恋の魔法<最終話>
「ク、クロード様!」
「お茶の良い香りがしたから・・・一杯もらえますか?」
「え?は、はい・・・」
クロードは平然とした顔で近づいて来ると椅子に座り、じっとリリーを見た。驚いていたリリーは、はっとした。自分の格好を思い出したのだ。着替えようとその場を離れようとした彼女の手をクロードが掴んだ。二人の視線が絡み合う。
「父と男女の関係をもったのですか?」
その声は静かだったがとても恐ろしく聞こえた。
「い、いいえ・・・」
「・・・・・あんなに長く・・・何をしていたのです?しかもこんな格好をしているのに何も無かったと言うのですか?」
彼はやはり淡々と静かに喋っているのにリリーはとても怖かった。
クロードはヴァランが彼女の部屋に入ってからずっと時計を睨みつつ、父親が出て来るのを近くの部屋で待っていたのだ。母親には平然と答えて父親も見送った後、抑えられると思っていた筈の感情が湧き上がってきたのだ。時計の針が時を刻む度にその思いが大きくなっていった。そしてヴァランが部屋から出て行った音を聞いた時には立ち上がっていた。しかしまた座り直し、再び立ってと何度か繰り返した後、彼女の部屋の前にいたのだった。
そしてお茶の香りに誘われるように扉を開けると、目の中に飛び込んで来たのは彼女の当然見たことない姿だった。以前見た子供の肌着のような夜着を着ていたリリーの姿は何処にも無かった。今の姿を見て彼女を幼い子供と勘違いしてしまうことは無いだろう。まるで甘い蜜を含んだ花のような風情だ。
その時、クロードの何かが切れた音がした―――
「こ、これは今、着替えたばかりですし・・・こんなものしか無くて・・・侯爵様は昔話をしてくれていただけで・・・あ、あの・・クロード様、離してくれませんか?着替えて来ますので」
「・・・・何故着替える?とても似合っているのに。私以外に見せて欲しく無いですがね。もちろん父にも・・・」
「え?」
クロードは手を離してくれない。
「リリー、君は幾らで自分を売った?」
「き、金額なんて・・・」
クロードの瞳が細められた。
「倍払おう・・・私がその倍額払おう」
「 ! ど、どう言うことですか?」
クロードは顔を歪め立ち上がると、リリーの手を引き腕の中に絡め取った。
「君が欲しいだけ金をやるから、私のものになって欲しいのです!」
リリーは驚いて鼓動が早鐘のように鳴り出した。しかし誤解しているクロードが自分のことをまるで物を買うみたいに言っているのが堪らなく嫌だった。好きな人にそんな事を言ってもらいたく無かった。それに幾らお金を出されてもどうにもならないのだ。
リリーはクロードの腕からすり抜けると涙を溜めながら言った。
「駄目です!お金なんかではどうしようにも無いんです!私、私家宝の茶器を割ってしまって・・・愛人になったら許して貰えると・・・だから・・だから・・・」
「茶器?まさか・・・あの・・」
母親が輿入れの祝いに王家から下賜された至宝―――
(それを割った?)
「どうやって割ったのですか?」
「キトリー様にお出しする時に何かに躓いて落としてしまって・・・」
(何かに躓いた?母の前で?)
「―――はっ、ははは・・・成程。母上も思いっきりのいいことを。私も馬鹿ですよね。こんな単純なものに引っかかるなんて・・・宰相職を返上した方が良いのかもしれない」
リリーはクロードが何故笑っているのか分からなかったが、宰相職を返上すると聞いて青くなった。割ったのは王家からの下賜されたものだと聞いていた。もしかしたらその責任を取るのかと思ったのだ。
「も、申し訳ございません。私、私どうしたら・・・」
クロードは笑いをさっと引くと彼女をちらりと見た。結婚不要論者である自分を煽るために書いた母親の脚本だろうとクロードは思った。しかも可愛そうなことに何も知らないリリーは無理矢理出演させられているのだろう。
人の気持ちを量るのは得意な方だ。最近のリリーの様子を見ていれば、自分に好意を持っているだろうとは感じていた。それを無視していたのだが・・・・だが彼女の気持ちは・・・
(段階として・・・憧れ程度ぐらいでしょうか?)
そう思うとクロードは溜息をつきたくなった。
「リリー、お茶を淹れて・・・あ、嫌いい。私が淹れよう」
「いいえ、私が――」
いいからとクロードが言った後、驚くほど上手に手際よくお茶を淹れたのだった。
「母が〝男でもお茶ぐらい淹れられるようにしなさい〟とか言って小さな時からさせられてしまいましてね。役に立つからとか言って・・・あっ、そうだ。例の魔法を貸して下さい」
クロードはリリーから蜜入の小瓶を受け取ると一滴落とした。甘い独特な香りが広がった。
リリーにだけ出されたお茶を飲み終わるまでクロードはじっと見ているだけだった。リリーは見つめられて舞い上がってしまい、味など分からなかった。とにかく早く飲み干した。そして器をテーブルに置いた時、クロードが口を開いた。
「先ほどの話ですが母の提案よりも最良の方法があります」
「え?」
「私と結婚しましょう」
「結婚?ええ―――っ!」
クロードの言葉に驚いて、リリーは座っていた椅子から落ちそうになった。
「はい。結婚です。私の妻になれば家宝だろうと屋敷だろうと全部君のもの。だからそれが壊れようがどうしようが自分の物なら関係ない。そのうえ父の妾より世間体もいいでしょう?」
滅茶苦茶な理由付けだ。リリーは驚いて声が出なかった。
「それに私は貴女への愛情を抑えられないみたいで困るのです」
「えっ?あ、愛情?」
「はい。愛しています。ですから自分のものにしておかないと多分・・・恐ろしい事態に陥るかと。父がもし君に手を出していたのなら、明日の朝には両手が砕かれていたでしょうし、王が連れて来る結婚相手は鉄格子の空しか見られなくなるでしょうね」
クロードが目を細めて言った。彼を良く知るアランが此処にいたらきっと言うだろう。奴は本気だと―――クロードがこういう顔をして言う時は絶対にそうするからだ。
恐ろしい内容よりも、あっさりと言われた愛の告白にリリーは驚いた。そしてこぼれるような大きな瞳を更に大きく見開いていた。
「・・・・可笑しいですね?まだ効かないのでしょうか?まあいいでしょう。今は押しの実行あるのみ。それは追々で・・・」
不可解な事を言ったクロードが立ち上がって、いきなりリリーを抱き上げた。
「ク、クロード様!な、何を!」
「はい。今から既成事実を作って母と・・・一応王に対抗します。あー忘れていましたが大神官にもでしょうかね」
「き、既成事実?」
リリーが口をぱくぱくさせて言った。
「何も問題はありません」
「も、問題が無いって!」
クロードは真っ赤な顔をしているリリーを、ちらっと見た。
「本当に効き目が悪いですね。では促進剤を投入しましょう」
訳の分からないことをまた言った彼が、手を伸ばして取ったのは何時もの小瓶だった。それを片手で器用に開けると直接口に含んだのだ。そしてにっこり微笑むとリリーに口づけをしたのだった。
「ん・・っ・・・・・」
甘く蕩けるような花の蜜が口の中で広がった。それを二人で分かち合うような深い口づけの後、唇を解かれたリリーは恍惚とクロードを見上げていた。
「私に言いたいことは?リリー?」
「・・・・・好きです。クロード様・・・」
頭はぼんやりとしているのにその言葉がすっと出てきたのだった。リリーは言った後、驚いて自分の口に手を当てた。
「やっと効いてきましたね」
「な、何の話ですか?」
「おまじないですよ。それとも君の言う魔法かな?好きになって貰いたい相手の名前を唱えながらお茶を淹れて魔法をかける。〝リリー、リリー、私のリリー。クロード・セゼールを好きになっておくれ〟という感じかな?昔、母に聞きましてね。父をこの方法で自分のものにしたとか・・・今思えばお茶を淹れる特訓はこの為だったのかもと思わなくも無いのですが・・・運良く魔法の蜜は君が持っていたし。私もまさかまじない頼みになるとは思いませんでしたけれど・・・」
リリーは目を丸くした。
「ほ、本気で信じていらっしゃるのですか?私のあれは魔法とかじゃなくて・・・」
「魔法ですよ。私はすっかり君の虜ですかららね。いつも一振り入れる度に深みにはまってしまった。と言う訳で今から実行させて頂きます」
「ク、クロード様!」
奥の寝室に向って歩き出したクロードに、リリーは慌てたように彼の名を呼んだ。足がピタリと止まった。
「もしかして嫌ですか?」
そんな聞き方をされたら嫌だとかいえない。初めてのことだから少し怖いだけ・・・・
「嫌ではなくて・・・」
リリーの小さな身体が震えていた。クロードはやっぱり巣から落ちた雛鳥のようだと思った。
「・・・・怖いのですね?まあ・・・仕方ないでしょう・・・今日はこれで解放してあげます。父は五年待ったそうですし・・・でも私はそんなに待ちませんよ。毎日、毎日、魔法をかけます」
クロードは残念そうに言うと、抱きかかえていたリリーを降ろそうとした。しかし、リリーが、ぎゅっと首に抱きついてきたのだ。そして大きな瞳でクロードを見上げた。
「ごめんなさい・・・私・・大丈夫です・・・」
クロードは思わず息を呑んだ。
「ううっ―――良く分かりました王よ・・・貴方の気持ちが!こんな感じなのですね?少しの時間でもイレーネ殿に会いたいという気持ち!このクロード、良く分かりました・・・もう駄目だ。私の理性が保てない!母上のしたり顔が見えるようだ!」
「ク、クロード様?」
「可愛いリリー、愛しいリリー、私のリリー」
「ク、ロ・・・・・・んん」
リリーはいきなり口づけされてしまった。
そして愛を囁き続けるクロードと一夜を共にしたのだった―――
「ヴァラン、クロードがリリーの部屋に入って行ったまま出て来ないのよ」
「クロードが?」
クロードの予想通り、キトリーはしたり顔だった。
「今頃、結婚を申し込んで押し倒しているでしょうね。リリーがあの夜着に着替えていたならもう直行でしょう。禁欲的なクロードでも、むらっとくるようなのを用意したものねぇ~ふふふっ」
ヴァランはやっぱりクロードは母親似だと思った。
「しかしリリーに本当の事を言わないと可愛そうなのでは?」
「いずれね。だって今は多分、それを材料にあの子はリリーに結婚を迫っている筈よ」
「え?」
「あの子は馬鹿じゃないから私の意図した事はお見通しでしょうよ。そしてしっかり利用している筈だもの。狙った獲物は逃がさないわ」
本当にそっくりだとヴァランは冷や汗をかいた。
「と、ところで、王は大丈夫だとしても大神官にこの事は――」
ヴァランは言いかかって口をつぐんだ。キトリーはにっと嗤ったからだ。こんな顔をする彼女を何度見たことか・・・・それは災難の前兆か?もしくは嬉しい悲鳴なのか?
「大丈夫。そういうの私は得意だから。それにクロードもね」
「そ、そうだな」
(大神官・・・彼女らに逆らわずに承認してくれ・・・)
と大神官の安否をヴァランは祈らずにはいられなかった。
「ヴァラン、寝る前に温かいお茶を淹れましょうか?」
ヴァランは今日、リリーに話した昔話を思い出して、笑いが込み上げてきた。
「何?どうしたの?」
「いえ、初めて姫から淹れて貰ったお茶を思い出したもので・・・真っ黒で、苦くって不気味な程甘かった・・・」
キトリーが少女の頃のように顔を赤くした。
「な、何、昔の話しを言い出すのよ!もう、淹れてあげないわ!」
「姫、そう言わず、淹れて下さい」
「魔法は今日無いわよ。クロードの所で使っているから」
「魔法はいりません。貴女がここにいること事態が魔法のようなものです」
キトリーはまた、ぱっと赤くなってそっぽを向いた。
「まっ、お前も言うようになったわね。昔はそんなんじゃなかったのに!」
「はい。私も年を取りましたから、それなりに」
「もう、知りません!」
そう言いながらキトリーはお茶を淹れた。ヴァランはその香りを吸い込みながら思った。この三人しか居なかったセゼール邸に、新しい家族がどんどん増えるのが見えるようだった。賑やかな子供達の声と優しいお茶の香りに包まれるそんな感じ―――
爽やかな茶の香りでクロードは目覚めた。そして横にいる筈だったリリーを手で探った。
「リリー?」
はい、という返事と共に茶の香りが強くなって来た。それを運んで枕元のテーブルに置いたリリーは大きな瞳に涙を浮かべていた。
「リリー、何故泣いているのですか?昨日のことを後悔しているとか?」
リリーは首を振った。
「酷い・・酷い怪我・・・・大丈夫だなんて嘘言われて」
「ああ、これ?問題ないですよ」
クロードは殆ど解けかかった包帯を引っ張りながら平然と言った。
「問題ない事ないでしょう?私、知らなくって・・・血が出て」
「血?傷が少し開いただけでしょう問題無いです。それよりも貴女の方に無理をさせたと思って・・・情けない。自分がこんなに制御出来ないとは思わなくて・・・大丈夫でしたか?」
リリーは真っ赤になってしまった。昨晩のクロードはいつも淡々とした彼からは想像できない程、激しく情熱的だったからだ。
「わ、私は、だ、大丈夫です!で、でも私がしがみついたから傷が―――」
「しっ!もうこの論議は終りにします。問題無いのですからね。それよりもそのお茶を下さい。とてもいい香りだ」
はい、と言ってリリーは何時もの小瓶を取り出すと一滴落とした。
「今、何の魔法をかけました?」
「え?あの・・・クロード様の傷が痛みませんようにと・・・」
「じゃあ、私も貴女のお茶に魔法をかけましょう」
金色の雫が広がった。
「クロード様は何と?」
「ああ。元気な子供が生まれますようにとですかね」
「え?」
「私達の子供ですよ。昨晩授かったと思います――私の言う事に間違いは無いし、これで既成事実に抜かりは無いということです。良かったですね、リリー」
リリーは驚いて持っていたお茶を落とすところだった。
「こ、子供ですか!!」
「そうです。こうなったら早く婚礼を挙げた方が良いですね。しかし王より先に挙げると拗ねて大変のような気もしますし、かと言って遅くなるとお腹が目立ちますでしょう・・・どうしたら・・・あっ、その前にリリーの父上にご挨拶に行かないと!それと・・・」
真剣に焦り出したクロードにリリーは微笑みかけた。
「クロード様、お屋敷を子供達の声でいっぱいにしましょうね」
「本当にそうだね。どうしてこんなもの必要無いと思っていたのか・・・考えるだけで幸せになれるのに・・・子供達の声と優しいお茶の香り・・・そしてリリーが金色の雫の魔法をかける。そうだろうリリー?」
リリーは頷いた。母から受け継いだ魔法は自分の子供達に引き継がれていくのだ。願いを込めて心を込めて一滴落ちる時、広がる甘い香りがその想いを伝えるだろう。
愛する人へと想いをこめて――― <終>
<閑話> クロードの受難
その日クロードは朝議の後、大神官に待ち伏せされてしまった。しかも煩わしい事にアランが面白そうな顔をしてその場に留まっていた。
「クロード様!今日こそ話しを聞いて頂きます!」
最近ずっと避け続けていたがその行為も面倒になっていたところだった。仕方が無いが話しを聞くしかないだろう。クロードは小さく溜息をついて立ち止まった。
「何でございましょうか?」
くるりと振向き、にっこりと微笑みながら言うクロードに大神官は思わず、ぞっとした。顔は微笑んでいるのに目が全く笑っていないのだ。怒っていると言う方が正しいかもしれない。
「も、もちろん。貴方様のご婚礼の日程の件でございます」
「はて?私の聞き間違えでしょうか?婚礼の日程と聞こえましたが?」
「き、聞き間違えではございませんぞ!もう勝手は許されません!王族の婚姻は神殿によって決められるもの、そればかりは王族でも従ってもらいます!」
今日は中々強気だとクロードは思った。昔から何人かの候補がいてそれなりに婚約をまとめようとしていたが今ではその候補者がいなくなっていた。
(全部、王が手を付けてしまいましたからね・・・)
深層の由緒正しき姫君まで毒牙を伸ばしていたアランだった。クロードと言えば許婚達が次々寝取られたと言うのにそれはそれで正直助かっていた。そのアランもいよいよ落ち着くと神殿は思い出したかのように又、候補者をあげて結婚を迫ってきたのだ。煩わしいとしか言えないものだった。
「クロード様!聞いておられますか!」
「クロード、我が儘言わず、大神官の仕事をさせてやったらどうだ?」
アランがニヤニヤしながら口を挟んできた。
それを聞いた大神官の顔が輝いた。
「王、王も承諾して頂けるのですか!」
王族の婚姻は神殿の選定と王の許可で決定するのだ。だからクロードは先手でアランに絶対許可をするなと頼んでいた。言い方を変えれば脅しとも言う。
クロードは、さっと瞳を細めアランを見た。
「あっ、いや・・・その・・何だ・・・」
その視線を感じたアランが焦って言いよどむと、クロードが追い討ちをかけるように耳打ちをした。
「許可・・・などなさいませんよね?もし、そのような事うっかりとなさるようでしたら、私もイレーネ殿にうっかり口を滑らせてしまうかもしれません・・・あれこれと」
「ク、クロード!あれこれって!」
「しっ!お声が大きい。あれこれとは、あれこれでございますよ。お分かりでしょう?陛下?」
アランは、ぞっとした。クロードが握っている情報はどれもこれもイレーネに知られたら大変な事になるものばかりだ。アランはすがるような目で自分を見ている大神官を柱の影に連れ出し耳打ちした。
「大神官、クロードはあの叔母上の息子だぞ!無理強いしたら何をやらかすか分からんだろう?ここは穏便にだな」
王の叔母キトリー姫の奇行はこの大神官もかなり悩まされていたから身にしみて分かっている。ぞっとしながらにこやかに微笑んで立っているクロードを、ちらりと見た。
「た、確かに・・・」
「お二人共、聞こえていますよ。とにかく私は結婚いたしません。そんなのに時間をとられるのが勿体無いですからね。では急ぎますので失礼致します」
クロードは優雅に一礼して去って行ってしまった。
大きな溜息が大神官から漏れた。
「まあいいんじゃないか。俺の子がいるから王家は安泰だろう?」
大神官が険しい顔をして王を見上げた。
「それが問題でございます!そのお子様方に釣り合う者達が不足しているのでございます!ああ・・・頭の痛いこと・・・」
よろめきながら去って行った大神官をアランは唖然としたまま見送った。
(もう俺の子供達の結婚相手の心配だって?)
アランはその話しがまだグルグルと頭に回ったまま、イレーネが居るレミーの勉強部屋へ向った。
「陛下、どうかなさいましたか?難しいお顔をなさって」
イレーネは心配して訊ねた。
「ん・・・いや、さっき大神官が子供達の結婚相手が不足しているとか言っていて、だからクロードに早く結婚をと迫っててな・・・」
「まあ、クロード様に?そうでございましょうね。陛下とはお歳が近くあの方がご結婚されてお子様がお出来になられれば、血筋も申し分無いのですからお相手に都合が宜しいでしょうね。女子ならばレミーの正妃でも可笑しくございませんわ」
「レミーの正妃だって!冗談じゃない!あんな奴の娘なんてきっと理屈ばかり捏ねる可愛く無いのに決まっている!そんなのをレミーの相手になんか出来るか!」
「ねぇ、せいひってなぁに?」
横で二人の話を聞いていたレミーが自分の名前が出できたが、分からない単語もあったので意味を訊ねた。
「正妃とは一番の妻のことですよ」
「つま?」
レミーにはまだ難しい意味合いのようだった。
「そうですね・・・妻と言うのは――」
「レミー、いいか。正妃はお前の母だった。そして今の母イレーネが俺の正妃になる」
イレーネが説明に迷っているとアランが助けてくれた。
「ふ~ん。じゃあ、ぼくの母上になる人が、せいひ?」
「ん??何か違うぞ。お前の母が正妃じゃなくてだな・・・えっと・・・」
何だか訳が分からなくなってきた。
「俺の妻が・・・分からんか・・・えっと・・」
「とくべつのせんようのことでしょう?」
「そう、そう!それだ!あ?レミー?」
「それぐらいぼくにも分かっています。父上をからかっただけです」
レミーは澄ました顔で言った。
「レミー!こいつ!」
「や~ん。母上、父上がいじめるぅ~」
レミーは、きゃっと笑ってイレーネの背中に隠れた。
「こいつ!またイレーネに甘えて!許さん!」
アランは生意気なレミーを捕まえようと、イレーネを挟んでグルグル回った。
「陛下!いい加減になさいませ!」
「嫌だ!そうだ!こうしてやる!」
「きゃっ!」
アランはとうとうイレーネごとレミーを腕の中に抱き込んでしまった。大きく広い胸にイレーネもレミーもまとめて抱きしめられた。
「へ、陛下!お、お離し下さい!」
イレーネは真っ赤になって抵抗した。
「嫌だね。離したらチビも逃げてしまうからな」
「そ、そんな・・・レ、レミー。もう逃げないですよね?」
「逃げていいぞ!」
「ぼくはどうしようかとなやんでしまいます。母上のいうことはききたいけれど、父上もかわいそうで。母上と遊んでほしくてだだをこねているのがわかるので・・・ふぅ~こまりますね」
アランはあんぐりと口を開けて腕を解いてしまった。
イレーネが小さく笑いだしてようやく我に返ったようだった。
「お前のその口調・・・クロードに似てきてないか?ああ、そうだ!あいつの子供の頃にそっくりだ!」
「クロードはぼくの先生です。クロードのようにりっぱになるため、いっしょうけんめいお勉強します」
アランはぞっとした。
「イ、イレーネ!奴をレミーの教授陣から外せ!」
「それは出来ませんわ。素晴らしい先生ですもの。王国中探してもあの方以上の人材はいらっしゃいませんわ」
イレーネはクスクス笑いながら答えた。
「お前達はあいつの三枚舌に騙されているんだ!あいつな――」
アランは言いかけた言葉を呑み込んだ。
「三枚舌とは誰のことでございますか?陛下?」
クロードが現れたのだ。彼は冷ややかな笑みを浮かべながら訊ねた。
「うっ・・・ク、クロード。何か用か?」
「何か用?お帰りが遅いのでお迎えに参りました。次ぎの御前会議に皆集まっております」
アランは時間が少しでも空けばイレーネの顔を見に来るのだ。それを分かっているクロードが度々迎えに来るのは日常茶飯事だった。
「父上だめですね。おしごとはちゃんとなさらないと、クロードのようなりっぱな人にはなれませんよ」
「クロード!お前、いつレミーを懐柔した!」
「懐柔?人聞きの悪い。私は真面目に勤めているだけでございます。子供は正直でございますからね。で?三枚舌とは誰のことでございますか?」
クロードが、じろっとアランを見た。
「な、何の事かなぁ~なっ、イレーネ」
アランはクロードの視線を避けながらイレーネの後ろに隠れた。
「あっ!父上も母上にあまえてる!ずるい!ぼくにだけするなっていって!」
レミーは頬をふくらませて文句を言った。
「陛下の負けでございます。夕刻にはまたゆるりと話をお聞きいたしますからお戻り下さいませ」
「むぅ・・・」
アランも旗色が悪いと察したのかそれ以上何も言わなかった。
「さっ、陛下。皆が待っております」
アランを促し去って行こうとするクロードの目の前にレミーが何か言いたそうに彼を見上げていた。
「王子、何かご質問でしょうか?」
「クロードのところのおんなの子はいつ生まれるの?」
「女の子?で、ございますか?」
クロードは意味が分からなかった。
「うん。その子はぼくのせいひになるんでしょう?ねぇ~いつ?早く会いたいな。だってその子は母上みたいに、ぼくだけのとくべつのせんようなんでしょう?」
クロードが一瞬、にこやかな仮面を捨て凄い形相でアランを見た。
(ば、馬鹿!レミーのやつ!)
アランは冷や汗をかきながらそしらぬ振りをしてそっぽを向いた。クロードが王子の方を向いた時
には彼は何時もの顔だった。
「そうですね。いずれ・・・」
「嘘つき・・・」
ぼそりとアランが呟いた。
「陛下、何か言われましたか?」
クロードの鋭い一瞥にアランはまたそっぽを向いた。
「うん。じゃあ、待ってるね!」
レミーは期待に胸をふくらませて嬉しそうに言った。
クロードはその後、大神官よりも執拗な催促をこの王子から受けるようになるとはその時、夢にも思わなかったのだった。
―――ねぇ、クロード。ぼくのせいひはまだ?―――
完結です。如何でしたでしょうか?「魔法の呪文」の続編として書きましたが、脇役だったクロードとリリーがとてもいい感じのカップルに仕上がって嬉しい限りです。相変わらずのアラン&イレーネの近況や、最近凝っている熟年カップル(笑)盛りだくさんでした。今回、聖剣を使うアランはやっぱり王様だったんだなぁ~と実感しましたし、そういえばこれファンタジーだったと思い出しました(笑)