【短編】悪役令嬢の秘密
「あぁ、私は悪役令嬢なのか」
15歳の誕生日に突然前世の記憶が甦った私は、自分の高すぎる身分、美しすぎる容姿、ハイレベルすぎる教育内容に納得した。
私はリディア・リットン゠ゴア。
このラモン王国の筆頭公爵家の長女である。
切れ長の菫色の瞳が印象的な整った美しい顔。
腰まであるサラサラのシルバーブロンド。
15歳にして発育のよい胸元に、コルセットで絞られた細いウエスト。
誰もが認める美少女であり、王女がいないこの国では最も身分の高い未婚女子だ。
そしてこのラモン王国の第一王子の婚約者候補である。
幼い頃から、将来はこの国の王子と結婚し、ゆくゆくは王妃になるのだと厳しい教育に耐えてきた。
とくに、王家からジョージア夫人が1年前に派遣され綿密なプログラムが組まれて以降、厳しさが増した。
最近では、時折記憶が朧げになるほど朝から晩まで勉強やマナー等教養科目をこなしている。
「でも気づいちゃったんだな、私は悪役令嬢って」
姿見に映った自分自身を初めて見るかのように眺めた私は、ふうと溜め息をついた。
この世界は、前世で妹がハマっていた乙女ゲームとあまりにも似ている。
ヒロインが学園に入学してきたところから物語がスタートする。
私はメインの攻略対象であるエドワード殿下の婚約者、いわゆる悪役令嬢だ。
エドワード殿下とは1年くらい会っていないが、乙女の心を惹きつけて止まない、金髪に碧眼の見目麗しい王子である。
殿下は物語が始まるまで、高位貴族の子女としか交流がなかった。
そんななか、底抜けに明るく屈託の無い笑顔で笑うヒロインに出会って彼の世界が彩った、というお話だ。
重要な点は、ヒロインが幻の癒し魔法に目覚めて聖女となり、殿下の妃となる資格を持つこと。
それに嫉妬した私がヒロインを虐め、誘拐を企て、とにかく酷い行動を取ることである。
その結果、ハッピーエンドではヒロインを慰めた殿下は恋に落ち、二人は結ばれる。
ヒロインは王太子妃、ゆくゆくは王妃となる…
婚約者であった私の処遇はわからないが、婚約解消されていることは間違いない。
婚約解消は昔と違って傷物扱いされることはないが、第一王子の婚約者となると話は違ってくる。
政治的に難しい立場に置かれ、その後の婚姻の選択肢はかなり限られる。
しかも将来の王妃を虐めていたのなら、社交界に居場所はないだろう。
ノーマルエンドでは、ヒロインは殿下と結婚できるものの側妃となり、政治的配慮から私が正妃として君臨する。
バッドエンドでは、殿下はヒロインに恋しているものの、政治的なしがらみで私を妃とするしかなく、「心の中ではお互いだけを思い合おう」と約束して別れる…
他の攻略対象には別の当て馬がいたような気がするので、ヒロインが殿下との恋を選択しない限り、必ずしも彼女のストーリーに巻き込まれるというわけではない。
しかし彼女が殿下を選んだ場合、悪役令嬢の私は、殿下の婚約者となっても婚約解消されて不遇な人生を送るか、結婚しても愛されずに政治的なコマとして使われるか、どちらかになる可能性が高いのは間違いない。
うん、絶対イヤ。
幸い、私はまだ婚約者「候補」である。
近年の国際政治の状況を鑑み、ラモン王室が西の隣国のお姫様をエドワード殿下の妃とする選択肢を検討しているからだ。
東の帝国が軍事増強しているので、王族の婚姻によって非公式な同盟を結ぼうとの試みである。
現在、エドワード殿下は婚姻の可能性を模索するため、西の国の学園に留学中だ。
お姫様との相性が悪すぎると、非公式な同盟どころか、むしろ二国間関係を悪化させる可能性がある。
また、お姫様の性格や教養も、この国の貴族たちの頂点に立つ者として相応しいのか、精査しなけれらならない。
エドワード殿下は17歳、お姫様は16歳。
殿下があちらに行ってそろそろ1年経つので、答えが出ているのだろう。
そろそろ帰国するようだと噂されている。
ここが本当に乙女ゲームと同じ世界なら、西の国との婚姻は成立せず、殿下は私と婚約するのだろう…
**********
私の予感は的中した。
記憶が甦ってしばらくしたある日の晩餐で、私に似た端正な顔立ちの父が、淡々と語った。
「エドワード殿下と西のお姫様との婚姻の可能性は断たれた。随分とわがままでとてもじゃないが国の頂点に立てる器ではなかったそうだ。むしろ、あんなお姫様を妃候補として出してきた西の国との関係が悪化してもおかしくなかったと、同行した宰相補佐が言っていた」
私は溜め息が出そうになるのを堪えた。
「だから、婚約者はリディアに決まった。オマエがこのラモン王国で一番身分の高い未婚女性で、美しい淑女だからだ。君に期待されている役割は、貴族女性の頂点に立ち、派閥をまとめ上げ、万が一戦争となった場合、反対意見を押さえつける力を持つことだ。」
うん、でもエドワード殿下はヒロインに出会って恋するんだよ。
とはいえ、現実的に考えて、貴族女性の頂点に立つことができる令嬢は、ラモンには私を含めて2-3人しかいない。
彼女たちの一人がヒロインであれば問題ないが、ぼんやりと朧げに覚えているヒロインの顔は、彼女たちとは似ても似つかない。
ヒロインが聖女であれば、彼女との縁も望ましい。
しかし、戦争が起きるかもしれないのであれば、王家は政治力のある筆頭公爵家の長女である私の力を求めるだろう。
そっか、だから私が正妃、ヒロインが側妃というのがノーマルエンドなのか。
でも、エドワード殿下とヒロインがイチャイチャしている側で淡々と仕事する役回りなんて辛すぎる。
この婚約、回避しなくては…
考えろ、私。
「確かに、姉上はこの国で最も高い身分の未婚女性ですね」
同じテーブルに着いていた2つ年下の弟が呟いた。
「そうだ。国王夫妻のあいだには王子しかおらず、王弟殿下のご息女お二人は既に外国に嫁がれている。したがってリディアが未婚女性としては最も高い身分となる。貴族の女性をまとめ上げる配役にはピッタリだろう」
言われてみると、私って大した身分なのよね。
お姫様みたいね…
場面によっては皇女様って呼ばれることもあるしね。
ん…?皇女…?
それだ!!
「お父様、エドワード殿下と西の皇室との婚姻が流れた今、私の高い身分を単にこの国の貴族を主導することのみに使用するのは早計かと思います」
父が眉をピクリとあげる。
「どういう意味かな?」
「烏滸がましくも、今ラモンに王女がいないことを考えますと、私の地位は王女に匹敵するかと。お父様のお母様であるお婆様は王女であったわけですし、実際に王族の血を引いております。国王の養女となり、例えば…南の隣国の王族に婚姻の打診をすることも可能ではないでしょうか」
「リディア、エドワード殿下のことはいいの…?」
母が心配そうに聞く。
「お嬢様、僭越ながら意見しますと、私も心配です。外国ではどんな目に遭うかわかりませんわ」
家庭教師のジョージア夫人も言う。
「私の感情より、政治を優先すべきかと」
父は真顔になり、黙ってしまった。
こういう時の父は、政治的なしがらみだの何だのを頭の中で光の速さで検討しているのだ。
悪くない反応ね。
それからしばらくして、私は南の隣国に1年間留学し、あちらの王族との婚姻の可能性を模索することになった。
使節団が王宮に滞在して南の政治状況を確認し、私は学園で貴族の子女たちと交流し、非公式な同盟を結ぶべきか検討するのだ。
エドワード殿下との婚約の可能性がゼロになったわけではないが、これで乙女ゲームが始まる時期に本国の学園を不在にすることができた。
来月にはヒロインが入学し、西の隣国から帰国したエドワード殿下は高等部3年に復学する。
***** 3ヶ月後 ラモン王国 *******
「まぁ、エドワード殿下が連れてらっしゃるのは、最近下品な行動で話題に上がっている男爵の庶子ではなくて?」
「まぁ、彼女が。庶子ってきっと母親は娼婦か何かなのね。珍しいピンク色の髪で、随分可愛らしい顔だけど、お里が知れるわね。品がないわ」
「学園で殿下の周りをうろついてるって噂は本当でしたのね」
扇子で口元を隠しながら、着飾った女たちが色めきたってヒソヒソと楽しそうに話している。
ここは、セントクレア伯爵家の非公式な夜会会場である。
セントクレア伯爵家の次男がエドワード殿下の側近であるため、殿下が顔を出しに来たらしい。
貴族達の注目の的になっているのは、エドワード殿下の腕にぶら下がっているドロシー・スコット男爵令嬢である。
少し編み込まれたふわふわのピンク色の髪は綿菓子のようで、小さな顔は整っているのに可愛らしさもある。
翡翠色の大きな瞳は目尻が少しだけ下がっており、優しげな印象を与える。
折れそうなくらいに細いが、胸元は少し膨らんでおり、プリンセスラインのドレスを上手く着こなしている。
胸元にはエドワード殿下の瞳の色の大きなサファイアのネックレスが光っている。
この宝石の意味することは明らかだ。
彼らの滞在時間は短かったが、貴族に与えた印象は絶大であった。
この日を境に、エドワード殿下がドロシー・スコット男爵令嬢に入れ込んでいるとの噂が貴族社会を席巻することになった。
*** ラモン王宮 *****
「このままではエドワード殿下は貴族をまとめ上げる求心力に欠けることになります」
宰相補佐であるマクファーレン侯爵が苦々しげに発言した。
ここは枢密院と呼ばれるラモン王国の政治の中枢部で、国王と10人の高位貴族が円卓についている。
「エドワード殿下はドロシー・スコットに関して何とおっしゃっているのです?」
リットン゠ゴア筆頭公爵がマクファーレン侯爵に聞く。
「何でも、スコット嬢は癒しの魔法が使えるとかで、聖女としてお披露目し、妃に迎えたいと…」
「聖女だと…!?そんなものが…」
一同は驚愕しつつも懐疑的だ。
「オッホン」
国王が注意を向ける。
「癒しの魔法と言っても、微々たるものだ。病気や大怪我を治すことはできない。治せてかすり傷だろう」
「そんな…それでは聖女などとはとてもじゃないが呼べません」
「いや、それでも聖女という肩書きで国民の人気を獲得することができるのでは?」
「エドワード殿下のお考えは?」
「癒し魔法そのものが貴重であることは間違いないので、かすり傷の治療を大衆に見せることで能力を証明すれば良いとお考えのようです」
宰相のキャッドソン侯爵が発言する。
「それではその方向で行けば良いのでは?」
「確かに大衆はそれで満足だろうが、貴族はドロシー・スコットを受け入れることはないだろう」
「そうです。かすり傷を治したくらいで、男爵の庶子が王妃になど…」
「しかし、聖女であることは貴重ですぞ」
「癒し魔法は確かに価値があるが、ドロシー・スコットに将来の王妃は無理だ。まだ5歳だが、チャールズ殿下を王太子とする…?」
「しかしエドワード殿下は稀代の天才とも言われる優秀さであるぞ」
皆が国王を見る。
「オホン… 私はエドワードが次期国王になるべきだと思うが、スコット嬢に王妃が務まるとも思わない。うーむ、リットン=ゴア公爵よ、そちの娘を学園に戻し、ドロシー・スコットに淑女とは何であるか見せてやれ」
「確かに、リディア様のような美貌をもつ完璧な淑女を目前にすれば、スコット嬢は己の立ち位置を理解するに違いない!」
「それは良いお考えだ!」
リットン=ゴア公爵自身は、冷めた目で国王を見つめていた。
『要するに、リディアに責任を押し付ける気なんだな』
リットン=ゴア公爵は厳しく娘を育てたが鬼ではない。
理不尽な役回りを無条件に飲むことはしない。
「リディアは完璧な淑女ぶりとやらを見せれば良いのですな?それだけならできるでしょう」
「いやいや、完璧な淑女ぶりを見せて、スコット嬢を打ちのめすところまでやっていただかなければ」
キャッドソン侯爵が慌てて付け加える。
「どうやって?スコット嬢は聞く限り随分と厚顔ではないか」
「そ、それは…」
「そもそもリディアは南の隣国の王族との婚約関係を模索中です。今帰せば3ヶ月間の努力が水泡に帰すだけです。これは今日言うつもりではなかったのですが、リディアと第二王子との婚約のお話しが進んでいるようです。国際政治が不安定な今、リディアにはそちらの方で働かせた方がラモン王国への利益が大きいでしょう」
「しかしだな、やはりリディアが王妃になるべきだ」
いきなり国王が発言した。
「ドロシー・スコットが義理の娘なんて嫌じゃ。あんな下品な娘、国を傾けるだけじゃ。リディアはずっとエドワードの婚約者候補だったじゃないか。やはりリディアが良い。決まりじゃ」
リットン=ゴア公爵はギョッとして国王を見た。
「では、南の隣国の第二王子は…?」
「うーん…。とりあえず南の第二王子との話は一旦中断して、リディア嬢を緊急要件として帰国させ、2ヶ月間だけ学園に通わせよう。2ヶ月ならあちらも待てるだろう。」
「では、南の第二王子との話を一時中断とする限り、いくら陛下がエドワード殿下とリディアを婚約させたいとしても、それはお心に秘めておいて下さいね。国際問題になりますので」
リットン=ゴア公爵は念押しした。
「リディアは家庭の事情で緊急帰国としますよ。よろしいですね?」
***** ラモン王国王立高等学園 ******
こうして、私、リディア・リットン=ゴアはたった3ヶ月で本国に帰国することになった。
一時帰国だよね…?
2ヶ月だよね?
絶対南の隣国に戻るんだから。
せっかくイケメンの第二王子との婚約がまとまりつつあったのに…!
国王め。
私に何をしろと言うのよ…
イライラしつつ学園の門をくぐった私は、早速エドワード殿下とヒロインと思しき二人を見つけた。
護衛だの取り巻きだのに囲まれてるからすぐにわかった。
後ろ姿をじっと見つめていると、ふとエドワード殿下が振り返った。
その瞬間。
私は雷に打たれたかのように、その場に立ち尽くした。
頭を掴まれたような、殴られたような、よくわからないショックで麻痺していた。
淑女教育の賜物で、それは一瞬のことで私はすぐに殿下に向かって美しいカーテシーで挨拶したものの、まだ心臓はバクバクと轟いていた。
これが…ゲームの強制力なの?!
この一瞬で、南の隣国のイケメン第二王子のことはもはやどうでもよくなった。
エドワード殿下が私の脳内を占拠したのだ。
カーテシーで頭を下げていると、近くに誰かが歩いてくる気配がした。
「リディア、久しぶりだね。1年3ヶ月ぶりかな?」
エドワード殿下だった。
私は顔を上げて殿下の瞳を見つめた。
ああ、何で忘れていたんだろう。
エドワード殿下は私の初恋の人だ。
昔はよく会っていたのに、何で会わなくなってしまったのだっけ。
あぁ、厳しい淑女教育の日々のなかでいつしか思い出さなくなっていたんだ。
やや面長の整ったハンサムな顔。
ゆるくウェーブした黄金のような金髪。
サファイア色の、こちらの心を見透かすような冷たい瞳。
こんなに胸が熱くなるくらい恋しいのに、もう手の届かない人になってしまった。
今なら、ゲームの中のリディアがヒロインを虐めた気持ちがわかるかも。
ずっとずっと好きだったのに、ぽっと出のヒロインに横恋慕されたら堪らないよね。
どうして私はエドワード殿下のことを忘れられてたのかしら…
こんなに胸が苦しいのに…
「大変ご無沙汰しております。お元気そうで何よりでございます」
フッと左唇だけ器用に上げて笑った殿下は、面白そうに言った。
「お元気そうとは。君が何で帰ってきたのか、僕はわかってるつもりだよ」
「私ですらわかっておりませんのに、さすが聡明な殿下です」
「やめろよ、そういうの。幼馴染だろ。」
殿下は笑みを深くする。
私も完璧と言われる笑顔を貼り付けたまま、返す。
「では無礼講を許可されたとして端的に。恋人がおられるとか?」
「君のこと?」
殿下が蕩けるような笑顔を私に向ける。
それだけで私の動悸は激しくなる。
「わわわわ、私は婚約者候補でしたが、そういう意味ではなく…!!学園で懇意にされている方がいらっしゃると聞きました…!」
私の頬に熱が篭るのがわかった。
「ああ、もしかしてドロシー・スコット嬢のこと?そこにいるよ。」
エドワード殿下は興味がなさそうにチラリと後方に目を向けた。
後ろではスコット嬢がヒロインらしからぬ剣呑な表情で私と殿下との会話をうかがっていた。
あれ、ヒロインって屈託の無い笑顔で殿下を虜にするんじゃなかったっけ?
怖いんですけど…
「リディア?どうかした?
「いえ。ご婚約まで秒読みと父に伺っております」
「そんな話になってるの?初耳だなぁ」
殿下は面白そうに言う。
あれ?どういうこと?
「リディア、積もる話もあるから、生徒会室に行こう。」
殿下はスタスタと歩き始める。
私も慌てて着いていく。
え?ん?二人で?あの、ヒロインは?
「エドワード様ぁ!」
あ、来た来た。
ヒロインも行くのよね?
私は、涙目になって追いかけてきた可愛い顔を観察した。
さっきと全然表情が違う。
コロコロと表情が変わるのも魅力なのかしら?
睨みつけるのはどうかと思うけど…
「どうした?スコット嬢。」
「私も行きますぅ」
「来なくていいよ」
「エドワード様と一緒にいたいですぅ。てゆーかその人誰ですか?」
「リディア・リットン=ゴアと申します」
学園なので父の爵位等は省略した。
「あ、私はぁ、ドロシーでぇす。よろしくお願いしますぅ。エドワード様と仲良くしてますぅ」
「左様ですか」
「てゆぅかぁ、あなたはエドワード様の何ですかぁ?」
「臣下です」
「え、臣下って何ですかぁ?」
何なの、この頭の悪そうな女は!!!
エドワード殿下はこんなのに夢中になってるの?
趣味悪くないか…?
私はうっすらと微笑を浮かべながら、心の中の罵倒がバレないうちに退散しようとチラリとエドワード殿下を見たら…
エドワード殿下は軽蔑するような目線でヒロインを見下ろしていた。
ん?
何この顔?!
恋人にこんな顔する?
もしやそういう趣味…?
ヒロインに首輪をつけたり?
何で言うんだっけそういう人…確かサディs…
「リディア」
「はい」
「失礼なことを考えるのはやめてくれ」
「え」
「行くぞ」
「は、はい」
「えー、ドロシーも行きますぅ」
「来なくていい。ハロルド」
殿下が取り巻きの一人を呼ぶ。
「ドロシー・スコット嬢を教室まで送ってやってくれないか」
「かしこまりました。さぁ、ドロシー嬢、行きましょう」
「えー、ドロシーはぁ…」
ヒロインはまだ何か呟いていたが、連行されて行った。
「さぁ行こうか、リディア」
エドワード殿下が眩しすぎる笑顔で私に手を差し出した。
「ありがとうございます」
身体中の熱が顔に集まってるに違いない。
きっと私は真っ赤な顔をしているんだろう。
生徒会室は上質なマホガニー材で床と家具が統一され、壁紙はシャンパン色の絹で彩られており、高級感がありつつも嫌らしくない品の良い調度品で飾られていた。
リディアは何となくホッとした気持ちになり、麻でできたベージュ色の異国風のソファにゆったりと座った。
実はこの部屋が、人の気持ちを解すことを目的としてエドワード殿下に指名された精神科医とインテリアコーディネーターによって整えられたことを、リディアはもちろん知らない。
この部屋で何人もの貴族子女達がその心の内を吐露してきた。
「さてリディア、積もる話があるね」
「そうでしょうか」
リディアは内心ドギマギしながら返答する。
実際、リディアの心の内は大いに荒れていた。
なぜ私はエドワード殿下に恋心を抱いていたことをすっかり忘れていたのかしら。
これぞ王族というオーラ、カリスマ性、そして笑顔になるとゾクゾクするほど魅力的。
1年前はどうやって会話していたのかしら…
何だか頭に霞がかかったように思い出せないわ…
殿下は向かい側のソファからリディアのソファの前に置かれていたオットマンに無造作に座り、唐突に口を開いた。
「なぜ殿下と呼ぶ?」
はい?
てゆーか距離が近い…!!
「それに僕からの手紙になぜ返事をしなかった?」
「殿下からの手紙ですか?」
「そう、僕からのだ」
「一通も受け取っておりません…」
「やはりな」
ん?あっさり?
ホントに手紙出してたの?
「あの…」
「リディア、ジョージア夫人とはどのようなプログラムで勉強を進めていた?」
え、ジョージア夫人?
王室が派遣した王太子妃教育の家庭教師の?
手紙はもういいの?!
すっごく気になるんですけど…!!
私はザッとプログラムの内容を殿下に伝えた。
「だいぶ量が多いな」
「やはりそうだったんですね、南の隣国に行くまで、時々朦朧となるくらい毎日勉強に明け暮れていました。よっぽど疲れて寝たのか、気づいたら朝だったこともあるくらいです」
「朦朧ね…」
エドワード殿下が考え込むように顎に指をあてる。
はぁ、そんな仕草だけで素敵。
どうして私は殿下を忘れていられたのかしら。
その時、誰かが生徒会室をノックした。
「エドワード殿下、セントクレアです」
「入れ」
殿下付きの側近であるロバート・セントクレア伯爵子息が登場した。
チラリと私の方に顔を向けお辞儀をして、殿下に目配せする。
「リディアの前で話してかまわない」
エドワード殿下が言うと、ロバートは口を開いた。
「では単刀直入に。やはり、催眠術の形跡がありました」
そういってロバートがエドワード殿下に提出したのは、リディアも見たことがある奇妙なネックレスだった。
「それはジョージア夫人のネックレスですか?」
「ええ、ジョージア夫人を拘束し、持ち物から押収しました」
「こ…拘束…?!」
「リディア、君はジョージア夫人に催眠術をかけられていたんだ」
「えぇ!!」
私は淑女らしからぬ声を上げてしまうほど、心の底から驚いた。
「君が南の隣国に嫁ごうと考えたのはなぜ?」
殿下は子どもをあやすように、優しく聞いた。
「それは…」
「西のお姫様と僕との婚約話が出た時に、婚約者候補の君とは距離を置かざるをえなかった。それでも僕らは恋人関係だった。だから僕は西の王室と1年以内に話をつけるから、君は水面下で王太子妃教育を家庭で続けるという話だった」
そんな話知らない…
恋人だなんて…
私は嬉しさのあまりポッと顔を赤らめたが、エドワード殿下の冷笑にピリピリとした怒りを感じ取ると、スッと表情を消した。
そりゃ、本当にその通りなら殿下がお怒りになっても仕方ないわ…
でも私は何で忘れてたのかしら…?
私の顔色は、血の気を失い真っ白になっていたようだ。
「殿下、お怒りになるのはわかりますが、リディア様は催眠術にかかっておられたんですよ」
ロバートが主君を諌めた。
「そうだが…」
「セントクレア様、催眠術とは何でしょう?」
ロバートは先ほどのネックレスを持ち上げて揺らした。
「確かこうやって、このネックレスを揺らしながら、対象者に何らかのことを伝えたり、強く願ったりすることによって洗脳するそうです」
ロバートがネックレスを揺らした瞬間、リディアの顔色がさらに白くなり、グラリと身体を前に傾けた。
「危ない!」
エドワード殿下が抱きとめたところ、リディアは意識を失っていた。
「リディア!」
「医務室の医者を呼んで参ります!」
ロバートが駆け出した。
エドワードはリディアをソファに横たえ、愛おしそうに髪を梳いた。
「リディア… 本当に催眠術にかかっていたなんて。今まで気づいてあげられなくてごめんね…」
********************
その後、ジョージア夫人は東の帝国の手先であることが判明した。
領土的野心を持つ東の帝国は、ラモン王国と西の国とを戦争させ、疲弊したところを一気に攻め入ろうと目論んでいた。
そこで東の皇帝は、西の国の中枢に入り込んでいたスパイに、我が儘で空気の読めないお姫様との婚姻をラモン王国にゴリ押しするよう、政府高官たちに催眠術をかけさせた。
婚姻が不成立でも、そのようなお姫様をゴリ押しした西の国へのラモン王国の不信感は募るし、成立してもお姫様はラモンの貴族をまとめあげることはできない。
いずれしても、二国間関係は不安定となり、次に何らかの事件が起これば戦争となるーーーそうした計画であった。
ところが、エドワード殿下と宰相補佐の手腕により、二国間関係にヒビを入れることなく婚約は白紙となった。
このままでは、ラモンでは有力貴族のリットン=ゴア家と王家との婚姻が成立し、国の求心力が高まってしまう。
東のスパイ課のなかでも、色気のあるハンサムな工作員がラモンに送られた。
当初はリディアを籠絡して駆け落ちさせる予定であったが、工作員が夜会会場でリディアに相手にされることはなかった。
そこで工作員はジョージア夫人に近づき、催眠術を教え込み、リディアとエドワードを婚約させないようにと画策したのであった。
******ラモン王宮********
「不思議なのは、催眠術で私に刷り込もうとした内容です」
リディアは専門家による催眠解除によってすっかり記憶を取り戻しており、この日は王宮を訪れてエドワード殿下とティータイムを楽しんでいた。
「前世の記憶で私自身を悪役令嬢と思わせるなんて、不要なプロセスがありすぎる気がするんです」
「あぁ、それか。ジョージア夫人は、リディアにドロシー・スコット嬢を虐めさせ、誘拐計画等を立てさせようとはしていたが、乙女ゲームとやらのことは伝える気はなかったようだよ」
「前世とか乙女ゲームとか、そもそも存在したんですか?それにジョージア夫人がドロシー様の存在も知っていたってことは、ドロシー様も東の手先でしたの?」
ティーカップを持ちながら、華奢な首をちょっと傾げているリディアは、儚げで本当に美しかった。
エドワードはリディアに見惚れながら、彼女が自分のもとに帰ってきてくれたことに本当に安堵した。
乙女ゲーム。
確かにそれは存在した。
二世代前の王妃が「ニホン」という別世界からの「転生者」というもので、彼女はこの世界が乙女ゲームのそのものであると考えており、自身はヒロインであったと記した日記が死後見つかっている。
二世代前の王妃の日記は、王家と一部の高位貴族間で秘匿とされた。
だが、市井にたびたび出現する「悪役令嬢」や「ヒロイン」に関する小説を鑑みると、王妃のような転生者はある程度存在するのだろう。
実際、ジョージア夫人も転生者であった。
「ジョージア夫人は、ずっとこの世界が前世で彼女の妹がハマっていた乙女ゲームの世界のようだと思っていたそうだ」
「それ、私が思ったことですね」
「リディアは転生者ではないよ。ジョージア夫人の催眠術が中途半端だったせいで、ジョージア夫人の考えが必要以上に君に伝わってしまったんだ」
「つまり、ジョージア夫人の構想として、私を悪役令嬢に仕立てるというものがあって、私には虐めをすることだけを指示したかった?」
「そう、そのとおり。君が南の国に行くと言い出したとき、連中は相当焦ったようだよ」
エドワードが面白そうに言った。
「ところで、ドロシー様も操られていたんですか?」
「操られていない。彼女も工作員だった」
リディアの眉が少し寄る。
エドワードが面白そうに会話を続ける。
「東の帝国は、君にはハンサムな工作員、僕にはドロシー・スコット嬢を送り込んだんだ。君は工作員を相手にしなかったようだね、さすがだよ。だからジョージア夫人経由という面倒な手を使ったわけだけど」
リディアは口をとがらせた。
「エドワード様は、ドロシー様にご執心だったとか?」
フンとエドワードは鼻で笑った。
「僕がせっかく西の国から帰ってきたのに、君は南の王子と婚約しようとしていたからね。君を呼び戻すためには、ちょっと愚かなフリをしなくてはならなかったからね」
「あ・・・」
「父である国王は、半ば強引に君の帰国をリットン゠ゴア公爵に命令しなければならなかったよ」
リディアは気まずさから少し顔を赤らめて、話題を変えた。
「南の国には、ラモンでの東の帝国の内政撹乱行為をお伝えしたのですよね?」
「もちろん。東の帝国に正式な抗議文書を送る前に、西、南、北の国と軍事同盟を締結すべく、今は急ピッチで外交使節団が交渉を進めているよ。おおむね上手くいっているけどね」
エドワードはチラリとリディアを見た。
「いくら催眠術にかかっていたとはいえ、僕は傷ついているよ」
「申し訳ございません・・・」
「償ってくれる?」
「もちろんでございます。私ができることであればですが」
「できるよ」
エドワードは、学園で「王子のキラキラスマイル」と呼ばれる笑顔をリディアに向けた。
リディアは思わず赤面する。
「リディア、今日は僕の部屋に泊まろうね」
「え!」
「さぁ、もう行こうか」
「え、あの!」
ラモン王国は、リディアとエドワードが結ばれることによって、安定の時代を築くのであった。
2作目です。前作はお正月休みでなんとか完結しましたが、本作はゴールデンウィークに書き初めたものの、仕事が多忙すぎてなかなか筆が進まずやっと完結です。
次作はヒロインと王子様のテンプレを書いてみたいと思っています。仕事の合間に書くので、ゆっくりペースですがまた読んでいただけると嬉しいです。