第四十三話「乗り越える力」改済
本来、クロスレイドのダブルス大会におけるサプライズ将棋対局は、優勝したペアのふたりを同時に、ゲスト棋士が早指し将棋で相手をするというものだ。
だが今回は、不測の事態により将角が急きょ退場したため、金太郎がひとりで桐生を相手に勝負をしていた。
周囲にはビデオカメラを持った何人ものスタッフがスタンバイしており、対局の様子を撮影している。その映像が会場のいたるところに設置されている巨大スクリーンに映し出されるのだ。
巨大なフィールドにモンスターが出現してバトルを繰り広げるクロスレイドとは異なり、人と人が向き合って小さな盤の上で駒を指し合う将棋の対局は、巨大スタジアムの観客席から肉眼で確認すること自体が不可能に近い。
そのため、どの観客席からでも観えるように、いくつもの巨大なスクリーンを設置して、ビデオ撮影した映像を映しているのである。
まだ序盤だが、すでに桐生が発するプレッシャーに気圧され気味の金太郎。
慣れない将棋を前に防戦一方で、額には大粒の汗を浮かべている。
「くっ……⁉ つ、強いっ……⁉ これが──プロ棋士!」
「ふん……。すぐに片をつけてくれるわ!」
◇ ◆ ◇
一方その頃、角田と飛鳥が運ばれた病院では、いっしょに付き添ってきた将角が飛鳥の寝ているベッドの横で丸椅子に腰かけてスマホを弄っていた。
ふたりが病院へと運び込まれてから、すでに30分ほどが経過している。
しばらくすると、昏睡状態の飛鳥の横で黙々とスマホを弄っていた将角の耳に、聞き覚えのある声が入ってきた。
「ま、まさ……か、ど?」
「姉貴⁉ 気づいたのか!」
将角はスマホをポケットにしまい込んで、ベッドから起き上がろうとしている飛鳥の身体を横に戻す。そして飛鳥が今どういう状態なのか確認するため、飛鳥の記憶を探っていく。
「こ、ここは……?」
「病院だ。ダブルスの決勝戦が終わった途端、急に角田のヤロウが発狂しやがった。そしたら同時に姉貴もぶっ倒れちまって、この病院に運ばれてきたんだよ」
「うっ……⁉ 頭が──!」
ゆっくりと上半身を起こした飛鳥を、強烈な頭痛が襲った。
左手を頭に添えて、眉間にしわを寄せながら痛みに耐えている。
「大丈夫か、姉貴?」
「え、ええ……。あたし、ダブルスで、あんたたちと戦っていたの?」
「覚えているか?」
「ん……。ううん──。微かに記憶はあるんだけど……なんかモヤがかかったみたいな……。自分が自分じゃないみたいで……記憶も自分の記憶なのか、よく──わかんない感じ……」
飛鳥は、まだ少しぼうっとしている様子だ。
将角は腕組みをしながら、視線を横に向けて何かを考え込んでいる。
少なくとも今の飛鳥は、角田に支配されているという感じではない。
とはいえ、まだ飛鳥が完全に解放されたという確証もないため、将角は慎重に言葉を選びながら、彼女の状態を調べていく。
「姉貴。ぶっちゃけて聞くが……角田との記憶はあるのか?」
「ええ……。う、うぅん……違う。やっぱり、あまり記憶が……。ただ、何か──とても、怖い……!」
記憶を整理しながら、必死で言葉を絞り出す飛鳥。
下に向けられた飛鳥の視線は、焦点が定まっておらず、どこか宙を彷徨っている。
額からは汗が吹き出し、少し怯えているような表情をしているようにも見えた。
飛鳥と話してみて将角が感じたのは、深層心理レベルで彼女の状態を把握することは困難だということだった。少なくとも今の状態は正常。だが確実に元の飛鳥に戻ったのかと言われれば『わからない』というのが正直なところなのだ。
飛鳥の記憶は曖昧。自分の実体験を語るというよりは、まるで他人の行動の記憶を思い出そうとしているような──
記憶を失っているというわけではなさそうだが、明らかに何かがおかしいのだ。
この時点で、やはり飛鳥は角田に操られていたのだと確信する将角。
催眠術の類か、それとも洗脳──
もしくは、もっと別の何か。
そして、それは完全に解けたのか。それとも今だけなのか。
もう少し飛鳥の状態を確認ほうがいいと判断した将角は、さらに追及した話題を口にした。
「金太郎とのことは……覚えているか?」
金太郎の名前を聞いた途端、一気に青ざめる飛鳥。
直後──
涙を浮かべ、小刻みに肩を震わせながら、囁くように小さな声でつぶやいた。
「あ、あたし──」
「……姉貴?」
「あたし、なんてことを……!」
飛鳥の目は大きく見開かれ、その瞳は小刻みに揺れている。
そして飛鳥は、両手で顔を覆って泣き出してしまった。
記憶が曖昧とはいえ、自分が金太郎にしでかしたことを、飛鳥は認識しているのか。
角田のいいなりと化し、金太郎を嵌めて、すべてを奪いとり、孤立させた──
今の飛鳥の中には、とてつもない後悔と懺悔の気持ちが渦巻いているに違いない。
将角は、飛鳥の様子からその気持ちに気づいていた。
そして自分がデリカシーのない質問をしているのだということも理解しているのだ。
だが──
それでも将角は、あえて辛辣な質問を続けた。
理由はふたつある。
ひとつは、これから先に飛鳥が金太郎に負い目を感じることがないように。
そのためには、飛鳥自身が自分と向き合わなければならないということを、将角は痛いほどよくわかっているからだ。
そしてもうひとつは、これまでの延長である。
なぜ飛鳥があそこまで豹変したのか、今は元に戻っているのか、記憶はどうなのか、そして──
いったい角田は飛鳥に何をしたのか。
将角は、状況証拠や飛鳥の証言などから、その真相を暴こうとしているのだ。
「──姉貴。姉貴は……金太郎にしたことを覚えているのか?」
「あ……あた、しは……そ、そんなつもりじゃ……!」
「落ちつけよ、姉貴。俺は別に姉貴を責めるつもりはねぇよ。ただ──これは、どうしても姉貴の口から聞かねぇとならねぇんだ」
飛鳥は自分の身体を抱きしめるようにして、ガタガタと震えながら将角の問いに答えていく。
「あ、あたし…………。金ちゃんを騙して……大切な〈ゴールド・ドラゴン〉を奪い取って……! あんなに楽しみにしていた大会の出場権も奪い取って……。学校もっ、部活もっ、何もかも──! 金ちゃんの居場所をなくして追いつめたのは、あたし……! あたしはっ…………あたしが金ちゃんを────!」
飛鳥から想像を絶する自責の念が、これでもかというほど伝わってくる。
ふたたび顔を覆って泣き崩れる飛鳥。
将角は飛鳥の肩に触れようと伸ばした手を、寸前で戻して代わりに言葉で伝えた。
「姉貴。酷なこと思い出させてすまねぇな。だけど姉貴は、それと向き合わなきゃならねぇんだよ。また金太郎とこれまでどおりの関係に戻るには──な」
「将角……」
「あいつは別に姉貴を恨んでなんかいねぇよ。きっと姉貴が笑顔であいつのもとに戻れば、あいつは喜んで受け入れるだろう。だが事実から目を背けていたら、姉貴が金太郎に向き合えなくなっちまう。姉貴のほうが……自分で自分を許せなくなっちまうのさ」
さらに将角は言葉を続ける。
「今回の件。姉貴は自分の意思でやったわけじゃねぇんだろ? 自分を許してやれよ。それができたとき、金太郎と心からまた向き合えるからよ」
「うぅ…………将角……!」
飛鳥が将角に泣きつく。
先ほどは引いたその手を、そっと飛鳥の肩に添える将角。
そして将角は、これまで不確かなだった角田に対する自分の憶測が、確信に変わったことを飛鳥に伝えた。
「角田──。ヤツは危険だ。姉貴がヤツに操られていたのは間違いねぇと思う。だが……ただの催眠術とかじゃねぇ気がする。もうあの野郎には近づくなよ」
「う、うん……」
「それじゃ俺は一度会場に戻るぜ。次は金太郎を連れてきてやるから──」
帰る準備をして椅子から立ち上がる将角の袖をひっぱって止める飛鳥。
その表情は、明らかに不安に支配されていた。
飛鳥は、すがるような顔で将角に問いかける。
「ま、将角……あたし……。き、金ちゃんに……いったいどんな顔をして会えばいいの……?」
将角は手にとった荷物を一度ベッドの上に置いてから、飛鳥の両肩を力強く支えた。震えている飛鳥の肩。ひどく怯えている彼女の心境が手から伝わってくる。
将角は、飛鳥の心に寄り添うように話しかけた。
「……大丈夫。大丈夫だ、姉貴。さっきも言っただろ? 姉貴も被害者だし、金太郎もそれをわかってる」
「うぅ……。だ、だけどっ────」
「金太郎は、そんなことで姉貴を責めたりしねぇし、嫌いになったりもしねぇ。…………姉貴だって、ちゃんとわかってんだろ──あいつのこと」
「だけど……。あたしは金ちゃんをあんなに傷つけて……」
「金太郎なら大丈夫さ。この半年間、姉貴を取り戻したいって……その想いだけで必死に戦ってきたあいつの気持ちに答えてやれよ」
「…………うん」
将角は飛鳥の両肩に触れている手にぐっと力を込めて、背中を押すように言葉を口にする。
将角の力強い手から、飛鳥の中に安心感のようなものが流れ込んでいく。
「がんばれ、姉貴! 自責の念も必要だが、それを乗り越えて強くなっていかなきゃならねぇんだよ」
「うん……ごめんね。ありがと、将角……」
「気にすんな。それから、これ。姉貴のデッキだ」
将角は、角田に奪われていた飛車〈ルミナス・ドラゴン〉を始めとする飛鳥のユニット編成セット一式をカバンから取り出した。
角田と飛鳥が意識不明になり、救急車で病院に運ばれることになった時点で、将角はふたりのユニット編成セットをひととおり片付けて持ってきていたのだ。
将角は、角田から取り返した飛鳥のユニットセットを、彼女に投げて手渡した。
「もう無くすんじゃねぇぞ」
「あ、ありがと」
大会で飛鳥が使っていた元角田のユニットセットは、すでに将角が角田の病室に放り込んできた。
金将〈ゴールド・ドラゴン〉もすでに金太郎のもとに戻っている。
結果──
すべてがあるべき場所へと戻ったのだ。
「それじゃ、今度こそ行くぜ?」
「うん。じゃあ……またね」
「ああ。とりあえず姉貴は、ゆっくり休んでな」
最後に似合わない笑顔を飛鳥に送ってから、病室を出る将角。首を横に向けて、病院の廊下の先を少しぼーっと眺めながら、ひと言つぶやいた。
「なんか柄にもねぇこと、いっぱい言っちまったな……」
頭をボリボリとかきながら、将角はゆっくりした足並みでその場を離れた。
病院を出るまえに、その足で角田の病室へと立ち寄った将角。
昏睡状態の角田を眺めながら少し考え込んでいる。
「角田……。こいつにそんな特殊な能力があるとは思えねぇけどな。何かが起ころうとしている──のか?」
独り言を口にした将角の表情は、何かを危惧し、先を予見しているようにも見えた。
「少し調べる必要があるな」
将角は昏睡状態の角田を横目に、そう言葉を付け加えてから、ひとり病院をあとにした。




