第5話 姉からの無茶振り
その後、直接の対話を行うかはともかく縁の現状やマネージャー陣の考えなどは歩たちメンバー全員へと伝えられることとなった。
「縁がそこまで思い詰めていたなんて……」
「一緒にレッスンしたりお仕事したりしてたのに、気が付きませんでした」
「私たちもです。上手くいかずにイライラしていたのも向上心が暴走しているものだとばかり……」
今はアイドルグループのメンバーだけが集まって、話し合いをしていた。
「あの……、どうしておれまで参加させられてるのかな?部外者だよね?」
訂正。メンバーに加えて駆が集合していた。
「あら?駆君、その言い草はちょっと冷たいんじゃない」
「そうですよ!リーダーの弟さんと言えばメンバーも同然です!」
「いや、その理屈はおかしい」
嫌われて邪険にされるよりはよほどマシなのだろうが、特に何をしたという記憶がある訳でもないのに、無条件に受け入れられているというのはどうにも座りが悪い。
「ふっふっふ。私の「うちの駆君は凄い!」な布教活動の成果が出てるね!」
長机の向かい側で歩がドヤ顔で胸を張っている。
メリハリの効いた体型でそんなことをすれば豊かな胸が強調されてしまう訳で、ブラックホール並みの吸引力で全員の視線を引き寄せることになるのだった。
さて、どうやら無条件ではなかったようだが、今度はそれはそれで何と触れて回っているのかという疑問が浮かんでくる。しかし身悶えすることになるのかそれとも頭を抱えたくなるかの二択でしかないような気がしたため、歩を問い詰めるのは止めておこうと決心するのだった。
余談だが、駆がメンバーに受け入れられている要因の内、歩の布教活動は四割程度でしかない。残り六割は姉の同僚だということで丁寧に挨拶をするなど、彼自身が無意識に好感度を上げた結果である。
「歩の戯言はともかく。ねえ、駆君。縁が私たちとの話し合いに応じてくれると思う?」
「正直、難しいところだと思う。こう言っては何だけど、縁ちゃんの知られたくなかった気持ちを勝手に暴露されたようなものだし。それにみんなの方も水臭いとか、どうして話してくれなかったんだ、っていう気持ちもあるでしょ」
客観的に状況を提示され、更に自分たちの内心を指摘されてばつが悪そうに視線を逸らせるメンバーたち。特に三期生は加入以来ほぼほぼ一緒に過ごしてきたのでそうした気持ちが強かった。
これはもはや仕方がないというか当たり前だと思うので、駆としても責めるつもりはない。逆にそうした感情が湧かない方が問題だ。口さがない言い方をすれば、彼女たちは「仲良しこよしなグループ」である。仲間を思いやれないようでは存続すら危うくなってしまう。
「そうだね。私もこの前のことがあるし、冷静にお話しできるかどうかは怪しいところかな」
「歩も縁も最後はギャン泣きだったもんねえ」
「リーダー命令です。そのことは忘れなさい」
「むーりー」
「ぐぬぬ……!」
歩の言葉に反応した一期生の一人が速攻で話を混ぜっ返し始める。「できない」と認識することで発生しそうになった手詰まり感を防ぐためなのだろうが、部外者の自分まで動員しているのだから、できればもう少しシリアスさを前面に出してもらいたいものだと思う。口に出して言ったりはしないが。
「本音をぶつけ合うのもアリだとは思うけど、勢いで思ってもないことを言っちゃいそうな気もするわ」
「縁も落ち込んでいるだろうし、喧嘩別れになるようなことだけは避けたいね」
そんな駆の気持ちが伝わったのか、別の一期生たちが話題の軌道を修正していく。
「なら、手紙にでもする?文字にすることで自分の気持ちを見直せるっていうし」
「手紙……。メールとかじゃダメ?」
「ダメ。こういうのはアナログな方が良かったりするの。それに内容が内容だからね。ないとは思うけど流出した時が怖いよ」
ほとんど排除されているのだが、芸能業界の界隈には今でも噂という煙を立てるために、捏造の小火を起こすことにためらいがないぶっ飛んだ思考の輩がしぶとく生き残っている。
本来であれば、形が残る手紙にすること自体避けた方が無難なのだ。逆に言えばそうしたリスクを背負ってでも自分たちの気持ちを縁に届けるべきだ、と歩たちが判断したということだ。
良くも悪くも仲良しこよしと言われるだけあって、メンバー同士の絆は強いようである。
「手紙はこのまま進めるとして、これだけじゃちょっと弱くないですか?」
「私らの気持ちは分かってもらえるだろうけど、縁が頑張り過ぎるのを止めるブレーキになるかと言われると微妙なところかも」
復帰してきた後に話し合える機会が取れればいいが、そうはならない可能性もあり得るだろう。加えて手紙などの伝文には、どんなに想いを込めて綴ったとしても読んでもらえなければ伝わらないという致命的な弱点もある。
そこまで落ち込んでいるとは考えたくはないが、最悪のケースも一応は想定しておくべきだ。
「もう一押しが欲しいところね……」
再び何か妙案がないかと考え込むメンバーたち。駆はといえばすっかり空気になってしまっていたことで完全に他人事のつもりでいた。暇になったのをいいことに携帯端末でゲームを始める始末である。
まあ、どこまでいっても歩の弟でしかないので部外者には変わりがないのだが、そんなことをしていれば目立ってしまう訳で……。
いつの間にか全員の目が向けられていることに気が付き思わずたじろぐ。
立っていれば二、三歩は後退っていたことだろうが、幸か不幸か腰かけていた椅子の背もたれに体を押し付けるようになっただけだった。
「ねえ、駆君」
猫撫で声というやつはきっとこんな調子なのだろう。そう確信してしまう甘い声音で歩が呼び掛けてくる。実の姉だというのに怪しい色香が漏れ出ていて、ゾワリと背筋が泡立つのを感じた。
「な、何でございましょうか、姉上さま……」
呑まれまいとしっかりと返事をしたつもりだったが、おかしな敬語になってしまっている。
歩と同期のため駆とも付き合いが長い一期生たちは「堕ちたな」と心の中で呟いていた。
「縁ちゃんの説得、任しちゃってもいいよね?」
無茶振りとすら言えないようなとんでもないお願いだったが、こうなってしまった姉には勝てたためしがない。駆に残された回答は、ハイかイエスのどちらかだけだった。
「これが「姉に勝てる弟などいない」ってやつですか……」
「まあ、今のは歩に付け入る隙を与えた駆君が悪かったわね」
「私たちグループのことだと思って油断していたわね」
「余計に凹みそうになるんで、分析するの止めてもらえません?」
意図的ではないにせよ慰めるどころか傷口に塩を塗り込むようなメンバーたちの態度に、この場に連れ込まれた時点で負けが決まっていたのだと歩の深謀に戦慄するのだった。
しかし、ことは彼らだけで勝手に進められるようなものではない。最後の抵抗とばかりに駆はマネージャー陣の承諾を得ることを条件として挙げたのだが……。
「駆君が縁の説得をしてくれるの?いいわよ。あなたなら休養するにしても続けるにしても上手く先導してくれるだろうし」
即座に許可が下りた上に、
「早い方がいいよね?……え?手紙を書く時間がいるの?レターセット準備しようか?」
「外だとどこに誰の目があるのかも分からないですよね。事務所の会議室を使わせてもらうように手配しときます」
次々と段取りまで組まれていくのだった。
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ある日の夕方、所属するアイドルグループを運営する芸能事務所へと呼び出された縁は、その足で会議室へと向かうように指示された。
ほとんど使用したことのない部屋であり、なおかつその指示を出した相手が日頃から世話になることが多い板尾ではなくチーフマネージャーの子島だったことから、本格的に去就を明らかにするように求められるのではないかと密かに体を固くしていた。
「こんちは」
「え?駆さん?」
だからということもあったのだろう、部屋の中に先客がいたこと、そしてそれが顔見知りだったことに安堵する気持ちと少しばかり拍子抜けな気持ちの両方を味わうことになったのだった。
今更ながらの説明になるが、歩の影響もあってか縁を始めアイドルグループの面々は駆のことを名前呼びしている。いや、彼女たちどころか事務所の人間のほとんどがそうだったりする。
それこそ山口ツトムとして仕事先に居る時ですら、間違って呼ばれてしまいそうになるくらいである。これまた今更なことであるからして身バレ云々という点では気にしていないのだが、駆としては公私を分けるという意味合いからそこはしっかりと呼び分けて欲しいと思ってしまうのだった。
「えーと、どうして駆さんがここに?」
「隠す意味もないからぶっちゃけちゃうと、縁ちゃんとのお話の相手に選ばれたから、だね」
「駆さんが?」
「うん。おれが」
二人の間に気まずい沈黙が落ちる。それはそうだろう。お互いに良好な間柄で時間が空いていれば一緒にゲームをしたりする仲であるとはいえ、それはあくまでもグループのメンバーが数人一緒にいる時の話だ。一対一のサシで真面目な話ができるほどの関係ではない。
「……手間を掛けさせることになった私が言うのもなんですけど、おかしくないですか?」
「頼まれたおれが言うのもなんだけど、変だと思うよ」
この事務所の連中はおかしい、という共通認識を持つに至った二人は無言で握手を交わしたのだった。
「まあ、決定事項だから変更はできないんだけどね」
言いながら駆は長机を挟んだ向かいの席に座るように促す。先ほどの一体感の影響なのか、縁も素直にそれに従った。もっとも、他の机や椅子は部屋の隅に片付けられてしまっているので、それ以外に選択の余地がなかったとも言える。
「さてと。子島さんなら「調子はどう?」とか言って近況を聞き出したりしただろうし、板尾さんなら他愛もない冗談を言って気持ちを落ち着かせたりしたんだろうけど、おれにそんなトークスキルはないから単刀直入にいくよ」
謙遜した調子だったが、あのマネージャーたちであれば確かにそうしたことだろう。縁も似たような経験を何度もしていたので、ありありとその光景を頭に思い浮かべることができていた。
そしてそのことに気が付いた瞬間、「この人たちは私たちのことをよく見てくれているのだ」と理解させられることになるのだった。
子島も板尾も担当する相手によって応対を変えることができるだけの知識と経験、そして技量を持っている。ある程度の部門こそ分かれているが、そこは大手とまでは言えない中堅どころの芸能字事務所である。手の空いているマネージャーを遊ばせている余裕などなく、容赦なくこき使われてきたのだった。
つまり先に挙げた行動を二人が取っているのは、現在メインで担当しているアイドルグループのメンバーに対してだけで、だからこそ彼女は駆が自分たちのことをよく見ていると密かに驚き感動することになったのである。
「縁ちゃん?……大丈夫かい?」
「え……?ひゃ、ひゃい!」
至近距離で覗き込むようにしていた彼と目が合い、飛び跳ねるような勢いで返事をする縁。
知らず知らずのうちに思考にのめりこんでしまっていたようだ。きょとんとした表情をしていると、実年齢未満のあどけなさを感じてしまう。本人には絶対に聞かせられない「本当は私よりも年下なんじゃないの?」などという考えさえ浮かんできてしまう。
「まだ怪我の影響が残っているのかな。無理させてごめんね」
「いえいえいえ!怪我のことはもう全然、まったく、問題ないです!逆に体力があり余って困っちゃってるくらいですから!」
しょんぼりとしてしまった駆に、慌てて元気だとアピールする。整い過ぎている上に童顔のためか中性的にすら見える顔で悲しげにされると罪悪感が半端ない。
日頃から「見惚れる」だの「引き込まれる」だの、果ては「撃ち抜かれた……」と惚気て?いる歩の気持ちが少しは理解できた気がした。
「ええっと、その、ご用件は何でしょうか!?」
このまま二人っきりの時間が続けば心臓がもたなくなる。名残り惜しく思う気持ちを封じ込めながら、縁は先を促したのだった。
それに対して駆は「辛いようなら言って」と気遣いつつ、本題に入ることにする。