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王女キトリー ①

 帰ってきたヴァランは胃が痛くなりそうだった。数日屋敷を空けて領地の視察に行っていたところに、キトリーからの破天荒な命令書を受け取った。まさしく命令書だ。


―――クロードにリリーとの結婚を決断させる為、貴方はリリーを愛人にしたふりをすること。たっぷり嫉妬させるように振舞うように。失敗したら許しませんよ―――


 で、帰って来たら話を聞いた様子のクロードが軽蔑した視線を向けてきた。しかし何も言わず見ているだけだ。引きつりながらそれに微笑みかけると、指定された部屋へと向ったのだった。中に入ればリリーがじっと椅子に座って俯いていた。たぶん泣いていたのだろう。可愛そうにとヴァランは思った。彼女にはこの計画は内緒らしい。キトリーが言うにはその方が二人とも盛り上がるとか訳の分からない事を言っていた。最近凝っている恋愛小説の読みすぎだろうとヴァランは思った。

「リリー」

 リリーは、はっとして涙を拭うと立ち上がった。

「お帰りなさいませ、侯爵様」

 リリーの顔は硬直し、怯えて小刻みに震えた。今からすることは当然分かっているが、その矢先にクロードから非難され、リリーは何処かに消えたい気持ちだった。


(きっと軽蔑されたに違い無いわ・・・でも当然よね・・・)


 でも本当の事は言えなかった。自分が悪いのに被害者のような事は言えない。これで許してくれるキトリーに感謝をしなければならないくらいだ。

 ヴァランが近づいて来たのでリリーはびくりと身体を更に震わせた。

「リリー、そう怖がらんでいい。何もせん」

「え?何もって・・・そ、それは困ります!」

 ヴァランは困ったような顔をした。

「彼女が無理を言ったようだが・・・私にその気は無いのだよ。本当に困った人でな。言う通りにしないと口を利いて貰えない。暫く付き合ってもらうだけでかまわん」

 ヴァランは流石に良心が痛んで、全部嘘とは言えないがそれだけは言った。

「侯爵様・・・でも・・私は大変な失敗を致しまして・・・ですから・・・」

 ヴァランもまさか家宝の茶器をこの嘘の為に割るとは思わなかった。落胆した溜息が思わず出てしまった。リリーは侯爵のその様子を見て涙が再び溢れ出したのだった。

「リリー、お茶を淹れてもらおうか?時間を潰すのに面白い話をしてあげよう。それを聞けば色々納得するだろう」


 ヴァランの始めた昔話―――それは王女キトリーの物語。


 王女との出逢いは、まさにヴァランの人生を大きく変えてしまった。名家の跡取りとして生まれ、何不自由無い生活と、人生の伴侶まで決められている平凡な道を行くだけだった。少し違うと言えば、その退屈さを紛らわす為に軍に入隊したことだろう。しかも貴族で構成された近衛隊では無かっただけだった。それは人形のように着飾って王宮を守る近衛兵よりも、町の治安や妖魔から人々を守る軍隊にやりがいを感じたからだろう。また人一倍正義感が強く、真面目なヴァランの性格からもしれない。


「指揮官殿は変わっておいでですね。大貴族なのに近衛ではなく一般軍を希望されるなんてどうしてですか?」

 最近転属して来たばかりの補佐官ドニが、不思議そうな顔をして言った。二人は王宮での定例会議の後、見回りを兼ねて城下を歩いていた。その日は収穫祭の真っ只中で、軍も総出で警備に当たっている状態だった。そんな忙しい日に会議を開くお偉方の気がしれなかった。ヴァランは街の賑やかさとは反対に、静まり返った王宮を思い出した。庶民の祭りは関係無いのだろうが、余りの差に苦笑いした程だ。

 

 そしてそこに澄まして立っていた近衛兵達―――


「近衛にならなかった理由ならある。私にあの軍服が似合うと思うか?」

「えっとそれは・・・・・」

 ドニは笑いたいのを堪えるように顔を歪めて言葉を濁した。

「笑ってもいいぞ」

 上官の許可が出たドニは身を折って笑い出した。

 近衛兵の軍服は白地に金の刺繍を施し細身の長い上着に袖や襟元にはレースを覗かせるという華麗で豪華なものだった。肩幅が広く、筋肉質で大男のヴァランがお世辞でも似合うとはいえないものだ。ドニも久し振りに近衛兵を見たばかりだったから想像し易かった。

「笑い過ぎだ!馬鹿者」

「し、失礼致しました・・・ぷっくくく・・・」


 要らぬことを言ったとヴァランが後悔している所へ、一人の幼い少女が立ちはだかった。その子は背丈の半分までありそうな赤毛に近い金の髪がくるくるとうねっていた。第一印象は山野に生えるゼンマイ。そして口を開いたら・・・生意気だった。

「そこのお前、私の護衛を命じる!光栄に思いなさい!」

 ヴァランは自分を指差しているように感じたが、思わず後ろに誰かいるのかと後ろを見た。

「どこを見ておる!お前だ!そこのデカイ奴!」

 むっとした顔で指をさしなおした子供は足まで鳴らした。

「指揮官殿に言っているみたいですよ」

「私に?」

 身なりからして貴族の子供みたいだが見知ったものでは無かった。ドニと顔を見合わせていると、後ろからその子供の従者らしき者が走って来た。


「遅い、モニク。お前が心配するから今、この者を護衛に任命したところよ。さあ、皆の者行くわよ!」

「行くって?指揮官殿・・・」

「お嬢さん、我々は今、仕事中なので君と付き合えない。分かってくれるかな?」

 ヴァランは出来るだけ優しい感じで言った。こんな子供に構っている時間は無いのだ。早く追っ払うしかない。

「お黙りなさい!お前に私を守れと言っているのよ。お前はそれに否を言うのは許されません!」

 高飛車な言い方にドニの方が怒り出した。

「許さないって、あんた何様?どこのお姫様だよ。この指揮官殿はセゼール侯爵家の嫡男だ!顎で使っていい身分じゃない!」

「なに?セゼールの息子?あやつにこんな大きな息子がいたの」

 ヴァランは、はっとした。


(父を呼び捨て?まさか?)


 その時、風が吹き抜けくるくる回った髪が横に流れた。その隙間から覗いたのは太陽の刻印を模った金の耳飾り・・・王族の証だった。

「貴女様はまさか・・・」

 幼い少女の正体はモニクと呼ばれた女性から答えられた。

「第四王女キトリー様でございます」

 ドニは、げっと言って仰天したが、ヴァランは直ぐにキトリーの前に跪いた。大きな体躯を低く折り曲げて陳謝した。

「姫、知らぬとは言え、大変失礼致しました。このヴァラン・セゼール如何様にも罰し下さいませ」

 礼儀正しく挨拶をしたヴァランにキトリーは少し戸惑った。王女とは言っても子供のキトリーに、大人の貴婦人にするような態度をとる者は今までいなかったからだ。

「う、うん・・・か、考えておく。取り敢えず今は私に付き合いなさい!」

「畏まりました」

 お転婆で有名らしいこの姫君は収穫祭の見物に内緒で来たようだった。侍女のモニクは無理矢理同行させられたようだ。片時もじっとしていない姫に振り回されて悲壮な感じだった。そして引き続きヴァラン達にその災難は降りかかっていた。

「ヴァラン、あれは何?」

 キトリーが若い娘達でひと際賑わっている露店を指差した。

「あれはこの祭りの時期だけに出店する縁結びのまじないを売っている店でございます」

「縁結び?何それ?」


 ヴァランはこの数日ここを回っているので、店の種類までは知っているが詳しい内容までは知らない。助けを求めるようにドニを見た。それを受けてドニが答える。

「色々あるのですが特に人気なのは恋愛成就の蜜です。結ばれたいと思う相手の名前を唱えながらお茶を淹れて、それを混ぜて飲ませると恋が叶うとか言われています」

「ふ~ん。そんなもので叶うものなの?」

「まぁーお嬢さん達のお遊びのようなものです」

 キトリーは再びその店を見た。恋というものをまだ良く分からない彼女は、嬉しそうにはしゃぐ娘達が愚かにしか見えなかった。

 再び新しい発見が無いものかと辺りを見渡し始めたキトリーは、恐ろしいものを見てしまったのだった。しかもそれと目があったような気がした。そしてそれがニタリと嗤ったように見えたと思ったら恐ろしい距離を自分に向って跳んで来たのだ!


「姫―――っ!」


 ヴァランはキトリーを軽々と片腕で抱えて、襲いかかる黒い物体の攻撃をかわした。そして大剣を抜いて切り捨てた。それで倒れる類のもので無いことはヴァラン達なら十分分かっていた。それは彼らが警戒していたはぐれ妖魔だったからだ。警戒が厳しい王都で妖魔が出没するのはまれだ。しかし例外も当然あるのだ。運良く警戒網を潜り抜け都心部まで接近する妖魔がいる。今回も、目撃者が数名いたので警戒していたところだった。その妖魔が襲い掛かって来たのだ。ヴァランはキトリーを庇いつつ大剣を振った。目の前で醜悪な物体が二つに割れたと思っても泥に剣を突き刺したのと同じように又、不気味な形へと戻っては再び襲い掛かってくる。


「きゃ―――っ!」

 キトリーは初めて妖魔を見た。宮殿奥深くで守られているのだから話しに聞いても見た事は無い。まして幼い子供が見るには恐怖そのものだった。だから自分の前でその攻撃を受けるヴァランの背中に無我夢中でしがみついてしまった。そうされるとヴァランの動きが制限されて逆に危険だった。

「姫!離れ・・・・」 

 ヴァランは離れてと言おうとしたが、小さな姫がガタガタと大きく震えているのを背中から感じた。大の男でも恐怖する妖魔だ。怖いのは当たり前だろう。ヴァランは姫をはがすのは諦めて妖魔との間合いを計りながら、片手をキトリーの頭に優しくのせた。

「姫、このヴァランが絶対にお守り致しますからご安心下さい。怖ければ目を瞑って私にしっかり捉まっていて下さい」


 キトリーはそれを聞くと、ほっとして頷いた。でも目を瞑らなかった。これがこの世界の現実なのだ。変事を察知して集まって来た部下達をヴァランは指揮しその妖魔を追い詰めた。不死に近い妖魔を消滅させるには再生する暇を与えず攻撃するしかない。ヴァランの指揮の下彼らはその妖魔を滅したのだった。それが絶命の咆哮をあげて霧散した時、街中から歓声が上がった。それを一身に浴びているのはもちろんヴァランだ。偉ぶるものでも無く、静かに佇む彼に恋をするのは数分もかからなかっただろう。

 その時、王女キトリーはヴァランに恋をしたのだ。幼い少女の初恋は胸に秘めるだけでは無かった。キトリーがそんな可愛らしい姫ではなかったのだ。


 ヴァランはいきなり来た配置転属に驚きよりも憤りを覚えたのだった。

 転属先は王宮―――近衛隊だったのだ。納得が行かず上官へ詰問しに向ったが、王の勅命とのことだった。

(勅命?だとしたら・・・)

 ヴァランは嫌な予感がした。そしてそれが的中したのだった。

「ヴァラン、お前は私専用の近衛にしてもらったわ。光栄に思いなさい」

 配属前の挨拶を王宮に行った時、王女キトリーがそう言った。そして着るのを躊躇っていた近衛の軍服は王女の一声で黒地に銀の刺繍へと変わっていたのだ。デザインは同じでもレースなど無くそれはヴァラン専用でつくられたようだった。

「お前があんな白いのを着たら笑えるじゃない?私はそんな見栄えの悪い近衛はいらないのよ」

 と、キトリーは堂々と言った。当然ながら王宮でただ一人、黒衣を着る近衛兵はヴァランだけとなり人々から〝黒衣の剣士〟と呼ばれるようになったのだった。だから今でも彼の事を〝黒衣の元帥〟と呼ぶ者も多い。


 それからは退屈とは程遠い試練の日々だった。護衛の仕事というよりも破天荒な王女のお守り役のようだったのだ。毎日その王女を探して王宮中を走り回っているようだった。

「ヴァラン様!姫がおりません!」

 こんな風に侍女モニクの悲鳴のような声から始まる。

「落ち着きなさい、モニク。姫が居なくなる前に何を話していましたか?もしくは何をして?」

「それは・・・あっ、この本をご覧になられておりました」

 ヴァランはその本を受け取り、パラパラと捲って見た。そして溜息をつくと探しに出たのだ。キトリーの行動は滅茶苦茶だが動向は読みやすい。興味を抱けば直ぐに実行するからだ。ヴァランは王宮にある大きめな木々を確認しだした。王女が直前まで読んでいた本に小鳥の巣の絵が載っていた。小さな雛鳥が一斉にくちばしを大きく開けて親鳥から餌を貰っている絵。キトリーなら興味を覚える筈だとヴァランは思った。


 彼の予想通り、キトリーは木の上にいた。そして急に現れた彼女に親鳥が攻撃中だった。

「ちょっと静かにしなさい!ヴァランに見つかるでしょう?もうっ!ちょっと見せてもらうだけよ。お前の雛を盗らないわ。きゃっ!もうっ!」

 キトリーはせっかくよじ登った枝の上で、突く小鳥を手で払いながら文句を言った。

 ヴァランは騒ぐ鳥の鳴き声を聞いてその木に向った。大きく枝を張った木の下に小さな靴が転がっていた。ヴァランはその真新しい赤い靴を拾うと真上を見上げた。王女は鳥と格闘している様子だった。

「もう!駄目!静かにしなさい、命令よ!ヴァランに見つかるじゃない!」

 雛を守る親鳥は王女のくるくる巻き毛を攻撃していた。

「姫!」

「ヴァラン!きゃっ――」

「姫―――っ」

 驚いて落ちてくる王女をヴァランは、持っていた靴を投げ捨て抱きとめた。そしてほっと息をつく。


「姫、何という無茶を!」

 流石にびっくりしたキトリーは一瞬黙ってしまった。そして自分がヴァランに抱きかかえられていると気がつくと真っ赤になった。

「お、お、お前が私を脅かすからよ!」

 ヴァランは小さく溜息をつき、投げ捨てた王女の小さな赤い靴を拾った。そしてキトリーを片手で抱いたまま、宙に浮いている王女の足にその靴を履かせた。それから王女を下へ降ろしその前に跪いた。

「大変失礼致しました。しかし木登りなど危険なものをなさってはいけません」

「木登りでは無いわ。雛鳥を見ただけよ。それにお前が必ず助けてくれるもの」

 相変わらず滅茶苦茶な言い方にヴァランは呆れて内心苦笑した。それから何とかその場から連れ帰る途中に第二王女と出くわしたのだった。

「まあ、ヴァラン。お久し振りね」

 ヴァランは彼女に跪き、差し出されている右手を恭しく取り口づけた。

「ご無沙汰しておりまして、申し訳ございませんでした」

 キトリーはむっとした。彼が跪くのは何も自分だけでは無い。ヴァランは上流の貴婦人なら誰にでもそうするのだ。だからキトリーは気に入らない。

「そうね。王宮に勤め始めたのに殆ど見ないのですもの。妹の面倒ばかりみているそうね?子供の相手ばかりしていないで、たまには私の相手もしてくれないかしら?」


「・・・・・・・」


 畏まりましたとも言えず、かと言って断りも言えず答えに窮した。

「姉様!ヴァランは私のよ!姉様の相手をする時間なんか無いわ!さあ、行くわよ、ヴァラン」

 キトリーは姉を睨むとヴァランの腕を引いて足早に去って行った。キトリーは今の歳の離れた姉はもちろん、侍女に至るまでヴァランに声をかける女達から彼を守るのが大変だった。名家の出身で見るからに勇壮な姿は若い女達にとって彼は十分気になる存在だ。しかもヴァランがそういった駆け引きを苦手としているので、その受け答えが可愛いと評判だった。油断も隙も無いとキトリーは何時も思っていた。


 そんなある日キトリーは人生最大の危機に陥ってしまった。

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