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片想いが人生で一番幸せな時だ

作者: 井口

大きな大きな仕事がやっと片付いた。


多くは、いそいそと帰りを待つ家族のもとへと向かう。皆疲れているはずなのに、心なしか足取りは軽かった。後輩の中西に至っては「今日は結婚記念日なんすよ」と、走って消えた。


私はというと、打ち上げと称して、同期の由美と馴染みのバーへ向かう。そこには、無口だか物腰の柔らかなマスターがいる。

落ち着いた雰囲気の中で飲むお酒が格別だった。



「由美がいてくれて良かった。一人でお祝いする所だったわ。」


一人がラクでいいと、生涯独り身を公言している私だが、一人で過ごすのは、淋しい。面倒臭い性格である。

由美は入社当時から、ウマが合った。

仕事が楽しくて、私生活はおざなりになっていた私に、「女だけは捨てるな」と教えてくれた。由美が結婚した時は少しばかり寂しかったが、昨年離婚が成立してからは、また一緒に飲みに行く事が増えた。


「川瀬はさ、仕事に没頭しすぎよ。もう30代も折り返し。

もう少し外にも目を向けなよ。」


マスターがそっと置いたハイボールで乾杯をする。

由美のずけずけ言う性格が好きでもあり、鬱陶しいところでもあった。私はハイボールを口に含み、話半分に聞き流していた。

マスターを見ると、丁寧にグラスを拭いている。


「私は一人でも生きていける位、稼いでるつもりだし、仕事が好き。私は仕事と結婚したのよ。努力は裏切らないわ。」



この年で、今更苦手分野に飛び込む勇気なんて、ない。

わざわざ苦労する必要なんてないのだ。こういう生き方もある。決して『結婚』だけがゴールではない筈だ。


「あんたのそういう所、可愛げがないのよ。男は少なからず頼られたいものよ。」

由美は正論を盾にふる。私には彼女を説得できるカードを持ち合わせていない。何を言っても、言い訳にしかならないのだ。


空のグラスを置き、モヒートを頼む。

「私も」と、由美は続いた。


「どうして一人に拘るの?何故?」

仕事の疲れからか、一杯のハイボールで口調が強くなる。

由美の間違った正義感が、私を悩ませる。


「だって、面倒じゃない。惚れたはれたで、振り回されて。

自分のペースを乱されるのは嫌いよ。無駄に傷付く必要ないわ。」


私は思いの丈を吐き出した。

恋愛に命を燃やす人の気が知れない。よっぽど、仕事をしていた方がマシだ。仕事はきちんと"評価"してくれるじゃないか。恋愛ほど、不毛なものはない。


「川瀬は何も分かっていない。」


酔っぱらいの目をした由美が、私に噛みつく。

やってきたモヒートは、彼女の前で微かに揺れていた。


「恋愛を足枷だと思うほど、どんだけ恋愛したのか?って話よ。」

「ときめきは人生のスパイス。あんたは人生損してるわ。」

「仕事しか脳のないあんたは、定年したら干からびるだけよ。」


捲し立てる由美の言葉は、反論する隙を与えない。

それでも、私もこのまま言われ続けるのは、悔しかった。

この恋愛至上主義の考えが、私をイラつかせる。


「恋愛で何が得られる?

会えなくてイライラしたり、浮気を疑ったり、ケンカしたら仲直りの方法に頭を使ったり、考えただけで面倒だわ。


それに、今から相手を探して、恋をして…って、生活を今更変えるなんて無理よ。無意味だわ。」


お酒の力を借りて、強目に言った。


「また『別れ』を経験するのが嫌なの。自尊心をエグる行為にうんざりだわ。そこに、"プラス"なんてないもの。」


『別れ』が私に必要な経験だとは思わない。あんなに傷付く行為に進んで飛び込むなんて、そんなマゾヒストではない。

それに、この年で恋愛に傷付くとか、恥もいいところだ。



私のターンが終わると、由美は「ははは」と笑って言った。


「別にあんたには『付き合え』とは言わない。

あんたみたいな面倒臭い奴、相手に出来る男は少ない。」


由美は本当に、私をイラつかせる天才だ。

こんなに私の触れられたくない『聖域』に踏み込んでくる人はいない。怒りに任せて、モヒートをグイと喉に流し込む。


「マスター!私に合ったカクテルを頂戴。」

マスターは柔らかな声で「わかりました」とだけ言った。


「由美はさっきから何が言いたいの?

『恋愛しろ』と言ったり『付き合うな』って言ったり。一貫性がない。そんなプレゼンでは、意見は通らないわよ。」


息巻く私を見て、由美は余裕の表情で語りだす。

そして私は不覚にも、由美の言葉に心が動かされた。




「川瀬は人と合わせるのが苦手よね。それは私が見てもわかるわ。それでいて、一人が嫌い。ホント、面倒臭い。


付き合えばあんたの『苦手』な生活が始まる。

だったら、付き合わなければいいじゃない。


"片想い"をすればいい。


恋はいいわよ。世界を明るくする。

女である事を実感するわ。どんな高い化粧品よりも効果があるもの。恋をしたら忙しいわよ。あんたでも可愛い洋服を買いに行くんだし。


人生、仕事だけが全てじゃないわよ。

川瀬にはそういう"潤い"が必要ね。会うだけでトキメくとか、『あの人と話せた』だけで幸せになるとか。


勿論、仕事も大事。一人で生きていくならね。

それでも、人を好きになる事は忘れない。

そういう女になりな。」



由美は話終えると、グラスを傾けゴクリと飲み干した。

私が話し出すのを、静かに待っている。


「………でも、今更恋の仕方なんて分からない。誰を好きになればいいの。私は恋愛に向かないのよ。」


人前で弱音を吐くなんて何年ぶりだろう。私は恥ずかしいやつだ。何年も人を好きになる事を疎かにしていた。諦めてもいた。

でも、心のどこかで捨てきれない『何か』があった。


「そんなに肩肘はらなくてもいいのよ。『あ、いいな』っていう人を目で追えばいいだけ。」


「そんな都合のいい人なんていないわ……」


一体恋愛から離れて何年経ったのだろう。

ときめいたり、切なくなったり、ドキドキする様な感情は私にもあったのだろうか。久しくその扉は開いていない。

由美と語り合っていると、すっかり忘れていたオーダー品が届く。





「ちょっと、マスター。

私が注文したの、『私に合ったカクテル』って……」



「はい、お疲れの様なので、こちらで。もう少しご自分の身体を労って下さい。里佳子さん。」


伏し目がちにマスターは去っていった。

私の手元には、温かいジャスミンティー。




由美と目を合わせ、久々に大声で笑った。

こんな所にも、恋の種は転がっていたのね。


明日から私、頑張れそうよ。

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