死なない悲劇のヒロイン
私は着替えを済ませて、簡単に用意した朝食をつまむと、村の中ほどにあるウィルの家に向かった。
家の戸をノックすると、ウィルの両親が出てきて、家の中へと迎え入れられる。
家の奥の寝室には、ベッドに横たわり荒い息をついている少女がいた。
その傍らの椅子には、彼女の兄であるウィルが座って、妹を看病していた。
ウィルの妹のファムちゃんは、兄と同じ金髪碧眼の、お人形さんみたいに可愛らしい女の子で、年は私やウィルの四つ下。
その肌もいつもはびっくりするぐらい白くて綺麗なのに、今はその白いはずの頬が、病状にやられてか真っ赤に染まっていた。
私はそのベッドの脇にもう一つ用意された椅子に腰かけて、彼女の容体を診る。
錬金術師は、厳密には医者とは違うのだけど、それでも診断術に関しては、錬金術学院の講義でみっちり叩き込まれている。
「ファムちゃん、大丈夫? お話はできる? 無理はしなくていいけど」
「はぁ……はぁ……り、リッカ、さん……?」
「うん。体調はどう? 気持ち悪い? 頭痛い?」
「リッカさん……私、もうダメです……お兄ちゃんのこと……よろしく、お願いします……」
「ファムちゃん、その冗談、今言うとシャレになってないからね」
「あはは……結構、冗談でもないんだけどな……」
そう悲劇のヒロインを演じる弱気のファムちゃん。
布団の中から手を取り出して見ると、本来は白魚のような彼女の手が、その先っぽから、まがまがしい緑色へと変色を始めていた。
「これは……! ──ねぇウィル、ファムちゃんが苦しみ始めたのは、今朝からなのよね」
「あ、ああ。今朝ファムの苦しむ声が聞こえて、見に来てみたらこんな感じで」
「そう……。ならまだしばらく猶予はあるわね。でも……まずいな。緑化病治療の霊薬なんて、持ち合わせがない……」
私は右手の親指の爪を噛む。
イライラした時に出る、私の悪い癖だけど、これはなかなか直らない。
その様子を見たウィルが、心配そうな顔で私に聞いてくる。
「緑化病……? ヤバいのか、それ」
「ウィル、ちょっと来て」
私はウィルの腕をつかんで引っ張って、別の部屋に移動する。
隠してもしょうがないことではあるけど、それでもなるべく、ファムちゃんに聞かせたくはない話だった。
隣の部屋に移動して、扉を閉めてファムちゃんに声が聞こえないようにしてから、私は一つ深呼吸をしつつ、ウィルに説明する。
「……落ち着いて聞いて、ウィル。ファムちゃんが罹ったのは、緑化病って呼ばれる、少年期の子どもが稀にかかる奇病よ。放っておいたら、およそ一週間で病原体が全身に回って、取り返しのつかないことになる……」
「なっ……! なんで、ファムがそんな病気に……! じゃあファムは、このまま死を待つしかないってのか!?」
取り乱したウィルが、私に詰め寄ってくる。
それに対して私は、かぶりを振ってみせてから、ウィルの目をまっすぐに見る。
「……死なないわ」
「……! リッカが救ってくれるのか!? 頼む、ファムを……!」
勘違いをするウィルに、私は再び首を横に振る。
「ううん、そうじゃない。──ウィル、よく聞いて」
「あ、ああ」
ウィルがごくりと唾をのむ。
幼馴染の少年の緊張が手に取るように伝わってくる中、私はそれを説明する。
「……死なないのよ、緑化病では。私は一言も、緑化病が死病だとは言ってない」
「……へっ?」
目が点のようになったウィルに、私は緑化病の詳しい症状を伝えてゆく。
「緑化病の症状は、全身の肌が緑色になること。それだけよ。罹り始めの頃は発熱をはじめとした体調不良を伴うけど、緑化病が完成すればまた元の健康体に戻るわ」
私のその言葉を聞くと、ウィルは露骨に安堵したようで、私の肩から手を放し、額の汗をぬぐう。
「……はぁ、何だよ、驚かせやがって。じゃあファムは大丈夫なんだな?」
そう言うウィルだったけど……それには私がかちんときた。
今度は私が、彼の胸倉をつかむ番だった。
「はあ? 大丈夫? 何が大丈夫なのよ! ファムちゃんのあの綺麗な白い肌が、全部緑色に染まっちゃうのよ!? そんなの全人類の損失よ!」
「お、おう」
「だいたい肌が緑色に染まっちゃった女の子が、その後どういう人生を送ることになるか分かってるの!? 『やーいドライアード~!』とか言われるのよ!? お嫁になんてとてもいけないわ!」
「は、はい、すみません」
「緑化病は、完成しちゃったらもう治療はできないの。何としても、すぐに治療薬を作らないと。西のキナノ山に材料があるから、採りに行くわよ。あんたは私の護衛。いいわね?」
「あ、はい。よろしくお願いします」
そんなわけで私は、今日はさっそく店じまいをして、怯えた幼馴染とともに村を出るのだった。