第四話 大地に降る祝福、怒りの矛先
――静かだった。
ヴァルト城。
夜の空気の中、アレクシス・ヴァルト公爵は黙然と書状を見つめていた。
蝋燭の炎が揺れるたび、金の瞳が鋭く光る。
彼の手元には、王都から取り寄せた出生記録。
記された日付と名、証言と証拠――
すべてが、ひとつの事実を指していた。
「やはり、リアナこそが、正妃の娘。…それを、ここまで虐げるとは…」
アレクシスは椅子から立ち上がり、机の上の地図に視線を落とす。
王都の印に、静かに黒の印章を置いた。
「準備を始めろ。王都に使者を送る。――我が妻を害した者たちへの“警告”だ」
部下たちは無言で頷く。
彼の怒りを感じ取っていた。
公爵の剣が抜かれるとき、それは――
“裁き”を意味する。
*
一方そのころ、リアナは寝台の上でそっと窓の外を見つめていた。
空には満天の星。
この場所に来てから、自分は毎日“人間として”丁重に扱われている。
誰も怒鳴らず、叩かず、食事も温かく、本当に美味しい。
(……ここに来る前の私は……)
まるで、別世界のようだった。
胸に手を当てる。
そこには、淡く光を放つ《聖痕》。光は、ヴァルトの地に来てから輝いたもの。
「私に……こんなものが、あるなんて」
誰にも見つけられなかった。
いや、誰にも見ようとされなかった。
だからずっと、リアナはただ泥にまみれていた。
でも今は――
「リアナ」
ノックと共に現れたのは、アレクシスだった。
彼はリアナの前で、真っ直ぐに彼女を見つめる。
「君に、話がある」
「……はい」
「君が、王都で虐げられていたことは、…悪いが調べさせてもらった」
「その理由も、真実も、すべて判明した。
君は……君が受けるはずだった恵みの全てを、“彼女達”に奪われたんだ」
リアナの目が揺れる。
でも、アレクシスは静かに続けた。
「だから、取り戻す。君の名も、立場も、尊厳も。
――そして、君を傷つけた者には、然るべき“報い”を」
その言葉に、リアナの胸が痛くなる。
アレクシスは自分のために怒っている。
それが、たまらなく……うれしくて、こわかった。
「……私に……、それほどの価値は、あるのでしょうか……?」
「ある」
一言。
その声は、まるで誓いのように力強く。
「君が信じられないなら、俺が信じる。
君が誰より尊く、愛されるべき存在だということを――」
リアナは目を伏せ、震える手で胸元の聖痕をそっと押さえた。
もう、戻らない。あのころの自分には。
“この人の隣にいる未来”だけを、見つめようと決めた。
*
そして王都。
正妃レジーナの手元に、一通の封書が届いた。
封蝋には黒い狼――ヴァルト公爵の紋章。
内容は、簡潔だった。
「貴家の行った“重大な取り違え”の証拠が確認された」
「貴家の責任者に、王都での“公式な対面”を求める」
「公爵家として、“真の正妃の娘”を保護している」
その瞬間――
正妃レジーナの手から書状が落ちた。
「まさか……そんな……」
フィオナは、母の顔が青ざめていくのを見て、背筋がぞくりとした。
次第に、王宮に冷たい風が吹き始めていた。
それは、すべての“嘘”を暴き出す風。
そして――
本当の祝福が、王国に背を向ける、第一歩だった。