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立ち尽くす男

作者: 加賀美よしのり

単身赴任先で不気味な体験をした。

世間的には事件だが、自分にとっては不可解で忌まわしい記憶なのだ。

会社から、某町に六か月の予定で単身赴任を命ぜられた。

その時に私が住んだのは、駅に程近い場所にある五階建てマンションの四階。

 

 ある休日の昼前11時頃、私は掃除をしてベランダ側のガラス戸を開けた。

 すると、そこから30mほど離れた駅前にある八百屋のビルの屋上に、店主の親父がウロウロとしているのが見えた。

 その八百屋のビルは三階建てで、その屋上が私のマンションの四階と同じ高さだ。

八百屋の屋上には、二階建てのペントハウスがある。一階部分は三階と屋上への出入口で、そこから外付けの鉄骨の階段でペントハウス二階に昇れるようになっている、たぶんエレベータの機械室か、給水塔でもあるのだろう。

 その時は気にも留めなかったが、午後一時頃、洗濯物を干すためにベランダに出ると、八百屋の親父はまだ屋上をウロウロしていた。

 「あの親父、昼時の二時間近くも屋上で何やってんだろう?店は休みなのか?」


 私は平日の仕事帰りに、駅前の商店街で夕食の材料を買うのを日課にしていたので、あの親父の八百屋にも毎回立ち寄っていた。

 彼は商売人のくせに不愛想で、いつも小さな声で唸るように「いらっしぇーっ」と言ったきり、こちらが声をかけない限り、親父の方からは口を利かない。


 その親父が今日は二時間も屋上でウロウロしている。向こうが気づけば挨拶しようと思っていたが、私にはまったく気づかない。

 それからさらに時間が経った四時半過ぎ、西日が差し込んで眩しいので、ベランダ側のカーテンを閉めようと窓に近づくと、あの八百屋の親父が、まだ屋上にいるのがガラス越しに見えた。

今度は屋上に建つ二階建てペントハウスの外付け鉄骨階段の下に、こっちの方を向いてじっと立っている。

ひょっとしてこちらに気づいているかもしれないと思い、私はガラス戸を開けて、親父の方に向いてお辞儀をした。

 すると親父は立ったまま、首だけチョコンと下げて挨拶を返したが、そのあとも、じっとこっちを向いたまま立っている。

何か様子がおかしいが、もともと不愛想だし普通の会話の声が届く距離でもないので、面倒だからそのまま部屋に入った。

 さらに時間が過ぎて六時過ぎ、暗くなってきたので雨戸を閉めようとベランダに行くと、なんとあの親父、二時間ほど前と全く同じ位置に立ったままではないか!

「どうしたんだろう?」

まだこっちを見ている。ガラス戸を開けて、ベランダに出る。薄暗くなったが、向こうからもこちらが見えるはずだ。

そこで、また私はお辞儀をして見せたが、 今度は挨拶を返さない。思い切って声をかけてみた。

「こんちはっ!」

それでも反応がない。おかしい!

すると、マンションの隣室の住人がベランダの仕切り越しに顔を見せて声をかけて来た。

「どうしたんですか?」

私は親父の方向を指さして、隣人にこれまでのことを話すと、彼は大きな声で八百屋の親父に声をかけた。

「鈴木さあんっ、(八百屋の親父の苗字)どうしましたあ?」

やはり反応がない。

「これはやばくないですか?」

隣人はおもむろに携帯電話を取り出して警察に通報した。そして電話を切るとこう言った。

「警察が現場で案内してくれと言うから、八百屋の前に行って来ます。」


数分後、パトカーのサイレンが八百屋の前あたりに止まった。パトカーは見えないが、赤色回転灯の赤い光が、暗くなった周囲の建物を照らす。

 少し経って、警察官が数人、隣人とともに八百屋の屋上に上がってきたが、八百屋の親父はそれを全く無視するように立っている。

 それもそのはず、実はこの親父、ペントハウスの鉄骨階段に紐を通して首吊りをしていた。立っていたのではなく、ぶら下がっていたのだ。すぐに救急車も来て、あたりは騒然となった。


夜になって警察官が私のところに来て、今までの目撃情報を聴取したが、その翌日も、勤務中の私の携帯に警察から「今日、また聞きたいことがある」という連絡があった。

 そこで私は、夕方に警察に行った。

「昨日のお話ですと、あなたは夕方に鈴木さんの姿を確認してベランダ越しにあいさつを交わしたそうですが、その時間は間違いないですか?」

警察の検視結果によると、死亡時刻はあの日の二時半頃で、私は四時半過ぎに八百屋の親父の姿を見て挨拶した時、彼も首を下げて挨拶を返した時間には首を吊ってから二時間近くも経っていると聞いて、私は背筋がゾッとした。まさかこんな時に警察が悪い冗談を言うはずもない。発見が死亡当日で死因も明確なので、死亡推定時刻も誤差はほとんどないという。

では八百屋のオヤジがちょこんと頭を下げて挨拶を返したのは、見間違いか?

いや、思い出しても頭を下げた光景がはっきりと蘇る。

しかし警察も問い質す。

「本当に挨拶したのは間違いありませんか?」

 あの時は四時過ぎとはいえ西日が強くてカーテンを閉めようとしていたほど明るかったし、風もなかった。だから八百屋の親父が首を下げたのは見間違いでも、風で揺れたとも思えない。ましてや記憶違いとも思えない。

でも、昼からウロウロしていた親父が、何時間も同じ位置でじっと立っていたのも確かだ。首吊りした人が挨拶するわけがない。


 それからというもの、ベランダの窓に建つとあの八百屋のビル見えるので、外は気持ちが悪くて見られず、昼間でもずっと雨戸を締め切りにしたが、夜はもっと怖くて、これは住んでいられないと思い、「体調不良」という理由で会社に単身赴任の解除を申請した。本当の理由は言えなかったのだ。


 それ以降、あの町に行くことはないが、今でも町の名前を聞いただけで後味が悪い。今なお私は、あれが見間違いとも記憶違いとも思えず、明快な解釈が得られず腑に落ちないまま今に至っている。

一時的に住んだ遠い町のことだし、自分に直接関係ないことだが、自分の心には、人知れず重くのしかかる結果になった。過去は変えられないけど、忘れ去りたいことは多いものだ。


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