2話 プロローグ 中
これは参ったね。
私は見下ろす形で、自分がこの世に生まれることができなかったことを悟った。
母親が、生まれてきた姉を抱き抱えて喜んでいる。
しかしその後方では、父親と看護師が非常に言葉に出しづらそうな感情で母になんと打ち明けようか思案している。
さて、この窮地をどう乗り切るか。
非常に申し訳ない気持ちで、しかし受け入れるべき現実として見守った。
結果、母は泣き崩れた。
本来は双子として生まれてくるべきだった存在。
それが姉だけしか生まれてこなかった。
私は、お腹のなかで圧迫されて、息を引き取っていたらしいよ。
自分のことながら、なんとも運が悪かったと思う。
しかし仕方ない。
私はそこを悲観していなかった。
正直ホッとしていた。
理由は単純に、前世で孫だった子の息子として生まれてくるところだったのだ。
孫はそれを大いに喜ぶだろうが、私としては正直気が引ける思いだった。
ああ、自分語りばかり達者で申し訳ない。
私の名前はアキカゼ・ハヤテ。
もちろんこれは偽名だが、昔とあるゲームでこの名前を扱って大変暴れ回っていたのも記憶に新しい。
今ではもう20年も前のことになる。
私が最後まで活動していた時期が、ちょうどその節目だ。
同世代の友人が次々と息を引き取った幸せの病。
多幸感に包まれていった者から天寿を全うした。
世間からは早過ぎる死としてニュースに取り上げられたものだが、その世代の私たちから言わせて貰えば。
十分長いこと楽しませてもらった。
だが、別れを惜しむ時間くらいは融通して欲しいものだった。
で、現在。
目を覚ませばこの形で。
昔の記憶を妙にはっきり覚えている状態でここに漂っている。
泣き崩れる母とは対照的に、姉は泣かずに微笑んでいる。
そして魂が同調した。
私の意識はそこで途切れる。
気がつけば、私は姉の中で生活するようになっていた。
「トキちゃん、宿題やってきた?」
「あ!」
正直に言って、姉はあまり勉強ができる子ではなかった。
しかし、一つの物事に集中できる力は持っていて。
そこを私がサポートする形でなんとか生活を回している。
姉ができないことは私がやり、私の苦手なことを姉がやることで生活サイクルを回していた。
そんなある日。
「お母さん、お母さん!」
姉はとある商品が買いたいと母におねだりしていた。
それがリップクリームとアクネケアの洗顔クリームだった。
「あら、トキ。急に色気付いちゃってどうしたの?」
「いいじゃん、ちょっとニキビ気になるからそれ消したいの」
「へー、まぁ放置しておくほうが問題だし、いいわよ」
姉は妙に身の回りのことを気にし出した。
今まで散々私に押し付けてきた……もとい、やり忘れていたことを率先してやるようになった。
そういえば最近、妙に一人の男子生徒の背を追うことが多いような?
青春してるなぁ、なんて思いながら陰ながら応援する。
ちなみに、初日にやったきり全く手をつけなくなった。
男子生徒には彼女がいた。
姉は自分に芽がないと悟って全てを放棄したのだ。
最初からわかっていたことだけど。
姉はとてつもない飽き性である。
代わりに私が姉のガサガサの唇と顔中のニキビケアを完璧にこなした。
姉は夜型人間で、朝はほとんど寝こけている時間が長い。
なので勉強をよく忘れるし、生来の事なかれ主義を堪能している。
これをよくないと思ったのか、両親が塾に通わせようと決心した。
もちろん姉はこれを快く思わない。
生活の改善をしろと言われても、根っからの集中型。
楽しくなったらやめられない、止まらない。
それで数日間やってきている。
恒例の神頼みを始めたタイミングで、私のなりすましタイムが始まるのだった。
おねだりを前借りするのではない。
おねだりを通しやすくするように、朝は規定の時間に起きて。
皿洗いは率先して自分からやり。
母が疲れてソファに沈んでいる時に肩を叩くなどをしてご機嫌を取った。
「ありがとうね、その気持ちが嬉しいわ」
「でへへ」
「で、今度は何が欲しいの?」
「別に」
「え?」
「何もいらないよ。いつもお世話になってるから、そのお返しっ」
姉のように振る舞うが、母は別の誰かを見ているみたいに私を直視する。
案の定、おでこに手を当てて熱を測られた。
「トキ、どうしちゃったの?」
「どうもしないってば」
「パパ、来て! トキちゃんが変になっちゃった!」
「なんだい、ママ。そんなに慌てて」
「お父さん、いつもお仕事ご苦労様。お礼に肩叩いてあげるね」
「うわーーーっ、誰だお前は!」
みんなして酷い。
「何よー、私が日頃の感謝をするのってそんなにおかしい? 今日プリントが配られたの。母の日が近いから感謝の印を示しましょうって」
「なーんだ」
「トキが慣れないことを率先してするなんておかしいと思った」
当然そんなプリントはない。
というか、プリントなんてものはもうとっくに存在しない。
確実に、母は私が姉とは違う存在だと見抜いていた。
普段姉に向けるものよりも、妙に優しい目をしている。
「そう、トキを守ってくれてたのね、ありがとうおじいちゃん」
「おじいちゃんて、アキカゼさん?」
「うん、トキちゃんの中に入ってるみたい」
「そんなことが……」
「もしかしたら輪廻の輪を潜って、私たちの子供としてやってきてくれたかもしれないわ」
「そうだったらいいね」
「きっとそうよ」
そんな話を聞きながら、私は非常に居心地が悪かった。
君たちの直感どうなってるの?
それはそれとして、どのタイミングで姉に実験を返すかで非常に悩んだ。
「おじいちゃんて、すごい人だったの?」
話を振るとすごく神妙な顔をされた。
お前だよ、と喉元まで出かかってる言葉をこらえているのがわかる。
それをくすくすと笑って誤魔化していた。
「ええ、そうよ。すごい人なの。でも、もう死んじゃった。トキちゃんが生まれるよりもずっと前のことよ」
「そっか」
「トキにはおじいちゃんがついててくれるから、もしもの時は頼るのよ?」
「よくわかんない」
「今はそれでいいわ」
けど確実に、私という存在は見抜かれていた。
なので普段の姉らしからぬ私を目撃しても。
「今日はお皿洗いを手伝ってくれるの? 嬉しいわ」
だなんて、普段は驚きすぎて父を呼ぶ場面でも対応してくれた。
そして、料理を習いたいと言い出した暁には、すんごい笑顔で返されて逆に困惑した。
「好きな子でもできた?」
その言葉で、笑顔の理由を察した。
「別にそんなんじゃないよ?」
「いいわよー、隠さなくても。トキちゃんも年頃だなーって思ったの」
「親孝行だよ、親孝行!」
「またプリントでも配られたのかしら?」
「そういうこと」
もう完全に私という存在を理解している母に、私はやぶれかぶれで答える。
「じゃあ、そういうことにしておいてあげる。いつもありがとうね」
「どういたしまして」
こちらこそ、孫の元気な姿を見させてもらっているからね。
だからこその感謝の印だ。
姉は養われてるので、その感謝すら感じていないが。
私は前世で出張が多かった。
だから母親のマンパワーで家を支えていることを憂慮している。
なので、手伝えるうちに手伝いたいというのが物心ついてからの目標になっていた。
しかし、そんな私の行動を、姉が不審に思い始めた。
その時期を中心に物語は目まぐるしく変わっていく。
「見つけたぞ、盟友」
彼女、内鉄虎アルプと学園で出会って。
確実に私という存在は表舞台へと導かれていた。