其の弐 どこかへいったおきつねさん
土砂降りだった雨は、まだ続く。
真っ白なわたあめ尻尾の狐は、人間の言葉を理解し話すことができた。有り得ることのないこの状況の中、亜耶はその狐としばらくの間見つめ合って、お互いの時間が止まっているかのように動くことをしなかった。聞こえるのは大木の葉を叩きつけるように降り続く雨の音だけだった。
「狐……だよね?どうして話せるの?」
「ソコノワラシ……何故オラガ見エル?」
同時に言葉を発した。それがおかしかったのか、亜耶がへへっと笑う。その後すぐに話し出したのは狐の方だった。
「オマエ、座敷童トモ違ウベ?人間ノ匂イガスルカラ人間ダベ??」
「座敷童って妖怪だよね?ざーんねん、あたしは人間だよ。あのさぁ、狐って普通コンコンってしか鳴かないよね??」
会話しているのがすごく自然に見える。亜耶はなぜ言葉を発する狐が怖くないのかが分からなかったが、話しかけないという選択は頭にはなかった。
「オラハ白狐ダカラナ。神社ニ人間ガ来ルカラ言葉分カラナイト仕事二ナンネェ」
「びゃっこ?ん~、普通の狐ではないんだね??」
「ソコイラノ生キテイル狐トハ違ウ」
亜耶は友達と会話するように話し続ける。白狐も亜耶の問いかけに拒むことなく答える。そんな白狐が後ろ足だけで立ち上がり、人間が腕組みするように前足を組んだ。そして、深く息を吸い込んでこう続けた。
「オラ、モウコノ神社ニ居レナクナッタ……ウカノミタマノカミ様ガオ怒リニナッテ『モウオマエノ顔ハ見タクモナイ!出テイケ』ト言ッテオラヲアソコカラ降ロシタンダ」
白狐の視線の先には本尊の前にある対でいる白狐像があった。だが片方は白狐像がなく土台だけになっていた。どうやらこの神社に鎮座していた白狐が姿を現したようだ。
亜耶にはウカノミタマノカミがよく分からなかったが、様を付けられて呼ばれているのだから偉いのだろうと思った。うなだれる白狐が可哀想になり頭を撫でる。
「どうしてウカ……んーと、ウカ様は怒っちゃったの?狐が悪いことしちゃったの??あたしも悪いことしたらお母さんに怒られちゃうよ~」
頭をポリポリとかいて能天気に自分の事を説明する亜耶に、白狐はそうじゃないと言うように首を横に振る。
「ウカノミタマノカミ様ハ縁結ビノ神様デハナイノダガ、最近縁結ビ祈願デ参拝スル輩ガ多クナッチマッタ。ソノセイデ本来ノウカノミタマノカミ様ノ神ノオ力ガ弱クナッテキタンダ」
参拝者がいるのは神主にとっては評判があると思えていいことなのだが、元々縁結びは関係がないウカノミタマノカミだが、神であるが故にどのような祈願であろうと見過ごすことはなかった。しかし、縁結び祈願参拝者が次第に増え、神の力のコントロールをうまくできなくなってしまったのだ。普段通りの仕事がこなせなくなったウカノミタマノカミは使いである白狐にあたり、このような結果になってしまったのだ。
「そんなのってないよ!ウカ様は神様なんでしょ?!」
亜耶はウカノミタマノカミが許せなかった。自分が出来ないことがあるからと、それをどうしたら上手く出来るか考えもせず下の者に八つ当たり。人間の間でもよくあることが、神社の中でも起こっていたなんて信じたくはなかったのだ。
怒りにまかせ亜耶が言葉を発した後、土砂降りの雨は力を増して降ってきた。
「ウカノミタマノカミ様ノオ怒リハオサマラナイ」
白狐はそう言うと、組んでいた前足を下ろし勢いおく降っている雨の中へと後ろ足でとぼとぼ歩いていった。大きな耳は左右に垂れ雫がしたたり、ふわふわのわたあめ尻尾も濡れてへちゃっとしぼみ、肩を下ろし背中が丸まっている姿は、まるで親に叱られへそを曲げた子供のようだった。
「ウチに来る?」
亜耶は白狐をほっておくことができなくなり声をかけた。振り返った白狐はさっきと同じように首を横に振る。
「キニシテモラワナクテイインダ」
そう言って今度は四つん這いになり、雨の中をスタスタ走っていってしまった。その白狐を追いかけるかのように雨の強さが流れていった。姿が見えなくなるまで見ていたが、その頃は土砂降りだった雨も止んでいた。
「行っちゃったしあたしも帰ろ」
さっきまでの不思議な体験を思い出す事もなく、亜耶は自転車にまたがり家へと向かった。