第7話 ダンスレッスン
ゴールデンウィークを終えると長期の休みは学生は夏休みまで、社会人に至ってはお盆までお預けとなり、しばらくの間は平凡な日常生活が繰り返されることになる。
様々な面で独自性を持つ芸能業界であるが、依って立つ社会の風潮を無視することはできない。むしろその長期休暇に合わせてイベントごとなどが組まれるため、来たるべき夏に備えて会場の設営から芸の上達まで幅広く準備に励む時期となるのだ。
「いや、それくらいは理解してますよ。姉さんも毎日のように仕事にレッスンにと頑張ってるみたいだし」
今朝も元気に飛び出していった歩の後ろ姿を思い浮かぶ。駆としてはもう少し大学の方に軸を寄せても良いのではないかと思うのだが、あれでいて要領も頭の出来も良いので何とかしてしまいそうではある。
「聞きたいのは、どうしておれが呼ばれたのかってことです」
彼の携帯端末に連絡が入ったのは昼休みのことで、そこには放課後できるだけ速やかに事務所まで来て欲しいと記されていた。
しかも母親の湊経由できたものだから家庭のことだと勘違いして学校の教室で開いてしまい、ちょっとした騒ぎになりかけてしまった。異なる中学出身のクラスメイトから「山口って本当に山口だったんだな」と言われて「どういうこと?」と頭を捻ることになったのは数時間前のことである。
そしてやって来てみれば挨拶もそこそこに、事務員の一人にレッスン室という名の半物置部屋へと連行されたのだった。
「そこから先はわたしから説明させてね」
見計らったかのようなタイミングで現れたのは、歩と同期である一期生の志摩宏美だった。昨年高校を卒業した後は歩とは異なり進学せずに芸能活動に専念してきたため、ここ最近のメディアへの露出はグループでもトップクラスだ。
年齢も四月が誕生日ということもあってメンバー内では唯一二十を超えており、年長者らしい落ち着きのあるたたずまいである。歩が等身大の飾らない『姉』だとすれば、彼女はファンたちが思い描く理想の『お姉さん』といったところか。
余談だが胸の成長率は一期生トップであり、そういった点でも歩をぐぬぬとさせていたりする。
「宏美さん?」
しかし、駆の頭上に浮かんできたのは追加の疑問符たちだった。
確かに一期生メンバーとは歩を通して長い付き合いではある。特に宏美は元々サブリーダー的な立ち位置だったこともあり、二期生の加入後は正式に一期生リーダーも務めていたので顔を合わせる機会も多かった。
だがそれはあくまでグループのメンバーとしてだ。今日のように個人的に呼び出されるようなことはこれまでに一度としてなかった。
まあ、歩にお呼ばれした後でだらだらと駄弁ったりお菓子を摘まんだりゲームで遊んだりということなら頻繁にあったのだが。
「今度の新曲、わたしがメインになることは知っているよね?」
「あ、はい。知ってます」
三期生が加入した頃からグループの方針にも若干の変化が生じていて、それまでのグループ全体をアピールするような楽曲に加えて、メンバーそれぞれにフォーカスを当てていく楽曲も作られるようになっていた。
大半はアルバム収録曲なのだが、宏美メインのものはシングルカットされることが決定しており、ミュージックビデオともども公開まであと少しとなっていた。
「作曲家の先生がミュージックビデオの演出をいたく気に入ったらしくて。振り付けはあちらのものを踏襲して欲しいって連絡があったそうなの」
当初の振り付けは宏美が数人ずつになっているメンバーの元に歩み寄って行って、それぞれ一緒にパフォーマンスを行うというものだった。バンド系の演出でボーカルがそれぞれの楽器メンバーのところで歌っているのを想像してもらえればイメージが掴みやすいだろうか。
対してミュージックビデオのそれは真逆であり、中央の宏美のそばへメンバーたちが次々とやって来ては踊ったりパート曲を歌ったりしていた。どうしてそんなことになってしまったのかというと、ミュージックビデオ撮影時に悪天候に見舞われてしまったためだ。
そもそもの予定ではとある島の海岸線のあちらこちらに分かれているメンバーたちの元に宏美が向かう、というものだった。要は舞台上での動きを島全体で行おうとしていたのだ。
ところが、いざ撮影当日となってみれば季節外れの暴風雨で、島に渡るどころか屋外の撮影自体ができない状態となってしまった。慌てて代わりの場所を確保しようとしたが、想定していたような開放感のある場所が都合よくあるはずもない。
苦肉の策として反対にメンバーたちの方が宏美へと近寄るという方法を取ることで、それらしい作品へと仕上げたのだった。
「それがまさかまさか先生の琴線にビビッときちゃったみたいなの。しかもいくつか優先的に楽曲提供してくれるなんて言われちゃったら……」
「ああ、それは受けない訳にはいかないですよね」
加えて、こちらの演出技術を評価してもらえたともいえ、PR材料としても有用なのだ。事務所としては乗らない手はないと言い切れるほどの申し出だった。
以上のように圧倒的にメリットが多い取り引きではあったのだが、それでもやはりデメリットもゼロではない。今回の場合は振り付けの変更がそれに当たる。特に宏美は大幅な変更を余儀なくされてしまい、一番のしわ寄せを受ける羽目になったのだった。
「まさか自分がメインの曲でこんなことになっちゃうなんてね……」
どことなくやさぐれた調子だが、事情を知ればそれも無理からぬことだと納得できてしまう。しかしなぜ駆が呼ばれたのか、その理由がいまいち見えてこない。
「えーと、結局おれは何をすればいいんですか?」
なので率直に尋ねることにする。それができるだけの信頼関係はお互いにあるのだ。
「駆君にはわたしの振り付けの練習を手伝ってもらいたいの」
「振り付けの練習?」
「そう。演出が変わったことで常にメンバーの誰かが近くに居ることになっちゃうのよ。いつもなら合同練習の時や全体練習の時にみんなと合わせるんだけど、新曲をお披露目できる枠を生放送で急遽もらえることになってね」
聞けばその日付まで残り一週間程度しかない。既にスケジュールの大半が埋まっているため、数人での合同練習はできてもメンバー全員を集めて練習をする時間は取れない。恐らくは本番前のリハーサルが唯一の機会となるはずだ。
センターからほとんど動けない以上、当然観客や視聴者からの注目を一番に浴びることになる。そんな彼女の動きがしょぼければ、それだけで評価はダダ下がりになってしまうだろう。
「そこで申し訳ないのだけど、駆君に手伝ってもらおうということになったの」
「はあ……。いや、手伝うことはやぶさかじゃないですけど、何でおれに?」
お喋りの延長で相談はよく受けていたが、グループのメンバーと一緒に歌ったり踊ったりしたことはなかったはずだ。
「メンバー全員の歌とダンスを記憶しているだけじゃなくて、再現できるって聞いたからだけど」
「なっ!?それを一体誰から……、って言うまでもないですよね」
この反応からも分かるように、宏美の言う通り駆はこれまで発表されてきた彼女たちの全楽曲の歌と振り付けを全員分暗記していて、なおかつ再現することまでできてしまう。唯一弱点を挙げるならば、発表された当時のオリジナルメンバーのものに限るということだろうか。
そしてそのことを知っていて触れて回れる人物など一人しかいない。
「うん。歩がいつも自慢してたよ」
「やっぱり……。姉さんの今度の弁当のおかずはピーマン尽くしにしてやる……」
別にピーマンが嫌いという訳ではないので、問題なく食べてしまうだろうが。むしろ子ども舌の多い三期生や二期生の一部が余波で被害を受ける可能性が高い。
それはともかく宏美の手伝いの件だ。
「それじゃあ、おれは宏美さんの近くに交代でやって来るメンバーの動きを順番にやっていけばいいんですね?」
「うん。よろしくね」
「問題は近付いてくる方角とはけていく方角が別々な時ですかね」
「それは仕方がないわ。瞬間移動ができる訳でもなし妥協するしかないでしょう。……できないわよね?」
「当たり前じゃないですか。人を転生系チート能力者みたいに言うのは止めてください」
「いやいや、駆君がやろうとしていることだって世間一般から見れば十分にチートなことだから」
一部だけとはいえ十六人の動きを順番に再現していこうというのだから間違いなくチートである。その上、基本的には宏美の動きを邪魔しない距離を保ちながら、からみのある部分ではしっかり近付かなくてはいけないのだから、その難易度の高さは推して知るべしだろう。
そして一時間後。
「はあ、はあ、はあ……。ごめん、ちょっと休憩させて」
「あ、もうこんな時間なのか。集中してたから気が付かなかったな」
息も絶え絶えとなった宏美に対して、駆はしっかり汗こそかいているがまだまだ余裕のある表情をしていた。リピート再生されていた曲を止めて、スタッフが用意してくれていたのだろうスポーツドリンクのペットボトルをクーラーボックスから取り出す。
「ごめんなさい。おれの方からもっと早くに止めるべきでしたね……」
そのうちの一本を差し出しながら反省の念を込めて告げる。協力を申し出た側の宏美から休憩を言い出し難いことは少し考えれば分かることだった。
根を詰めて練習するのは悪いことではないが、それが元で怪我をしてしまっては本末転倒もいいところだ。
「あー、そこはわたしの方もごめんよね。駆君の動きがどんどん良くなってくるから練習に夢中になってたよ。だけど……、どうしてそんなに元気なのかな?」
ようやく呼吸は落ち着いてきたが立ち上がるのはまだ少し厳しい、というのが宏美の自己判断だった。その一方で駆は時折クピクピと自身の分のスポーツドリンクを飲みながら、やれタオルだ、やれ追加のスポーツドリンクだと彼女のことを甲斐甲斐しく世話していたのだ。
「え?だっておれ、ほとんどの部分は歌っているふりをしてるだけですもん。曲の最初から最後まで歌ってる宏美さんに比べれば体力の減りが少ないのは当たり前ですよ」
その理屈は分からないではない。彼女らのグループもそれなりに大所帯になっており、二期生や三期生がメインパートを受け持つ曲も増えてきている。そうしたコーラスが主体の曲の場合、メインを張る曲に比べると疲労が少なく感じることは多々ある。
とはいえ、現在の宏美と駆ほどの違いがあるのかと問われると、答えはノーとなる。記憶を探ってみても、涼しい顔でけろりとしていられたことはなかった気がする。しかも回を重ねるごとにその動きは洗練されていき、最後の方など本人たちよりも上手いのではないかと思えるほどだった。
「むう……。これが男の子との体力の違いってやつなのかあ……」
「考えすぎだと思うけどなあ」
頬を膨らませる宏美に、苦笑を浮かべる駆。
だが、二人とも間違っている。この場合は男女の性差というよりも駆が異常レベルのフィジカルモンスターなだけである。
「そういうことにしておいて。でないと、色々とショックで凹みそうになっちゃうから」
歌やダンスのレッスンと、同年代に人たちに比べれば何倍何十倍と体を動かしている自負があった。歩からあれこれ聞かされていたとはいえ、彼にはそれを軽く凌駕されてしまったのだ。年上だということも相まって、彼女のプライドは大きく傷付けられていた。
「男の子と言えば……」
「えっと、なんでしょう?」
じっと見つめてみれば、平然としているようでいて不自然に顔を逸らすことが多いことが分かってきた。それでいて逆に――特に体の一部に――視線を感じることもある。
あれはまあ、やはりそういうことであるのだろう。今の宏美の恰好は動きやすい反面身体のラインが出やすいレッスン着なのだ。そしてこれまでのライブなどでも似たような視線を受けた経験があった。
「なんでもないよ」
年下の弟のように思ってきた相手がいつの間にか年齢相応の男性へと変わっていることに、妙なくすぐったさを覚えて微笑むのだった。
だが、そんな彼女も一つだけ見落としていたことがある。これまでに感じた件の視線にはもれなく嫌悪感がセットになっていたのだが、駆からのそれには悪感情がなにも浮かんでくることはなかったのだ。
それが一体何を意味するのか?
答えはまだ心の奥深くで眠ったままである。