3話 プロローグ 下
誰の記憶にも残らない、不思議な存在。
学校にいるのに、学校の制服に身を包んでいるのに。
生徒名簿には載っていない存在がそこにいた。
なぜ、こんなところに?
私は転生した存在。
もうあのゲームとはなんの関わり合いもない。
現に姉は、他のゲームで遊んでいる。
縁もゆかりもない。
それなのに、彼女は不敵にその場に佇んでいた。
「あなたは誰?」
「君が僕にそれを聞くのか。わかっているんだろう?」
「わからないから聞いているんですよ」
「内鉄虎アルプって言うんだ」
「そう、私は秋野疾子よ」
「存じ上げているよ。この学校で稀有な存在感を輝かせている優等生。けど競技や生徒会には興味のない、面白い存在だと」
「私が何に興味を持とうが、あなたに関係ないじゃない」
「それは確かにね。けれど、僕は違う」
──君に強い興味をひしひしと感じている。
運命と言ってもいい。
おくびにも出さずに臭いセリフを吐き捨てる。
第三者が聞けば、プロポーズと取られてもおかしくない告白だった。
「それはどうも。けど私たちは同性。プロポーズをするのなら異性にするのが慣わしじゃない?」
「多様性だよ。今は女の子同士でも恋人関係は成立する」
急にその体が眼前へと迫った。
屋上の吸水タンクの金網に、体を追いやられた。
「いるんだろう、アキカゼ・ハヤテ。Atlantis World Onlineに戻ってこい」
「誰のことを言ってるの?」
「君だ、秋野疾子。君の中に眠っているもう一つの存在に僕は用がある。君はしばらく眠っててくれないか」
おでこに人差し指が接続される。
まるで脳に命令を出すような、上位命令に従うように姉の人格はダウンさせられた。
「全く、手洗い歓迎だ。姉にあんな思わせぶりなことをして。性癖が歪んだら責任とってよ?」
「ハハハ、君が戻ってきてくれるのなら、いつでも手を引こう。さぁ、戻ってこい。抱えきれない案件がいくらでもあるぞ」
「悪いけど、私はもうアキカゼ・ハヤテではないんだよ」
「何を言っている?」
「私はハヤテ。アキカゼ・ハヤテはもう20年も前に死んでいる。それが真実だよ」
「そんなの認めない! だってまだそこにいるじゃないか! 魂が、何かを成し遂げたくてウズウズしている。それを押さえ込んで生きているのは窮屈だろう? Atlantis Worldでなら、君の新しいボディを用意してやれる。どうだ?」
「何を言われても響かないよ。私はあの世界での役割を終えたんだ。それよりも新人発掘に精を出してはどうかね? もう20年も前のことをいつまでもぐちぐちと、女々しいったらありゃしない」
「やったさ! やったよ! それでも芽は出なかった! どうしろって言うんだ。父王はお怒りだ」
「なんかさ、話を聞いてる限りだと、君のミスの責任を私に尻拭いさせようとしてない?」
「気のせいだろう。君がやり残した責任のデカさを思い出してみろ。根幹はいつだってそこにある」
それを言われたら弱い。
確かに私はあのゲームでやり残したことはいくつもあるけどね。
だからといって現役を引退した私に同じことをやれは無理でしょ。
「私はもうその時のアバターを失っているんだよ? また一から始めて、同じことをすると思う?」
「できるだろう、君なら」
「できたとしても、やりたくないと言ってるんだよ。もう境遇が違う。そっちがその気でも、私にはそれをやる義理がない」
「ぐっ、あとで絶対その気にさせてやるからな」
「何度来ても追い払って見せるよ」
そう言って、ファーストコンタクトを終えた。
だが彼女はしつこかった。
私が所用で外している時に、姉に近づいて洗脳していた。
少しづつ、情に絆されていたのだ。
そして私の新たなるアバターまで用意して、私に表舞台を用意した。
バカじゃないのかな、と。
なんで私を巻き込むのか理解ができない。
初期アバターに頼るより、既存アバターに頼りなさいよ。
あの人頭いいけど、どこか抜けてるんだよね。
他責思考も酷いし。
なんで世界を裏で牛耳ってるイメージが強いんだろう?
あんなの管理能力がないだけの中間管理職でしかなくない?
そんな思いを馳せている私に、いよいよ邂逅の時が来た。
姉がスワンプマンに取り込まれ、バグの成立条件が揃ったのだ。
「ハヤテちゃんなの?」
母が私をじっと覗き込む。
姉のアバターに置き去りにされた私の心の奥を見透かすように、慎重に見極めようとしていた。
最初こそ演技をした。
「グググ、ハハ、ようやく元の人格を追い出したぞ!」
なんて、スワンプマンの人格っぽい演技。
しかし母は用意周到だった。
「リセットしましょう。聖水」
「ぎゃあああああああああ!」
まさか性格リセットアイテムを複数所持しているなんて思いもしない。
姉よりも、母の本気度の方が数倍上だった。
結局演技は聖水のストックがなくなるまで続き。
母が途方に暮れてる姿を目撃して演技をやめた。
「ごめん、ちょっと出ていくのが怖くて演技してた」
「だと思った。どうして普通に出てきてくれないの?」
「いや、だって。これはフェアじゃない」
「私がそれを望んでいても?」
「照れくさいと思ってしまうのが性分だよ。大きくなったね、マリン」
「やっぱりおじいちゃんだった」
腰の入ったタックル。
今の私の体格は子供で、孫娘は大人。
軽く吹っ飛ばされたのは言うまでもない。
「わあああああああああ」
「あ、ごめんなさい」
だなんて茶番を繰り広げ。
私は正式に母の息子となった……はずだったんだけど。
時の流れの残酷さを、私は舐めていた。
「じゃあ、おじいちゃんは今後トキの妹として扱うから」
「え?」
「だってずっとトキの体の中で生活してたのよね? お風呂もトイレも、たまに変わっていたのでしょ?」
「トイレは自主性に任せてた。お風呂は仕方なく」
「そのトキ、なんかムラムラとかした?」
「いや、自分の体に欲情とかしないでしょ」
「はい、おじいちゃんの思考はすっかり女の子です! だから私たちもおじいちゃんを女の子とみなします」
「えー」
「感情のこもってない返事をどうも」
私は弟して生まれてくる機会を失い。
その14年後に女の子のボディを受け取った。
私に拒否権はないと言わんばかりの無茶振りだが……実際に女の子のアバターで遊ぶのなら仕方ないと諦める。
そして、私は姉と出会った。
ずっと夜更かしばかりする姉に言いたいことはたくさんあった。
でもこれからは、少しずつ寄り添っていこう。
だってもう、いつでも気軽に言い合える中なんだから。