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サイモンの吐息

新作「マグナム・ブラッドバス ―― Girls & Revolvers ――」内でのサイモン回を転記。

こちらもよろしくお願いします。

https://ncode.syosetu.com/n5356fp/

「サー・サイモン・メドベージェフ」


 散歩の途中で立ち寄った、カフェのテラス席。俺は無言で相手を見る。堅苦しいビジネススーツを着込んだ、生真面目そうな女性。辛うじて保たれた清潔感以外、一切のセックスアピールを削ぎ落としたような外見は、大学の研究室に――それも、採算性のないマイナージャンルの研究をしているようなところに――いると、しっくりくるようなタイプだ。

 既に護衛は動いていたが、俺は彼らを手で制する。こちらに危害を加えることが確実になるまで、誰が相手でも絶対に手は出すなと厳命してある。この辺りは、長く続いた売名行為の一環だ。


国家安全情報局(N S I A)のジェーン・ボンドと申します。卿には、お初にお目に掛かります」

「正確には、(ロード)ではないらしいのだがね」


 それはどうでもいいんだが、この若いの。“偽名でございます”といわんばかりの名乗りは、良い度胸としかいいようがない。技術職や専門職に多い“病的無神経(ディスオーダー)”なのかもしれないが。


「大変失礼しました」

「いや、()にとっても他人事(ひとごと)だ。平民出に貴族の真似事など意味も興味もないがね。それで?」

「まず最初に、申し上げておきますが、これは」

「公用ではない、か」


 俺がいうと、ボンド女史は薄く笑う。少なくともそういう意思表明(ポーズ)ではあるのだろう。有り体にいえば、オフレコ(・・・・)という口約束だけの公用なのだが。

 まあ、いい。

 彼女は、懐から折り畳まれた書類を出してきた。武器ではないとのアピールか、差し出す前にまず左手で護衛に見えるよう提示した。この女、世慣れているのかいないのか。

 その紙は見るまでもなく、ここ数ヶ月で俺が入手した武器弾薬と特殊車両の一覧だ。意外に多いともいえるし、過去に扱った物量から考えれば誤差程度ともいえる。


「仕事熱心なのは認めよう。しかし、何をそこまで気にすることがある? それが誰かを殺したわけでもない。犯罪に使われたわけでもない。武器を集めたといっても、民間でも正規取得可能なものだけ。弾薬に至っては、警官用に購入した死蔵品だろう? 手続きも正式に踏んだ。少しばかり多めに寄付(・・)を行なったせいで、誤解を招いたかね?」

「もちろん、違法行為と思ってはいません。あなたを糾弾したり非難したりという意図もない。ただ、知りたいのです。ここ数十年、静かに暮らしておられたあなたが、いまになって何をされようとしているのか」

「そのためにわざわざ、ここまで?」


 俺が暮らすのは、中央との接点もない辺境の街だ。誰にも辿れない、とまではいわないがセキュリティには気を配っているし個人情報も秘匿は行なっている。公的機関のいちエージェント程度に、俺の居場所は探れない……はずだった。


聖者(・・)が動けば、奇跡(・・)が起こる。それは結構。この国の発展の大部分は、あなたのもたらした奇跡によるものですから。わたしが怖れているのは、その奇跡()もたらすもの」


 つまりは揺り戻しと、連鎖的な影響。

 現役当時に俺が行ったように億単位のカネが頻繁に動けば、予測不可能な事象発現(バタフライエフェクト)どころの話ではないのだ。その動機が善意であろうと悪意であろうと関係ない。むしろ、その起点で正当正義を謳う方が、末端で甚大な被害を発生させる。実際いくつか国が傾き、無数の犯罪組織が壊滅した一方で、大量の公的機関――主に警備・諜報機関――が廃止された。

 それが俺の責任じゃないとはいわないが、このボンド女史が警戒しているのは職場の保全ではない、気がする。


「商売の本質が何かは、わかるかね?」

何か(・・)を右から左に動かし、別の何か(・・・・)を生むこと」


 意外なタイプだと、俺はこの若者に少しだけ興味を持つ。

 一般的に、商売は物質(モノ)金銭(カネ)に、あるいはその逆に変換することだと考えている人間が大多数なのだが。それは錬金術であって商売ではない。


「君は、物理学専攻かね?」


 レディ・ボンドは笑みを浮かべ肩をすくめるだけで返答はしない。踏んだ場数の差か、交渉はあまり上手くないな。相手から引き出した口数の分だけ、懐に入り込めるものなんだが。

 あるいは、目的さえ果たせれば利益は考えないタイプか。


「個人的見解だが、その理解で正しい。それで、君が知りたいのは、右が何で(・・・・)左が何か(・・・・)だろう?」


 一瞬だけ迷って、ボンドは小さく頷く。職務上の答えと個人的な答えを迷ったような印象があった。まだ若いな、と少しだけ嬉しくなる自分の老害ぶりに辟易する。


「であれば、答えられない。答える必要もない。これを」


 俺が指で弾いたコインを、ボンドは器用に受け取る。彼女はそれを見ずに指先で触れ、重さを確かめるような表情になった。


「……(ゴールド)?」

「正確には、金銀混合貨(エレクトラム)だがね」


 彼女は、わずかに怪訝そうな顔になった。

 投機用の地金型金貨(ブリオン・コイン)以外に金銀貨を現役使用している国はない。銀の混じった琥珀金貨(エレクトラム)では地金としての価値を持たない。混合貨は基本的に、金貨を実用(・・)していた時代の鋳造貨幣なのだ。


「それが、わたしの左に生まれる(・・・・)ものだ」


 ボンドは、半分だけ納得したような顔になる。テーブルに戻そうとした彼女を手で制する。


「それは、ここまでたどり着いた君へのお駄賃(ティップ)だ。そこから先に進むには、もう少しだけ覚悟が要る」

「……これまでの無礼を、お詫びします。そして、御礼を。わたしは、ブリギット・マクネアと申します」


 アイリッシュか。道理で頑固そうだと思った。いや、これも人種差別主義(レイシズム)と非難されるか。


「君なら、そう時間は掛かるまい。続きは、そのときに話そう」


 彼女が辿り着いたとき、まだ俺が生きていたら、だがな。

 立ち去るボンド改めマクネア女史を見送りながら、俺は心の中で笑った。

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