第八十七話「生ける伝説、再び」
完全に角田の手中に堕ちてしまった飛鳥。
その様子は、さながら恋人同士のようだ。
しばらく背後から角田の腕に包まれる飛鳥を眺めていた銀子だったが、響香とアイコンタクトをとったのちに口を開いた。
「角田くん! わたしたちとクロスレイドで勝負しなさい!」
「……はァん? クロスレイドで勝負ゥ?」
とぼけたような返事をする角田を無視して、銀子が条件を突きつける。
「わたしと響香……そして君と飛鳥ちゃんでダブルス勝負をしましょう!」
「……でェ?」
「わたしたちが勝ったら飛鳥ちゃんを返して! もし、わたしたちが負けたら──」
そう銀子が言いかけたとき、角田の言葉が銀子の言葉をかき消した。
「…………やだねェエエエエエエ!」
「え……?」
目を丸くして驚く銀子。
角田の反応に、響香も隣で唖然としている。
不気味な笑みを浮かべて角田が答えた。
「クロスレイドなんてやるわきゃねェっしょオ……? オレ様たちは将棋派なんだよォ! もう飛鳥も将棋にしか興味なくなっちゃってるからァアアア!」
「そ、そんな…………」
動揺する銀子たちに、今度は角田が条件を提示してきた。
「……将棋でだったら勝負してやるよォ?」
「しょ、将棋…………」
銀子たちは、予想外の展開に同様を隠せずにいる。
すると角田は、銀子たちに迷う暇すら与えないように、すぐさま決断を迫るような態度に出た。
「イヤならこの話はなしだァアアア!」
「ちょ……⁉ ちょっと待って!」
焦った銀子が、思わず声を上げた。
その反応を待ち構えていたかのように、勝手に話を進めようとする角田。
「それじゃ、将棋対決で決まりってことでェエエエ!」
「え……? ま、まだ将棋で勝負するって決めたわけじゃ……」
「だったら、辞めんのかァ⁉ このチャンスを逃したらもう勝負は受けないからァ! ほらァ……どうすんのォオオオ⁉」
完全に角田のペースに翻弄される銀子たち。
お互いの顔を見合って覚悟を決めたのちに、銀子が答えた。
「わ、わかったわ……。わたしたちが勝ったら飛鳥ちゃんを解放してもらうわよ……」
ふたりの表情は不安に満ち溢れている。
銀子たちが将棋対決を承諾したのを確認すると、角田は卑しい笑みを浮かべて言った。
「だったらァ……オレ様たちが勝ったら、おまえたち二人ともオレ様の再洗脳を受け入れてもらうからなァアアア!」
「い、いいわ……その代わり、そっちもちゃんと約束は守りなさい!」
「よォし! 交渉成立ゥウウウ! もう取り消せないィイイイ! ひゃッはァアアア!」
角田の不気味な言動に、ドン引きして退く銀子と響香。
「おまえたちも再洗脳してから将棋中毒に変えて、オレ様たちと同じように取り返しのつかない身体にしてやるからァアアア!」
狂った笑みを浮かべて角田が言葉を続ける。
「ちなみにィ……! 前ンときも言ったけどォ、もし解放したとしても飛鳥がオレ様のもとを離れたくないって言ったら、それは飛鳥の意志だからァ……! それはオレ様にどうこうする権利はないからァアアア!」
「────っ⁉」
角田の言葉に、銀子が反抗するように声を荒げた。
「ひ、卑怯よ……! わたしたちが勝ったら、飛鳥ちゃんの洗脳を解きなさい!」
「残念だけどォ……もうオレ様の意志で解くことは不可能になっちゃいましたァアアア!」
「……え?」
「もう飛鳥は、永遠にこのままだってことォ! 二度と元には戻らないィイイイ!」
「う……そ?」
響香が唖然とした表情で答えた。
「そもそもォ……。仮に洗脳が解けたとしてもォ、今の変わり果てた自分の姿に絶望して、結局は暴走で頭がおかしくなっちゃうんだよォ……。そういう風に作り変えてやったァ……! あとはオレ様みたく狂っていくだけェエエエ! もう飛鳥は永遠にオレ様と一緒なんだァアアア! ひィやッはァアアアアアア!」
もはや手遅れとなってしまった飛鳥の姿を見て、言葉を失う銀子と響香。
そのふたりの表情が角田に新たな快感をもたらす。
「あァアアア……! いいィ……イイぞォ…………そのカオォオオオオオオ! もっと絶望しろォオオオ!」
「あ……あなたっていう人は……!」
苦悶の表情を浮かべた響香が、角田に怒りを向けた。
だが、その響香の表情さえも、すべて角田のエネルギーへと変わっていく。
恍惚の表情を浮かべながら、角田が言葉を口にした。
「それからァ──もう交渉は成立したからなァ! 飛鳥が二度と元に戻らないからって、いまさら賭けをしないは通用しないからァアアア! 絶対におまえらもオレ様のモノにしてやるゥウウウウウウ!」
完全に追いつめられた銀子たち。
クロスレイドで勝負を持ちかけたはずが、いつの間にか将棋の勝負にすり替えられ、飛鳥を解放と引き換えに自分たちの洗脳権を角田に与えてしまったのに、肝心の飛鳥の洗脳はもう解けないという──。
結果的に、リスクしかない勝負をすることになってしまったのだ。
「ひ、卑怯よ……」
銀子がぽつりと小さく口にした。
自分の判断で、響香までもが角田の手に堕ちてしまうことが許せなかったのだ。
だが角田にとって、銀子たちの都合は関係ない。
「知るかァアアア! きっちりと約束通りの条件で将棋対決してもらうからなァアアア!」
しばらく睨み合ったあと、覚悟を決めた響香が銀子に言った。
「もう……やるしかないです! とにかく、無理やりでも飛鳥さんを奪い返して連れ帰りましょう……」
「…………そう、ね」
響香の決断に、銀子も賛成する。
そしてお互いに頷き合ってから、銀子が角田へと話しかけた。
「……それで、どこで対決するの?」
「オレ様の家には将棋盤が一面しかないから、近所にあるオレ様行きつけの将棋道場でヤるぞォ! 大丈夫だァ……ほとんど客はいないようなボロ道場だから、誰にも邪魔されることもないしィイイイ! わかったらオレ様についてこいィ、おまえらァ!」
そう言って、意気揚々と玄関ドアを開けて外に飛び出した角田。
その瞬間────
「ぶべェエエエエエエ⁉」
角田の部屋の中いた銀子たちの視界から角田が消えた。
何者かに蹴り飛ばされたのだ。
開いた玄関ドアから見える空間の先に、何者かがゆらりと姿を現した。
外の光に照らされたその横顔から、その人物が老体であることは確認できる。
明らかに常人とは異なる気を纏った貫禄のある風貌──
その姿を目にした銀子が、驚きの声を漏らした。
「え……? ま、まさか…………あなたは……⁉」
角田を蹴り飛ばした方向へと鋭い眼光を向けて、とてつもない殺気を放つ老体。
「────おまえが正之進のせがれか?」
直後、やや遠くから聞こえてくる角田の怯えたような声。
「う……う………ウソだろォオオオ⁉ なんで、おまえがァ……ここにいるんだァアアアアアア……⁉」
銀子と響香は駆け足で玄関ドアから外に出ると、その人物の後方へと周り込んで角田が蹴り飛ばされた方向を確認する。
角田は、隣部屋の玄関ドア前あたりに座り込み、怯えながら老体を凝視していた。
遅れて外に出てきた飛鳥の前を横切るようにして、老体が角田に近づいていく。
「頼まれたから、まさかと思って来てみれば……」
その老体は角田の目の前まで到達すると、その鋭い眼光を角田に向けて威圧した。
「相変わらず、勘だけは鋭いな────あのバカ弟子は」
角田が身体を震わせながら、思わず叫んだその名は────
「桐生ゥ────────……宗介ェエエエエエエエエエ⁉」




