尊敬
小っちゃな頃から神童で
15で凡人に憧れたよ~
語呂が悪い
尊敬する人、いますか?
憧れるロールモデルがいない人生
ビジュアルの話ではない
顔やスタイルなら理想はある
IQの話でもない
EQは高いと思う
高学歴でビジュが良くて、社会的地位も高くて収入も高い、みたいな人生に憧れていなかった
それらは結婚相手に求めるロールモデルという時代だった
自分の人生の理想
生き方のロールモデルに出会ったことがない
社会人として働いている時は、仕事のできる人は尊敬した
主婦になってからは、家事のできる人をすごいと思った
けど、自分がそうなりたいのかと聞かれたら、そうでもない
努力すれば大抵のことはできるようになる
勉強もビジュアルも仕事も家事も平均点以上は出してきた(つもり)
当然、努力は継続しなければすぐに劣化する
無理して頑張ってまで、維持したいと思わない
その都度、必要な時は努力した
でも、その先に何も求めていない
この時代、この国で、女性の生き方のロールモデルなんて限られていた
私は仕事を生き甲斐とは思えなかったのもあり、専業主婦になった
母親として生きることだけに、存在意義を見出すこともなかった
遡れば、いわゆるいい大学や会社にステータスも求めていなかった
結婚に夢も見ていなかった
適当に勉強して入れる学校へ行って
自分にできる仕事をして結婚して
出産して必死で子育てして成人して
今ここ
人として向上心はある
やりたいことはやる
やりたくないことはやらない
周りを見渡せば、人生に四苦八苦している人たち
いったい何者になりたくて、足搔いているのか?
楽しくて仕方ない生き甲斐がある人は幸せだろうなと思う
でも生き甲斐なんかなくても幸せである
好きな時に好きな事して、食っちゃ寝してたら充分幸せ
子どもの頃と変わらない
大人になった分、とやかく言われずに自由にできるし
多くの若者の憧れの人生は、ビジュアルと金さえあれば解決する気がする
人生の大部分をそこに費やして生きる人生
先人たちがそういう社会を形成してきた
私はそんな社会のどこにも憧れを見つけられなかったけど
ずっと自分であろうとしてきた
世間の価値観に惑わされながら、迷いながらも、自分でいた
何者でもない自分
何者でもない若者は、会社員になり主婦になり母親になり、ただの中年になった
何かになりたくて、頑張って生きてきた
でも今も、自分であるだけ
生まれてから死ぬまで、ただ自分を生きる
私の卒業文集の将来の夢は
「ふつーの人」
叶ってるのかな?