第六十七話「悪鬼の過去」改済
◇ ◆ ◇
まもなく──
金太郎と響香の前で、角田の口から事の顛末が語られた。
すでに時間は響香の提示したリミットである10分に到達しようとしていたが、響香自身も角田の話に興味を示し始めて静かに耳を傾けていた。
将角の調査どおり、角田の父親は名の知れた将棋のプロ棋士だったという。
名は〝角田正之進〟。
話によると正之進は、非公式の試合で一度だけ桐生宗介を打ち負かしたことがあるという。
ただし公式試合ではなかったため、桐生の無敗伝説は守られたのだ。
さらに正之進は、それほどの腕を持ちながらタイトルをひとつも取ることなく、プロ棋士としての人生を終えたそうである。
話が事実であれば、あの桐生を打ち負かしたことがある時点で、決して実力がないわけではないことがわかる。
ただ運が悪かったのか、それとも当事者にしかわからない事情があったのか──
それは今となってはわからないことだが、少なくとも角田正之進の名が世界に轟くことはなかったのだ。
それだけは間違いない。
正之進は四十二歳で晩婚。子を授かったのは四十四歳の夏。
それが角田正男である。
そしてその六年後──
角田が六歳のとき、父親である正之進は五十一歳の若さで故人となった。
原因は言われのない誹謗中傷による精神的なダメージからの自殺だった。
あとを追うように角田を残して母親も命を絶ってしまったという。
この誹謗中傷の原因というのが、当時の正之進が実績のないまま協会の幹部職についてしまったことだったらしい。
実際に非公式とはいえ、ゆいいつ桐生を打ち負かした人物。
この話を知っている関係者たちの間では、正之進は一目置かれる人物だったのだ。
それならば当然、将棋協会から「是非とも幹部職に」という声があってもおかしくないだろう。
これが忖度と呼ぶに値するものなのかはわからない。
このあたりの事情は身内の発言となるため、どこまでが事実なのかは定かではないが、決して不正的なものではなかったはずだと角田本人はそう言っていた。
少なくとも角田自身の価値観では、そういうふうに感じていたということだった。
だが、その事実を知らない外部の人間たちからすれば、タイトルをひとつも取れずに引退した角田正之進が協会の幹部職につけるなんておかしいとか、何か不当な忖度が働いているのではないか──などと考える人々が現れることも必然だった。
実際に正之進のような事例は稀だと感じる。
ただ──
個を持った人々が多数存在する世界で、必ずしもすべてがマニュアルどおりの結果につながるわけではないということだ。
今回は、たまたま通常よりも多くの人々の中に、疑いの気持ちが生まれてしまった結果ということだろう。その疑いが時間とともに嫉妬へと姿を変え、人々の心を少しずつ蝕んでいったのだ。
そして、やがてその嫉妬心は周囲をも巻き込み悪意へと変わっていった。
それが角田正之進への誹謗中傷の正体。
その悪意の矛先は、息子である角田自身にも向けられたという。
実際に無冠だったとはいえ、プロとしてその腕前を大衆の前で披露してきた正之進。その実力自体は世間も認知していたはずなのだ。
しかしそれでも大勢多数が彼を認められなかった背景には、やはり『無冠』という事実が影響していたのだと思う。
結果『角田正之進はプロで戦える程度の実力はあるものの、タイトルをとれるほどの器ではない』という認識が、大勢の心の中に根付いてしまったのだろう。
やがてそれは『タイトルをとれる器ではない人物が、忖度によってお偉い役職の座についた』という僻みから、『その息子が父親の権力乱用により、不正にプロになった』という妄想にすり替わっていった。
悪意が生んだ妄想を何者かが言葉にすることにより、その妄想は事実へと誤解昇華され、世間に認識されるようになっていくのだ。
この頃、まだ六歳ほどだった角田は典型的ないじめの対象にされ、三年後に将棋界から姿を消すことになったという。
両親を亡くした角田は一度は親戚に引き取られるも、しばらくして親戚からも見捨てられ、施設に預けられることになったらしい。そこで知り合った人物が、角田にクロスレイドを教えたというのだ。
不本意に将棋を失った角田にとって、将棋に近いルールのクロスレイドは楽しみのひとつになっていったそうだ。
これらの記憶はトラウマ的に角田の脳に焼き付いていたようだが、時間とともに薄れていき、思い出すことも少なくなっていったらしい。
そして中学生になった時、たまたま立ち寄ったクロスガレージで、金太郎といっしょにいる飛鳥に一目惚れし、それがいつの間にか邪な感情へと変化していったそうだ。
角田は、このあたりから感情のコントロールが思うように出来なくなっていったと言っている。
そして例の事件。
遠くから飛鳥を眺めているだけだった角田が、ついに行動に移した瞬間だった。
飛鳥を手に入れたいという欲望と、クロスレイドで世界に名前を轟かせたいという欲望。
ふたつの欲望を目の当たりにした瞬間、まるで自分が自分じゃないかのような──
自分の内側から邪悪な感情がとめどなく溢れてくるような──
そんな感覚に陥ったらしいのだ。
もはや自分ではどうにもならない。まるで他人に支配されるような、そんな感情の大波が押し寄せてくるようになっていったのだと角田本人が証言している。
ほかにも角田は、思い出せるかぎりの過去をすべて話してくれた。
角田の告白は数十分にも及んだが、もはや響香も止める気などなくなっており、金太郎とともに無言で角田の話を聞き入っていた。
◇ ◆ ◇
ひととおり話し終えた角田の目から、大粒の涙がこぼれた。
横で銀子を抱えながら聞いていた響香は、角田の涙を見て困惑の表情を浮かべている。
「お、オレ様だってェ……。オレ様だってェエエエ!」
急に空に向かって大声で吠えた角田。
止まることなく流れ続ける涙。
金太郎も角田にかける言葉が見つからず、無言で立ち尽くしていた。
「オレ様だってェ……昔は真剣に将棋で頂点を目指していたんだァ……。誰よりも強くなってやるんだってェエエエ……」
涙を流しながら語っている角田の言葉を、金太郎と響香は戸惑いの表情を浮かべながら聞いている。
「なのにィ……周りのやつらが事あるごとに言うんだよォオオオ……。『所詮おまえは親の七光り。親の名前がなければ本当はプロにすらなれないレベルのカス』だってェエエエエエエ……! オレ様だって真剣にやってたんだァ! ちゃんと努力してェ……! ちゃんと勉強してェエエエ! なのにィ……なのにィイイイ……!」
「角田……」
「周りのヤツらが呑気に遊んでいる間も、オレ様はァ……オレ様はァアアア!」
一心不乱に訴える角田。だがこれは角田の言い分だ。実際に真実はわからない。
しかし少なくとも角田の中に、誰よりも努力してきたという自負があることだけは伝わってきた。
地面にひれ伏すようにして、握った両手の拳を地面に叩きつけながら泣き崩れる角田。
その様子を金太郎と響香が見守っている。
「おまえの無念はわかったよ……角田。よほどくやしかったんだな」
「オレ様はァ……オレ様だってェエエエ……」
地面に這いつくばり泣きじゃくる角田。
金太郎はしゃがみ込んで、可能な限り角田と同じ目線になるように腰を落とす。
「おまえの話は、将角の調べた内容と照らし合わせても辻褄は合ってると思う。それから最近あちこちで発生している事件に将棋棋士が不自然なくらい関与している件──」
金太郎は少し考えてから、続きを語り始めた。
「──いま世界で何かとんでもないことが起ころうとしているのかもしれない。おまえはその影響によって、感情を捻じ曲げられていた可能性もある。それが悪意のある第三者の仕業なのか、それとも俺たちの知らない世界そのものか──」
「お、オレ様が……憎くないんすかァ……?」
金太郎は、少し悩んでから答えた。
「憎いさ。憎いけど……過去の出来事について、おまえの人生は悲惨だったと同情するし──今回おまえが起こした事件についても、すべてがおまえの故意的な悪意じゃないって俺は思っている」
「せ、先輩ィイイイ……」
泣きつく角田に対して、厳しい視線を向けながら語る金太郎。
「ただ……おまえの罪が消えるわけじゃない。飛鳥も傷ついた。それに銀姉も……。直接被害にあったわけじゃない響香さんだって……周りの人間まで巻き込んでいるんだ。おまえは……罰を受ける権利がある。だけど……同時におまえの中に贖罪の気持ちがあるのなら、おまえにだってその分の救いくらいは与えられる権利もあるんだって、俺は──そう思うんだ」
「う……うぅ、うゥウ……!」
金太郎の言葉を聞いた角田が、再び地面へと泣き崩れた。
響香は、銀子を抱き抱えながら困惑している。
角田への怒りが消えたわけではないが、角田の過去を知ってしまったことから、振り上げた拳を向けるべき先を失っているのだ。
そして、金太郎はゆっくりと立ち上がり決意を口にした。
「大丈夫だ。俺はおまえを見捨てない」
夕日が沈みかけるオレンジ色の空の下、金太郎の眼差しは強く、遥か遠くを見つめていた。
第四章完結!
次回、EXエピソード!
新たな始まりの鼓動が、混沌へ続く世界を終末へと導く────




