ひたすら読者の予想を超えようと躍起になっている探偵
「遊ぶ金欲しさに小説を書き始めて早三年……」
「…………」
「一体どういうことだ? 全く歯牙にもかけられない……これじゃ遊ぶどころか、生活は苦しくなる一方じゃないか! 誰が政治をやっているんだ? 世の中間違ってる!」
「……その間真面目に働いておけば良かったのでは?」
イライラとした調子でハンドルを叩く男を横目に、市井苺は助手席でため息をついた。運転しているのは、浅井短政。この男は探偵であった。郊外で起きたとある殺人事件の調査のために、苺は叔父である短政に無理やり引っ張り出された。短政は血を見るのがダメだったのである。
「じゃ何で探偵なんてやってるんですか?」
「僕だって早くこんな血腥い商売からは足を洗いたいさ! だから必死になってるんじゃないか」
売れない探偵が嘆いた。窓の外はこれ以上ないくらい晴れ晴れとした空が広がっている。これから現場入りするというのに、短政の頭の中は、今書いている小説のことで一杯のようだった。苺は再び大きなため息をついた。全くもう。私だって、もうすぐ部活の大会も近いのに。
「大体叔父さん、いつ事務所に遊びに行ってもゲームしたり漫画読んだり、全然書いてる姿を見たことないんですけど。本当は小説なんて書きたくないんじゃないですか?」
「そ、そんなことないさ……ちゃんと書いてるよ。ただ、今の作品は構想五年のハナシで……」
「三年目にして構想五年の作品を……?」
「だって、構想年月が長い方が、何だか凄そうじゃないか。巨匠になった気分だよ」
「……叔父さんを見てると、何だか安心します。”こんな人でも生きてて良いんだ”……って」
「着いたぞ」
現場はすでに大勢のパトカーや警察官でごった返していた。周囲には黄色いテープが貼られ、当然、一般人は入れないようになっている。ただ、苺の父親が警察の中でも相当に偉い人だということもあって、今回のように度々無理を言って中に入れてもらえた。短政が苺を連れ回しているのは、ただただそのためである。
「もう! 私だって暇じゃないんですよ!」
「ごめんごめん……後でたっぷり礼はするよ。小説家になったら。印税で好きなだけ苺パフェを奢ってあげるから」
「じゃ一生無理じゃないですか」
「そんなことない! 見てろよ、次は絶対に大ヒットする……すでにヒットしてる有名な作品の展開やキャラをそのままパクってるからな。ネット小説なんて大体そんなもんだろ、みんなウケ狙いで同じようなハナシしか書かないし」
「あの、叔父さん……プライドとか無いんですか?」苺はただただ呆れた。
「正々堂々とパクらないでください。パクるんじゃなくて、自分が有名になってパクられるくらいの気概がないと! そんなんじゃこの先やってけないですよ!」
「むぅ……なるほど」
残念ながら叔父さんにプライドはなかった。
「一理あるな。有名どころにパクらせておいて、後でたんまりと著作権料をせしめようというわけか」
「ダメだこの人……さっきからお金の話しかしない。絶縁しよう」
「まぁまぁそう言わずに。もっと僕の作品の感想を聞かせてくれよ。面白かったでもつまらなかったでも、何でもいい」
「はぁ……言っちゃ悪いですけど、叔父さんの話は、数行読んだらもう先が見えちゃうんですよ」
「何だと……?」
「ありきたりっていうか、もう何回も何回も、どっかで見たような展開ばっかり! こっちの妄想が全然掻き立てらんない」
「うぅむ。読者の予想を超える……か」
目の前で人が殺されているというのに、叔父さんは殺人事件よりも深く考え込んでしまった。話しているうちに二人は死体の発見された部屋へと辿り着いた。出来るだけ血を見ないようにと顔を背ける探偵を尻目に、苺はさっさと部屋に入っていく。短政が声を震わせた。
「だ、大丈夫なのかい? あんまり部屋は荒らさない方が」
「何しに来たんだこの人……」
「こちらがこの家に住む家族のリストです。五人家族みたいですね」
警察官から渡された家系図を睨み、短政が唇を尖らせ眉をしかめた。次回作の構想を練っている時と同じ顔だ。
「殺されたのは一家の大黒柱の雅彦さん。死亡推定時刻は夜中の二時で、その際、家族は全員家の中にいました」
「なるほどな……」
「何か分かりましたか」
「容疑者は……一人」
「一人なわけないでしょう! さっさと終わらせたいからって、適当なこと言わないでください」
「容疑者は四人」
「一番怪しいのは母親ですね。被害者の奥さん。彼女は被害者と同じ部屋で寝ていましたし、部屋には内側から鍵がかかっていました」
「ふむ。じゃあ奥さんはシロだ」
「どうしてですか?」
「フッフッフ。簡単だよ」短政が不適な笑みを浮かべた。
「考えても見たまえ! そんな状況で殺したら、自分が犯人ですと言っているようなものじゃないか」
「それはそうですけど……」
「これはきっとトリックだ。密室殺人だよ。きっと彼女に罪を擦りつけたい奴が仕掛けた、巧妙な罠に違いない」
「叔父さん……まさか」苺が疑いの目を短政に向けた。
「読者の予想を超えたいがために、わざと真実から目を逸らしてるんじゃないでしょうね?」
「そんなわけないだろう!」叔父さんが汗を拭った。
「わざと話を小難しくしてやろうとか、そんなことは! 断じて、その方が面白いから……とか、そんなバカな!」
「でも、いつもなら大体すぐ解決してたじゃないですか」
「今までが速すぎたんだ。それじゃ間が持たない。大切なのは文字数だからな。折角金を払ったのに文字数が少なかったら、何だか損した気分になるじゃないか」
「文字数を気にしながら推理する探偵なんて、聞いたことありません」
「とにかく奥さんは、大方の人が予想するだろうから、無罪だ!」
犯人は奥さんだった。
断っておくが、作者が密室トリックを思いつかなかったから……とかでは断じてない。最初から犯人は奥さんだったのだ。さて、その日の深夜。全員が集められた応接室で、犯人が満をじして動機を告白した。
「……それが、私があの人を殺した理由です」
「…………」
「お母さん……」
「奥さん……」
「……今何文字目だ?」
「叔父さん! 黙って!」
「違う違う! そんなはずはない!」短政はなおも粘った。
「犯人は別にいるに違いないんだ! 犯人はあなただ! もしくはあなただ、あなただ、あなただ!」
「落ち着いてください浅井さん! それはサボテンです!」
「うぅぅ……痛ぇえ」
短政がサボテンの棘で指を傷つけながら涙を流した。
「しっかりしてよ叔父さん! 鍵がかかってたんだから、誰も入れっこないでしょう!」
「違うんだ……きっと、きっと犯人は壁から入ってきたんだ。そうに違いない」
「それじゃ妖怪じゃない。ダメだこの人……さっきから予想を外そう外そうとし過ぎて、意味不明な陰謀論を信じる人みたいになってる。絶縁しよう」
「見てくれ……このネットの考察の数」
叔父さんは泣きながら液晶画面を開いた。そこにはびっしりとコメントが書かれている。
「もう衝撃の犯人からトリックの内容まで……今時何もかもネットで予想されてしまうんだ。こんなに数があったら当たって当然だよ。これじゃ誰の予想も超えられない……こんなものを小説にしたって、凡庸な、ありきたりな物語だと斬って捨てられてしまうだけだ」
「だから何ですか?」
「え?」
「たまたま予想が当たったからって……叔父さんが面白いと思って書いてるんでしょう? だったら堂々と投げ込んできてください。本当に凄い球なら、分かってても打てないはずですよ」
「苺ちゃん……」
「良いじゃないですか。大切なのは事件を解決する方なんですから。無理やり予想を外そうとしなくても」
「そうだ……そうだったね」
短政は涙を拭いて立ち上がった。
「僕は大切なものを見失っていたようだ……誰かに間違いを指摘されると、つい狼狽えてしまって。自信がなかったんだ。予想を当てられると、何だか自分が小さく見えてしまって……でも、そうだよな。外してばっかりじゃ……僕の方から逃げてちゃダメだよな。打てるもんなら打ってみろって、それくらいの気持ちでいれば良かったんだ」
「叔父さん……良かった」
「ありがとう、苺ちゃん。おかげで今日は久しぶりに小説が書けそうだよ」
「フフ……じゃあ、これ」
「これは?」
「絶縁状です」
「凄い球!」
短政には、分かってても打てなかった。
《完》