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『さくら色の忘却録』  作者: アリス・リゼル
さくら色の忘却録 [真奈編]
20/23

第16話:『勿忘草の叫び』

 視界が、べっとりと塗り潰されるような瑠璃色の闇に沈んでいく。

 足元から感覚が消え、上下左右の判別さえつかない。ただ、耳元で数千、数万ものすすり泣く声が、地鳴りのように響き続けていた。それは天音の家が百五十年かけて醸造してきた、血と涙の沈殿物だ。


「……っ、うっせぇんだよ……! 寄ってたかって、耳元で騒ぐんじゃねえ!」


 遥香は奥歯を噛み締め、膝を突きそうになる自身の身体を強引に支えた。この『声』は、真奈一人のものではない。天音の家に棄てられ、本家の『不浄』を肩代わりさせられてきた歴代の女たちの怨念。そして、その呪鎖の最果てに生まれた真奈自身の、千切れた叫びだ。それは物理的な音ではなく、脳髄に直接流し込まれる『絶望の色』そのものだった。


「……いい加減、黙れよ。あんたらの『色』……ベタベタしてて、虫唾が走るんだよ」


 遥香は、襲い来る情念に呑まれまいと、自分自身の精神を激しい怒りで研ぎ澄ました。

 かつて、通学路でさくらと共に多くの人々の糸を修復したあの日、彼女は自分の中に眠る『力』の危うさを知った。情念を使い果たし、煤けた灰色の視覚に閉じ込められたあの倦怠感。それを思えば、この瑠璃色の闇も、ただの不快な霧に過ぎない――そう自分に言い聞かせ、精神の均衡を保とうとする。


 だが、真奈が放つ糸の正体――【瑠璃色の縋り(るりのすがり)】は、遥香の想像を絶する深淵へと彼女を引きずり落としていく。他者の魂に食らいつき、その生気を吸い上げることでしか形を保てない、醜悪で悲しい縋り付きの糸。


 次の瞬間、遥香の意識は激しい揺らぎと共に、ある『原風景』の中に放り出された。


 そこは、カビ臭い地下室のような場所だった。窓はなく、湿った空気だけが淀んでいる。そこには、小さな、あまりに小さな少女が、絶望に震えながら蹲っていた。少女が怯えているのは、暗闇ではない。扉の向こうから近づいてくる、実の父・静樹の足音だ。


「…………パパ、やめて……お願い……」


 幼い真奈の声が、血を吐くような響きで遥香の脳内を掻き乱す。そこに救いなどなかった。自分を抱きしめ、守ってくれるはずの親――静樹こそが、自身の肉体を、尊厳を、無慈悲に損壊し続ける怪物だった。そして遥香が見たのは、あまりに冷酷な『無関心』の壁だ。

 真奈の母は、産後わずか数ヶ月で、この屋敷の裏に広がる原生林で自ら命を絶っていた。天音の因習と夫の歪みに絶望し、娘を残して逃げるように逝った母。その死後、祖母である静江は、静樹を天音へ放逐して以来、そこで何が起きているのかを一切『知ろうとしなかった』。


 静江にとって、天音は蒼井家の『不浄』を捨てるだけのゴミ捨て場に過ぎない。そこで孫娘が実父に蹂躙されていようが、心が壊れようが、静江には関心の外だったのだ。それどころか、静江は真奈が蒼井家に出入りし、さくらと親しくすることを容認していた。それは、真奈が『不浄を吸い取り、溜め込んでくれる便利な器』として完璧に仕上がっていると確信していたからだ。さくらに降りかかるはずの家の澱みを、天音の娘が代わりに引き受けてくれるのなら、これほど好都合なことはない。

 真奈がさくらに向けていた執着は、その『見捨てられた地獄』の中で、唯一自分を『人間』として見てくれたさくらという光への、狂気的な渇望だった。


 扉が開くたびに、少女の心は死んでいく。祖母は見て見ぬふりをし、父は己を汚し続ける。少女の指先から、初めてこの【瑠璃色の細糸(るりのほそいと)瑠璃色の縋り(るりのすがり)】が溢れ出したとき、彼女がその糸で真っ先に縛り上げたのは、痛みと絶望に耐えきれなくなった自分自身の『心』だった。感情を殺し、感覚を麻痺させ、糸を紡いで他者の精神を侵食し、それによってしか己の空洞を埋められない。真奈の異能は、その損壊の果てに産み落とされた、生存本能という名の呪いだった。


(……何だよ、これ。あんた、こんな地獄にいたのかよ……)


 遥香の目から、自分でも気づかないうちに一筋の涙がこぼれ落ちた。

 真奈の『色』が、その内側に秘められた悍ましく、耐え難いほどの痛みが、遥香の魂を直接揺さぶった。

 自分も、思ったことをすぐ口にして、周りに馴染めずにいた。孤独なら知っている。けれど、真奈のそれは『愛されるべき者たちに見捨てられ、壊され続ける』という、出口のない無限回廊だった。


 記憶の奔流は止まらない。


 泣き叫ぶ真奈を、静樹が無機質な瞳で見下ろしている。


『お前は器だ。天音の膿を溜めるための、ただの入れ物なんだよ」』


その言葉が、瑠璃色の糸となって真奈を縛り上げる。彼女がさくらを求め、さくらを『理想の家族』に仕立て上げようとしたのは、この損壊された過去を埋めるための、死に物狂いの埋め合わせだったのだ。


 だが。


「……ふざけんなよ、姉ちゃん」


 遥香は、自身の頬を流れる涙を乱暴に拭った。目の前で揺らめく、蹂躙された幼い真奈の幻影を見据え、言い放つ。


「そんな地獄にいたのはわかった。あんたが一人で、壊され続けてきたのも、全部伝わってきたよ。……でもよ、だからって、その寂しさをさくらで埋めていい理由にはなんねえんだよ。さくらは、あんたの欠けた心を埋めるための道具じゃねえ!」


 遥香の内に、激しい『銀の光』が灯った。それは守るための力である以上に、凝り固まった宿命を無理やり抉じ開け、絡まった因縁を『解く』ための力。銀の針、すなわち、呪縛を打ち砕く【白銀の断ち鋏(しろがねのたちばさみ)白銀の楔(はくぎんのくさび)】としての本質。九条がその身を呈して繋いだ『空白』、そしてさくらが信じてくれた『遥香』という存在が、彼女にその楔を振るう権利を与えた。


「あんたの糸がどれだけ長くたって、私のこの光で全部解いてやるよ。……さくらを、今すぐ離せ!」


 遥香が右手を振り上げると、彼女の周囲に溢れていた瑠璃色の闇が、強烈な銀の閃光によって焼き切られた。バキバキと、空間がひび割れる音が響く。精神の檻を突破した遥香の瞳は、現実の広間で、驚愕に目を見開く真奈を真っ直ぐに射抜いていた。


「……常上遥香……。どうして、私の『絶望』を見て……私を憐れまないの……?」


 真奈の唇が戦慄く。彼女にとって、この凄惨な過去を視せることは最大の攻撃であり、同時に『自分を特別扱いさせるための強制的な同情』の儀式でもあった。だが、目の前の少女は、その地獄を知りながらも、一切の慈悲を拒絶した。


「憐れんでやるもんか。あんたが泣いてたのは、さくらのせいじゃねえだろ。……あんたを壊したクソ野郎の呪いも、知らんぷりしてあんたを利用した、ばあさんの理屈も、全部まとめて……私が今、解いてやるよ!」


 遥香の全身から、眩いばかりの銀の粒子が溢れ出す。それは真奈が持つ『黒の針』とは対極にある、執着を無に帰す解呪の輝き。


「さあ、始めようぜ、姉ちゃん。あんたの腐った糸、一本残らず解き明かしてやるからよ」


 銀の針――【白銀の楔(はくぎんのくさび)】が、宿命の迷宮を切り裂くために、今、真奈の眉間へと放たれた。


 広間を埋め尽くす【瑠璃色の縋り(るりのすがり)】が、銀の光に焼かれて悲鳴のような音を立てる。精神の迷宮を力ずくで突破し、現実の広間へと踏み止まった遥香。彼女の指先に灯る銀の光は、決して慈悲深いものではない。それは、天音の家が何代にもわたって『器』の中に溜め込んできたドロドロの因縁、その結び目を一つずつ、暴力的に抉じ開けていく。


「……信じられないわ」


 真奈が、震える指先で自分の額に触れた。そこには遥香が放った銀の粒子が、消えない火傷のようにこびりついている。真奈にとって、この『地獄』を視せることは攻撃そのものだった。

 これまで彼女は、己の中に溜め込んだ『不浄』を糸に変え、対象の精神へと流し込むことで支配を完遂してきた。他者の意識に同調し、その心の隙間に瑠璃色の糸を滑り込ませ、侵食することだけが、唯一、彼女が世界と繋がる手段だった。


 だが、その支配は『外側』の人間に対してのみ有効な歪な力だ。肝心の身内である蒼井の本家において、真奈はただの透明な存在だった。祖母である静江は、真奈が背負う凄惨な日々に一瞥もくれず、ただ彼女を『不浄を吸い取り、溜め込んでくれる便利な清掃道具』として使い潰した。良樹にいたっては、天音で何が起きているか、静樹が何をしたかさえ知らず、真奈という存在の『形』だけを見て無垢な微笑を向けていた。香菜恵も同様だ。


 誰にも知られず、誰にも触れられず、ただ便利な『器」として独りきりで壊れていった真奈。彼女にとって、さくらだけが『人間』として自分を見つめてくれた唯一の光だった。だからこそ、その光を自分の地獄で塗り潰し、自分と同じ『天音の泥』に引きずり込むことでしか、独りきりの世界から抜け出す方法を知らなかった。


 真奈にとって、常上遥香は予測不能な、最も忌々しい異物だった。遥香は、真奈の地獄を強制的に視せられ、その悍ましさに涙を流しながらも、一切の同調を拒んだ。そのあまりに真っ当で、身勝手な『正義』が、真奈の積み上げてきた絶望を根底から否定したのだ。


「私の地獄を知りながら……あなたは、私を憐れみさえしないのね。ああ……常上遥香。あなたは、本当に、なんて残酷な子なのかしら」


 真奈の声から、感情が削ぎ落とされる。


 彼女はゆっくりと立ち上がり、自身の左胸――かつて静江の闇が解けた際に結晶となり、自らの中に取り込んだ蒼井家の禁忌、『黒の針』が眠る場所へ指を立てた。


「ほどくというのなら、やってみなさい。……けれど、百五十年分の天音の『不浄』、そのすべてを解き明かすには、あなたの命はあまりに短すぎるわ」


 真奈が指先を自らの胸へと食い込ませる。次の瞬間、彼女の心臓に埋まった『黒の針』の結晶が共鳴し、その肌を突き破るようにして、漆黒の棘が幾本も溢れ出した。


「――っ! あいつ、何してんだ……!?」


 遥香が息を呑む。


 真奈の身体から、これまでの比ではない濃度の瑠璃色が噴き出した。それはもはや『糸』の体裁すら保っていない。心臓から直接汲み上げられる絶望が、粘り気のある汚濁となって広間を飲み込んでいく。


「天音に棄てられた女たちの嘆きを。……原生林で首を吊った、ママの絶望を。……そして、あの地下室で、父様に汚され続けた私の『すべて』を、あなたに預けて差し上げるわ!」


 真奈の咆哮と共に、広間の光景が歪む。真奈を中心に、心臓から溢れ出した漆黒の棘と瑠璃色の濁流が、渦を巻いて巨大な『障壁』を形成した。それはさくらを外敵から遮断し、真奈だけの世界に閉じ込めるための情念の繭だ。


「……うるせぇんだよ! 数が多けりゃいいと思ってんのか!」


 遥香は右手の銀の針を強く握り直し、繭から無数に這い出してくる情念の腕を薙ぎ払うように振るった。銀の楔が虚空を裂くたびに、瑠璃色の腕はほどけ、霧となって散っていく。だが、一本解けば十本、十本解けば百本の腕が、真奈の胸から溢れる結晶の輝きに導かれ、絶え間なく供給され続ける。


「ほどけ……ほどけよ! 邪魔なんだよ、どけ!」


 遥香は叫ぶが、次第にその呼吸が荒くなっていく。

 『解く力』で腕を一つほどくたびに、その腕に込められた死者たちの呪いが、遥香の脳内を直接殴りつけてくるのだ。


 ――寒い、どうして私だけが。

 ――痛い、天音なんてなくなればいい。

 ――暗い、誰も助けに来ない。


 無数の女たちの声が、遥香の精神を削っていく。視界が再び煤け始め、かつて商店街で味わった、あの魂が枯渇する恐怖が彼女を襲う。


(……くそっ、キリがねえ……! このままじゃ、さくらのところに行く前に……私が擦り切れる……)


 遥香の足元に、瑠璃色の腕が絡みつく。それは彼女を地中へと引きずり込もうとする、逃れようのない引力。真奈は、情念の障壁に守られながら、氷のような冷徹な瞳で遥香を見下ろしていた。彼女の胸元からは、黒の針の結晶を通じて、今もなお絶望が供給され続けている。真奈自身もまた、その過剰な負荷に耐えかねて、目や鼻から血を流しながら笑っていた。


「常上遥香。あなたは、さくらちゃんとは違う。あなたは『受け止める』ことなんてできない……。あなたはただ、ほどくだけ。……バラバラにして、壊すことしかできない。……そんな冷たい銀色に、さくらちゃんは救えないわ」


「黙れ……! 壊してなんか、ねえ……!」


 遥香は膝を突きながら、必死に手を伸ばす。

 彼女の脳裏に、あの通学路の何気ない放課後、自分の差し出した手を迷わず握り、「遥香ちゃん、ありがとう」と静かに笑ったさくらの体温が蘇った。さくらは、遥香の不器用な正義を一度だって否定しなかった。自分でも怖くなるほどの『解く力』を、さくらだけは『強くて優しい力』だと信じてくれたのだ。


(そうだ……私は、さくらみたいに優しく抱きしめることはできない。……けどな、姉ちゃん。あんたみたいに、呪縛で縛り付けて飼い殺すなんて、もっと御免なんだよ!)


 遥香は、自分を縛り上げようとする瑠璃色の腕を、自らの『血』で染まった銀の針で突き刺した。  彼女の指先から、自らの情念を燃料とした、かつてないほど巨大な銀の光が爆発する。


「私は……ほどくためにここに来たんだ! あんたが後生大事に抱え込んでるその、醜い殻……私が今、ぶち抜いてやるよ!」


 銀の楔が、真奈とさくらを隔てる情念の障壁を、激しく撃ち抜いた。

 広間全体が激震し、瑠璃色の繭に一筋の『銀の亀裂』が走る。


「……なっ!? 私の……聖域に亀裂が……!?」


 真奈が初めて動揺を見せた。遥香は、障壁に走ったその亀裂の向こう側に、暗闇の中で糸に絡め取られながらも、必死に手を伸ばそうとしているさくらの指先を見逃さなかった。


「さくら! 今、そこをこじ開けてやる!」


 遥香の【白銀の楔(はくぎんのくさび)】が、真奈の鉄壁の呪縛に対し、致命的な綻びを作り出そうとしていた。


押し寄せる瑠璃色の腕の奔流。それはかつて、登校時の商店街を埋め尽くした【紫色の刺絡(むらさきのしらく)】の悪夢を彷彿とさせた。あの時、遥香はさくらを守りたい一心で、ただ無闇に銀の光を叩きつけ、自らの精神を焼き切る寸前まで追い込まれた。


(……同じ轍は、もう踏まねえよ)


 遥香は荒い呼吸を整え、焦りそうになる心を強引に沈めた。無数の腕が彼女を絡め取ろうと蠢くが、今の遥香の瞳には、かつてとは違う『景色』が見えている。商店街での共闘、そして九条との対峙を経て、彼女の『銀の針』は単なる武器から、複雑に絡まり合った宿命の構造を解き明かすための『メス』へと進化していた。


 腕をすべて薙ぎ払う必要はない。この瑠璃色の海を支えている、天音の呪縛の『核』さえ捉えればいい。


「……見つけた」


 遥香の視線が、真奈の足元、広間の床板を突き破って地下へと伸びる、最も太く、最も煤けた一本の糸に固定された。それは真奈の心臓にある黒の針の結晶から伸び、彼女が忌み嫌った『あの地下室』の記憶へと直結している、天音の宿命そのもの。


「常上遥香、諦めなさい……! あなた一人がどれだけ足掻こうと、この百五十年の重みはほどけない!」


 真奈が絶叫し、さらに巨大な瑠璃色の波を放つ。だが、遥香はその波を真っ向から受け止めるのではなく、銀の光を極限まで細く、鋭い一点に凝縮させた。


「……姉ちゃん。あんたは『ほどけない』って言ったけどさ。……ほどくのは私じゃないんだよ」


 遥香は身を低く沈め、地を這うような速さで真奈へと肉薄した。襲いかかる腕の隙間を、最小限の動きで、滑り込むように抜けていく。商店街(あの)の時とは比較にならないほど洗練された、無駄のない動き。


「私はただ、あんたが自分でほどけるように、その『きっかけ』を抉じ開けてやるだけだ!」


 遥香の手の中で、銀の針が激しい鳴動を始めた。彼女は渾身の力を込め、真奈の心臓から伸びる『天音の太糸』の、その最も強固な結び目へと、白銀の楔を深々と突き立てた。


 ――キィィィィィィィン!


 広間に、耳を刺すような高周波の音が響き渡る。銀の楔が放つ『解く力』が、黒の針が編み上げた瑠璃色の防壁に、決定的な風穴を開けた。無理やり抉じ開けられた因縁の隙間から、銀の粒子が雪崩のように流れ込み、内側から真奈の呪縛を崩壊させていく。


「あ……あああああ……っ!?」


 真奈が頭を抱えてのけぞる。


 彼女を支えていた地獄の記憶、その絶対的な檻が、遥香の白銀の楔によって致命的な綻びを見せていた。

 崩れゆく瑠璃色の帳の向こう側。そこには、糸に縛られ、虚空を見つめたまま立ち尽くしているさくらの姿があった。


「さくら……! 行け!」


 遥香は、自身の情念を使い果たし、膝を突いた。視界はすでに煤け、指一本動かすのも容易ではない。だが、彼女は満足そうに口の端を上げた。


 彼女の役目は、ここまでだ。

 絡まった糸をほどき、道を作る。その先に待つ結末は、遥香には作れない。


 解かれた糸の海の中で、さくらがゆっくりと目を開く。真奈の胸に刺さった黒の針の結晶が、銀の光に焼かれてパキパキと音を立てていた。その激痛と虚無に震える真奈の瞳が、自分を『ほどいた』遥香ではなく、自分を『見つめる』さくらへと向けられる。


「……どうして……さくらちゃん……」


 真奈の口から、掠れた声が漏れる。遥香が作った綻びは、もはや修復不可能だった。広間を埋め尽くしていた怨念の腕は、銀の光に浄化されるように消え去り、そこにはただ、傷だらけの三人の少女だけが残された。


「……後は、任せたよ……さくら……」


 遥香の意識が遠のく中、広間には微かな、けれど確かな温もりを孕んだ薄桜色の光が満ち始めていた。  勿忘草の叫びは、救いへの第一歩となる『綻び』を刻んで幕を閉じる。



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