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創生黙示録

新世黙示録、万歳!!!!!女神転生、万歳!!!!!鈴木大司教、万歳!!!!!!

 



 ある日、世界が終わりを告げた。


 南極は熱によって溶け、

 ユーラシア大陸は隕石に砕かれ、

 オーストラリア大陸は謎の衝撃波により消滅し、

 北アメリカ大陸は突如として重力から解放されて空へと登って消えてしまい、

 南アメリカ大陸は毒ガスが発生し命の存在を否定し、

 アフリカ大陸は明けることのない夜と永遠の凍土に襲われ、

 それらに属さぬ諸島は海へと沈んだ。


 だが、日本だけが生き残った。

 如何な術か、天津神の血を引く偉大なる一族の決死の力によって日本国土の滅亡は免れたのだ。

 それでも、日本の外にいる人々がその滅びを避ける事はできず、その事実に尊き一族は涙を流し、息絶えた。

 こうして人類は救われた。


 しかし、人は日本へと逃れることは出来なかったが────この窮地から日本へと逃れることを可能とした者たちは確かに存在した。


 それは、神であった。

 自身を崇める人々と共に消えることを選んだ神族と、それでも日本に生きる人間が居るのならば守らねばならぬと日本へと向かった神族。

 世界の神々は日本という小さな島へと集まり、そして、当然のように信仰を自分たちだけの一つのモノにするために戦争を始めた。


 北海道。

 アイヌの神々を襲ったのは堕天使たち悪魔であり、その堕天使を打つために一部の天使もまたアイヌ神族に肩入れをしたが敗北。

 都市である南北海道は魔王によって支配された暗黒郷が設立され、人々は本土に渡ることも出来ず、生き残った数少ない天使たちと共に北北海道へと逃げ去った。


 東北。

 山々に眠っていた淫祠邪教の神々、神道仏教とすら分けることの出来ぬ、神でも仏もないなにか。

 アラハバキなる謎に包まれた神を崇めているその地には、単眼症の人間や片足の人間、常軌を逸した長い手足の人間が集まっていた。


 関東。

 東京は真っ先にギリシアのオリュンポス神族によって狙われたが、東京タワーより顕現した『新皇』を名乗る白馬に乗った鎧武士によってオリュンポス十二神の半分が殲滅され、逃走。

 怒りに満ちたその武士はどこからか現れた古武士たちを率いて『大和殲滅』を叫び、東京都民を虐殺し、生き残った関東の民は米軍と自衛隊と、降り立った『天使』に守られて北関東へと逃げ去った。


 東海。

 逃げ去ったオリュンポス神族を襲ったのは、容赦のないイラン神話の神族であった。

 全能神たるゼウスすらも機能を停止し、今はただアテナの加護によって耐えている現状であった。


 北信越。

 もとより厳しい大地であったが、なんでもないある日、夜が明けると全ての人間が死んでいた。

 死の大地と化したその地方には、柏崎刈羽原子力発電所跡地にて、夜の神を崇める吸血鬼たちが跋扈している。


 関西。

 都市結界を発動した京都の都内にて国家陰陽師と天津神の庇護のもとに人間らしい生活を送ることを可能としている。

 ただ、非常に排他的な環境が形成されてしまい、鬼の血を引く人々は山中の中に潜んで静かに暮らしている。


 中国。

 オオクニヌシが覚醒、出雲大社を破壊して日本各地のまつろわぬ民を呼びかける。

 時を同じくして勇者たる吉備津彦命を祀る吉備津神社にて激しい霊的なエネルギー反応が確認されている。


 四国。

 弘法大師空海と、信心深いお遍路たちの長年の霊的な力が注ぎ込まれた大国土結界が発動、関西と並ぶ人類の生存圏となる。

 しかし、その生存圏には邪悪なブディストたちの暗躍が見受けられる。


 九州。

 神々が降り立たなかった地にて、しかし、天草四郎の生まれ変わりを名乗る少年が現れる。

 南の桜島火山にて邪悪な存在が眠っていると預言を授かり、仲間とともに進軍の準備をしている。


 沖縄。

 一切不明。

 唯一確認できる情報は、とある米軍兵士が通信で残した意味不明な言葉の羅列と、『ああ、窓に!窓に!』という悲鳴のみである。


 あらゆる地で神々が争い、人々はその駒となり血を流し続ける。

 世はまさに黙示録の時代を迎えていた。




 ◆


 北海道の草原の中。

 劇がかった民族衣装に身をまとった少女が、曇天模様の空の下を背中に弓矢を背負ってのんびりと歩いていた。

 身長は女性としても低く、150センチにやっと届くほどの少女である。

 絹のような長い黒髪と、太い黒眉。

 凛々しく輝く瞳と、少し低い鼻。

 薄い唇からは白い息が溢れ出てくる。

 硬質な印象を与えながらも、たしかに美しさを覚えさせる少女であった。


 少女は、もこもこと嵩張った民族衣装と草鞋を履いて地面を踏みしめ、背中に背負った矢筒から矢を取り出して、手に持った弓に番えた。

 その弓矢の切っ先は鋭くとがれ、これが余興でも遊戯でもなんでもない『狩り』であることを知らされてくる。


 ギリギリ、と。

 音が聞こえるほどに強く引き締められたその弓矢の先には、鹿が歩いている。

 仰々しい角にばかり目をやりがちだが、その脚は強く引き締まっており、走り出せば人間では決して追いつけないだろう。

 野生の動物と現代人類という、本来ならば明確な力の差を感じるその対比はしかし、弓矢を持っていることを含めても少女の方に異様な威圧感があった。


 少女は狩りの高揚や緊迫などまるで感じさせない気楽さで矢から指を離し、飛び出した矢は容易く鹿を貫いた。

 何が起こったのかもわからぬ鹿は数歩ほど動いてみせ、しかし、身体から訴えかけられる違和感によって

 肘をついた。

 そのまま倒れ込んだ鹿は驚いたように激しく四つの脚を動かすが、身体を起こすことを出来ない。


 少女はその鹿に近づき、腰に吊るした鉈を手にとって容赦なく振り落とした。

 鹿は絶命。

 少女は、なにか、祈るような動作をした後にすぐさまに解体を行う。

 手際の良さは現代の文明人の目から見れば手品のように機敏で、あっという間に鹿は毛皮をむしり取られて血を流すだけの肉へと変わってしまった。


『────』

「……懲りないな」


 そんな狩人の少女の前に、『光』が降り立った。

 光は薄く点灯を続けており、風を震わす音も風を揺らす移動も発しない。

 ただ、そこにあるだけで、少女────アベナンカへとなにかを発信し続ける。


「聖女なんて……私はそんなのガラじゃない。私はアベナンカ、どこにでもいる女だ」

『────』

「ここで静かに生きて、静かに死ぬさ。

 神だの、悪魔だの、天使だの、竜だの……懲り懲りさ」

「オンッ!」


 アベナンカが光に向かってそう呟くと、被せるように狼の鳴き声が響いた。

 その鳴き声へと目を向けて、先程までの鬱々とした目を一転させた。

 駆け寄ってきた狼の首元を撫でる。


「コンル、よくあの獲物をここまで逃してくれたな。

 大柄な鹿だった……うん、きっとフチも喜ぶぞ」


 狼、コンルは巨狼であった。

 間違いなくアベナンカよりも大きな体躯をしている。

 本来、狼が人に懐くことなどありえないが、アベナンカとコンルは例外であった。

 彼らは友であり、仲間であり、師弟であり、兄妹であった。


 ぞっとするような冷徹さで鹿や、時には熊すらも狩ってみせるこの狼をアベナンカは『氷』を意味するコンルと呼んだ。

 アベナンカは狩りをこの狼、コンルから習ったのだ。

 どんな時でも怒りに魂を揺らさない冷徹さを、コンルとの初の出会いである、親兄弟と思われる狼が『悪魔』の使いへと堕ちた熊に殺されていた時に教えられたのだ。


「……なんだ?」

「……ぐるるるっ」


 そして、アベナンカが集落へと迫った時。

 妙な気配がした。

 風下に存在するその集落から、不気味な気配を察したのだ。

 それはコンルも動揺のようで、低い唸り声を上げて周囲へと警戒を振りまいている。

 アベナンカは静かに進んでいき、進んでいき、進んでいき。


 死体の山を見た。


「…………………………………ああ」


 堪えるべきだと理解しているのに、それでも小さな声は漏れた。

 同情するように、あるいは戒めるようにコンルが擦り寄ってくる。

 積まれた死体の山は、集落に住んでいた人々だったもので、一切の欠損が存在せず、ただ命だけが奪われた、嫌になるほど、見飽きたとさえ言っても良い姿だった。


 アベナンカがまだ桜井花子だった頃、札幌の都市で造られた死体の時計塔。

 腹の中にあった全てを吐き出して、吐き出して、吐き出して、アベナンカは気づいたらこの僻地に居た。

 そのときに彼女は『桜井花子』の名前を捨てて、狩人の『アベナンカ』へと姿を変えたのだ。

 友も、家族も、桜井花子であった頃に築いたものは、悪魔によって全て奪われたから。


「……うん?」


 死体の近くに立っていたのは、ライオンを連想させる頭部に五つの脚を生やした、そんな、思わず脳が理解を拒んでしまうような奇形の化け物であった。

 この怪物は頭部を球体と捉えて等間隔に生えた、合計で五つの脚は、下部についた二つの足が大地を蹴る……のではない。

 まるでタイヤのようにライオンの髭が回転させて移動するのだ。


 堕天使、すなわち悪魔。

 人を魅了し、堕落させる存在。

 あるいは、人を善良に導くべき存在ながら人の愚劣さに魅入られた存在。

 なんとも不気味な、それだけで吐き気を催すような存在である。


「貴様が、聖女か」

「ぐるるる……」


 擦り寄ってきた、友である狼を撫でながらアベナンカは悪魔の問に応えた。

 強い意志を秘めた瞳が悪魔を、『ブエル』を睨みつける。

 悪魔『ブエル』とは地獄の司令官『アガリアレプト』の配下の悪魔であり、全ての弱った人に救いを与える。

 しかし、悪魔の救いとは人々の考える救いとは大きく異なる。

 例えば、ブエルがこの集落に与えた救いが、毒物による死であったように。


「すぅ………」


 アベナンカは息を長く吐き、鉈を手に取る。

 ひ弱すぎる装備だ。

 この距離ならば、なによりも悪魔相手では決して弓矢は有効な武器ではない。

 鉈を主武器として戦わぬなど命が十個あっても足りはしない。


「私は聖女じゃない」


 だが、アベナンカは静かにブエルを見据えたまま、口を開いた。



「狩人だ」



 その言葉と同時に傍に控えた相棒の狼、コンルが走り出す。


「オォンッ!」


 狼の鳴き声は、多くの地で『魔を祓う力』を持つとされている。

 これは人間にとっては狩猟の友であった狼が持つ、『伝承』と『信仰』を由来とされる、れっきとした『権能』である。

 そして、このコンルはその巨躯によって強烈な『畏れ』を抱かれており、その権能は他の多くの狼とは一線を画する。

 事実、ブエルにとってもその動きを鈍らせる鎖にもなったようだった。

 アベナンカは右方に、コンルは左方へと走っていく挟み撃ちの形を取る。


「愚かな……!」


 ブエルは、まさしくタイヤのように髭を回転させて、その五つの脚で大地を蹴り上げて移動する。

 それはまさしく人知を超えた速度であり、挟み撃ちの体を取ったはずが、狼のコンルが背後を取ることも出来ずにアベナンカへと切迫した。


 迫りくるライオンの牙、アベナンカは右腕にその牙を受ける。

 流れるおびただしい血、その血をごくごくと音を立てて飲んでいくブエル。

 代わって牙を伝ってアベナンカに与えられるものは毒、人を五回殺して魂を消滅させるには十分すぎるほどの悪魔の毒だ。

 ブエルは薬を司る悪魔であり、薬とはいきすぎれば毒となる。

 その権能を用いて、この集落の全てを苦しみのもとに鏖殺してみせた。


「ぐぉおぉっぉぉぉぉぉっ!?」


 だが、呻いたのはアベナンカではなくブエルであった。

 ブエルの身体が、爆ぜたのだ。

 口内に爆発物を取り入れたとしか思えないほどの爆発、しかし、ブエルが取り入れたものはアベナンカの血のみである。

 ならば、答えは簡単だ。


「爆ぜる血、滾る肉。私の血肉はまさしく燃えたぎる岩石だ。

 ……あの天使が言うには、浄化の力もあるらしい」


 アベナンカの血は、爆発するのだ。


「なぁ、はぁ……!」


 曇天模様の低い空の下、呻く悪魔と血を流す聖女が向かい合う。

 狼が悪魔に飛びかかり、その体を押さえつける。

 地面に這いつくばった毒であるはずのブエルの体液を受けたというのに、アベナンカは大地にしっかりと二つの脚で立っていた。

 これもまた、アベナンカの血の力である。


「悪魔を討ち払う血液だ、血を流さなければ悪魔を殺せない女を、あの天使は聖女と言うんだ」

「聖女の血……はぁ、ま、不味い……!」

「そりゃそうだ。右腕を噛ませてやったのは私の罠だからな」


 そして、血を垂らした鉈を大きく振りかぶり、ブエルへと振り下ろす。


「ぐぎゃあああああああ!!!

 あ゛つ゛い゛っ゛!! あ゛つ゛い゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛!!!」


 その聖女の血を通した鉈によって、ブエルは確かに地面に磔にされる。

 そして、アベナンカは弓矢を手に取り、矢を番える。



「狩人の罠が、獲物にとって良いものであるわけがないだろうが」



 シュン、と。

 狩りの高揚や緊迫など、ましてや、集落の仲間たちを殺し尽くした憎悪などまるで感じさせない気楽さで矢から指を離し、飛び出した矢は炎のように燃え盛る血に焼き尽くされるブエルを容易く貫いた。


「ぐ、ぐぎゃあああああああああ!!!」


 本来ならば、魔を祓うことなど出来ないはずの矢はブエルに突き刺さり、鏃よりアベナンカの燃え盛る血が入り込む。

 聖なる血でありながら毒であるその血はブエルを内側から焼き払い、人のような断末魔を残して悪魔は消えていった。


「……」


 アベナンカは、転がる人々を見やった。

 悪魔は人を襲いかかる、どこにでも、どこへでも、どこまでも。

 逃げ場所など、どこにもない。

 悪魔を信仰するという名目で、命を奪われていくだけだ。


 そんな中でも、光として現れる天使は、ただ何度もアベナンカの耳元で囁き続けた。


 ────聖女よ、竜を狩れ。


 邪悪なる蛇、『竜』。

 かつてこの地にて人々を貪る大蛇が存在し、苛烈なる聖女によって討たれた。

 その信仰を、この苛烈なる狩人は受け継ぐことが出来る。

 もはや、何の力も持たないその光────熾天使ミカエルはアベナンカへと伝える。


 ────あの宵の明星の如き輝かしい、『赤き竜』を、狩れ。



 ◆



 陽の光も十分に射さないような高い木々に囲まれた、東北の山中。

 人々が忘れ去ったような、獣道しか存在しない先に一つの神社があった。

 かつては神社の神主が仏を鎮める葬式を行うような、そんな無茶苦茶な宗教観が敷かれていた山村の神社であった。


 氷川神社と呼ばれる、埼玉県に存在する神社と同じ名を持つその神社に数十人の人間が集まっていた。

 その人々の集まりは、一言で言ってしまえば常とは外れた集団、そう、この令和の時代にナンセンスであるとは認識しているが、身体障碍を持つと認識されてしまう人々である。

 常ならば二つある眼が一つしか存在しない単眼の少女、二つあるべきとされる脚が一つにまとまってしまった中年男性、胴体に鱗が生えて両手の指の付け根に水掻きのようなものがある少年。


 その中に一人の青年が居た。

 顔立ちから、年の頃は恐らく二十代の半ば。

 痩身矮躯で両腕と両脚が異常に長い、油断ならぬ鋭い目をした青年であった。

 先程は痩身と言ったが、あくまで服を着ると痩せてみえるというだけであり、見るものが見ればその肉体は限界まで肉を引き絞り軽量化した、特殊な鍛え方をしているとわかるであろう。

 その青年もまた、氷川神社の外にて座り込み、社の中で行われる儀式の結果を待っていた。


「皆のもの」


 小柄ながらも頭部が通常の人間の二つ分はあるのではと異様に膨らんだ、袴を纏った老人が現れた。

 どこに眼があり、どこに口があるのかもわからないほどにしわくちゃの老人は、しかし、威厳に満ちた声で集まった数十人の人間────そう、人間へと呼びかける。


「悲願の日である、我らが神が……『荒覇吐』神が胎動を始められた」


 ざわり、と。

 周囲がざわつく。


 ここに集まったものたちは、人間である。

 誰がなんと言おうとも、間違いなく人間である。

 しかし、その容姿を文献で遡れば、ある言葉で纏められてしまう。


 すなわち、『妖怪』という言葉で。


 二つあるはずの眼が一つしかない単眼の少女は、一つ目小僧と称され。

 両足が引っ付いて一本となった男は、イッポンダタラと称され。

 両手の指の付け根に水掻きを持つ少年は、河童と称され。

 両手足が異常に長い青年は、土蜘蛛と称され。

 頭が人の倍の大きさをする老人は、ぬらりひょんと称される。


 他のものも一緒だ。

 身体的に大きく奇なる特徴を引き継ぐがゆえに妖怪と称されるものたちであった。


「……アラ、ハバキ?」


 その中で、たた一人だけ妖怪らしからぬ人間がいた。

 迷彩服を身にまとった、鍛えられた肉体をした男であった。

 銃火器も所持しており、北関東から北上してきた自衛隊であることはひと目でわかる。

 その男は縄で肉体を拘束されており、巨躯の妖怪から肩を抑えられて無理矢理に跪かされている。


「荒覇吐様は、我らが神だ」

「……話を聴いてくれ。私は────」

「聞かぬ」


 対話はいらぬ、と。

 ぬらりひょんは自衛隊の男が言い終わる前に言葉を切り捨てた。

 そのどこにあるかもわからない眼で、確かに自衛隊の男を睨みつける。


「聞いてくれっ! この東北の地は魔境だ!

 北海道からは悪魔たちが現れ、西からは吸血鬼どもが迫り、南からは古武士の軍勢が茨城越しに進んでいる!

 我々自衛隊と米軍の『人類戦線同盟』と手を組まなければ────」

「聞かぬ、と言っておる」


 ぬらりひょんは、自衛隊の善性から来る言葉を再び切り捨てた。

 彼らは、妖怪の血を引く特徴的な容姿を持つ人間たちは、そうでないものを憎んでいる。

 弾かれたからだ。


「我らは、大和にはまつろわぬ」

「……貴様ら、新皇の手のものか!」

「我らの神は荒覇吐様だッ!」


 自衛隊の男は『まつろわぬ』という言葉で、東京に現れて都民を虐殺した『新皇』なる悪鬼を連想し、その名を口にした。

 しかし、それはぬらりひょんにとって逆鱗に等しかった。

 いや、崇めるものを歪めて捉えたその言葉は、ぬらりひょんだけでなくこの場に居る全ての妖怪の逆鱗に触れた。

 手足の長い青年────土蜘蛛はつかつかと自衛隊の男へと歩み寄る。


「あの忌々しき終末の日! 日本に結界が覆われた!」

「そうだ! 尊きお方々がこの国を守られたのだ!

 故に、生かされた我らは生きなければならない!

 この地を侵略せんとする神々に抗い、人として生きねばならぬ!」

「違う! 守られたのは大和だ! 生かされたのは大和だ!」


 ぬらりひょんと自衛隊の男の叫びが重なる。

 単眼の少女、一つ目小僧ならぬ一つ目少女は泣き出し、河童の少年も肩を震わせた。

 今も夢に見る終末の日、世界が終わってしまった日、それでも日本だけは神話から続く尊き血によって守られた日、そして。


「守られたのは大和であり、我らまつろわぬ民は守られなかった!」



 ────彼らが、世界から見放された日。



「なっ……!?」

「我らはその守護から外された、襲いかかる、命を奪う障気からは守られようとしなかった!」

「そ、それは……天使とヒンドゥー神の話に、よれば……結界には、限定した条件、が……」

「それが朝廷にまつろわなかった民が含まれなかった、ということか!

 アメリカ人や中国人、他多くの外国人を守って、なお!

 我らは守られなかったのだ!

 我らを守ったのは、是なる荒覇吐様だ!」


 自衛隊の男のとぎれとぎれの言葉に、激しい感情の乗ったぬらりひょんの言葉が返される。

 自衛隊の男の言う条件は確かに存在し、かつてその尊き血の『威光』が最も強かった古代日本で大和に抗った『まつろわぬ民』は、『守護』の契約を結ぶことが出来なかったのだ。

 すなわち、『護らなかった』のではなく、『守れなかった』のだ。


 彼ら妖怪を守ったのは、まさにこの荒覇吐神である。

 そう、彼らの身体を突如として青い光が包み込み、この氷川神社へと超常的な力によってテレポーテーションさせてみせた。

 毒、真空、不可視の重力、様々な謎めいた力によって死のうとしていた彼らは苦しみから解放されて、ただ一言、言葉を聴いた。


『我を崇めよ』


 その言葉だけで十分であった。

 己を守った神が、目の前に居たのだから。

 故に、自衛隊の男のそんな言葉は被害者である妖怪たちにとっては関係のない言葉だ。

 救ってくれなかった者と、救ってくれた者が確かに居るのだから。

 それは、妖怪たちの瞳に潜む深い怒りと哀しみが証明している。

 護られるという幸運を得た立場である自衛隊の男に、守れなかったという不幸に襲われた者たちへは、何も言えない。


 自衛隊の男の傍まで寄った土蜘蛛は、その腰に備えた刀を翻す。

 通常の日本刀よりも短く真っ直ぐなそれは、携行に優れた『忍者刀』であった。

 そして、その刀をヒュンと翻し。


「あっ……かっ……」


 喉もとを切り裂いた。


「ひゅっ……」

「荒覇吐様に、敵対者『大和』の血肉をお捧げする!」


 木漏れ日の下で、バタリと自衛隊の男が倒れ込んだ。

 一瞬で死ぬことが出来たのは、真摯に叫んだ男に対する土蜘蛛のせめての慈悲であった。

 そして、土蜘蛛が雄々しく叫び、その叫びに答えるように周囲の妖怪も歓声を上げる。

 怒りと哀しみに染められた魂は、冷静な感情をなくし、熱狂の渦に進んで飛び込んでいく。


「よくやった、土蜘蛛よ」


 ぬらりひょんはその荒覇吐神の聖痕が刻まれたしわくちゃの右手で自衛隊の男の頭を掴み、土蜘蛛は忍者刀についた血を拭いながらゆっくりと元の場所へと戻っていく。

 すると、ぬらりひょんの聖痕が怪しい青い光を放ち、同時に社の中から同色の、しかし、より強い光が発生する。

 その光に照らされた自衛隊の男は、しぼむようにしわくちゃになっていき、やがて、その血肉と骨の全てを失って、皮だけの存在となってしまった。


「荒覇吐様に、栄光を!」


 自衛隊の男は、荒覇吐神に捧げられたのだ。

 それを目撃した妖怪たちは、再び歓声を上げる。

 そして、あの怪しき青い光を、己に常軌を逸した力を与えてくれる光を求める。

 敵を生贄を捧げて荒覇吐神の青き光を強め、その光を授かって敵を討ち払い、自身を見捨てた世界に復習をするのだ。


「お兄ちゃん」


 土蜘蛛が元に戻ると、隣りにいた一つ目少女が語りかけてくる。

 その一つしかない大きな眼には、やはり怒りと哀しみが染まっていた。

 一つ目少女は、土蜘蛛の長い手足の先、両手足の甲に備えられた四つの聖痕を眺める。

 この妖怪軍団の屈指の戦士である土蜘蛛のようになりたいと、その大きな瞳が言葉にもせず語っていた。


「私も、お母さんを救わなかったやつを、殺したい」


 氷川神社の元で、数十の妖怪戦士が破滅しかもたらさない叫びを上げ、荒覇吐は何も言わずただ青い光を放つのみであった。



 ◆



 栃木県宇都宮市内。


「はい、押さないでくださーい!」


 炊き出しの中で、一人の自衛隊の腕章をした少年が大きな声で列を整えていた。

 嫌になるほど暑い日差し、これもまた神々の権能による弊害らしい。

 少年は短く刈り込んだ髪から流れる汗を腕で拭いながら、必死に声を出す。


 少年、桐生京一郎は、米軍と自衛隊が手を組んだ『人類共同戦線』の志願兵である。

 かつて大震災で両親をなくしつつも自衛隊によって救出された京一郎は、『終末の日』と呼ばれる災厄を乗り越えて、当然のように人類共同戦線の傘下に入った。

 まだ十代を折り返したばかりの少年である京一郎に出来ることなど限られているが、それでも人のために、そして、人のために働く兵士たちのためにと日々忙しなく動いているのだ。


「よっ、少年! 元気してる?」

「えっ……あっ、クリスさん!」


 そんな中で、一人の金髪碧眼の美女から声をかけられた。

 美しい金髪を短く整えた米兵、クリスティーナ・ウォーカー。

 同じ年頃の少年の平均身長である京一郎よりも背の高い、鍛えられた肉体をした美しい女である

 今はジャケットを脱いだ気楽な姿で、ほんのりと汗をかいた姿はなんとも艷やかなものであった。


「古武士、は……?」

「うーん、落ち着いた感じ? 真島のお兄さんも暴れまわったみたいだし」


 古武士。

『終末の日』、尊き血の持ち主が命をかけて日本を守ったその直後に現れた恐るべき武士の集団である。

 彼らは大きく、速く、そして強い。

 マシンガンの嵐を走り抜け、SATの構えたシールドを踏み倒し、自衛隊の戦車すらも素手でひっくり返してしまう超人集団だ。

 天使の加護を受けた兵士でなければ、どんな重装備で向かっても容易く蹂躙されてしまう。

 数は多くないことだけが不幸中の幸いか。


「……その、新皇は?」


 だが、古武士よりも厄介なのは、いや、言ってしまえば本当に恐ろしいのは『新皇』だけであった。

 先程は古武士のことを、大きく、速く、強いと称したが、白馬に跨った武士であるその『新皇』はそれ以上である。


 固く握った剣を振り下ろせば、東京を自らの信仰圏に目論んだギリシアはオリュンポス神族、その戦神であるアレスを剣で両断し。

 白馬がいななき共に突き進めば、東京の大聖堂を守らんと降り立ったキリスト教、熾天使ウリエルを白馬の突撃で轢き殺し。

 大きな弓矢を番えれば、都市に広がる寺社仏閣を守らんと立ち上がった仏教の四天王、持国天・増長天・広目天・多聞天の四柱を瞬時に弓矢で貫いてみせた。

 重々しい槍を構えれば、仏神たちと合流せんとしたヒンドゥー神、その破壊神であるシヴァを穿ち貫いて見せた。


 新皇は己こそが国の王であると宣言し、手始めにと前王の最も強い庇護下にあった都民を一人残らずに虐殺しようとした。

 仏神は一人残らずに打ち払われ、オリュンポス神族はオリュンポス十二神の数を半分に減らし、天使とヒンドゥー神たちは少ない都民と関東の民を逃がすことが精一杯であった。


「……未だに沈黙中、不気味すぎよね。だって、新皇が動けばアタシたちはそれだけで死ぬんだもの」


 クリスはなんでもないことのように言うが、京一郎はその指が震えていることに気づいた。

 米兵であるクリスは新皇の脅威をその眼で確かに見ているのだ。

 京一郎は新皇を目撃したことはないが、新皇と対面したことのある人物を目撃したことがある。


 その人物は、発狂していた。

 ただ何もせずにぼうっと空を眺め、時折、真っ白な雲を見てこの世の終わりのように悲鳴を上げるのだ。

 まるで痛みによって恐怖を紛らわせようと、ガリガリと顔をひっかく余りにその顔は大きく崩れており、片目は強く爪で引っ掻いたことによって失明を起こしていた。

 ピクピクと痙攣を起こし、糞尿を垂れ流す。

 おおよそ、正常な人とは呼べない状態であった。


「おい、クリス」

「あっ、真島のお兄さん」

「お疲れさまです!」


 京一郎とクリスの前に、一人の巨躯の男が近寄ってくる。

 2メートルに届くような長身で、顔を斜めに縦断するような傷跡が特徴的な厳つい男だった。

 真島明と言うその男は、かつては広域暴力団の重鎮であったヤクザものである。

 今はヒンドゥー神であるインドラの加護を得て古武士たちと闘う、鬼の真島と呼ばれる人類共同戦線の兵士だ。


「そのガキには伝えたのか?」

「まだかなー」

「さっさと伝えちまえ」


 煙草を手に取り、すぅっと深く吸い込む真島。

 クリスはそれに苦笑いで答えて京一郎に向き合う、その美貌が真っ直ぐに見つめられてどきりと胸を高鳴らせた。


「少年、君は今日から衛生兵から私たち十三班の仲間入りだっ!」

「……え?」

「……ごめんね。本当は、君みたいな子供を戦わすなんて────」

「俺がそいつの歳の頃には、組のためにナイフで誰とも知らねえ男の腹をぶっ刺した」


 クリスの言葉を真島が遮る、その眼には強い非難の色が含まれていた。

 それはクリスの兵士に似つかわしくない中途半端な甘さを咎めるものではない。

 自ら人類共同戦線の兵士として立候補をした京一郎の決意を軽んじることを咎める言葉だった。


「歳なんで関係ない、いいな」

「……うん、ごめん。そうだね、少年にも失礼だったね」


 クリスもそれがわかったのだろう。

 ふぅ、と長く息を吐いて京一郎に謝罪をした。

 京一郎は、ゴクリ、と喉を鳴らして、なんとか言葉を繰り出した。


「よろしく、お願いします……!」


 人を守るために、人を傷つける武器を京一郎は握ることとなる。

 殺し合うことが正義でないと知りながら、それでも戦うのだ。



 ◆



 愛知県豊田市にて。

 永井剣児は激しく息を切らしていた。

 今、東海は激しい戦争の最中にあったからだ。


 東京を庇護しようとしたギリシャ神話のオリュンポス神族が、憎悪の魔王である新皇によって返り討ちにあった。

 そのオリュンポス神族が逃走経路として選んだのが、まさしくこの東海地方であった。

 しかし、そのオリュンポス神族を待っていたのは神々を崇める人々ではなく、愛知県に顕現したゾロアスター教に伝えられる神々であった。

 それを迎え撃っていたギリシャのアテナ神であったが、まさしく太陽が昇るように東方から突如として敵の神が現れた。

 司法神にして太陽神である、ミトラ神である。

 挟み撃ちの形となったアテナは重傷を負い、今まさに討たれようとしたその時、全能神たるゼウスがその権能の全てを使い、オリュンポス神たちを守ったのだ。

 愛知にゾロアスターの神々、静岡にギリシャの神々を置くこの東海地方は今、日本で最も激しい戦争が行われている地である。


「はぁ……はぁ……!」


 この地帯には、悪魔が存在する。

 それは堕天使に属する種類の悪魔でなく、ゾロアスターの悪神たちだ。

 このゾロアスターの悪神は数こそ少ないが、ゾロアスターの善神ともギリシャの神々とも敵対している。

 お互いに手を結んでしまうという手段もなくはないが、そんな簡単な話でもない。

 むしろ、悪神たちの手で敵が滅んでしまえば良いと思っている節もある。


「しんどい……つらい……風呂入りてぇ……!」


 だが、その煽りを一番受けているのは他ならぬ人間であり、剣児もまた、悪神の使徒から逃げ回っていた。

 近辺では知られた悪ガキである剣児は逃げ足も速く、簡単に逃げおおせる要領の良さがあるのだが、今日はどうしてか今にも怪物に追いつかれようとしていた。


「こりゃもう無理だな……死ぬわ……あと二秒で死ぬ……」


 ぜーはーと息を吐く剣児が、簡単に弱音を吐く。

 もともと正直者を自負する剣児であるため、そんな情けない言葉を吐くことになんのためらいもない。

 しかし、ちらりと物陰に眼をやる。

 そこにはビクビクと怯えて隠れる、複数の子どもたちが居た。

 だから、子どもたちが万が一にも見つかってしまわないように、なるべくなるべく、遠くに逃げなければいけない。


「おらぁ、元気いっぱいだこらぁ! こっち来いやっ!」


 佐野剣児、最近は嘘つきだ。


 必死に足を動かし、腕を振り、街を駆けていく。

 たどり着いた場所は世界的大企業の工場、剣児の祖父も父も兄も働いている地元の誇り。

 ここならば逃げ場も見つかるかもしれないと向かったのだが。


「マジ……かよ……死んだわ……」


 そこには、巨大な邪竜がとぐろを巻いて待ち受けていた。

 犬から逃げてヒグマにぶつかった気分であった。

 流石に万事休す、あの子どもたちが助かったのならば悪くない。

 そう思いながら目をつぶり。


「そう簡単に諦めるかよっ!」


 すぐに見開き、拳を握る。

 人間が二つの足で立ち、背中を真っ直ぐに伸ばした時、人は爪ではなく拳で戦うようになった。

 原初の闘いの姿を、ファイティングポーズを取る剣児。

 ギラギラと、やけくそ気味に瞳は萌えていた。

 その時であった。



「うおぉぉぉぉおおおぉ!?」



 ごろごろごろ、と。

 激しく地面が揺れ動き、邪竜が大きく体勢を崩して倒れ込む。

 窮地を救う地震か、それとも竜に食われるのが建物に押しつぶされる死因に変わるだけか。

 剣児は必死に地面に四つん這いになり、頭を抑えて揺れに耐える。


 長い、長い地震であった。

 その地震が収まった頃、不可思議な現象が起こっていた。

 先程までは存在しなかったはずの『なにか』が、剣児の目の前に現れたのだ。

 そうだ、勘の悪い剣児でもわかる、この『なにか』こそが地震を引き起こしたのだ。


「なんだ……これ……」


 それは一言で言えば、『巨人』であった。


 黒鉄に染まった巨大な人間、肘や膝の関節は銀に輝き、黒いプロテクターを胸と腕と脚に身に着けた巨人。

 頭部は兜を身に着けており、口元もまた覆われて、その頂点には王冠を連想させる角が生えている。

 巨大な戦士だった。

 剣も弓も盾も持たない、原初の戦士。

 戦士が憧れる、戦士の王だ。

 その頭部の中心、王冠を思わせる二つの角の中心に誰かが居た。


「永井剣児!」


 右手に天秤を持った、息も飲むような絶世の美女が大きく叫んだ。

 剣児の名を、叫んだ。


「な、なんだよ……!」


 その神々しき姿に、悪童の剣児も思わず姿勢を正してしまう。

 そうさせてしまうほどの力が美女にはあった。

 豪奢な金色の髪と青いドレスを身にまとった美女は、その声と同じく力強い瞳で剣児を見据える。


「子どもたちを守るために己の身をすぐさま犠牲にする、優しさ!

 強大な敵であろうと心折れずに立ち向かおうとする、強さ!

 二つの正しき魂が、この天秤に釣り合いました!」


 突然に褒められた剣児は、思わず顔を赤らめる。


「は、はあ!? ちげえし! 別にガキなんて守ろうとしてねえし!

 あいつらが隠れるばっかのクソだから俺だけが逃げるハメになっただけだし!」

「暖かいだけの優しさでは、正義は成せず!

 雄々しいだけの強さでは、正義は歪む!

 優しさと強さが同じく揃ってこそ、初めて勇者足り得るのです!」


 必死に自分は子供など守っていないと言い張るが、天秤の美女は一切合切を無視して言葉を続ける。


「この世の果てが来ようとも不滅を誇る肉体!

 これこそが全能神ゼウスの御業、不沈なる勇気の証!

 これなるはオリュンポスが主神、ゼウスの遺体より生成されし機神────」


 すぅ、っと。

 アストライアが大きく息を吸い、目を閉じた。

 そして、カッと目を見開いて。

 蒼天の空の下、大きく叫んだ。




「『ゼノン』ッ!」




 機神ゼノン。

 全能神ゼウスが残せし、オリュンポスの切り札。

 そして、この美女こそがゼウスよりゼノンを預かった女神なのである。


「この機神に平和の祈りを加えた時に、貴方こそが未来をもたらすのです!

 全能神ゼウスよりパイロットの選別を任された、この女神アストライアが認めます!」


 その名も、正義の神アストライア。

 かつて神々が人々に見切りをつけて消え去ってもなお最後に残ったとされる、平等と審査の神。

 美しき女神の心は、剣児を『正しき勇者』として認めた。


「永井剣児、世界を救うのです!」


 世界を、救う。

 ふつふつと、剣児の心に熱が宿る。

 思えば、あの日からずぅっと逃げ続けるだけの日々だった。

 ナメてきたやつには喧嘩を売り、別にナメてこなくても強そうな相手なら喧嘩を売ってきた剣児が、ずっと逃げ続けていたのだ。

 そろそろ、ぶん殴ってやらなければ気がすまない!


「一発ぐらいはぶん殴ってやらないとなぁ……どうすればいいんだ!?」

「機神ゼノンのパイロットを登録!

 永井剣児、叫びなさい!」

「はぁ、なんで!?」

「音声認識です! 叫ぶのです!」

「あっ、そういうものね」


 アストライアの強い言葉に、そういうものかと納得をする剣児。

 そして、言われるがままに叫ぶ。

 平和の祈りを、正義の心を、勇気の証を!



『マシィィィィィン、ゴォォォォォォォ!!!』




 ◆





 新潟県市内。

 そこには、生が存在しなかった。

 終末の日、尊き血の一族が命をかけて守り抜いた日。

 それを生き延びた人々は感謝の祈りを捧げて夜を迎え、その夜が明けると一切の例外なく死に絶えていた。

 人も、獣も、植物も。

 一切の例外なく、命は息絶えたのだ。


 代わりに、この地には死が満ちている。

 生に見捨てられてしまった死に満ちた屍体が歩き回っている。


 黒き神、チェルノボグはそんな死の街を創り上げたのだ。

 黒き神の使いである吸血鬼クドラクが死の街を我が物顔で支配する。

 この北の街では、すでに屍と吸血鬼しか存在しないのだ。

 黒き神の眷属である彼らは、決して生ではない。

 故に、この街には生が存在しないのだ。


「……」


 だが、そんな死の街でも、チェルノボグが君臨する影響で灰のような雪が降る街でも、救いは存在した。

 その救いである美女がゆっくりと歩いている。

 白い肌と傷んだ白髪、刃のように鋭い瞳をしており、その瞳には燃え盛る炎のような情熱に溢れていた。

 女性にしては長身の肉体を真っ白なスーツで包み、長い手足を動かして歩んでいく。


 向かう先は、柏崎刈羽原子力発電所の跡地。

 そこに吸血鬼クドラクが、黒き神に王権を授かった皇帝として君臨している。

 ならば、美女はその死の城に向かわなければいけない。

 背負った十字の槍に誓って、クドラクを討たねばならない。


 彼女の名は、クルースニク。

 黒き神チェルノボグの対となる神である、白き神ベロボーグの眷属である誇り高き戦士だ。


「クドラクの気配が……強まっている……」


 クルースニクは迷うことなく進んでいく。


 そして、クルースニクは善神ベロボーグの眷属であり、クドラクは悪神チェルノボグの眷属であるからこそ惹かれ合うのだ。

 クルースニクはクドラクを決して見逃さないし、逃げ続けることを許さない。

 しかし、同時にどちらかが致命傷を負ったら容赦なく襲いかかる事ができるのだ。


「おや……おやおや……おやおやおやおやぁ!」


 原発跡地にて、人骨で造られた玉座に一人の『幼女』が座り込んでいた。

 薄い褐色の肌と、真っ黒な髪をした美しい幼女であった。

 年の頃はまだ二桁にも届かないだろうあどけない顔立ちをし、短い手足を太っているわけでもないのにぽっこりと膨らんだ胴をしている。

 クルースニクの厳しく釣り上げられた眼とは対象的に、その幼女の目は何がおかしいのかニヤニヤと常に垂れ下がっていた。


「このスーパーキューティーなスーパーガールなクドラク様に用があるなんて誰かと思えば……これはこれは愛しのクソ野郎、クルースニク様じゃねえか!」


 クドラク。

 この幼女は確かにそう名乗り、クルースニクをクルースニクと確かに認識した。

 そう、この幼女こそが悪神チェルノボグの眷属にして死の王、クドラクなのである。


「殺す」

「もっとおしゃべりをしようぜぇ、オレ様とさぁ!」


 クルースニクの身体が弾け、地面が大きく凹みを見せる。

 これこそがクルースニクが善神ベロボーグより授かった『神馬』の力である高速移動だ。

 その高速移動のまま、十字槍をクドラクの喉元へと向けて大きく突き刺す。

 だが、それをクドラクは軽く避けてみせた。

 クドラクもまた、悪神チェルノボグより『魔馬』の力を授かっているのだ。

 クルースニクは苛立ちも驚きも見せず、淡々と槍をふるい続ける。


「つまんねえなぁ、クルースニク! なんか言いたいことはねえのか!」

「殺す、それだけだ」

「つまんねえつめんねえ! やっぱり、オレ様はよぉ……お前のこと大嫌いだぜ!」


 クドラクもまた攻撃を仕掛ける。

 今度は『魔猪』の力を込めた一撃であるが、それをクルースニクは耐久に優れた『神豚』の力で受け止める。

 クルースニクとクドラクは互いに同じ力を持っているため、通常では決定打が放たれることはない。

 もしも、決定打が存在するとすれば、戦いの前の行動によるものとなる。


「オレ様は死が好きでよぉ、そして死もオレ様のことが大好きなのさ!

 相思相愛なんだよ、オレ様と死は!

 なのに、どうだい、おまえときたら!」


 クドラクは大きく跳躍する。

 クルースニクは冷静に槍を構えて突き刺そうとし、しかし、己の脚を掴むなにかに気づいた。

 その何かとは、すなわち『死』である。

 クドラクの支配下にある死がクルースニクの脚を物理的に掴んでみせたのだ。


「もっと生と仲良くしてやれよ! お前の周りには……死が満ちてるぜ!」


 瞬間であった。

 クルースニクの周囲を囲んでいた……いや、クルースニクが救い続けていた屍たちの『穢れ』が牙を向いた。

 チェルノボグの使徒である屍を祓えるのは、チェルノボグと並ぶ神の眷属以外に存在しない。

 スラブ神話における主神クラスの力を持つ神などそうは居ない。

 それこそ、ベロボーグの眷属であるクルースニクだけだ。

 だから、クルースニクは死を救い続けた。

 クドラクはどうしても残ってしまうその死の残滓を操って、串槍に変えてクルースニクを串刺しにしてみせたのだ。


「オレ様はお前を殺せないし、お前はオレ様を殺せない。

 神様に決められたどうしようもない関係なのさ」


 そう言って笑いながら、クルースニクに近寄りその白い髪を掴んで顔を上げてみせる。

 美しさの盛りを迎えている二十代の美女が、まだ二桁にも達していないような幼女に髪を掴まれている異様な構図が、さらなる変化を見せる。

 クドラクの手から謎めいた光が発せられ、クルースニクの身体が縮んでいくのだ。

 その光は数十秒ほど続き、ゆっくりと消えていく。

 そして、光が消えると同時に美しい女性であったクルースニクが愛らしい幼女の姿へと変わっていたのだ。


「せめて、お前の行き先が惨めになるように手伝ってやるのがオレ様の愛情ってもんさ!」


 クドラクは笑い、まるでドッジボールを投げるように原発の外へと向かってクルースニクを放り捨てた。

 完全なる敗北によって、善神ベロボーグの眷属クルースニクはその力を奪われてしまったのだ。


 ◆



 京都山中。


「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」

「ひゃっひゃっひゃっ!」


 悲鳴と狂笑の二重奏が重なり合う中で、酒を食い、肉を飲む大きなイベントが行われていた。

 イベントの主催者は、鬼。

 あの『終末の日』にありえぬことが起こり、その身を変幻させてしまった後天的な超人。

 力強さと異能を備えた、恐るべき者たちである。


「ゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるしてゆるして」

「はっはっはっは!」


 鬼は脳に異常を来たすのか、脳に異常を来したものが鬼となるのか、それとも鬼になる者は元々がそう言った人間なのか。

 彼らはなんの迷いもなく、ただ己の衝動に身を任せて、人を犯し、人を殺し、人を喰う。

 あるいは、人で会ったときの自らを裏切るように、鬼たちを悪徳の限りを尽くす。


「はぁーっは……楽しいなぁ、おい、なあ、カズ!」

「え、あ、うん……えへへ、楽しいね、ジローちゃん」


 小さな鬼の少年、『子郎』は隣りにいたのっぽの少女、『和海』に話しかける。

 年齢は同じ頃のようだが、身長差は三十センチは間違いなくあるだろう凸凹なコンビであった。

 しかし、彼らこそが老若男女存在する鬼のグループの頭目なのだ。


 まだ未成年であろう二人は、勢いよく酒を呷る。

 鬼の間にルールなどはなかった。

 強いて言うならば、何をしても笑うことぐらいであろうか。


「しゃる、うぃー、だーんす?」

「ふふふ……やったぁ……!」


 子郎は突如として立ち上がり、座り込んで酒を飲む和海へと手をのばす。

 のんびりとした声で、しかし、酒以外の効果で顔を赤らめながら和海は子郎の手を取った。


「楽しいなぁ、カズ!」

「うん……そうだねぇ、ジローちゃん……!」


 笑いながら踊る彼らを、周りの鬼は冷やかすように笑い出す。

 酒の肴として攫われた人間たちは、ついに狂ってしまって笑い始めた。

 笑いが山を支配する。


 だが、誰もが知っている。

 京都はついに陰陽師たちが都市結界を生成することに成功して、天津神はオオクニヌシにやられた傷を癒やした。

 苦渋の想いで放置していたこの鬼たちを狩るため、魔剣士たちが刀を研いでいる。


 そんなこと、この場にいる鬼の誰もが知っている。


「ひぃーひっひっひっふぃっ!」

「ふふ……ふふふ……!」


 今でも思い出す。

 子郎は鬼となり、それでもこの力で人間を、大事な家族を守ろうと思った。

 和海は鬼となり、それでもこの力で人間を、大事な友達を守ろうと思った。


 その翌日、子郎は女手一つで自分を育てた母親を喰らい、和海は引っ込み思案な自分にとっての唯一の友達の女の子を食っていた。

 何よりも哀しかったのは、別に、母を食べたことも、友を食べたことも、何も哀しくなかったことがどうしようもなく哀しかった。


 鬼とは、人を殺す生き物だ。

 昨日まで人であった己を殺す生き物なのだ。


「オレたちに『明日』なんてないのさ!」


 けらけら、と。

 狂った笑いをこぼしながら。

 くるくる、と。

 バカみたいに手を組んで回りながら。

 小さな少年とのっぽの少女は血まみれで踊っていた。

 流せない涙の代わりに、髪に伝っていた返り血が額をこぼれ落ちる。



 ◆



 吉備津神社にて。


「と、遠からんものは音に聞けぇい!

 ち、近きものはその眼に見よぉ!」


 境内の中にて、一人の凛とした美少女が顔を真赤にしながら大きな声でなにかの口上を叫んでいた。

 手に持った扇子を振り回し、重い陣羽織を着てなんなく動くその姿は只者ではない。

 腰元に備えられた大小二つの刀を震えば、それこそ神すらも斬れるのではないかと期待されるなにかがその少女にはあった。


「わ、我こそは……て、天下無双、神州無敵!

 せ、千年前の翁も、せ、千年後の童も、日の本一と讃える……な、並ぶものなき大英雄!」


 しかし、その少女、才賀凛子は切羽詰まった顔で

 常の彼女を、その名の通り凛とした姿を知っている者ならば目を疑うような姿であった。

 その挙動はまさしく幼稚園のお遊戯のような口上と動き。

 わざとらしく、ぴょん、と宙に飛んでくるりと右へと向き直る。

 そして、先程まで向き合っていた正面へと日の丸が刻まれた扇子を見せつけるように開く。


「あっ、も、ももたろぉ!」

『ちがぁぁぁぁぁぅう!!!!』


 啖呵を切り終わると同時に、空間がゆらゆらと揺らめいて一人の美丈夫が現れた。

 隆々とした肉体と鋭い瞳、歴戦の勇士を連想させる雄々しさを持った男であった。

 この男を吉備津彦命といい、そう、この日本にも名高く知られたあの桃太郎のルーツとなった大英雄である。


 その桃太郎である吉備津彦はなんとも不満げに凛子を睨みつけている。

 へなへなと、凛子は地面に座り込む。


「こ、これは……本当にやらねばならないのでしょうか、吉備津彦様?」

『当たり前だろうが! 二代目桃太郎として立派に果たさんか!』

「う、うう……申し訳ありませんん。み、未熟なあまり、恥ずかしさに……」

『恥ずかしいと思うな!

 良いか、お前は旗印だぞっ! お前を見ただけで日の本の民の心が震えるような、鬼という敵対者を恐れる気持ちすらも消えるような、そんな英雄にならねばならんのだ!』


 先程の口上は吉備津彦が凛子へと託した『訓練』の一環であった。

 吉備津彦の祝福によってその力を増幅させている、古来より『魔』を祓う一族の血を引いている凛子は神話級の英雄の力を持っている。

 力に問題などない。

 守護霊として吉備津彦がサポートをするし、この美しくも真面目な少女ならば、その力と美と心に惹かれた忠実なる下僕もいずれ生まれるだろう。


 だから、必要なのは『鼓舞』する力だ。

 人は想いで力を変え、その想いは神々の在り方すらも揺るがしてしまう。

 そもそもとして、神が争うのは『信仰』を欲するからで、人から慕われればそれだけで力を増していくのだ。


『そのクソデカイ乳を揺らしながら飛ばんかっ! なんのためのデカパイとデカケツだ!』

「なっ、セクハラですよ! それに女性が男性の性的な興奮を煽るために行動をしろと強要するのは、今の時代にとって古い考えで大変失礼な……」

『神に古いや新しいの話をするアホがおるかーい!!!!

 女の権利だの、戦士の誇りだの、どうだのこうだのはぁ……勝ってから言え!』


 吉備津彦は何度目かも分からぬやり直しを要求する。

 こう見えて、吉備津彦は焦っているのだ。


 目覚めたのが北方の大英雄であった悪路王ならば、強敵であるが問題ない。

 目覚めたのがかの大災害である八俣の大蛇ならば、大英雄の名にかけて鎮めてみせよう。

 目覚めたのが強国・吉備の戦神である温羅ならば、命を賭して討ってみせよう。


 だが、よりにもよって目覚めた相手はオオクニヌシ。

 そう、『日本人が信仰しかねない』相手なのだ。

 信仰が割れる可能性の高い、討っても良いのかと少しでも人々の刃を鈍らせる相手は、この軍神にとっては一番イヤな相手であった。


 だから、吉備津彦は自身が出ることをやめた、もっと、別のアプローチから行く必要がある。

 そこで目をつけたのが、この美しくも強き少女だ。



 ────この武士道娘を、日本人全員を笑いながら救ってみせる、最高のアイドルにしてやる。



 信仰を得るため、そして、その信仰を力に変えて人々を救うため。

 軍神・吉備津彦命はその隆々とした筋肉から発される叫びを容赦なく凛子へとぶつけていく。


『このバカタレー!! アイドルをナメとんのかーい!!!!』

「なっ、わ、私は剣士です! アイドルなどではないッ!」





 ◆



 愛媛県松山市内。

 四国は、大国土結界に覆われている。

 弘法大師空海が定めた結界陣を、多くのお遍路が歩んで霊力を溜めていく。

 それを何百年も積み重ねたことによって、他の神々の影響を受けない結界を創り上げたのだ。

 数少ない、人類の生存圏である。


 代わりに、結界は入ることはもちろん出ることも許さない。

 新たに人が入ることもなく、外の知人を助けに行くことも出来ない。

 後ろめたさのある楽園ではあったが、それでも人は幸せに暮らしていた。

 少なくとも、表向きは。


「兄さん、これで全部ですか?」

「ああ、そうだな。食料は十分だ、日用品で買っておきたいものはあるか?」

「う~ん、今はないですね」


 この街に住む加藤拓哉と加藤双葉の兄妹も、そんな人間の一人であった。

 恐らく、この結界がいつ破られるのかという不安と、外が神々の戦争で荒れている中で安穏と暮らしている後ろめたさに襲われながら生きていくのだろうという鬱屈した想いを抱えているのだ。

 それでも、幼い頃に親を亡くしてしまった二人の兄妹にとっては他人よりも、目の前にいる肉親が生きていることが嬉しかった。

 きっと、自分が世を儚んで鬱々と暮してしまえば、目の前の兄/妹は苦しんでしまう。

 それだけが、二人にとって避けたい出来ことであった。


「……少し、散歩して帰ろうか」

「そうですね、兄さん」


 薄情だと罵られようが、自己中心的だと憎まれようが、それだけが二人にとっての真実であった。

 世界というものを語るには、二人は幼く、平凡すぎたのだから。



「……あれか」

「ええ、最有力候補です」



 そんな二人を密かに尾行する影が二つあった。

 坊主頭の老齢の男と、同じく坊主頭の若い男である。

 二人は物陰を隠れるようにして、決して加藤兄妹に見つからぬようにつけ回している。

 加藤兄妹を見る二人の眼には、性欲や恨みというよりも、なにか奇妙な、血走った狂気の色が宿っていた。


「では……どうする」

「初動こそが重要だ。より強い魂を炉にくべて強い炎を焚く必要がある」

「ならば、あの少女の誘拐計画を詰めていきましょう」


 老齢の男へと写真が渡される。

 その写真にはまだローティーンと思われる愛らしい少女が映っていた。

 前方を歩く、加藤双葉の写真である。


「ふむ、遠目だからよく見えなかったが……美しいな」

「通っている中学では常に学年上位の成績を維持していた勤勉な少女です。

 また、信心深く、御仏の祈りを毎週日曜日に行っております」

「なんと、今どき珍しい娘だな」

「ええ、また夜遊びなどしたこともなければ、肉親である兄を除けば男と関わることも少ないです」

「聡明で、信心深く、清純……なるほどなるほど、聞けば聞くほど素晴らしい魂だ」


 嬉しそうに、コクリコクリと頷く。

 そして、ニヤリと、狂った笑みを浮かべる。


「そんな美しい魂ほど────」


 ギロリ、と。

 狂気の炎を瞳に宿しながら、双葉を睨みつけた。



「御仏に裏切られた時の呪いも、人一倍強いッ!」



 クククッ、と狂ったように笑う二人。

 彼らは気狂いであった。

 かつては間違いなく善良で、勇敢で、慈悲深い僧であったが、今の彼らは気狂いなのだ。


「御仏に救われた我々が、今度は世界を救わねばならぬッ!

 すなわち、御仏以外の神々の殲滅! そして人々の救済!」


 血走った目で、理に適わぬことを口走る。

 自分は救われた。

 なんのために救われたのか、なぜ救われなかっった人間がいるのか。

 その答えに、善良なる二人の……いや、多くの僧は苦しんだ。


 そして、一つの答えを出した。

 我々は、より多くの人を救うために救われたのだ、と。

 救うための手段を講じる時間を稼ぐために救われたのだ、と。

 むしろ、この生命を捨ててでも多くの人を救うために我々は命を捧げなければいけないのだ、と。


 理にかなわない、狂った理論。

 大国土結界を悪戯に改造し、それを成功させる術を考案できてしまった。


「救われたのだ……ならば、今度は救わねばならぬ……この四国を、大国土戦艦『死国』へと変えてでも!」


 あるいは、善良であったからこそ、耐えられなかったのかもしれない。


「命の存在しない、呪われた船に変えてでも、我々は世界を救わねばならんのだ!」


 自分だけが救われるなどという幸運を、受け入れることが出来なかったのだ。




 ◆




 長崎県長崎市。

 かつて市役所であった場所に、十字架を首から掲げた一人の少年が演説を行っていた。

 神経質そうな目を細め、力強い言葉を口にする少年。

 彼の名前は、天草四郎。

 少なくとも、彼は人々にそう名乗っているし、自認識では嘘もついていない。


「私は神の声を聞いたのです! 今こそ、立ち上がるべきだと!」


 そう、史実に名を残す大一揆を起こした、隠れキリシタンの首魁であった天草四郎、その生まれ変わりと名乗るのだ。

 本来ならば、天草四郎が崇める宗教においては生まれ変わりは存在しないが、宗教と宗教が混じり合うことはよくあることであるため、また、当時のキリスト教が十分な布教を行えなかったことから、存在するわけのない輪廻転生の概念を踏まえた信仰を起こってしまったのだ。

 故に、天草四郎の生まれ変わりは実在し得る。


「皆さん、立ち上がるときとは天使様が現れたときではない……今こそが立ち上がる時なのです!

 我々には正義があるのだから!」


 天草四郎は、強い言葉で人々を鼓舞していく。

 人々は、不思議な熱狂に包まれていく。

 まるで魔術のような弁舌で、呪いのようにカリスマを振りまいていく。

 それが死地へと向かうものだと、誰もが心のどこかでわかっているはずなのに、それに気づかないのではなく、それもまた良いかと感じさせる。


「第二次桜島遠征を! 私は決して諦めません!!」


 パチパチパチ、と。

 万雷の拍手が巻き起こり、天草四郎は屋外に備えられた壇上を降りる。

 すると、一人の老人が飛び出してきて、倒れ込んできた。

 杖をついた、隻眼の老人であった。


「ああ、すみません、すみません……」

「何を謝るのですか?」


 ペコリ、ペコリ、と頭を下げる老人に対して、四郎は優しく微笑んだ。

 そして、その手を優しく包み込み、ゆっくりと立たせる。

 その目に蔑みはなく、慈愛に満ち溢れていた。


「神はアダムが一人で居てはならないと、イブを創られたのです。

 我々は支え合うために生まれたのですから、私の手をどうぞ取ってください」


 その言葉にさらに拍手が大きくなる。

 老人は小さくなってペコリペコリと頭を下げるばかりであった。

 それを構わないと軽く手を上げた後、今は天草四郎と彼を慕って集まった幹部が暮らす市役所へと消えていく。

 その四郎の背中へと向かって、秘書のような役割をしている外国人女性が語りかける。

 北欧の血を引いた、透き通るような白い肌と海のような青い髪をした、メガネをかけた女性であった。


「メシア、続々と十字軍の希望者が集まっています。この調子ならば、一ヶ月後に進軍も可能だと思われます」

「ええ、ええ……たとえ、天使様が居なくても、我々は桜島火山に棲まう悪魔を祓わなければいけません。そのために必要なものは、聖槍……情報は集まっていますか」

「あまり冴えませんが……今現在の資料はこちらになります」

「うぅむ……やはり難しいですか」


 その言葉に眉をしかめて頷きながら、四郎は秘書から書類を受け取る。

 資料を渡すと秘書────ブリュンヒルデは小さく会釈をして、また別の仕事へと向かっていった。

 四郎は周囲の仲間────十三人の使徒へと向かってなにか会話を交わしている。


「……お父様」

「ブリュンヒルデよ、事情はどうだ」


 その姿を十分に見送ってから、ブリュンヒルデは市役所の外で先程倒れ込んでいた老人と出会っていた。

 老人は先程のおどおどとした様子を一つも見せず、まっすぐに腰を伸ばし、片方しかない目でブリュンヒルデを見据える。

 天草四郎の姿もまた威厳を感じさせる堂々としたものだったが、レベルが違う。

 老人はより高い位置から全てを見下ろして判断を下す、そんな王しか持てない、王気(オーラ)とでも呼ぶべきものを放っていた。


「……悪くはありません。士気は十分です」

「つまらぬ嘘をつくな、士気など、究極的にはどうでも良いことだ」

「申し訳ありません」


 老人の鋭い言葉にブリュンヒルデは頭を下げる。

 どうも人間味の強いこの女は、天草四郎に肩入れをしている節があるようだった。


「ロンギヌス……いや、グングニルは見つからぬか」

「はい、日本に存在するわけもないものですから……」

「ロンギヌスの槍、手にしたものに永遠の勝利を与える聖槍……我がグングニルの同様の権能を持つ。

 ならば、『我が使徒が握ればロンギヌスはグングニルへと姿を変える』、それが道理だ」

「そして、お父様……大神オーディン様はグングニルを再び手に入れる事ができる」


 老人に扮した北欧の大神オーディンは、自身の渾身の創造物である戦乙女ブリュンヒルデの言葉に大きく頷く。

 とある戦争にて神槍グングニルを失ったオーディンは、その代替物を探しているのだ。


「南の巨人……桜島火山のスルトは未だ眠っている。

 世界の終わりが訪れる前に、我らは万全の準備を完成されていなければいけない。

 ロキもヘイムダルもフレイも天津神との戦争で失ってみせた我らの陣営、トールが居ることこそが唯一の勝機と言った有様だ」

「心得ております、調査も兼ねた桜島遠征もつつがなく進んでおります」

「新たな啓示も先程の接触で与えておいた、その指示にしたがって動くのだ」


 淡々と、親子の会話とは思えぬ会話が、清々しい晴天の下で繰り広げられる。

 オーディンにとって、人も戦争も駒だ。

 己に利するように操作する。

 天草四郎がどれだけ理想を語ろうと、神への想いを強めようとも、オーディンには届かない。

 ただの数字として、オーディンは処理をする。

 ただ一つの……栄光の勝利という目的だけを求め続けた故に。


「お父様……槍についてですが、候補はあります」

「言え」

「天沼矛……国産みの槍。

 かの槍もまた、お父様自身を生贄として貫いて偉大なりしルーン文字を生み出したグングニルと同じ権能を誇っております。

 天津神を捕らえることを可能とすれば、その居場所の糸口が見えるかもしれません」

「……なるほど」


 短く言葉を残し、オーディンは去っていた。

 これは偏屈な父のその通りに行なえという言葉である。

 ブリュンヒルデは恭しく頭を下げて、市役所へと戻っていった。


「あっ!」


 すると、一人の青年が自身を見つけて顔を輝かせた。

 天草四郎、その人である。

 キリスト教の唯一神より預言を賜った勘違いしている、死と詩の神オーディンの啓示を受けた操り人形。


「ブリュンヒルデ、こんなところにいたのか」

「これは、天草様……如何がされましたか?」

「君にこれを分けようと持ってね」


 そう言って、パンを取り出した四郎を見てブリュンヒルデは、キョトン、と目を丸くした。

 意図が読めぬ。

 このパンを持ってきてこの青年は何がしたいのだろうか。


「子どもたちが作ってくれて、とても温かな味がするんだ。

 一番頑張っている君にこそ、食べてもらおうと思って持ってきたんだよ」

「……ありがとうございます」


 一瞬、無表情になってしまったがすぐに笑顔の仮面を貼り付けてパンを受け取る。

 満足したように去っていく四郎を眺めながら、ブリュンヒルデはパンをかじった。

 少し硬かったが、なるほど、なんだか……温かな味がした。





 ◆




 人として生きると決めた。

 神を殺すと決めた。

 たとえ、その先に何もなくても。

 彼らは、他ならぬ己の心に誓ったのだ。



 ────『創生黙示録』────
































『じじ、じじじじじ……』




『聞こえるか、聞こえるか! 助けてくれ! ああ、いや、助けなくていい!

 核だ! 核を落としてくれ! オキナワに核を!

 ダメだダメだダメだ! あんな、ニライカナイは、ああ、ちくしょう、エデンじゃなかった!

 なんてもの祀ってやがる、あの魚顔ども!

 なにが天使だ、悪魔だ、神だ!

 サタンでも、オーディンでも、ブッダでもシヴァでもゼウスでもなんでもいい、こいつらを、ああ!

 ああ……ああ、あああ! 窓に! 窓に!』




『じじ、じじじじじ……』



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[良い点] わあい世紀末! 世紀末で悪魔であふれかえった日本すきー!!! [一言] メガテンミーム濃厚で美味しかったです。ドミグラスソースがかかったハンバーグのような…うまし…
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