素っ裸で空を飛ぶ
「おっ、とっと……」
ふわふわと浮き上がる体は、なかなかにコントロールが難しい。
一応は自分の意志で飛ぶ方向を選べるけど、使い慣れてないこともあって、慎重に飛ぶ必要がありそうだ。
ちなみに、浮遊の霊薬による飛行速度は、上下左右いずれの方角に進むにせよ、人間が歩くぐらいのゆっくりさ。
より上位の飛行の霊薬ならもっと早く飛べるのだけど、これはさらに数倍の値が張る貴重品になるし、そもそも私はそんなの持ってない。
まあ、それはいい。
別に速度を競っているわけでもなし、ゆっくりでも頂上に無事たどり着ければ何の問題もない。
それよりも──
「ねぇ、ウィル。私の姿、ちゃんと消えてる?」
私はウィルの前まで行って、ふわふわと浮き上がった状態で聞いてみる。
なお、この質問をするのは、かなり勇気がいる。
何しろ今の私は、全身まるまる素っ裸、いわゆるすっぽんぽんだ。
万一にも体が透明になっていなかったら、それをウィルに見られてしまうということになる。
とは言え、姿が完全に消えていないと、私の麗しき肉体がキラーヴァルチャーの餌になってしまう恐れがある。
生きながらにしてハゲタカモドキに全身を食べ尽くされるような、そんな狂気の遊びに身を投じるのは御免被りたい。
というわけで、この質問は必要なものだったのだ。
だったのだけど……ただ、そこに私に一つ、誤算があった。
「うおっ! ……り、リッカか!?」
「──ふぁっ!?」
前方に闇雲に伸ばされた、と思しきウィルの両手が、私の体をつかんだのだ。
さいわい、つかまれたのは両の肩だったけど、こっちは裸なので、妙に気恥ずかしい。
「ちょっ、ちょっと、ウィル……!?」
「おお、これひょっとしてリッカの肩か。ってことは」
「ふひっ!? な、何やってんのよ!?」
ウィルの両手が、私の肩から二の腕へと移り、そのまま下に移動して、腰やお尻のまわりまでをふにふにとつかんでくる。
「……あれ? リッカひょっとして今、裸か?」
「だぁから、さっきそうだって言ったでしょうが!」
「おお、そう言えば!」
「そう言えば、じゃなああああいっ!」
私はウィルの手を自分の体から力づくでどかして、彼から距離を取った。
「はぁっ……はぁっ……ほ、本当に見えてないんでしょうね……? 見えてたら私、鳥の餌になっちゃうんだから、変な冗談はやめてよね」
「ああ、それは大丈夫だ。まったく見えない。っていうか、見えてたら裸かどうかなんて聞かないって」
「信じるわよ。……じゃあ、時間もないから行ってくる」
「おう……頼む」
そう言うウィルを一瞥だけして、私は空中を、ゆっくりと浮かび上がってゆく。
浮遊の霊薬、透明化の霊薬とも、効果時間はおよそ十分間だ。
いま余計なことに思わぬ時間を使ってしまったから、少し急がないといけない。
とは言え、崖の上の頂までは、二十メートルあるかないかぐらいの上下距離だ。
片道二十秒もあればたどり着く。
帰りの分を考えても、まだ慌てるような段階じゃない。
断崖に沿って、空中をすーっと真上に進んでゆく。
すっぽんぽんだから少し落ち着かないが、誰が見ているわけでもないから、問題はないはずだ。
キラーヴァルチャーを見ても、遠くの上空で旋回しているままで、襲い掛かってくる様子はない。
気付かれると困るのだから当たり前のことだけど、つまりは順調だということ。
そんなわけで、ドキドキはしたけれど特に障害もなく、崖の上の山頂へとたどり着いた。
山頂に着くと、幸いなことに、すぐ目の前に教科書で見た植物があった。
崖っぷちの地面の一部が妙に赤っぽい土になっていて、その上に赤い花を咲かせた植物が群生していた。
私はそれを見て、心の中で快哉の声を上げる。
崖の上に行っても目的のものがすぐに見つからなくて、探索している間に十分間が切れてしまう、というパターンを一番危惧していたけど、どうやら杞憂だったみたいだ。
私は群生するその植物に向かってふよふよと近付いて行って、その花を手に取った──
──はずだった。
「あれっ?」
スカッ。
花の咲いた根元の茎をつかもうとした私の右手は、見事に空を切った。
呆然とする。
何だこれ。
もう一度同じ動作をする。
スカッ。
やっぱり手ごたえがない。
花が私の手をよけているとか、そういう面白いことが起こっているわけじゃない。
ただ、幻をつかむように、手ごたえがない。
「えっ、ちょっ、ちょっと……!」
私は両手を使って、その植物をまとめてつかもうとする。
でも結果は同じだ。
何一つ手ごたえがない。
「うそ……何これ」
さっきは幻をつかむようにって思ったけど、それは違う。
ように、じゃない。
これは幻をつかもうとしているんだ。
群生しているその植物を、あちこちふよふよと飛んで行って、片っ端からつかもうとしてみる。
ダメだった。
どれもすべて実体がない。
──ヤバい。
ヤバいヤバいヤバいヤバい。
私はちらっと、キラーヴァルチャーのほうを見る。
件の鳥たちは、いまだ私に気付いた様子はなく、相も変わらぬ無軌道な旋回を繰り返している。
それはいい、それはいいのだけど。
問題は、霊薬の効果時間のほうだ。
いま何分経った?
そろそろ二分か三分ぐらいにはなると思うけど、厳密には分からない。
効果時間が十分間として、あと五分以上は、少なくともあると思う。
下に降りていくには三十秒もあれば余裕だから、そこはそんなに気にする必要はない。
でも──この五分間で、私はどうすればいいの?
ヤバい。
焦りばかりが募ってゆく。
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせる。
山頂にカガミソウノオトシゴの花が咲いていたと思ったら、それが全部幻だった。
それはなんだ、教科書に間違ったことが書かれていたってこと?
私は呆然と、これまで何度も繰り返した動作──花をつかむ動作を再び行なう。
結果はもちろん同じ──
「えっ……?」
そのとき、私はあることに気付いた。
無駄と思いつつ手を動かしたとき、その私の手に、花の姿が映し出されていた。
そして私の手の影になる場所の地面では、ちょうどその影の形で花の姿が失われ、赤い土の地面が露出していた。
これって──
私は方角を見切って、自分の体を大の字にして立ってみる。
すると、手のときと同様、大の字にした私の体の形に合わせて、その影になる部分の地面の植物の姿がなくなり、地面の赤土だけが見えるようになった。
「まさか……!?」
後ろを振り向いて、遠くを見る。
キナノ山の山頂から見える景色の中には、いくつもの山々があった。
そして、その山のうちの一つの山頂が、チカッと光った気がした。
そこに注目をすると、遠くだから判然とは分からないけど、その場所に何か赤いものがたくさん密集して生えているように見えた。
そしてそれが、太陽の光を受けて、キラキラと輝いている。
──そう、まるで鏡のように輝き、太陽の光を反射させていた。
ただ鏡と違って、映し出すのは自身の姿──そういうことなんだろう。
「うそ……じゃあ、あれが……本物のカガミソウ……?」
全身の力が抜ける。
冗談のように、気力が失われてゆくのが分かる。
本物はあそこにある。
っていうことは、あの山まで取りに行かなければいけないってこと……?
そんなの間に合いっこない。
徒歩であそこまで行ったら、どれだけかかると思ってるんだ。
「だって、でも、そんなわけない……だって教科書には、カガミソウノオトシゴは、キナノ山の山頂にあるって……」
そう自分でつぶやいて、私はふと気づいた。
自分が口に出した言葉には、確かな違和感があった。