第八十六話「支配欲の果て」
角田へ向けて無言の圧を放つ銀子。
角田は、玄関ドアの前に座り込んだまま、銀子の迫力に気圧されている。
その真ん中あたりの地面には、身体を痙攣させながら響香が横たわっていた。
銀子は倒れ込む響香へと近づき、その身体を抱き抱えて呼びかける。
「響香……! 響香!」
「あ…………あぁああ……」
瞳孔が開いた響香の視線が、宙を彷徨う。
その目は大きく開かれ、瞳が小刻みに揺れていた。
「しっかりしなさい……響香!」
銀子の平手打ちが響香の頬を捉えた。
パァンという音が辺りに響き渡る。
我に返った響香は混乱したような表情で、銀子の顔を見つめながら口を開いた。
「あれ……? わ、私…………いったい何を……?」
銀子の腕から離れ、頭を抱えながらゆっくりと身を起こす響香。
辺りをキョロキョロと見渡し、玄関ドアの前に座り込む角田と、その近くに飛鳥がいるのを確認する。
「も、もしかして……私、角田さんに…………」
銀子は、立ち上がろうとしている響香に手を貸しながら言った。
「……ええ。気をつけて。まさか目を見ただけで洗脳することが出来るなんて……」
「目を見ただけで……」
銀子の言葉で直前までの記憶が蘇り、戦慄する響香。
すると、玄関ドアの前に座り込んでいた角田が、不気味な笑みを浮かべて言った。
「ひゃッはァアアア! 目ェ見ただけで洗脳出来るようになったのは、ここ数ヵ月の話だァ! なんかァ……最近になって力がみなぎってくるんだよォオオオ……! 気分がイイィイイイイイイ!」
「それで飛鳥ちゃんも……!」
銀子が攻撃的な視線を角田へと向けて呟いた。
銀子の発言を聞いた角田は、何かを思いついたかのような表情に変わって言葉を返した。
「ほォん……? なにか勘違いしてないかァ?」
「……どういうこと?」
「別にオレ様は、無理やり飛鳥を洗脳したってわけじゃないからなァ!」
さらに角田の口からは、耳を疑う言葉が飛び出した。
「むしろ飛鳥の方から『また洗脳して欲しい』って懇願してきたから洗脳してやったまでだァアアア! ひやッはァアアアアアア!」
「え……?」
角田の言葉に呆然とする響香。
銀子も隣で言葉を失っている。
何も知らない銀子たちに、角田が事の顛末を語り始めた。
数か月前──
皇家を訪れた角田。
目的は飛鳥の再洗脳。
角田を行動に駆り立てたのは、急激に増幅した竜崎の思念による精神の支配。
一時は我を取り戻し、自分の犯した罪を受け入れて、今後は人生を賭けて罪を償っていく覚悟を決めていた角田だったが、抗えない竜崎の思念によって再び欲望の感情を支配されたのだ。
竜崎によって増幅された角田の欲望とは、支配欲と自己顕示欲。
その結果、角田が手に入れた力が洗脳だ。
角田は飛鳥を隣に呼び寄せ、肩を抱き寄せながら解説を続ける。
「確かにオレ様は飛鳥を洗脳するために会いに行ったがァ、もうすでにその時点で飛鳥は愛欲に飢えた獣のように変わっちゃっていたんだよォ!」
不気味な笑みを浮かべながら話を続ける角田。
「つまりィ、もう飛鳥の身体はオレ様と一緒になっちゃったってことォ」
銀子が怪訝な顔で聞き返した。
「君と、一緒……?」
飛鳥がこんな風になってしまった過程が、角田の口から次々と明かされていく。
角田は留置場に身を拘束されている間、自身の身に起こった現象の原因について、金太郎たちによる予想を聞かされていた。
あくまで金太郎や将角の調査による推測でしかなかったが、その信ぴょう性については角田も自分自身の判断で評価していたのだ。
例の将棋棋士たちが暴徒化する原因不明の事例が多発していたことが、角田自身の支配欲と自己顕示欲の暴走、そして洗脳という特殊能力の発現に関係していたということ。
そして暴徒化する条件とは、将棋を愛する心を持つ者が負の感情を放出したときに反応するのではないかと考えられているそうだ。その者の心を侵蝕・暴走させる力として、まさに今この世界を覆うように働いているのではないかというのだ。
さらに角田は、金太郎たちがその原因と発生源を完全に特定するまで、何とか自我を保つように言われていたことも明かした。
もともと角田自身も、自分の身に起こったことについて考えなかったわけではないのだ。
それが金太郎の言葉を聞くことで確信に変わっていったのだという。
角田は醜い笑みを銀子たちに向けて言った。
「オレ様は御堂の話を聞いて理解したことがあるゥ。それはオレ様がわけのわからない力に暴走させられてェ、その結果こんな風になっちまったんだってことォオオオ! ただ将棋が好きだっただけなのにィイイイ! そしてェ……わかっていることは、もうオレ様はこの変な力によって心を壊されていく一方だってことォオオオオオオ……!」
さらに続ける角田。
「だがァ……! その代償に、思うがままに人を洗脳できる力を手に入れたがなァアアア!」
銀子たちは、無言で角田を睨み続けている。
そして自暴自棄になったかのような不気味な表情で、飛鳥の肩を撫でながら角田が続きを口にした。
「……もう飛鳥もォ…………オレ様と同じ身体になっちゃったんだって思うとォ……オレ様ァ……何か感慨深いなァ…………」
銀子がワナワナと身体を震わせながら角田に聞き返した。
「な……なに言ってるの…………君?」
「だからァ……。もう飛鳥はオレ様が何かしなくても、条件が揃えば勝手に欲望が暴走して頭がおかしくなる身体になっちゃってるんだってェエエエ! オレ様と同じィ! ひゃっはァアアアアアア!」
角田が狂った表情で高笑いをしている隣で、まるで別人のようになってしまった飛鳥が、虚ろな目で銀子たちを見つめている。
角田の言葉とその飛鳥の姿が、銀子たちを放心状態にさせる。
「ど、どうして……そんなことに…………?」
すると角田は飛鳥の頬にペロリと舌を這わせてから、薄気味悪い表情で語り始めた。
「もう飛鳥はァ……完全に将棋中毒になっちゃったってことかなァ……?」
角田が初めて飛鳥を洗脳して連れ帰ったあと、角田は飛鳥に将棋の知識を植えつけていたのだ。
ダブルス大会までの半年間、徹底的に飛鳥を将棋漬けにして、一時期は将棋しか考えられないようになるまで調教し、飛鳥に将棋の相手をさせて自分自身の将棋欲を満たしていたという。
「御堂のやつが無理やりオレ様から飛鳥を奪い取っても、もう飛鳥の深層心理に植えついた将棋への欲求は永遠に消えないィイイイ。ひゃっはァ! もし飛鳥が将棋をやりたいっておまえらに話してないなら、必死で隠していたんだろォ? 可哀想にィイイイ」
角田は先ほどより大きく飛鳥の頬を舐めてから続きを口にする。
「将棋なしじゃ生きられない身体になっちゃった飛鳥は、いずれオレ様を求めて戻って来るって確信していたァ! まさか自分から洗脳まで求めてくるとは思わなかったけどねェエエエエエエ! ひィやッはァアアア!」
狂ったように笑う角田を、信じられないといった顔で見ている銀子と響香。
さらに角田は話を続ける。
金太郎たちは、将棋棋士が暴走する条件として〝将棋愛〟と〝負の感情〟の他に〝心の弱さ〟も関係しているのではないかと予想していたそうだ。
つまり角田の場合は、過去の父のトラブル、そして両親の不幸、イジメなどのトラウマによるもので、金太郎たちの調査によれば他の暴走してしまった棋士たちも何かしらの心の悩みを抱えていたというのだ。
そう考えた場合、今回、飛鳥が暴走したカギとなったのは角田の来訪。
もともと飛鳥はドラゴンを呼び寄せられるほどの強い心を持ち合わせていたが、かつて角田に植え付けられたトラウマが今でも心の奥底に眠っていたのだ。
角田を見た飛鳥の心に過去のトラウマが蘇り、それが飛鳥の心に弱さを再び出現させてしまったのだ。
そこに竜崎の思念が流れ込んだ──。
さらに、そのトラウマ自体が負の感情として成立し、そこに角田に植えつけられた将棋愛の精神が竜崎の思念に反応した結果、角田と同じように飛鳥のなかにあった欲望が暴走した──
その欲望とは愛欲。
制御不能に陥った欲望が、飛鳥を愛を求めずにはいられない身体に変えてしまったのだ。
つまり──すべては角田のせい。
角田に洗脳され植えつけられたトラウマが飛鳥の心に弱さを生み出し、それが負の感情としても成立──
さらに角田に将棋を教え込まれたことによって竜崎の思念に反応する身体にされてしまった。
当時、ダブルス大会の時に飛鳥の言動がおかしくなっていたのは、あの時点で竜崎の思念が飛鳥の精神を侵蝕していたからに他ならない。
およそ四年前──
角田の支配から解放されたと思い込んでいた飛鳥。
だが実際は、あの時すでにもう飛鳥は────
結果、暴走した飛鳥は角田の歪んだ愛の象徴でもある洗脳を自ら受け入れたいと懇願した。
それから角田は、飛鳥が自分のモノになった証として、長かった飛鳥の髪を切ってボーイッシュな髪型に変え、自ら考案した角田マークを飛鳥の左腕にタトゥーとして刻み付け、身体のあちこちにピアスなどを埋め込んだのだ。
そして飛鳥は完全に角田のモノとなった。
「──それが半年ほど前の話だァ」
角田が舌なめずりをしながら言った。
戦慄する銀子たちを前に、さらに角田は言葉を続ける。
「しかもォ……この半年間、さらに将棋で調教してやったからなァアアア! もうオレ様と同じように、何かある毎に頭がおかしくなるようになっちゃってンだよォ! しかもオレ様の洗脳まで施されて……もう飛鳥の頭ン中ァどうなっちゃてるかなんて、オレ様にもわからないィイイイ……ひゃっはァ!」
両手を口もとに当てて動揺する響香の視線は、焦点が定まらずにいる。
「う……うそでしょ…………?」
「オレ様ばっかりこんな目にあってェ……可哀想だろォ⁉ だから飛鳥も同じにしてやったァアアア! オレ様と一緒ォ! 一蓮托生ォ! もう一心同体ィイイイ……! ひやッはァアアア!」
そして角田は、飛鳥の肩を撫でてからベロリと舌を這わせた。
「飛鳥も一緒に堕ちていくんだァ……。オレ様だけおかしくなるなんて認めないィ……! 飛鳥もオレ様と一緒におかしくなって……堕ちていくべきなんだァアアアアアア!」
直立不動のまま無表情で角田の発言を聞いている飛鳥。
まったく反抗する気配はない。
角田は飛鳥の後ろに回り込み、飛鳥を抱くように肩から腕をまわして耳元で囁くように言った。
「いずれ近いうちに、飛鳥も今のオレ様みたいになっちゃうと思うけどォ……そうなってもオレ様が、ずっと飛鳥のことを愛してあげるからァ……。このオレ様だけが、ずっと飛鳥を愛してやれるんだァ! どうだァ、嬉しいだろォオオオ……? ほらァ、わかったら返事ィイイイ!」
「……はい。ご主人様ァ……」
虚ろな目で角田の望む答えを口にする飛鳥。
そのあまりに異常な光景に言葉を失い、その様子を傍観している銀子と響香。
数秒の沈黙ののち、銀子がぽつりと呟いた。
「く……狂ってる…………」




