第2話 アイドルな姉
静かになった駅前で待つこと五分。乗車中と点灯させたタクシーがやって来ると、よどみのない動きで乗降場所に停車した。その後部座席に待ち人の姿が見えて小さく息を吐く。落ち込んでもいないようなので一安心といったところか。
こちらに気が付いたのか歩も小さく手を振ってくる。その様子から知り合いだと察したのか、後部座席のドアが開かれる。
「おかえり、姉さん」
「ただいま」
笑顔で挨拶を交わす二人に何を言うでもなく、運転手は事務的に、しかし丁寧に降車の手続きを行っていく。
「荷物は以上ですね。ご利用ありがとうございました。気を付けてお帰り下さい」
「ありがとうございます」
最後まで無駄口の一つも言わずに去って行った運転手に仕事に対する矜持を感じられた、気がする。
トランクルームから取り出された歩の荷物も、さりげなく汚れが少ない場所におかれている辺り心憎い。
「うーん、プロフェッショナルだ。……あ、名刺貰っとけば良かったかな」
「え?駆君って、ああいうダンディなおじさまが好みなの!?」
「……いきなりとんでもない解釈をするのは止めて。姉さんもこれからは遅くなることが増えるんでしょ。そういう時のために信頼できるタクシー運転手は一人でも多い方がいいなと思っただけだよ」
駆がそう告げると、歩は両手を握りしめながら口元に持っていきウルウルと目を潤ませだす。
「駆君がお姉ちゃんのことを心配してくれてる……!もう死んでもいい。いや、死にたくないけど」
「はいはい。もう遅いんだから、さっさと帰るよ」
多くのファンの心臓を撃ち抜いてきた仕草だが、駆にとっては日常茶飯事のことだ。すっかり耐性はできており、ドキドキと高鳴る胸の内を表に出すことなく流す。
「ああん、スルーするなんていけず。でも、そんなクールな駆君も大好き!」
「はいはい。もう遅いんだから、さっさと帰るよ」
「クールを通り越して冷たい!?……お姉ちゃんはもうダメだよ。抱っこしてくれないと寂しくて死んじゃう……。という訳で抱っこ抱っこ!」
両腕を広げて、その場で小さくぴょんぴょんと飛び跳ねる歩。この場に彼女のファンたちがいたならば、野太い雄叫びとと黄色い悲鳴が入り混じってさぞかしやかましいことになっただろう。
事実、運悪く――それとも運良く?――駅舎から出てきた数名が、流れ弾に当たって呆けてしまっていた。
それなりの頻度で似たような光景を目にしている地元民たちですらこれなのだから、何も知らない無関係の人間であれば大騒ぎになったことは想像に難くない。
「……はいはい。もう遅いんだから、さっさと帰るよ」
だが、駆には通じない。例え心臓がバクバクとうるさいくらいに高鳴っていたとしても、一目で顔を赤くなっているのがバレてしまうために明後日の方向に向くしかなくても、通じてはいないのである!
歩の荷物を担ぎながら小さく呟く。
「いくら仲がいい姉弟だってことになってても、こんな人目がある場所で抱っことかできるはずないって……」
かといって理性を保てる自信もないので、二人きりなら良いという訳でもないのが難儀なところである。
異世界物のフィクション並みに近親婚が許容されるようになり、なおかつ駆が吹っ切れてしまわない限り、歩の望みが叶えられる日がくることは多分ない。
それはともかく、駆の判断は正しかった。
なぜなら、物陰から二人の様子を伺いつつ、そのやり取りを写真に収めている怪しい人物がいたからである。
「人気アイドル山口歩のスキャンダルだ!これならどこにでも高く売れるはずだぜ!」
すぐにやってくる――と思い込んでいる――輝かしい未来を妄想しながらデジカメのシャッターを切りまくる男。その足元のすぐそばで落とし穴が大きな口を開けて犠牲者の到来を今か今かと待ち構えているとは思いもしていなかった。
「うおっほん!ちょっと失礼」
「うるさい!今大事なところなんだよ!」
とんとんと軽く肩を叩かれ、背後から声を掛けられたのだが、夢中になっている男は気が付かない。もはやコントでのやり取りである。
声をかけた方もまさかそんなベタベタな反応をされるとは予想だにしていなかったので、思わず目を見開いてしまっていた。もっとも、それで終われるはずもなく。
「もしもし!あなたがやっているのは盗撮です!まだ続けるというなら問答無用で警察に突き出しますよ!」
「け、警察!?」
さすがは国家権力の代表格だ。我を忘れた者の正気を取り戻させるのに十分な効力を発揮したようである。
男が振り返ると、そこに立っていたのは厳しい顔をした制服姿の男性で、その胸元には鉄道会社のロゴが刺繍されていた。
いくら都心からは距離があるとはいえ、一日二万を超える人々が利用する駅舎なのだ。無人駅であるはずもない。しかも今は四月の半ばを過ぎた時期であり、いたるところで歓送迎会が行われていた。
何とか駅までは辿り着いた酔っ払いが力尽きて建物の陰などで眠り込んでいることもあるため、終電が近い時間帯になると駅員による確認作業が頻繁に行われていたのだった。
「さて、奥で詳しい話を聞かせてもらいましょうか」
「か、勘弁してくれ」
顔をゆがませ手懇願する男に対して、駅員は拒絶の意思を示すように大きく首を横に振る。不審者への対応は厳密に定められている。
更にSNSなどに見逃してもらったことを自慢げに投稿する者が相次いだため、今日では厳格にマニュアルに従うことが要求されるようになっていた。
多くの人が情報の発信側に回ることができるようになったことで、皮肉にも情状酌量の余地がなくなってしまっているのだった。
「えっと、どうかしたんですか?」
物陰でそんなやり取りをしていれば目立ってしまうのも当然のことで。直観的に自分たちが関係しているのではないかと察した駆と歩は、事情を聴くために話しかけることにしたのだった。
後から忘れた頃に警察やら何やらに呼び出されるのを嫌っただけ、という見方もある。
「あ、お二人ともすみません。どうやら盗撮のようで――」
「くそっ!」
このまま捕まってたまるかといきなり走り出す盗撮犯。だが、逃げた方角が悪かった。表通りに出るため駆たちのそばを通るようなルートを選択してしまったのだ。
もっとも、もう一つの逃走ルートである駅舎の裏へ回る方には駅員が立っていたので、彼からしてみれば選択肢など存在していないように感じられたのであろうが。
片や大人で不審者への訓練にも参加している駅員、片や小柄な少年とくればどちらがくみしやすいか一目瞭然だった訳である。
その考えが誤りであることが証明されたのはわずか数秒後のことだった。
「よっ、と」
掛け声が聞こえたかと思えば、首から下げて大事に握りしめていたはずの商売道具がなくなっているではないか。慌てて周りを見回したところ、数歩離れた位置に立つ少年の手にそれが握られていた。
「か、返せ!」
カッと頭に血が上ってきた勢いのままに駆に掴みかかろうとする盗撮犯だったが、軽いステップでひらりと横に避けられたと思った次の瞬間には地面へとその体を投げ出していた。
「ぐはっ!?」
足を掛けられたのだと気が付いたのは、突き出た腹部を強かに打ち付けた痛みが治まってきてからのことだ。その頃にはもう駅員によって片手を背後に捻り上げられていて、撮影したお宝画像の数々もしっかりと見られてしまった後のことだった。
「すごい。暗かったはずなのにちゃんと撮れてるよ」
「感心するところじゃないから。これだけしっかり証拠が残っているとなると、後はお任せって訳にはいかないよなあ……。子島さんに、あ、おれも映ってるから事務所に連絡した方がいいのか」
「そうだね。……でも、何で私たちのことを撮ってたんだろうね?駆君とのツーショット写真ならいくらでも欲しいけど!」
きょとんとした顔で首を傾げる美少女。こんな時でも絵になる姿である。その態度に苛立ちが募った盗撮犯がよせばいいのについ口を挟んでしまう。
「人気絶頂のアイドルのスキャンダルなんだ。狙われて当然だろうが!」
その言葉を聞いて歩が頬を赤く染める。その様子を見て一矢報いた気分になり、男は下卑た笑みを浮かべた。が、暗い優越感に浸っていられるのも次の瞬間までだった。
「きゃー!やだー。スキャンダルだってどうしよう駆君!愛し合っている二人の気持ちはどうやっても隠しきれないんだよ!」
「や、愛し合ってないから。ああ、でも家族愛ならあるから、あながち間違いではないのかな?」
「は?」
飛び跳ねんばかりに喜ぶ歩の態度も、冷静に論評する駆の言葉も、盗撮範囲は何一つ理解できるものではなかった。
「あの、もしかしてこの男、お二人のことを知らなかったのではないでしょうか?」
駅員の言葉に顔を見合わせる二人。そして先ほどとはまた違った色合いで顔を赤く染めていく。
「言われてみればその可能性もありますよね。うわー!思いっきりドヤっちゃったのに恥ずかしい……!」
「ごめん、姉さん。俺もそっち側だとは思わなかったよ。最近はこんなこともなかったから完全に油断してた……」
「は?え?……姉さん?」
這いつくばったまま唖然としている盗撮犯の様子に、駅員は自分の推測が正しかったことを悟った。
「その少年は山口歩さんの実の弟さんだ」
「んなっ!?弟だと!?」
「どうも。山口駆と言います。歩姉さんや姉さんのグループのファンの人たちとか、芸能関係者には結構知られているんで、おれと一緒にいる写真くらいじゃどこも買ってくれないと思いますよ」
ウィキとかにも載ってますしね、と言いながら歩たちアイドルグループの非公式な方のまとめサイトを携帯端末に表示させて見せる。そこには歩の家族構成欄に弟として駆の名前が顔写真と共に掲載されていた。
「これって中学の時の制服だよね。ということは去年の写真かな?」
素早く歩が撮られた時期を特定する。
ちなみに詰襟のよくある学生服だ。冬場は首回りの内側に取り付けられたプラスチックのカラーが冷たかったんだよな、とどうでもいいことを思い出す駆だった。
「な、何で顔写真まで?」
「あ、そこからなんだ」
「何でと言われても、おれも一応事務所に所属しているタレントだからですけど。まあ、大っぴらに活動している訳じゃないから、知らない人も多いでしょうけど」
端末を操作して、今度は歩のアイドルグループも所属している芸能事務所、そのタレント一覧を表示させる。その一番下に『山口ツトム』こと駆の写真があった。
「興味がなかったんでしょうけど、次からはちゃんと下調べをすることをお勧めします」
その一言で止めを刺された盗撮犯は、今度こそ力をなくしてガックリと項垂れたのだった。
明日からは一章部分の四話を毎日一話ずつ投稿します。
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