第一章ー白銀の魔術師ー1
「……大丈夫だから、ね?」
アルクレイム大陸の南部、大陸最大の国家【聖主国シルフェリア】の領内にあるこの小さな農村は、普段であれば正しく“のどか”と言うにふさわしい、ゆったりとした時間に包まれる、平和な村だった。
大きないさかいも無く、戦火とも程遠い村。
決して飛び抜けて豊かではないけれど、等身大の人間らしい生活に満ち溢れた、暖かい暮らしがあった筈だった。
「……大丈夫…大丈夫」
──何故だろう?
抱き寄せた胸の中で震える幼い弟と妹に向けて……否、まるで自身に言い聞かせるように
「大丈夫」と繰り返し呟きながら、少女──セラは考えていた。
──どうしてこんな事になったの?
噂は聞いて、知っていた。この界隈に点在する村が、最近立て続けに盗賊に襲われている事。
「怖いね」とか、
「嫌だね」だとか、時折行商を伝として耳に入る話を、仲の良い友人達と聞いては噂し、肩を震わせていたものの、それでもどこか他人事だった。
だって、自分達が暮らすこの村よりも、もっと裕福で豊かな村はたくさんあったから。だから、まさか、自分達の村がその被害に逢うだなんて……思わなかったんだ。
でも──
「ヤロウ、ジジィ、ババァは皆殺し。いつもの如く、ガキは殺すなよ?高く売れっからな」
今、現に、目の前にいるのは──
「んで、だ。女は──」
汚ならしい髭。
汚ならしい格好。
そして、無骨で、大柄で、思い思いに禍々しい武器を携えた──
「──楽しませてもらおうぜぇ?」
──盗賊。
十数人にも及ぶ、屈強な暴力の権化。
「ヒヒッ、ヒッ、おで、おで、女、若いの、欲しいッ!!」
「ああ、ああ、分かってんよ。好きなようにヤれ。ったく、だからってすぐに殺すんじゃねぇぞ?使えるだけ使うんだからヨォ?」
──なんて、身勝手な会話。
寒気がした。
おぞましかった。
あんなに醜悪な笑み、見た事無い。
あんなに卑下た笑みを浮かべる人間、見た事無い。
「………………」
もはや、弟や妹に
「大丈夫」と言い聞かせる気力もない。
すがるように、力自慢でいつも男の子達を仕切っているトニを見る。そして、そのトニと対抗していつも取っ組み合いの喧嘩を繰り広げる幼馴染みのハンスを見る。
…震えてた。顔を青ざめて、身を縮込ませて、小刻みに。
解ってるんだ。きっと、何をしても敵わないって。きっと、出ていった瞬間に殺されてしまうって。
純粋な悪意。凶器に宿った殺意。身体中から溢れる害意、欲望が、強制的に一ヶ所に集められた村人に向けられて。
……絶望しか、無かった。もう、絶望しか無かったんだ。これから先は、彼らの言いなりになるしかない。欲望のままに辱しめられ、ゴミのように踏み潰される運命。
「ヒヒッ、ヒッ、お、お頭ぁ!!」
「ああ。んじゃあ──」
セラは、今一度強く弟妹を抱き締め──
「──狩りの、始まりだ!」
──刹那に迫り来る現実から目を逸らすように、固く瞳を閉じた。
「……………?」
瞳を閉じてから数秒。セラは、真っ暗な絶望の淵にあって、しかし首を傾げた。何故なら、すぐにでも襲い来るであろうと思われた暴力という名の悪意が、いつまで経ってもやって来ないのだから。
それどころか、蹂躙されて阿鼻叫喚の混乱を見せる筈の村人達の反応が、一向に無い。
静かすぎる空間。瞳を閉じているが故に濃く感じる気配からは、つい先程までの凍りつくような怯えた緊張感は無く、どこか戸惑いすら感じる。
「な……んだ、てめぇ…」
躊躇いと戸惑いにまみれた声が聞こえた。
「ど、どこから出てきやがった…?」
それは、盗賊のリーダーの声。あれほどまでに厭らしく響いていた声が、今は微かに怯えすら含んで…
「……?」
数瞬の思案の後、セラはゆっくりと瞳を開く。
そして──
「……………」
拓けた視界に飛び込んできたのは、ついさっきまでは無かった“色”。
“白銀”の、およそ人の手では再現出来ないような、浮き世めいた美しい髪が揺れる。
“漆黒”の光沢を放つ、一目見ただけで極上と分かる材質でできた法衣が、“彼”の体を包み込んでいた。
「……なんとか、間に合ったようだな」
発せられる声は、まだ幼いと感じられる声で。
「随分と好き勝手に荒らし回ってくれたものだ」
けれど、その雰囲気は、決して激しく抑圧するような重さではないものの、その場にいる誰をもを呑み込んで磔にしてしまうほどの……そう、壮大にして厳格な、神聖なものだった。
「な……ん、だ…お前」
男達の内の誰かが、ゴクリと生唾を呑む音が聞こえた。
「な、なんなんだお前ッ!?」
戸惑いは、いつしか恐怖に変わる。
あれほどまでに醜悪だった獣達は、皆一様に震える子犬に成り下がった。
そして──
「王の勅命だ──」
──“彼”は、断罪の斧を降り下ろすかの如く言い放つ。
「──略奪、略取、その他数々の身勝手な行い。欲深く下劣なその罪……赦し難い」
清々しく涼やかな、一陣の風が吹いた──
「聖主国シルフェリア、聖王宮廷魔術師団所属。一番隊隊長……この“白銀”のフェイトの手を以て、貴様らを拘束する」
“白銀”は陽の光に煌めき、正義を掲げた。
「……大人しく、投降しろ」
凛として澄んだ声はまるで、暗闇を切り裂く導きのヒカリ。
“彼”の背には希望。
“彼”の手には正義。
そして、“彼”の存在は、紛れもない救済だった──
第一章
-白銀の魔術師-
「…………」
目の前に広がる光景を見て、セラは……いや、村人達はただ呆然とするしかなかった。
見た目、歳の頃は十代後半。精悍と言うにはあまりに幼く、それでいて美しい顔立ちの少年……そう、紛れもなく“美少年”と言って違和感の無い風貌の彼は、たった一度、何気無い素振りで右腕を横に薙いだだけで、十数人はいた屈強な男達を地に沈ませた。
……何が起こったのか解らない。
少年の死角にいた盗賊の内の一人が、状況を打破しようとしたのか、はたまた困惑極まって焦ったのか、村人を人質に捕ろうと微かに動きを見せた刹那の出来事だった。
よく目を凝らして見れば、少年を中心にして、ユラユラと銀色の光が辺りに漂っている。その様はまるで、あたかも空から舞い降りてきた雪が中空に留まっているような、幻想的な光景だった。
──その、銀色の光が。
──盗賊達に触れては、溶けて絡み付き。
──その自由を奪っている。
「《侵食の銀》」
少年は淡々と口を開いた。
「俺からは逃れられない。…誰であっても」
その言葉を肯定するように、銀色の光は盗賊達の体を蝕んでいく。
もはや、男達は自らの身体の支配権を完全に奪われていた。
「……言った筈だ。大人しく投降しろ、と。貴様らに選択肢は用意されていない。従わないのなら……従わせるだけの事だ」
心まで凍てつかせるような響きが耳に届いた時、改めて盗賊達は悟ったのだろう。自らの命は今、完全に目の前に立つ少年の意思に委ねられているのだと。
もう、誰一人としてこの場から抜け出そうと考える者はいなかった。考える事をすら……恐怖した。
「……直に、隊の魔術師らがここに来る。貴様らは中央に送られ、裁きを受けるだろう。その時、改めて悔いるがいい。自分らのしてきた事の愚かさを」
それは、それすら、盗賊達にとっては裁きだった。
「貴様らの奪った数多の命は、貴様らが考えるよりも遥かに重かった」
盗賊達が唯一自由にできる心の中、忍び寄るのは死の恐怖。手にかけてきた他の村人達が、今、心の奥底で呪詛を謳う。
徐々に色濃くなって行く死の気配に耐えきれず、とうとう盗賊達は一人、二人と意識を手放し始めた。
「たっ、助けて…」
「死にたくない!嫌だ、見逃してくれ!!」
なんと滑稽で歪な光景だろう。無骨な大男達が例外無く地べたに平伏したまま、懇願するのは自身より一回りも幼い少年。
「……貴様らは、そう言って命を乞う人々を見逃してきたか?」
そこに情けは無い。
そこに赦しは無い。
在るのは一つ。唯一つ。
「因果応報。貴様らに突きつけられるのは、白刃でも槍でもない。……自らの罪だ」
罪という名の闇に断罪を叫ぶは、正義という名の光。
……最後の一人が、不釣り合いな涙を流しながら、憐れにも意識を失った。
◆◇◆◇◆◇
「フェイト様。賊共の回収、完了致しました」
あれから数分の後、魔力によって紡がれた幾重もの光の糸により一纏めにされた盗賊達は、虚ろな眼差しを虚空に向けたまま、少年に遅れて追い付いてきた八人の魔術師によって拘束される。
少年に報告してきたのは、長身で落ち着いた雰囲気を放つ青年魔術師。
「ご苦労様」
少年は、先程とは打って変わって、穏やかな微笑みを浮かべていた。
その微笑みを受けてか、青年の口元にも笑み。しかし、それは多少苦いものではあったが。
「とは言ってもですね、実際、フェイト様があまりにも早く仕事をしてしまうから、正直我々の出番がなかったのですが……ご苦労様と言われましても…」
「あ、いや、あの……すみません…」
「ああ、謝られても困ります!……もう、フェイト様はすぐにそうやって謝られる」
「あはは……ごめんなさい」
「ほら、また。……くすっ、まぁ…それが貴方の良い所なのでしょうが」
苦笑する青年からは、目の前に立つ少年に向けての確かな尊敬と愛情が見てとれた。
そんな青年の様子が嬉しかったのか、少年もクスッと愛嬌のある笑みを向け、それから少々表情を引き締めつつ、綺麗な声でこれからの動向を告げた。
「では、ラディルさんは再び隊を率いて、中央に向かってください。俺は村の人々に挨拶と軽い説明をしてから追いかけますので」
「はっ。ラディル=アークライト、任により、これより小隊を率いて中央へと向かいます」
「ええ。道中、くれぐれも気をつけて」
「フェイト様も」
今一度、軽く笑みを交わし、それぞれに背を向ける。
少年の視線の先には、未だに困惑の表情を浮かべた村人達の姿。
「……さて、アフターケアといきましょうか」
必要な処置とはいえ、村人達の前で威圧的な行動を取ってしまったことを恥じて反省しつつ、少年はゆっくりと歩を進めた。




