毛根シネマティック・ユニバース(MCU)~秘密結社事件記録~
路地裏での毛根滅亡事件簿-秘密結社暗躍-序章
同シリーズ物とは一切時系列的に関連性は御座いません。
ここは、とある業界が息を潜める秘密結社。
かつて、彼らは人々の頭上に希望を与えていた。
そう。
遠い昔、カツラを製作していた者たちである。
◇
「今日の決行、滞りなく進んでいるな?」
薄暗い地下室。
長い机の一番奥に座った男が、低い声で尋ねた。
「はい、会長」
その向かいに立つ男が、胸を張る。
「今回開発した毛根破壊玉。実に優秀です!」
机の上に、小さな透明ケースが置かれた。
中には、直径二センチほどの黒い球体。
「ほう……」
「実験に参加してくれた藤田なんて、もう全身毛無しです」
「……ほぉ。それはご愁傷様」
「本人も泣いて喜んでいました!」
「本当に喜んでいたのか?」
「細かいことは気にしてはいけません」
「件の育毛剤で再び生えることは?」
「はい、完全破壊の効能を持たせましたので現状では不可能です」
「ほぉ・・すばらしい(いたちごっこにならないといいが・・しかし、先ずは第一歩!)」
会長は静かに頷いた。
数年前。
iPS細胞を利用した毛根再生技術が実用化された。
長年、人類を悩ませていた薄毛という問題は、驚くほどあっさり解決した。
薬局へ行けば毛根再生剤。
病院へ行けば毛包再構築治療。
少し金を出せば、若い頃以上の毛量まで取り戻せる。
それは多くの人々にとって福音だった。
だが。
すべての者にとって、そうだったわけではない。
「我々の売上は?」
「前年比九十八パーセント減です」
「店舗数は?」
「残り三店です」
「職人は?」
「半分が育毛サロンへ転職しました」
室内に重い沈黙が落ちた。
「……裏切り者め」
誰かが呟いた。
カツラ産業。
長い年月をかけて培われた匠の技。
自然な生え際。
絶妙な毛流れ。
風にも雨にも負けない装着技術。
そのすべてが。
一本のスプレーによって過去のものとなった。
「我々は忘れられようとしている」
会長が立ち上がる。
「このままでは、カツラという文化そのものが歴史から消える!ウィッグ等という外道に逃げていては、今後このカツラ技術に未来はない!」
「おお……!」
「人類は毛根を取り戻した。しかし、その結果として何を失った!」
「カツラです!」
「そうだ!」
会長は机を叩いた。
「ならば我々が、もう一度需要を作る!」
室内にどよめきが走る。
技術主任が黒い球体を掲げた。
「この毛根破壊玉は、対象へ接触した瞬間、周囲十五センチ以内の毛包を完全に不活性化させます」
「再生剤は?」
「効きません」
「再構築治療は?」
「効きません!」
「素晴らしい!」
拍手が起きた。
「つまり……」
会長はゆっくり笑った。
「ハゲれば、再びカツラが必要になる」
「その通りです!」
「では標的は?」
壁のスクリーンに一人の男が映し出された。
四十二歳。
健康的な黒髪。
毛量豊富。
SNSでは毎朝、自慢の髪型を投稿している。
『今日もセット完了!』
『髪だけは若いってよく言われます!』
『親父も祖父もフサフサなので遺伝に感謝!』
室内の空気が変わった。
「……許せんな」
「はい」
「実に許せん」
「ええ」
「ですので」
技術主任がニヤリと笑った。
「これを、例のフサフサ野郎に!」
「カツラに未来を!」
「ジーク・ボールドネス!」
「ジーク・ボールドネス!」
「ジーク・ボールドネス!」
「我らに・未来を・そして栄光を再び!!」
「ジーク・ボールドネス!」
「ジーク・ボールドネス!」
◇
その日の夜。
男はいつものように駅から自宅へ向かっていた。
「今日はちょっと風強いな」
前髪を押さえる。
その後ろ。
路地の陰から黒い服の男が現れた。
「目標確認」
小さな球体を指先でつまむ。
「距離十二メートル」
狙いを定める。
「……カツラ業界の未来のために」
投げた。
球体は小さく弧を描き。
男の後頭部へ――。
ぺち。
「ん?」
振り返る。
誰もいない。
「なんだ?」
足元には、小さく砕けた黒い殻。
「ゴミか?」
男は気にせず歩き出した。
◇
十分後。
帰宅。
洗面所。
「さて、風呂……」
鏡を見る。
「…………」
何かがおかしい。
頭頂部が、やけに涼しい。
右手を伸ばす。
触れる。
「…………は?」
つるり。
もう一度。
つるり。
「……え?」
鏡へ顔を近づける。
そこに映っていたのは。
額から頭頂部まで、見事なまでに何もない自分だった。
「…………」
男の顔から。
ゆっくりと血の気が引いていった。
「俺の……」
震える手が頭へ伸びる。
「俺の髪ぃぃぃぃぃぃ!!」
遠い未来。
毛根を取り戻した人類の陰で。
失われた産業の逆襲が、静かに始まろうとしていた。




