのあと自分のクラスに行って仕事をしても、月城悠という女の子の事が気になって仕方がなかった。
学園祭が終わり、振替休日を挟んだ翌朝のこと。
祭りが夢だったのではと思えるほど簡素な姿に戻った教室。
朝のホームルームが始まるまでの話題はみんな学園祭のことばかり。
そんな中、急にざわつき出した教室。
どうしたのかと見回してみると後ろの扉――いや、そこから入ってきた人物にみんなの視線が集まっていた。規則正しい足音を響かせて歩いてくるのは王子様ではなく、まるでお姫様。
いつも低い位置で一括りにまとめられていた長い髪は、たなびくカーテンの様に広がりを見せていて。ボーイッシュだった服装は、淡い色合いで統一されたシンプルながら可愛らしいスカートスタイルに変わっていた。
「おはよう」
「……おはよう」
反射的に声をかけると、いつも通りの素っ気ない挨拶が返ってきた。
そしていつも通りに俺の後ろを通って隣の席へと座った。
だけどいつも通りじゃない今の恰好、そしてこの間の壁ドンから導き出される答え。
自意識過剰と思われるかもしれないけど、これってそうだよな?
「なんだ、やっぱり似合ってるじゃん。可愛いよ」
「別にあなたが言ったこととか関係ないから勝手に勘違いしないで!」
ストレートに褒めたらこれだよ。
どうしたら素直に受け取ってくれるのか。
「いやどう考えても――」
「うるさいばか」
小さく零した罵倒はきっと俺にだけ聞こえたことだろう。
窓辺の方にぷいっと顔を向けた月城。
ばか、確かにそう言われても仕方ないかもしれない。
さっき月城を視界に収めた時から、俺の胸は早鐘のように高鳴っていてどうにもうるさい。
「なあ、今度は制服姿も見たいんだけど」
「……また壁ドンしてみたらいいんじゃない? そうしたら私の気も変わるかもしれないし」
まさか祭りの後に壁ドン再注文が入るとは思ってもみなかった。
だけどそれなら今度は彼女の代わりに、俺が執事としてその役を果たそうじゃないか。
「仰せのままに、お嬢様」
髪をかきあげ、机に肘を付くその横顔。
横目に盗み見た彼女は頬をほのかに赤らめていた。
まったく、壁ドンから始まる恋なんてばかげてる。
だけど、ああそうだな、認めよう。
――――――俺は彼女に恋をした。