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キレイゴトのセカイ

作者: 名無佑馬


 これから、俺はこの気持ち悪い世界から脱出する。

 血だの、家柄だの、地位だの、しがらみに縛りつけられる。最高規則があるにもかかわらず、その意味を分かってないカスがトップで偉そうにしている。空気が読めないだの、ノリが悪いだのと言って、自分のことしか考えられないクズどもがはびこる。真実を知ることができないバカどもが正義だの、司法だのと権力を振るう。

 そんな、最低な世界とも今日でオサラバだ。


「前川進、これから、刑を執行する。ついてこい」


 ちょうど二年前、職場の同僚を殺した罪で俺は捕まり、弁護人も俺の無罪を主張することなく裁判は終わった。あっという間に俺は死刑囚へと成った。

「今日は番号で呼ばないんだな」

「最後くらい、ちゃんと名前を呼んでやらんとな、特にお前は」

「別にそんな気づかい、いらねーよ」

「俺が見た中で、この豚箱に入った奴じゃあ、一番まともな奴だからな」

 表情を見られないように俺は明後日の方向にむいた。

 話してくれている髪をキッチリまとめたおっさんは、留置場にいた時、俺をしごいてくれた看守だ。公平な目を持っており、作業時間外ではたまに話しかけて気を落ち着かせてくれた。名前では呼ばなかったが。

「にしても、ひどいな。一審しかしてないのに、すぐ死刑なんて」

「別に、死んでも構わない奴ならそんなもんだろ」

 事実、孤児であった俺は身寄りがなく。暮らす場所も転々としていたため昔から親しい奴はいない。だから控訴する人間もおらず、自分も諦めているから、二審をしなかった。

 俺がいなくてもこの世界は問題なく回る。誰が死んでもそうだろうが、俺には、そのうえ泣いてくれる人もいない。

 看守と話しているうちに死刑場に着いた。




「囚人番号一四九二三、前川進、二〇三四年五月二三日に職場の同僚である神奈川康介氏を殺した罪により、刑を執行する」

 ああ、もうすぐだ。

 俺は子供のころにテレビで見た部屋の中にいる。壁はコンクリート。床はフローリングで人が一人立てる四角い枠がある。四角い枠は落とし穴がある位置で、その上には縄が吊るされている。部屋の外には穴を開く三つのレバーがある。

 ここで俺はこの世を去る。

 思い残すことなど元からない。ただ生きて来ただけだから。死ぬことに恐怖はない。

「なお、囚人番号一四九二三、お前には死刑を告げていたが。違う刑を執行する」

「は?」

 死刑執行人は何を言っているのだろうか? 俺は今、死刑場に居り、首を吊る輪の下、俺を落とす穴の上にいる。この状況は死刑執行直前でしかないはずだ。

「お前にはこの世界から出て行ってもらう。つまり【世流しの刑】だ」

「俺は夢を見ているのか?」

 死刑執行人は何を言っているのか? どこのSF小説なのか? 世界は、世界であり。他の世界など存在しないはずだ。

「高田看守の報告から、君にはまだ、酌量の余地があると判断した。」

「あの、おっさん」

 高田はここにはいないが、ここにつれてきてくれた看守の名だ。あの看守に出会えたことは不幸中の幸いだろうが、刑が軽くなったのか分からない。

「なお、お前がこれから行く世界では、犯罪行為を禁ずる。何があってもだ」

「は?」

 死刑執行人がそのことを告げ終えると、三人の男がレバーを引き、首に縄をかけてない俺を穴に落とした。

「なんだ、そりゃー!」

 それが、この世界で俺が最後に残した言葉だった。




 数分間、俺は宙にいた。そのうちに地球の中心にたどり着くかもしれないと、不安になった。でも、浮遊の旅は突然終わりを迎える。

 俺の背中にひんやりとした感覚が来ると、順に体が水に包まれていく。水圧で俺の落下速度は緩まり、速度ゼロになる。水面に浮き、俺はやっと落ち着けた。

「なんだよ、本当に」

 昼の明るい世界、どこかの山中の川にたどり着いたらしい。今の技術では不可能なほど深い穴。そこに俺は落ちた。

 川岸には一人の女性が立っていた。

 俺は泳いでその女性に近づいた。突然不審な男が現れたら動揺するかもしれないが。今は気にしている場合ではない。

「すまない、ここはどこだ?」

 俺はできる限り丁寧な口調で言った。育ちのせいで慣れないが。

 彼女は俺の予想に反し、落ち着き微笑んで、質問に答えた。

 

「ここはキレイゴトのセカイ、向こうの世界であなたがいた場所にあたる座標です」


「は?」

「ようこそキレイゴトのセカイへ」

「きれいごとの、せかい?」 

 俺は彼女の指示で、彼女の用意した服に着替えた。彼女が言うには俺を待っていたそうだ。

「はじめまして、観察員の清内空です」

「清内、くう?」

「はい、おおざっぱな説明を聞いていると思いますが。あなたには、これからキレイゴトのセカイの日本で暮らしてもらいます」

 俺の頭はこの状況を理解できていなかった。




「本当に、ここが異世界っていうのか?」

「進さんにとってはそうなります」

 空は俺がこれから過ごす家に案内するついでに、このセカイの説明をしてくれている。

 清内空は国に雇われた死刑囚の監視員であるそうだ。

 そして、今、俺がいる世界は俺が二十五年間過ごした世界とは別のものである。

「信じられんな」

「じゃあ、証拠。あなたの世界にはないのでしょう、魔法」

 空が左手の平を広げると、手の平から発生しているかのように炎が現れる。何度も見たが、慣れるにはまだ時間がかかりそうだ。

「確かに存在しないが、それだと夢の中にいる、と思えてくるな」

「夢の中ならそう判断できないと思いますよ。情報を整理するのに邪魔ですから」

「そうだな、ん?」

 彼女の論理的思考には感嘆するが、疑問に思った。勝手な思い込みかもしれないが、魔法のある世界の住人が科学の話をできるのか?

「どうしました?」

「いや、科学もこの世界にあるのかと思ってな」

 空は一度、うつむいてから明るい声で答える。

「なかったですよ。魔法で事足りていましたから。八年前までは」

「そうか、確か八年前にか」

 八年前にこのセカイは俺がいた世界の政府に発見された、と彼女が教えてくれた。彼女の知る科学は俺がいた世界のものだ。

「契約上、あなたの様な人がここに来るので、過ごし易くするために科学を取り入れているのです」

「契約? 世、なんとかってのか?」

「はい」

 犯罪者の人権を守るために科学を輸入したのだろう。

 何だろうと、俺はこの世界で過ごすしかないのだ。順応するしかないだろう。

「せっかくですから、魔法を使えるようになりませんか?」

「は? 俺でもできるもんなのか?」

「体の構造は同じですから、個人差がありますけど、不可能ではないと思いますよ」

 空はそう言うと俺の右手を取り、両手できつく握りしめた。彼女の手は少しくすぐったい。

「今、魔法の門を開きました」

「まほうの、もん?」

「はい。魔法は身近にあるエネルギーを元に行います。そのエネルギーの使用指定が魔法を行使するということです。生物全体ができますけど、素質は個々で違います」

「それって、人によっては魔法を使えない奴もいるだろ」

 空は返事の代わりに苦笑いした。

 空は百七十センチほどの俺の背だと鼻に髪がかかるほどの身長をしている。様々な国の血が混ざっているらしく、容姿は美しい。そんな彼女が犯罪者の監視員などしていたら襲われそうだと俺は思ってしまった。

「その素質は何もしなければ発言しないのですよ。なので、魔法を使える人がその素質を開放するのです」

 俺の思ったことを知らず、空は解説を続ける。

 その素質のことを魔法の門と呼ぶのだそうだ。

「よう、空ちゃん。いい魚が獲れたぜ、持ってけ」

「ありがとう、ギョウさん」

 空は礼だけ言うと魚を持っていく。

「金、払わなくていいのか?」

「え? あ、この世界はお金がないので」

「よく社会が成り立つな」

 この世界は売買ではなく、物々交換か労働分担をしているのだろう。

 俺がいた世界ならあくどいことを考える人間のせいで社会が崩れるはずだ。

 空と町中を歩いていて気づいたが、この世界の住人は人が良すぎる。

 俺の素性を知っても平然としている。平然とする理由を聞けば「犯罪者でも、罪を犯したのは昔の話」と返ってくる。頑固親父も言い方がきついだけで優しい言葉だったりする。

 このセカイの住人は穢れがないように見える。

 このセカイの人間が悪に直面したとき対処できるか不安になってきた。

「早速、魔法を使ってみましょう」

「どうやるんだよ」

 次々と空は話を進める。犯罪者に魔法を教えたら、悪用されると思わないだろうか?

「握りこぶしをして、そこに力が溜めるイメージをしてください」

 俺は言われた通り握りこぶしをつくり、力を溜めようとする。特に何もないようだが。

「手を開いて、力を開放するイメージを」

「こうか?」

 解放のイメージをしながら手を開く。

 何か起こるか待ってみる。硬直状態が二分続く。

「進さんは魔法の才能なしですね」

「ハッキリ言うな」

 本当に空は犯罪者のことをわかっているのだろうか? 行動に警戒がなさすぎる。

 実際に俺は罪を犯してないが、いや、罪を犯したことにされただけだ。

 

 事件があった日、俺はただ午後五時に出勤しただけだった。

今、ある隈はないが、目つきが悪く。にらまれていると思われがちだったが、ファミリーレストランの調理担当に腰を落ち着かせていた。

 そこで同じ年の後輩、俺が起こしたとされる事件の被害者、神奈川康介に出会った。彼は大卒で、役職は経営管理者だった。つまり、俺の上司だ。俺の犯行動機にこのことへの嫉妬をあげられている。

 出勤して厨房に入ると血らだけの神奈川がいた。戸惑って近づいた。何とか保てた理性に従い電話で警察に連絡しようとするや否や、警察官が入ってきた。警察官は俺を犯人として捕らえ、そのまま俺は監獄送りされ、死刑囚になってしまった。


「進さん?」

 俺はいつの間にか回想に集中しすぎていた。空の声が全く聞こえていなかった。

「すまん、なんだった?」

「いえ、暗い目をされていたので。それに、もうすぐ着きますし」

 町を出て少し歩いた位置に家が見える。

 家の外で一人の男が作業をしている。

「コウスケー!」

 思わず俺は身構えてしまった。空は男の名を呼んだだけだが、被害者と同じ名前だと怖いものだ。

「やっと、来たか空」

「うん、疲れた」

「はい、はい、ごくろうさま」

 コウスケは工具が入った箱を持ち上げる。どうやら、家の修繕をしていたようだ。

「じゃあ、あとは頼むな」

 コウスケと空はハイタッチして互いの労をねぎらう。

 コウスケは俺に近づき空には聞こえないように話しかける。

「空に手を出すなよ」

 俺はこのセカイに来て初めての脅しを受ける。さすがに悪意を知らない人だけが存在するわけではないらしい。俺は少しばかり安心した。

「さすがに、やるとは思わないが。個人的に不安でな、空はかわいいから好かれやすいし」

 前言撤回、もし悪意を知らないわけでなくても、お人好ししかいない。〈やる〉も犯罪の意味でなく恋愛行為のことだろう。

 俺たちはコウスケと別れ、生活の説明のため家に入っていった。




 向かい合わせに椅子に座り、一通り説明してもらうのに一時間かかった。

 魔法の力がまだこのセカイでは強いらしい。

 水道も電気も通っていない。代わりに、ガスや水の収集、配布などを科学技術は多少利用しているが、ほとんどのことは魔法でこなしている。

「これで説明は全部です」

「普通に暮らす分には問題ないな」

「進さん、冷静ですね」

 別に今までとは変わらず、ただ生きていくだけだ。希望や夢がなければ、絶望もない。

 そんな生き方だから俺は順応しやすい性質なのだろう。

 日が沈みかかる頃になっている。

 腹がだいぶすいている。振り返ると死刑中に吐くことがないようにするため、朝から飯を食べることができなかった。

「進さん、夕飯にしますか?」

「ああ、適当に何か作って食おうかな」

「いえ、進さん、だいぶお疲れでしょうから。私が作ります」

 空はすぐにキッチンへ入っていった。

「悪いな、気を遣わせて」

 俺は空を追ってキッチンに入る。調理の上で、器具の使い方を確認するためだ。

「少しは手伝わせてくれ」

「これから、こういう機会も多くなるのかもしれませんし。じゃあ、お願いします」

「たまに、ここで食うのか?」

「いえ、暮らすのだから毎日ですよ」

「はい?」

 空は言っているのは俺がここに暮らすことか?

「私もこの家に暮らして、あなたを監視するのですよ」

「は?」

 俺、大丈夫か?




「おっさん、いつのも頼む」

「あいよ、進の兄ちゃん、この世界に慣れたか?」

「さすがに、一か月も暮らせば慣れるだろ」

「一週間で慣れていませんでした?」

 俺は完全にこのセカイの住人になっていた。

 もともとの性質もあり、問題なく暮らしている。

 町の人間とも話をする。だが、いつも疑問に思うが、俺が死刑囚であったことは知っているはずだ。だが、一度も批判的な目線を送る人間に会わない。

 空が監視員であることも有名である。監視のため四六時中一緒にいるから、俺が監視対象であるのは分からないはずがない。

 終わりがない思考を俺はやめ、家へ帰っていく。

 昼中ごろまでに内職も効率よく終えた。

 この後は飯を食って寝るだけだ。本を読んでゆっくりすることもできるが、このセカイについて考えることが多いので、あまり頭を使いたくない。

「進さんって意外と大人しい人なんですね」

「どうした急に?」

「いえ、顔が怖いので、もっと尖っている方だと思っていました」

「誰にもそう思われていたからな」

 俺は笑うことがない。そのうえ、愛想は悪く、恨めしそうな眼をしている。初見で俺はすぐに見捨てられていった。

 誰も俺を見てくれないなら、それでもよかった。

 命を大切にしようとは思わなかった。自殺をする気力もなかった。希望などなかった。だから、ただ生きてくだけにすることに決めた。俺の逮捕以後のことも、よりその考えを強めた。

「でも、すごくいい人ですよね、進さんは」

「は? 初めて言われたな」

 このセカイは不思議だ。このセカイの住人は簡単に他人を考えず、深く考えすぎない。

 俺の姿を見ているより、このセカイの人は俺の心を見ているかのようだ。

俺はいい奴じゃないが。

「少し不安だったんですよね。みなさん、犯罪行為をして処理されちゃいましたから」

「処理?」

 そういえば、このセカイに来る直前、あっちの世界で「絶対に犯罪行為をするな」と言われた。

「なあ、俺が犯罪行為をしたらどうなるんだ?」

「あっ」

 悪いことを言ったらしく、空はあたふたしている。

「それは、機密事項で、改心が目的なので、言うと。そのー」

「つまり、死ぬわけだ」

 改心が目的なら圧力をかけてしまえば意味はない。だからと言って何もせず犯罪し放題では問題がある。だから、このセカイに来た死刑囚が犯罪行為を再びすれば、殺処分されるのだろう。

「すみません、そういうことです」

「謝る必要はねーよ。犯罪行為をする気はねーし」

 空の説明によると死刑の魔法というのを世界とセカイとの境で俺は魔かけられたらしい。もし犯罪行為をしたとき脳にブレインロック、つまり〈死〉の情報が送られて、実際に死ぬのだそうだ。そのことを俺が知っていても咎められることはないらしい。

「まあ、別に問題ないだろ」

「いいんですか」

「いい、悪いもないだろ。別に犯罪行為でも余程ひどいものじゃなければいいんだろ」

 空は俺をじっと見つめる。おかしなことを俺は言っただろうか。

「やっぱり、進さんはいい人ですね」

「このセカイの奴に言われたくねーよ」

 俺と空はまた同じような明日のため家に帰って行った。

 このセカイに来て、長かった髪を切った。頭に通る風は、少し気持ちよかった。




 俺がこのセカイに来て一か月半経った。

 与えられる内職の種類は多様にある。人手が必要になったことをその時々で、依頼されるからだ。

 今日はまき割りをしている。料理にこだわり、まきを使う人がいるからだと聞いた。

 空には家の中で休ませている。力仕事を女にやらせるのは気が引けるから。

「よう、精が出るな」

「おう、どうしたんだ? コウスケ」

「まきを取りに来たんだよ」

 彼、茨木浩介は、犯罪者の暴挙を止める手段としての剣や盾を作っている。

「そうか」

「皆にうまい飯を食わせるのが楽しみなんだよ。ありがとな」

 武器製造は死を促すような仕事だ。彼にとってはかなりの負担らしく、夜には飯屋を開店している。

「いつも大変だな」

「はは、好きでやってるから、いいんだよ。それに」

「ん?」

「人を殺すかもしれないことをやっているんだ。その分、人を生かすことをするべきだろ」

 浩介も、空も、このセカイの人は悪意がないわけではないことはわかった。それでもこのセカイの人間がキレイゴトに準じることができるのは、キレイゴトが心を落ち着かせ、治安を守ることを知っているからだ。あっちの世界でも知る人間はいるが、他人への恐怖から実行できない。つまるところ、このセカイの治安はかなり危ういものなのだ。

「あと、お前に話しておきたいことがあってな」

「なんだ」

「ずっと、空の側にいてくれないか」

「は?」

 唐突に浩介はとんでもないこと言ったのか? それとも他意はないのか?

「前に言っただろ、空に手を出すなって」

「ああ」

「昔、あいつ、監視対象に襲われかけたんだ」

「は?」

 俺はあの時の言葉は犯罪行為の意味はないと思っていたが、そうではなかったらしい。俺はこのセカイを舐め過ぎているのかもしれない。キレイゴトに準じているからと言って、むやみに他人を信じるわけではない。不安がないわけではない。辛いことがないわけではない。俺がいた世界と繋がっていればなおさらだ。

「言葉としての概念はあったが、実際にする奴がいるとは思わなかったな」

「向こうの世界代表として謝る」

「いや、お前は、お前なんだから、謝らなくていい。それに謝るべき奴は――」

「死んだか」

「知ってたか」

 空を襲おうとした男は魔法によって、その場で死んだのだろう。

 目の前で突然人が死ぬ。誰であろうとトラウマになるはずだ。

「また、そんなことがあるのは嫌なんだ。だから間違ってもやらかさないでくれよな」

「ああ」

「お前が死ななければ、空はずっとお前の監視員で居続けるから」

「大丈夫だよ」

「何が大丈夫なんですか?」

 俺たちは話に夢中で、空が近づいてきたことに気づかなかった。

「いや、えーとな」

「こいつの店で夕飯食うって話だよ」

 浩介はごまかすことが苦手なんだろう。このセカイの住人はあまり嘘を言わないから自然とそうなるのだろう。

「いいの?」

「あ、ああ、いいとも」

 たまにはこんな日があってもいいだろう。この先は長いのだから。

「ああ、ついでだ」

「は? なんだ?」

「死の魔法を解除する方法があるらしい」




 犯罪のニュースをよく聞いた世界にいたことが遠い昔のように思うようになった。

 頭の中の呪いと共に過ごすようになって三か月、何もないようで話すことが尽きないこのセカイにいて、安心を覚えた。

 俺はどこかこのセカイを求めていた。

悪意があるから、他人に対して不安になるのは仕方がないかもしれない。だからと言って、守るため、可能性がある、それで他人を傷つけに行くことに疑問があった。「きれいごとじゃ成り立たない」と言い、考えもしないで簡単に他人を諦めるのは嫌だった。本当の内容、思いも知らず勝手に自身のみに都合よく決めつけるのに怒りがないわけがなかった。

 このセカイに来て初めて明確になった気がする、キレイゴトは成り立つはずだと。

「何を読んでるのですか?」

「ん? ああ、ハタのばあさんの小説」

 八年より前にも、それほど知られていないが、セカイと世界に繋がりがあったらしい。だから、小説の中なら犯罪や争いが存在している。

 それすらも教訓にして、このセカイの人間は明日への糧にする。俺の世界で起こっていることがバカらしく思える。

「どうですか?」

「スゲーこだわってる」

 強盗に親を殺された少女の話。あっちの世界で腐るほどあるのに、俺は新鮮な気持ちで読んでいる。

「この強盗さんもこのセカイに来るのでしょうかね」

「それはぜってーねーよ」

 この小説の強盗は生まれつきの悪人として描かれている。

 世流しの刑は反省が見られる死刑囚に対して執行される。

いくらこのセカイに馴染んだとしても俺の根は変わらない。完全な悪人と思える人間を信じる気にはならない。

「進さんも魔法を使えたら良かったですよね」

「まだ、言ってんのか」

 浩介に教えてもらった、死の魔法の解除は本人が魔法を使えないとできないらしい。

 魔法を使えない俺は論外だ。

 自分の頭の中にある死刑の魔法を打ち消すイメージをすればいいらしい。

 そんな簡単に解けてしまっては意味がないはずだが、ほとんどの奴が知らずに死んでいったらしい。

「そろそろ、浩介のところに行きましょう」

「ああ、悪い」

 最近は週一回で浩介の店で食べている。

どうやら浩介は空のことを意識しているが、空はそのことに気づいていない。

 そんな二人を見て俺は楽しんでいる。

 また、その光景を見るために家を出た。




 この道を何度通ったのだろうか。

 思い出は特別なイベントのみにあると思っていた。

 だけれども、このセカイで過ごし、特別のイベントなど一度もないのに俺は多くの思い出を持った。過去を振り返ってうれしく思う自分が不思議でならない。

「進さん、大分柔らかくなりましたね」

「そうか?」

 他人を警戒するのがバカらしくなっただけだが。実際に、心の持ちようが以前より軽くなっている。

「でも、まだ笑ってくれませんね」

「柄じゃないからな」

 安心出来るようになっても、未だに笑い方が思えだせない。それか、元から知らないだけかもしれない。

「今日はどんなんだろうな」

「新鮮な魚をもらいましたし」

 飯屋と言っても食材はこちらが用意しなければならない。余分に量を作って、棄てるものを増やさないためらしい。

 道を歩きながらどうでもいいことを話し合う。いつからか当たり前になった。

当たり前だと思うことが増えるのは幸せなことだ。

「いやあー!」

「なんだ?」

 このセカイで聞くことのない悲鳴がする。空耳か?

「ひめい?」

 空はつぶやく。空が聞こえているなら空耳ではないのだろう。

 悲鳴がしたのは、もうすぐ着く浩介の店からだ。

「空、ここで待ってろ」

 俺は嫌な予感がして浩介の店へ走って行った。

 何度も思った。悪の存在がこのセカイに現れたら。もしこのセカイに来た死刑囚が死の魔法を解いたら。

 現実になってほしくないことが今起こっているのか?

 右足を今まで以上の力で踏み込み、店の解放されている入り口に止まる。

「やあ、先輩じゃないですか」

「せんぱい?」

 入り口とは反対の壁に座り込み震える女。厨房でこのセカイに来て初めて見る批判的な目をする浩介。そして、赤いマダラ模様のTシャツを着た坊主男とその男の下で二人の男が転がる。

 転がる二人の男から血の池ができる。

「てめー、何やってやがる」

「何ってショウですよ。先輩」

「てめーに先輩と言われたくないな」

「だって、先輩も死刑囚だったでしょ」

 俺は瞳孔が開いた気味の悪いこの男を知らない。

 この男はどこで俺のことを知ったのだ?

「まあ、先輩が殺したことになっている人も、僕が殺ったんですもの」

「は?」

「僕の調理どうでした? ああ、先輩は僕のこと知らないですよね」

 この男は俺にしゃべっているのか? 俺はこの男と話しているよりも、こいつの演説を聞いているように思える。

「はじめまして、原口正です。先輩の名前は知ってるので、いいですよ、別に」

 いや、原口は俺にしゃべっているのではなく。俺に聞かせている。

 原口は左手に短剣を握りしめている。血がたれている短剣はおそらく浩介が作ったものだろう。浩介の作品はマークを入れてあるからわかりやすい。

「きさま、何をやっている」

 思い鎧を着た大男が俺の前に出る。彼はこのセカイの警備隊員だ。

 この事態に彼も動揺している。このセカイでは犯罪など起こるはずのないものだから仕方ない。

「僕と先輩の間に入るな」

 原口は大男にゆるりと向かっていく。大男はひるみ、一歩下がる。

「おおお」

 大男は原口を放置すると危険と判断し、腰に下げている剣を振るう。

 しかし、原口にあたる手前でその手が止まる。

 キレイゴトに準じるこのセカイの人間にとって、殺すことは最も難しいことだ、相手が犯罪者でも。

「甘いですね」

 原口は一歩踏み出すとブラブラしていた左手を振る。

「でも、邪魔です」

 大男の首元から血が噴き出す。

 向こうの世界の人間でも躊躇するはずなのに、この男は迷いなく他人を殺した。

「なんで平気で殺せる?」

「あー、そっか。先輩はやったことないか。言ったでしょ。ショウだって」

 この男の狂気にはついていけない。どんな生き方をしても最低限の道徳心はあるはずだ。

「僕ね、孤児だったんですよ」

「は?」

「あっちこっちたらい回しにあって、高校すら行けずに、まともな就職もできないし」

 原口の話は俺が生きてきた人生に似ている。

「でもね、ある日思っちゃったのですよ。今隣にいる子がいなくなったらどうなるかなって。でね、やってみたんですよ。気持ちよかったですよゾクゾクっとして」

「何を言っている」

「それをみんなにも見せてあげたくてね、ショウにしたんですよ。先輩もたのしかったでしょ」

 もしかしたら、俺も原口と同じ狂気に染まることもあったかもしれない。

 俺は何でも諦めてきた最低な奴だ。でも、人を殺すなど考えなかった。

「す、進さん、大丈夫ですか?」

「空! 何で来た!」

 待つように指示した空までも店の前に来てしまった。

「あれー? 先輩の知合いですか?」

「ひ!」

 空は今ある惨状を目にして声を詰まらせる。もしかしたらトラウマを呼び起こしたかもしれない。

 浩介もまともに外に出られず、空の命も危ない。

 二人には危険な目にあってほしくなかった。

 この状況をどう打開しようか? 今、一番原口に対処できる人間は俺だ。俺がどうにかするしかない。

 原口はこの状況をショウと言った。ならば。

「なあ、こいつと店ん中にいる二人は俺の友人なんだ。ショウを見せてやってくれないか?」




「いいんすかー? 先輩」

「ああ、構わねーよ」

 周りに人が寄ってきている。皆、この状況を察しているようだ。

「じゃあ、確認すっよ。お互い持っている武器で殺しあう。観客の利用は禁止ですね」

「ああ」

 右手にある大男が持っていた剣を見つめる。タカの顔に翼、ライオンの体を持つ生き物、グリフォンを模したマークが施されている。浩介が武器に入れているマークだ。原口の持つ短剣にもある。

 後ろを振り返れば空と浩介がいる。浩介は体が震える空を介抱している。やはりトラウマを思い出したのだろう本当は武器としての機能は発揮するべきではないのだろう。制作者本人もそう願っているはずだ。。

「一つ聞いていいか。体に何も変化はないか?」

 原口も俺と同じように世流しの刑で来たのだから、死の魔法にかかっていたはずだ。

「ん? 別に何も。でも、監視員を殺したときになんか意識遠のいたなー。何かが僕を引っ張り出すような感覚もありましたけど。消えろ、て思ったらなくなりましたよ」

「魔法を使えんのかよ」

 原口は死の魔法の解き方を知っていたわけではなさそうだが、解けたのだろう。

 俺は死の魔法を解くことができない。つまり、俺が原口を殺せば、俺も死ぬ。逆に原口が俺を殺しても、原口は死なない。どちらにせよ俺は死ぬ。俺一人の命で何とかなるなら安いものだ。

 死の魔法によって完全に死ぬまでには時間がかかるらしい。

 そのことも考慮して俺に与えられた時間は最初に殺しにかかってから三分だ。

「進さん……」

「空、大丈夫か?」

 恐怖で何もしゃべれなかった空が話しかける。

 さすがに殺人を見世物にした俺を批判するだろう。

「ごめんなさい」

「謝んなよ」

 やはりこのセカイの住人らしい。邪推が全くないようだ。空はうるんだ瞳を俺に向け、心配している。

「行きますよ」

 原口はポケットから石を取り出し投げ上げる。おそらく合図なのだろう。

 俺は構えて石が地面に着くのを待つ。

 そして、原口は蹴りだして俺に近づく。

「んな」

「へへへ」

 原口は左手の短剣を俺の首に突く。俺は原口の付きに首を傾けて避ける。

「ひきょくせー!」

「僕は何も言ってないですよ」

 原口は再び短剣で俺を突いてくる。それには追いつかず左肩に刺さる。

「進!」

「進さん!」

 静観していた浩介と空が声をあげる。

 別に俺はこれから死ぬのだから腕が切れようが、なくなろうが関係ない。

 殺しにかかりたいが、チャンスは一回と考えるべきだから無暗に剣を振るえない。

「どうしました? どんどんやりましょうよ」

「ちっ」

 俺は距離を取るため後ろへ下がる。

「さあ!」

 原口は俺を追って来て、更に追撃で突きを三発。

「くっ」

 左腕を盾にして心臓を守る。グサグサと短剣が刺さる。左腕、脇腹、右太もも、俺に負わされた傷は俺を動けなくしていく。

 このままでは危険だ。動けなくなっても意味がない。

 覚悟を決めるべきだ。

「ああ!」

 突きを食らわせに来た原口に俺は右手を振り、切りつける。

 しかし、原口の右腕を落とすことしかできなかった。

「先輩やるねー。でもゲームオーバー」

「はーらぐちー!」

 原口は俺を切り付け、そして、俺の脚を完全に動けなくした。

「お疲れ様でーす」

 原口は屈みこみ、とどめを刺そうとする。

 これで、完全に終わりだ。

「ああ、ゲームオーバーだ。お前がな」

「で、すね」

 原口の腹を剣が貫いた。

 最後の最後のあがき、大切な人を守るための人を殺す一手は決まった。

「では、先輩、お先に」

 原口はうなだれ、死んだ。

 俺は最悪な奴だ。人を殺した。

「進!」

「進さん!」

 こんな俺でも心配してくれる人がいる。

 こんなに嬉しいことは初めてだ。

「悪いな、浩介、約束を守れそうにないな」

「守れよ! 守ってくれよ!」

「無理だって」

 じゃあな、初めて故郷と呼べる場所。

「いや、死なないでー」

「ごめん」

 俺は初めて笑えているかもしれない。

 いや、微笑んでいる。

 初めて大切と思える人たちに抱かれ、俺の意識が途絶えた。



END


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