姫はどこへ
2話 姫はどこへ
あいつのことを考えていたら、気絶する様に眠っていた。水色の髪が夢に出てこなかったのが不思議なくらい。
「ああ、もう。鳥がうるさい」今は・・・6時24分。目覚まし時計より早く起きるなんていつぶりだろう。この時間なら父さんはまだいるか。
父さんは都内の会社に通勤を続けている。いわゆるサラリーマンだ。朝は早いし、夜は俺が塾に行っていることもあってなかなか会わない。けど仲が悪いってことはない。今だって、もう30分寝られるところを、見送ろうとわざわざ下に降りてきたんだから。
「た、拓馬?お前がこの時間に起きてくるなんて、今日は雪でも降るのか」
「ひでーな父さん。それより通勤はどう? ここからでも平気そう?」
「引っ越したと言っても、乗る電車は変わらないからな。少し乗る時間が伸びただけでなんともない よ」
「なら良かった」
「拓馬も頑張れよ。朝ごはん、味噌汁とトーストがあるからな」
私服姿の父さんはリュックを背負ってそのまま出勤した。父さんはたまにしかスーツを着ない。ほとんど私服のイメージ。だから父さんは、俺にとって友達みたいな感じ。歳はおっさんで別に若いってことはない。だけどおっとりした見た目と柔らかい雰囲気から、接していても若く感じる。味噌汁とトーストの組み合わせは理解できないけど、作ってくれるのはありがたい。
「あら、おはようたっくん」
「おはよう母さん。今日寝坊じゃん。父さんもう行ったよ」
「ほんとだ! もう6時半!?」
「朝ごはん、父さんが作ってくれたみたいだから俺は平気」
「出た。父さんお得意の味噌汁とパン定食」
「パンの方が米よりも早くエネルギーになるとか、前言ってたよね」
「本当かもしれないけど、お米食べないとお腹すいちゃうでしょ」
母さんはたまに寝坊をする。そういう人。この人も親ってよりは姉とか友達って感じ。ちなみに母さんは夕方までパートへ行っている。こんな感じで天辻家は、普通のよくある家庭だと思う。ただ1人、俺という問題児を除いて。
田んぼ道を抜けて川の橋をいくつか渡ると、今度は坂を上る。学校へ近づくにつれて坂道が騒がしくなっていく。みんな、何をそんなに楽しそうにこの坂を上って学校まで行くのか。今までの学校でもみんなそんな感じで登校していたが、俺にはその感覚が分からなかった。けれど今日やっと、それを理解できそう。あいつに会う。あの水色頭に会って謝ろう。そのために今日はサボらず学校に来た。しかも朝のチャイムが鳴るよりも早い時間に。
下駄箱に靴を入れて向かう場所は、教室ではなく図書室。あいつなら多分、朝から来て本を読んでいるんじゃないか。そう期待して図書室に来たが誰もいない。まだ眠っているような本だけの部屋。薄暗いし気味が悪い。棚から勝手に本が落ちてきたりして・・・ダメだ。出直そう。昨日と同じく昼休みならいるはずだ。
教室に戻ってからは暇だった。簡単な授業も退屈。でも昨日よりはマシに感じる。あいつに会うという目的があったから────けど、昼休みも水色の景色は図書室で見られなかった。その図書室で本を読む人間は誰1人としていない。代わりに本を読まない人間の遊び場になっている。走り回るうるさいバカたちのせいで、なおさらイライラする。ならこいつらを注意しようか。言葉で注意してもダメだったら殴ろうか。でも、いったい誰のために?いわゆる司書という存在もいないのに。
何を思ったか、俺は床に座って本を読み始めた。手にとったのは『舞姫』。それも一番ボロいやつ。
こうして読書をする人間がいても、うるさい奴らはうるさいままだ。でも動物園で本を読むのも悪くないかも。なかなか刺激的で面白いよ・・・なんでこんな真似をしたのか。ほんとは分かっている。舞姫を読んであいつに近づこうとした。けど、それよりも明確だったのは、俺がこの図書室を守ろうとしたこと。ここは本を読む場所なんだと抵抗したつもり。あいつがいつ来ても本を読めるようにと、バカな真似をしたんだと思う。
俺のせっかくの昼休みはつまらない本を読んで過ごした。こんなの期待していた展開と違うよ。全く、舞姫じゃないんだからさ。今頃あいつと会っているはずだったのに。
あいつに会いたい。わずかな期待をして午後も授業を受けた。でも結局、今日は会えなかった。帰り道は不思議なくらい落ち込んでいた。この後塾に行くと思うと帰りたくない。だってまさか、会えないなんて思わなかったんだ。こんなことになるのならもっと、晴れた空を見ておけば良かった。なんなんだよあいつ。なんでいないんだよくそが。
そういえば俺、あいつのこと何にも知らねえや。図書室に行けば会えると勝手に思っていたけど、そもそもあいつ何年生だろう。名前もクラスも知らない。もしかしたらたまたま昨日は本を読んでいただけで、いつもは外で遊んでいるのかもしれない。それでも明日も、まずは図書室に行きたい。