第七十七話「導かれた未来」
◇ ◆ ◇
金太郎の自宅前──。
「師匠!」
金太郎を〝師匠〟と呼ぶのは七海歩夢。
先日のクロスレイド・シングルス大会で、金太郎とクロスレイドのサプライズバトルをした少年である。
大会が終わってから間もなく、金太郎のもとを訪れた歩夢。
以来、歩夢は金太郎のことを師匠と呼んでいるのだ。
金太郎自身は、師匠と呼ばれることに抵抗を感じているようだが……。
「ねぇ、師匠ってば! 一体いつになったら将棋を教えてくれるのさ?」
「だから……もう少し待ってくれって言ってるだろ」
「もう少しってどれくらいだよ⁉ だいたい将棋を習いに来いって言ったの師匠の方だろ!」
歩夢が金太郎のもとを訪れてから、すでに二年以上が経過しようとしていたのだ。
歩夢の言い分はもっともである。
「いや、悪かったって……。まさか、こんなに早く来るなんて思ってなかったんだよ」
「そうは言っても、もうあれから二年以上も経つじゃないか。何か理由でもあるのかい?」
「俺だって、はやく教えてやりたいのは山々だったんだよ。だけど……」
「……だけど?」
実は警察から保護観察的な扱いで監視下に置かれていた角田だったが、その後に監視官の意識を操って逃走。
ふたたび事件を起こす騒ぎとなり、現在では警察の手によって拘束されている。
その件でも慌ただしい日々が続いていたのだが、角田を救うと明言した以上、金太郎は角田との意思疎通にも通いながら、角田ほか大勢の将棋棋士が凶暴化する不可解な事件の真相について、将角たちと調べ回っていたのだ。
金太郎が、歩夢に将棋を教えることを先延ばしにしてきた理由はそこにあった。
ひとまず、歩夢には直接関係ない角田の件はある程度伏せて、歩夢に将棋を教えられなかった事情を説明する金太郎。
「歩夢、おまえ──。最近、将棋の関係者が犯罪を犯す事例が増えているっていうの、聞いたことあるか?」
「ああ……うん。そのニュースなら、ちょっと前からテレビでも頻繁にやっていたしね」
急に真剣な顔つきになった金太郎。そして切り出した話題の内容。その時点で、歩夢もただ事ではない理由があることを察し始めていた。
「実は俺の知り合いで、恐らくそれに該当するヤツがいてな」
「まじで⁉」
「ああ。俺も実際に、そいつが豹変したところを目の当たりにしたんだが……。どうみてもアレは異常だった」
「それって……」
「明らかに──外部から、何らかの力で無理やり意識を捻じ曲げられているような……そんな感じだったぜ」
歩夢も真剣な表情に代わり、ひと時その場が何とも言えない重たい空気に包まれる。
それでも言葉を続ける金太郎。この際、歩夢にすべてを伝えなければならないと考えたからだろう。
「まあ……そんなわけだから──。おまえが将棋をすることで、万が一がないとも言い切れないだろ?」
返答に困っている歩夢を見て、そのまま金太郎が言葉を続けた。
「だから念のために、この問題の真相がハッキリするまで、おまえに将棋を触れさせない方がいいと思ってたんだよ」
「……そういうこと、ね」
お互いに納得の結果に着地はしたのだが、話題の内容が影響してか、少し気まずい空気が辺りを支配している。
しばらくの沈黙を経て、口を開いたのは歩夢だった。場を和ませるためか、少し冗談交じりに話し始める。
「でも、そういえば……。よく考えたら師匠だって将棋やってるけど、何ともないじゃん?」
「ああ……そうなんだよなぁ。原因はよくわかんないんだけど……」
「師匠が大丈夫なら、僕も大丈夫じゃないの?」
「俺も当然そういう可能性は考えたけど確証がないからな。あくまでこれは想定の話なんだよ。確率が高いとか低いとかの話でもないし、もっと言えばそれは〝かもしれない〟の話だろ? ましてや、その原因や機序がわかっていない以上、わざわざ今そんな博打みたいなことする必要がないってことだ」
歩夢は不満そうな顔はしているものの、その理由から金太郎の言い分の正当性も理解できていた。
確かに何の考えもなしに将棋に手をつけた結果、頭がおかしくなって犯罪を犯して逮捕────……なんていう事態は誰でも避けたい。
「ま、師匠がそういうなら仕方ないね。その問題が解決するまで待つことにするよ」
「ああ。悪いな、歩夢。ただ──行き詰っているというか、どうしても核心にたどり着けない。もう少しだけ時間がかかりそうなんだ」
「ふぅん……」
金太郎の言葉に対して、何か宛てがあるような仕草をみせる歩夢。
言うべきか、言わないべきか。歩夢自身、迷っているようだった。
歩夢の様子に何かを感じとった金太郎が、歩夢をじっと見つめている。
金太郎の視線によって決心したのかわからないが、歩夢が大きなため息をひとつ吐いてから、ゆっくり口を開いた。
「……それなら、博士にでも相談してみる?」
「博士?」
「うん。僕にクロスレイドを教えてくれた人」
「博士って……ああいう博士? 何か発明とかしてたりするような?」
「いや。ただ僕が勝手にそう呼んでるだけ。──まあ、確かに何か変なものを造ったりはしてるみたいだけどね」
言葉を続ける歩夢。
「僕にとって、第二の親みたいな人なのさ」
「そうか。で……その人が何か知ってそうなのか?」
歩夢はすぐには答えず、すぐ目の前にある自動販売機まで歩いていってコーラを購入した。
そして一口飲んでから、振り返りざまに金太郎の方へ視線を向けて続きを語り始めた。
「まだ僕が小さい頃、よく博士に聞かされていたことがあるんだけど……」
「よく聞かされていたこと?」
「うん。師匠が追っている謎と関係あるかはわからないんだけど、博士はこう言っていた」
先ほどまでとは打って変わり、真剣な表情で語り始める歩夢の姿が、事の深刻さを示しているかのようだった。
「いつの日か将棋界が悪意に浸食される時代が必ず訪れる────……」
「──っ⁉」
「……────その悪意は棋士の欲望を増幅し、いずれ世界を破滅の闇へと導くことになるだろう、って」
「ど、どういうことだ……それは?」
「さぁね。でも、同時にこうも言っていた」
戦慄を覚える金太郎をよそに、淡々と語り続ける歩夢。
その結末に現れた意外な言葉────……
「その時のためのクロスレイド──ってさ」
「その時のための────……クロスレイド?」
予想を遥かに超えた非現実的な言葉の数々に、金太郎の瞳が大きく見開かれた。
そして金太郎の反応を見た歩夢もまた、もはや後戻りできない重要な局面に足を踏み入れてしまったのだということを再認識したのだ。
「ま……。僕も詳しいことはよく知らないから、続きは本人から直接聞いてよ」
「……わかった。その人のところに案内してくれるか?」
「いいよ。ついてきなよ」
歩夢の案内で、歩夢のいう〝博士〟のいる場所を目指すことになった金太郎。
突拍子もない展開に、金太郎はそわそわして歩いている。一方、金太郎の前を落ち着いた様子で歩く歩夢。
途中、先ほどの会話で感じた疑問について、金太郎が歩夢に問いかけた。
「なあ、歩夢。……その人、将棋界に関係してる人か?」
「さあね。もともと僕は将棋に興味なかったから、よく知らないよ」
「そりゃそうか。ちなみに……名前はなんていうんだ?」
「どうせ今から会うのに、ここで聞く必要ある?」
歩夢の返答を聞いて、金太郎は「確かに」と納得して話を終わらせるつもりだった。
だが、すぐに歩夢が話題を蒸し返した。
「……ま。だからと言って、別に言わない理由もないか。博士の名は────……」
辺りは静まり返っている。
無音の空間が、歩夢の発した言葉の輪郭を、より一層際立たせていた。
「……────亞比真之介」




