花の名前はアシュイラでした
キャスリンは庭の隅にある花壇の前に来ていた。
キャスリンの住む公爵家には、よく手入れされた大きな庭があるのだが、キャスリンが今いる庭は、屋敷の離れにある執事のマーク達が住む家の、すぐ横にある小さなものだ。マークの妻でありスティーブとバーバラの母親クロエが生きていたときには、よく自分で手入れをしていたものだ。クロエは病弱で、キャスリンが6歳の時に亡くなってしまったので、クロエの事はよく覚えていないが優しい笑顔と明るい笑い声の記憶がある。クロエの亡き後、マークやバーバラが時々手入れをしていた。もちろんスティーブも。
キャスリンもバーバラと一緒に、その季節の花を植えたこともあった。
この前の人生では、バーバラ亡き後は、スティーブが手入れをしていた。もちろんキャスリンも手伝ったこともある。スティーブとふたりいろいろな思い出を話しながら、バーバラやマークの好きだった花を植えた。
そんなことをキャスリンは庭の前で思い出していた。
「お嬢様こちらでしたか」
「あ~、マークね。どうかした?」
「あっいえっ。バーバラが先ほどお嬢様を探しておりましたので」
「ごめんなさい。バーバラに言ってこなかったわ。ちょうど他の仕事が入っていたみたいだから。ダメね、勝手にいなくなってしまって。バーバラが心配するわけね」
「バーバラが心配性なだけです。こちらこそ申し訳ありません。今度またよく言って聞かせます」
「いいのよ。心配してくれる人がいるっていいものね。嬉しいわ。それより何か用事があったんでしょ」
「はい。お嬢様が先日おっしゃった名前の男がやっと見つかりました。また旦那様から報告があると思いますが」
「ありがとう」
「最近よくこちらにお見えですね。何か思い出でも」
そう言ったマークの顔はどこか思案気に見える。もしかしたらキャスリンにとって、ここはつらい記憶なのかそれとも幸せだった記憶なのか測りかねているのかも知れない。
キャスリンはマークを安心させるように話し始めた。
「マーク、ここはねスティーブとの大切な思い出の場所なのよ」
キャスリンはマークに話しながら、思い出していた。スティーブとの記憶を。
「ねえ、スティーブ。どうしてバーバラやマークは死んでしまったの?それにお父様やお母様もご病気になってしまったわ。ねえお父様とお母様も死んだりしない?叔父様やジョージ王子もいなくなっちゃったわ。みんないなくなっちゃうの?怖いわ」
「お嬢様。大丈夫です。クロード様もおります。私もおります。それにほら見てください。この花を。これは一年中咲く花なんですよ。だからいつでも見られますよ。花は小さいですけど」
「珍しいお花ね。きれいだわ。これスティーブが植えたの?」
「はい」
スティーブが一年中見られるといった通り、夏の暑い日も冬の寒い日もその花は一年中咲いていた。そしていつもキャスリンの心を癒してくれた。スティーブがこの世界にいないと知った時も、元気になってすぐ確認に来た。この花があるかどうかを。
だが花はなかった。
その時にはスティーブの存在を全否定されたようで、つらくて仕方なかった。しばらくはここに来ることができなかったが、先日久しぶりにきてみたのだ。この庭に。そして屋敷に戻ろうとしたとき見つけた。あの小さな花が一輪だけ咲いているのを。
「ねえマーク。このお花がスティーブがいたことの証明よ。このお花スティーブが植えたのよ」
大きな葉の陰になっていた小さな花を指さした。花は小さくてしかも一輪だけのため、そばに来てよく見ないと見えない。
やはりマークのいる位置では見えなかったらしく、マークがキャスリンがいる位置まで移動してきた。マークが花を見ようと花壇の後ろの方を覗き込んだ。
「この花は!」
マークが驚いた顔をして叫んだ。
「どうしたの?」
「この花は、私がいた国アシュイラ皇国によく咲いていた花アシュイラという花です。国名にもなった由来の花であり王家の紋章にもなっておりました。よくこんなものが...」
キャスリンに話しながらマークの目はうるんでいた。
「そうだったの」
キャスリンが花を見ていると、マークが胸元からペンダントを取り出した。普段は洋服に隠れているらしいそれは、ロケットペンダントの様だった。マークはそのペンダントを首から外してキャスリンに見せた。
そして手の上でロケットペンダントを開けた。そこにはマークの妻であるクロエの笑った顔があった。マークはそのペンダントをもう一回開いた。そこにはクロエの顔ではなく男性と女性の顔があった。
どうやらペンダントは二重構造になっているらしく、もう一つ隠せるようになっていた。
「これは?」
「この方々は、アシュイラ皇国の王と王妃です。スティーブ王子のご両親になります」
キャスリンはそのペンダントを受け取って、食い入るように見た。
「似ているわ、スティーブに」
そういったキャスリンの顔は涙でぬれていた。
「そうですか。どこがですか」
そう尋ねるマークの目も涙でにじんでいる。
「スティーブの目は王妃様に似たのね。今の空のようなきれいな澄み切ったブルーの目をしていたわ。髪は王様に似たのね。深い夜のように黒かったわ」
「私にはスティーブ王子の記憶がありません。でもお嬢様に聞けて今日はとてもうれしい気分です」
そういいながらマークの目からも涙があふれ始めた。
「あなたはアシュイラというのね」
キャスリンは自分をいつも励ましてくれたその花に、今までのお礼を兼ねてそっと触れながらその名前をつぶやいた。
その時だ。小さなアシュイラの花が、真っ白い光に包まれた。