【出版記念&ご愛読感謝特典SSおかわり】「サイモンズ・ナイト」
市街地を抜けて一時間も走ると、街路灯の明かりが唐突に途切れる。政治家連中が“文明圏との離別地点”なんて呼んでる、娑婆の住人が夜に出歩かないラインだ。
俺は暗闇のなかシボレーのピックアップトラックで海岸線を南下していた。色と車種こそ普段使いの社用車と合わせてあるが、行き先で何があってもすぐ捨てられるよう偽装ナンバー付き登録抹消済みの代車だ。助手席には、無口な相棒。
「……クソが」
俺は革手袋を焦がし始めた煙草を窓から捨て、何十回目かの罵り声を上げる。苛立っているのは、これから会う相手というより変わらない自分にだ。何もかも手に入れ成長し満たされたつもりになって、その実なにも変わってない野良犬の自分に。
シェリルの病は小康状態で安定。持ちつ持たれつの政治的バックアップも受けて、商売は上り調子だ。表向きの顔は整えられつつあるし、裏の顔は少しずつ隠蔽が上手くなってきている。ここで耐えれば起死回生のチャンスもある。
その、はずだった。
「聖人様に、美味い話があるんだよ」
人目を避けるように俺の屋敷を訪れたメッセンジャー。そいつが俺に提示した名前は、忘れるはずもない男のものだった。俺と俺の家族に、最も長く深く関わってきた、忘れたくても忘れられない男だ。ミルドレッド。かつて爺さんのすべてを奪い、親父を苦しめ続けた男。俺が闇市のチンピラだった頃、あいつは毎月わざわざ顔を出して、俺を見ては蔑んだ目で笑っていた。その目的が不安の解消――自分への脅威が育っていないことの確認――だったと、俺はずっとわかっていた。もし俺が変わらなければ、それだけで済んでいただろう。あるいは、爺さんや親父の遺した小さなコネクションに守られていなければ、途中で俺が事故に遭っていた可能性も高い。
親父から腐りかけの商品と店とコネクションを引き継いでからも、ミルドレッドは何度も俺の商売を妨害し、私生活の足を引っ張ってきた。
セィボレィの公共事業を非合法組織の干渉で掻き回した連中の行動にも、あいつの関与があったことは調べがついている。もしセィボレィを蹴落としたところでミルドレッドに旨味はない。俺がセィボレィの娘と繋がっている……いや、繋がろうとしているのを聞きつけての行動だ。
俺がセィボレィの関係者になった場合、ミルドレッドの危険度は一気に跳ね上がる。どうやっても止めたかったその状況が現実のものとなり、日の出の勢いとなった俺を阻止しなければ生き延びられないと焦り始めたのだろう。
「複合医療施設の用地買収で、ひとブロックだけ……いや、実質ほんの1平方フィートだけ応じない地主がいてね。ミスタ・ミルドレッドは、聖人様とサシの話し合いを望んでる」
それが“美味い話”な訳がないことなど明白だった。断ったらどうなるかは、訊くだけ無駄だ。ありとあらゆる妨害を行う気だろう。失うもののない――正確にいえば、失うものしかない――連中は、手段など選ばない。利害に正邪の別も採算分岐点もない。なにせ貶め辱め踏み付けにし続けるはずだった狂犬が、凄まじく力を付けて鎖から解き放たれたのだ。恐怖は日に日に大きくなってゆく。もはや揺れる梢にすら怯える老害は、動くものを見れば撃ってくる狂人だ。
いまさら、こんな形で過去と向き合うことになるとはな。
立ち入り禁止の警告看板を無視して、いくつものゲートを抜け、保管倉庫の並ぶ埠頭の入り口で車を停める。エンジンは掛けたまま、ライトもラジオも付けたままで。
「待ち合わせ時間には少し早かったが、どうせ向こうはもう来てんだろ?」
俺は助手席で首を振る醜男を見る。メッセージを届けに来たミルドレッドの使者。やつの甥だってことは、丹念な話し合いの結果、本人が教えてくれた。
「じゃあな、マルロー。会えて嬉しかったぜ」
手足をダクトテープで巻かれ口も塞がれ声が出せないメッセンジャーは、車を降りようとした俺を見て震え出す。これから何が起きるか、わかっているのか。呻き声で何かを伝えようとしているらしいが、あいにく話し合いの段階はもう過ぎてしまった。
煙草に火をつけ、一服すると彼に渡した。首を振ったので、鼻の穴にねじ込む。
「達者でな」
俺の懐には旋条痕記録のない短銃身のリボルバーが一丁。シリンダーには38スペシャルが六発。これで済まなきゃ、死ぬだけだ。
覚悟を決めようとした俺は、ヨシュアの言葉を思い出す。渡した銃の一弾倉分、“七発撃って終わらない諍いなら何万発撃ったって終わらない”なんて突き放した俺に、あいつはいったっけ。
“ああ、終わらないさ。トラブルってのは、そういうもんだ。そのためにお前がいるんだろうが!”
あいつのいう通りだ。あのときも、そしていまも。
思えば最初から、風変りな奴だったな。俺を変え、この街を変え、この国を変えた名もなきジャパニーズ。せいぜい、また会える日が来ることを祈ろう。
窓を開けて周囲の物音と気配を探り、静かにドアから滑り出る。ルームライトのスイッチは切ってあったし、埠頭から運転席側がブラインドになるように停めた。姿勢を低くして遮蔽の陰に滑り込んだ。さて、どう出てくるかだな。
考えるまでもなく、結果はすぐに出た。長く光の尾を引いて大量の銃弾が俺の乗ってきた中古トラックに突き刺さる。軽機関銃か、汎用機関銃。射程と安定を見れば銃架に乗ってるタイプだろう。呆れて見ているうちにトラックは穴だらけになって炎上し始めた。わざわざ曳光弾を混ぜたのは、ガソリンへの着火を狙ってのものか。こんな僻地に呼び出されたら、車で来ることは確定事項だからな。
「案外、爆発はしねえもんなんだな」
度胸がついたか感覚が麻痺してるのか、生きるか死ぬかの状況に恐れも怯えも湧いてはこない。銃弾が飛んできた倉庫に陰から回り込んだ俺は、そこに鎮座しているものを見て呆れる。視線を上げると二階の窓際に銃座を組んだらしく、三脚付きの汎用機関銃と弾薬箱が並んでいるのが見えた。その横にはRPG-7まで立てかけてある。
「どうかしてるぜ。たかが野良犬狩りに、なに考えてんだ」
この後の計画を考える間もなく、倉庫の上階で携帯電話を手にした男が姿を現す。
「仕留めたぜ、ミルドレッド」
男は電話で何かをいわれたのだろう。窓の外を見て、小さく嫌そうに息を吐いた。
「おい、死体の確認……って、待てよ。吸ってるタバコの火が瞬くのは見えた。そこにベルトリンク一本分撃ち込んだんだ。いまも車は炎上してる。あれで生きてるようなら本物の聖人様だぜ?」
男の死角から倉庫内に忍び寄り、周囲の敵を探る。上階に、もうひとりいる。
足音を忍ばせて階段を上り、通話を切ったと同時に男の頭を撃つ。頭蓋が弾けて脳漿が壁に飛び散り、その音に反応して小男がひとり木箱の陰から顔を出してきた。俺が腹を撃つと、小男は信じられないというような顔で俺を見て崩れ落ちる。
背後から銃弾が飛んできて、俺は頭を下げながら振り返って銃を向ける。どこかで見覚えのある男がRPD軽機関銃を構えていた。
「もうひとりいたか」
最初の数発で攻撃が止んだのは、装弾不良だろう。ドラム弾倉のなかで金属リンクの弾帯が絡んだか。男は罵り声を上げてボルトハンドルを引くが、焦れば焦るほど状況は悪化する。俺はわざと足音を立てながら近付く。怯えて強張った笑みのような男の表情を見て、ようやく思い出した。ミルドレッドと付き合いのあった武器商だ。ずいぶんと零落れた姿になっていたから、顔を見ても気付かなかった。俺がチンピラだった頃、こいつは羽振りが良かったから、ずいぶんと罵られ嘲笑われたものだ。いまさらそれをどうとも思わないが。
近付く俺に精一杯の虚勢を張って、武器を手放した男は両手を上げて降参の姿勢を見せる。こいつの名前は思い出せない。もう思い出す気もない。
「なあ、どんな気分だ?」
「な、なにがだ」
「お前らがマルローを殺して、そのお前らも死体で見つかるわけだ。いまの警察署長はやる気が過剰投与されてるから、涎を垂らして探りを入れてくるぞ。お前らの店も、関係者も、取引先も、もちろん家族もだ。死んでからも、あちこちから間抜けな無能と罵られ続けるわけだな」
「ふざッ、けるな。そうなったら、敵対関係にあったお前だって、ただでは」
「済まないだろうな。もし、ここに戦闘の痕跡があり、武器兵器が残っていれば、だ」
俺は指で階下を示す。そこに鎮座するいくつものコンテナと砲塔のない戦車みたいな代物を見て笑う。今夜これを使う気だったんだとしたら、完全に頭がおかしい。
「逆にもし、これが今夜、全部消えるとしたら? その取引で使われるはずだったカネは誰かが持ち逃げしたって憶測が生まれたりしないか?」
「ふざけんな! 一番に怪しまれるのがテメェなのは変わら、ねゃ……ッ!」
俺が横から顎を撃つと、彼は、しゃべれなくなった。呻き声とともにビチャビチャと水音が聞こえてくるが、俺の知ったことではない。
「もちろんそうだ。だが、そこで俺を責める口実も、訴える証拠も見つからなかったら? おまけにカネでも権力でもコネクションでも勝ち目がないことがわかっていたら?」
ようやく自分の立場を――これから担うことになるそれを――理解し始めたのか、男の目が泳ぐ。懇願するように小さく首が振られるが、顎の残骸から覗く舌はもう、意味のある言葉を発しない。
「あのジジイは、保身のための生贄を求める。……違うか?」
縋り付こうとする男を銃口で突き放す。つかみ掛かろうとした手を撃つと、右手は使えなくなった。悲鳴を上げて傷口を押さえた左手も重ねて撃つ。これで筆談も望めない。それでも向かって来ようとする男を階段から蹴り落とし、最後の一発で脛を撃つ。出血はさほどでもないが、こいつはもう逃げることができない。空の銃を、もがく彼の前に置いた。
「夜明けまでには、ミルドレッドが来る。そのとき、お前の訴えが、あいつに届くと良いがな」
必死に何かを訴える男を置き去りにして、俺はチランを神の錬金釜に上げる方法を考え始めていた。