第6話 絶対最終アイテムはお弁当
「まず、このところ縁ちゃんが悩んでいたってことは、マネージャーから伝えられてみんなが知ることになってる。後、部外者のおれまで聞いちゃったことは申し訳ないとしか言いようがないんだけど」
「そこは気にしないでください。駆さんにはいろいろお世話になってるし、今もこうして巻き込んじゃってるんで。……悩んでたの、バレちゃってたんですね」
「うん。それでこれ、メンバーのみんなから」
「手紙?」
「勢いで喧嘩になってもいけないからね。縁ちゃんも、秘密にしていたことがバラされたと知った直後に会いたくはないでしょ」
「ああ、はい。正直、冷静に話ができるとは思えませんね……」
「だろうね。それじゃあ渡しておくよ。これは家に帰った後にでもゆっくり読んで。一応この場でフォローしておくと、興味本位で聞き出した訳じゃないしどうすればいいのか真剣に話し合っていたから。そこだけは誤解しないであげて」
正面衝突を防ぐために回りくどいやり方をしたのに、これが元で対立するなどの事故が起きたりしては堪らない。勘違いしないように言葉をつけ足しておく駆だった。
「はい。まだちょっと納得しきれていないところはあるけど、いじめや嫌がらせみたいなものじゃないってことは分かりました。」
「その例えが出るってことは、もしかして嫌がらせをされたことがある?」
「三期生のオーディションに受かった時にちょっと……」
言葉を濁す縁だったが、その時の経験が無茶をしがちだったことの原因になっているのではないかと駆は推測する。
「おれはカウンセラーでも精神科医でもないからね。聞き出すつもりはないから安心していいいよ」
時として第三者の方が相談しやすいこともある。今もそんな調子でつい口を滑らせてしまったことなのだろう。しかし、しっかりとした信頼関係も構築できていない状況でこれ以上の深入りは不味い。暗に適切な相談窓口を提示しながら、この話題から離れることにしたのだった。
スムーズな話題の展開というのは意外と難しいものだ。強引だとわざとらしくなり、逃げたとか気を遣われたと感じさせてしまう。反対に弱気だと転換することができずにズルズルと同じ話題を引きずってしまうことにもなる。
だが今回に限ってはそんな心配は必要なかった。そういう予定ではなかったものの、とあるアイテムを持ち込んでいたからだ。
「結構話し込んじゃったね。あ、弁当作ってきてるんだけど、縁ちゃんもどうかな?」
「え?」
言葉の意味が分からずに戸惑っていると、長机の上に二つの包みが置かれた。
「急な呼び出しだからご飯食べてないでしょ。良ければどうぞ」
レディースサイズということなのか、二つの包みの内気持ち小さめに見える方が縁の前へと押し出される。
「あの……、これ、駆さんが作ったんですか?」
「そうだよ。……あ、無理に食べる必要はないからね。素人の手作りがダメだっていう人もいるし」
衛生面の問題で、事務所の方針的にも例えファンからのプレゼントであっても手作りの食べ物は受け取らないことになっていた。
「いえいえ!ぜひとも頂きまするです!」
「まする?……まあ、いいか。苦手な物とか嫌いなものがあれば残して構わないから」
「はい!いただきます!」
掻っ攫うかのように、もしくは強奪するかの勢いで縁は弁当の入った包みを抱え込む。ほんのりとした温かさとかすかに漂ってくる美味しそうな香りに、頬が緩んでいくのを自覚する。
彼の料理の腕前は歩からのお菓子のおすそ分け――と過度な賞賛の言葉――でよく知っていたことに加え、これまた歩がその弁当をナチュラルに自慢しながら「おいしい!」を連呼しながら食べているのを見せつけられていたためだった。
とはいえ、気の置けない友人でもある一期生たちのように、尊敬する先輩でありリーダーでもある歩からその弁当の中身を――時に無断で――拝借するような真似はできない。
そうした事情もあって、実は彼女たち三期生及び二期生のメンバーにとっては、駆のお手製弁当は「死ぬまでに一度は食べてみたい幻の一品」、とまではいかないにしても食べてみたいものランキングの上位に常に位置するものとなっていた。
「普通の弁当なんだけど」
言いながら包みを開ける駆にならって、縁も弁当を取り出す。割り箸ではなく専用の箸を用意してくれているのも心憎い。
こういうちょっとした気配りが駆の人気の秘密なのだが、本人はそのことに気が付いていないようだ。歩の「弟自慢」も、そうした部分にやきもきしているからなのだろう。
それはさておき、本命のお弁当だ。
「ふわあ……」
蓋を開けるとその色鮮やかさに驚く。男子高校生が作ったご飯ということで、ついつい肉系一辺倒の茶色が多いものを想像してしまっていたのだが、付け合わせやサラダに使われている野菜類が彩を添えていた。その分――良い意味での――手抜きとなっているのだが。
茶色オンリーな弁当はあれでいて煮たり焼いたり揚げたりと、意外に手がかかるものも多いのである。
「ありがちなおかずばっかりだけどね」
「十分な出来栄えだと思います!」
ありがちだからこそ理想のお弁当ともいえる。強いて気になる点を挙げるなら、卵焼きが四切れと多めに入っていることだろうが。しかし、駆の弁当箱の方にも同じくらいは入っているし、嫌いな訳でもないので全く問題ない。
「それじゃあ、いただきます」
「どうぞー」
縁が最初に狙いをつけたのは、おかず類の中でも一際存在感を放っていたミニハンバーグだった。茶色というよりは赤い色合いなのはトマト系のソースで煮込まれたからだろうか。
肉食系というなかれ。華やかな見た目に反して、歌って踊るアイドルは体力勝負の過酷な職業なのである。ゆえに蛋白質の摂取は必要不可欠なのだ。
はやる気持ちを抑えつつ、そろそろと箸を伸ばして一口大に切り分ける。気心の知れたメンバーだけなら突き刺してかじりついていたところだが、異性の、しかも少し気になる相手の前では乙女心の方が勝ったようである。
「おいしい!」
トマトソースで煮込まれたハンバーグは表面をしっかり焼いて肉汁を閉じ込めていたのか、噛みしめる度に肉のうまみがジュワっと飛び出してくる。それが酸味のあるソースと混じり合い、口内に油のしつこさを残すことなく喉へと滑り落ちていく。
「あはは。舌に合ったみたいで良かった」
そんな駆の声が届いていたのかどうかすら怪しい勢いで、黙々と箸を動かしていく。縁が向かい合った駆の異変に気が付いたのは、半分ほどまで食べ進めた時のことだった。
「あの、どうかしたんですか?」
にこやかな表情をしていた先ほどまでとは打って変わって、駆は渋い顔つきになっていた。その手の先――正確には箸の先となるのだが――には一口かじられた卵焼きが。
「あー、うん。実はさ、この卵焼き右の二切れはおれが作ったやつで、左の二つは姉さんが作ったものなんだ」
「え?えええ!?歩さん、料理できたんですか!?」
驚く縁に苦笑しながら、駆はコクリと首を縦に振る。
「でも、料理はできないって……」
「それ、姉さんが言った訳じゃなくてファンが勝手にそう思っているだけだから」
ただしそう思わせている、という面もあるのも確かである。
事の始まりとなったのはメジャーデビュー後初となったライブの時だ。この時の質問に「料理はできるのか?」というものがあったのだが、しきりに「できる」と訴える歩の態度がかえって怪しく見られてしまった。
更に悪乗りした他の一期生たちが「まあ、できなくはないですね」と含みのある言い方をしたり、わざとらしく目を逸らしたりと意味深な態度を取ったことで、歩イコール料理ができないというイメージが定着してしまったのだった。
今ではすっかり定番のいじりネタとなっている。
「どうして訂正しないんでしょうか?」
「一番の理由はいじられネタとして使いやすいからだね。嘘を吐く訳でもないから気が楽なんだってさ。それと完璧超人よりも欠点がある方が親近感が湧くとも言ってたかな」
当時の歩たちは全員中学生であり、年代的に世間一般で見ても料理ができない人の方が大多数だったのだ。
「最初の頃はそれこそ自分で作った弁当の写真をSNSにアップしていたんだけどね」
こちらが取り立たされないのは、すぐに忙しくなった歩に代わって駆が作るようになり、それを「弟が作ってくれた愛妻弁当!」と言って紹介したものだから、遡って以前のものも駆が作っていた、と解釈されたためである。
ちなみに、卒業もしくはグループを解散する際に暴露する予定とのこと。上手く驚かせることができるかどうかは神のみぞ知る、といったところだろうか。
「姉さんたちの企みはともかくとして。子どもの時から姉さんが作ってくれる卵焼きが好きだったんだよね。だから姉さんが忙しくて代わりに料理を作るようになってからは自分でも作れるように何度も教わってるんだけど……」
そこで一度話を区切ると、右側の、駆が言うところによれば彼が作った卵焼きを口へと運ぶ。
「分量も作り方も全部そっくり真似て作ってるのに、何回やっても同じ味にはならないんだよなあ」
悔しさをにじませながら言うと、盛大に息「はああ……」とため息を吐く。その様子に興味をそそられたのか縁もまた卵焼きへと箸を伸ばした。
「しょっぱい!?」
「あ、言うの忘れてた。うちの卵焼きは出汁巻きなんだ。」
「そうだったんですか。私のうちではいつも甘めの味付けだったので」
グループの先輩たちが時たま仕掛けてくるサプライズやいたずらとは違い、単純に伝え忘れていただけだったようだ。
「ごめんね、食べ慣れていないと驚くでしょ」
「初めて食べたってわけじゃないので大丈夫です」
ロケ弁や事務所が用意してくれる弁当などでも、数回に一度程度の割合でしょっぱい出汁巻き卵が入っていることがあるのだ。
「美味しいです」
言いながら、続けて隣の歩が作ったらしいものを口にする。
「どうかした?」
二切れ目を口に入れて味わい始めたと同時に小首を傾げた縁に駆が尋ねる。
「あの、どっちも美味しくて全然違いが分からないんですけど……?」
食べ比べてみたが、駆作のものも歩作のものも同じように感じられた。
「そうらしいね。子島さんからも言われたことがあるし、一期生のみんなも同じ味にしか思えないって言ってたみたいだね」
余談だが、その一期生の中には歩も含まれている。
「結局さ、その程度のことなんだろうな」
「え?」
「むきになってこだわっても、他人から見れば何でもない大したことないことなのかなって」
「それは……、そうかもしれませんけど、なんか寂しいです。……悔しい、です」
「ごめん、言い方が悪かった。無茶してそれにしがみつこうとしなくても、見てくれている人はいるし、評価してくれる人はいるって言いたかったんだ。ほら、今だって縁ちゃんが言ってくれただろ。「どっちも美味しい」ってさ」
「私のことも見てくれている人がいるでしょうか?」
「いるよ。沢山いる」
メンバーの仲間たちにマネージャー陣や事務所の者たち、縁の家族や個人的な友人たちもそうだろう。彼女のファンたちも外せない。挙げていけばきりがないほどの大勢に見守られているのだ。
「……駆さんも、見てくれますか?」
「もちろん!ちゃんと見てるし、応援してる」
「……そっか。そうだったんだ」
俯いた頬に流れた涙がその軌跡を残していた。
「おーっと!飲み物を用意するのを忘れてた。お茶でも貰ってくるよ」
そんな様子に気が付かない振りをして駆が席を立つ。部屋から出る前に「褒めてくれてありがと」と残る卵焼きの一切れを縁に進呈して。
なお、飲みものを用意し忘れていたのは素だったりする。
一人少女が残された会議室からは押し殺した泣き声、そして
「もらえるならハンバーグが良かったですよう……」
という呟きだけが聞こえてきたとか。どうやら縁は間違いなく肉食系であるらしい。
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それから数日後、怪我の後遺症が見られないことを確認して、縁は正式に活動を再開することになった。
「山岡縁、本日よりアイドル業を再開します!」
「うん。まあ、言いたいこととか聞きたいことはたくさんあるけど、おかえり、縁ちゃん」
「おかえりー」
元気よく復帰を宣言する縁を、歩たちが温かく出迎える。
この後に狂乱が待っていることも知らずに……。
「みんな……。ありがとう。それと手紙も嬉しかったです」
「これからは一人で悩まないで相談してね」
「分かりました、リーダー。いえ、お義姉さん」
「お義姉さんんん!?!?」
歩への呼称が変化したことに、メンバーたちが騒めきだす。
「縁が壊れた!?」
「縁が目覚めた!?」
「ちょっと何言ってるのか分からないです」
「これってもしかして……」
「そういえば縁って前から?」
「あ、はい。意識してましたね」
察しのいい何人かが、原因となった人物に思い当たる。と同時に、
「駆さんに見ていてもらいたいから、私、頑張ります!」
縁が宣言したのだった。
「ふ……。いくら可愛い後輩とはいえ、駆君はあげられないよ。だって弟はお姉ちゃんのものだから!」
「お義姉さんにだってこの想いは負けません!」
凄惨な笑みを浮かべながら睨み合う二人。
「ライバルが増えた……」
「あーあー。だから早く告白しろって言ったでしょうに。ヘタレなんだから」
それを見た二期生の一人がガクリと崩れ落ち、そんな彼女をきつい言葉ながらも同期メンバーが慰める。
「あーらら。これは完全に堕ちたわねえ」
「いったい何を言われたのやら」
「ちょっと気になる。でも、駆君はきっと無自覚なんだろうけど」
「それは間違いないわ」
一期生メンバーは付き合いが長い分だけ駆の性格等も把握しており、純粋に応援の意味しかなかっただろうと見抜いていた。
そして大人たちは、
「駆君に任せたのは失敗だったのかしら?」
「うちの子たちは今日も元気だねえ」
困惑したり現実逃避したりしていた。