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「な、何!?」
ユリアーナはレイティア側の窓に頭をぶつけた。
今までのように、悪路を走っているせいではなかった。
――耳を劈く爆音。
危なっかしいブレーキ音が響き渡り、ユリアーナの危機感をいやがうえにも煽った。
「一体、何が起こって……」
「分かりません!」
ハンスが懸命に、ハンドルを切っている。それは何事かを避けているように感じられた。
まるで……。
「砲弾……?」
確信が持てなかったのは、ユリアーナが前線を経験したことがなかったからだ。都市部まで戦火が広がることはなかったし、仕事はあくまで備品の補給。事務作業だった。
ユリアーナは中腰になって、運転席に身を乗り出した。
運転席からでも前方の砂煙で、外がまったく見えなかった。
「まさか……?」
とっくに、何もかも、ばれていたのではないだろうか?
オーネリアには、分かっていたのだ。こんな幼稚な作戦。ばれないはずがない。
(……それとも、陽動?)
最初から、本隊は他にいてユリアーナは影武者にすぎなかったのか?
(有り得るわ。だって、私の相棒はコレだし)
レイティアは、ユリアーナに必死の形相で掴まっていた。
彼が七面鳥を手放さないのは、食べ物に対する執念の為せる業なのだろうか?
(私、死ぬの?)
――こんな怪しげな青年と一緒に、こんな所で?
絞首台に連行される前に、爆死というオチはさすがに想定外だった。
「でも、まだ国境沿い。希望を持ちましょう。こんな簡単に発覚するはずないんですから!」
ハンスが必死になって、叫んだ。しかし、それは願望だ。現に狙われているではないか?
攻撃しているのがオーネリアであれば、合点がいく。
セレスティンに入る前に、余計な間者を始末するためだ。
「よりにもよって、この車じゃ、速さも出ないし、死ぬ運命にあるようなものよね……」
「ユリアーナ嬢。知らないのですか? 最近「エレリオーサ」を使った車でも、速度が出るようになったんですよ。この車も、そこそこ速いじゃないですか。「エレリオーサ」は現在研究中で、これから益々、有効な使い道が発見されそうな夢の鉱石なんですよ」
「そうだったんですか。……って、今はそんなこと、どうでもいいんですけど」
「ちょっと! ああっ! ハンスさん。前見て、前見て!」
レイティアが錯乱状態で叫んだ。
砂煙がようやく晴れて、視界が良くなったのは幸いだったが、巨大な岩が迫っていた。
「ブレーキ! ブレーキ!!」
ユリアーナが悲鳴のような叫声を轟かせた瞬間、車は岩にぶつかる寸前で見事に避けた。
……まったく、生きた心地がしないが、……でも、一応は。
「助……かった……の?」
額の汗を拭って、ユリアーナは天を仰いだ。
――現実とは思えない恐怖だった。
もう嫌だ。帰る場所もなかったけど、ユリアーナは帰りたかった。
「天に坐します。我らが主よ。感謝いたします」
ハンスが十字を切って、祈りを捧げる。よほどこちらの男の方が神父然していた。
(それにひきかえ……)
レイティアは、とっくに失神していた。
(コイツ……)
頼りにならないどころか、邪魔にすら思えてきた。
「ユリアーナ嬢。砲弾……やんだみたいですね?」
「ええ。そう……みたいですね」
ハンスに指摘されて、ようやく周りが見えてきた。
青紫の空と薄闇に取り残された大地は、寒さと共に静けさを運んでくる。
あれだけ凄まじい数の弾を撃ってきたのだ。襲撃相手も、ユリアーナ達が死んだと思いこんだに違いない。
(……だったら、いいんだけど)
窓を全開して、外をうかがった。
後列に続いていた車の姿は、とっくに見えなくなっていた。無事ならば良いと思うが、こればかりは想像もつかない。
――もう夜だ。
さすがに、これ以上、攻撃されることはないだろう。……なんて、安心しきってしまったユリアーナだが、その認識は甘かったらしい。
「シスター。そろそろ一日が終わるぞ。祈りの時間なんじゃねえか?」
「えっ?」
ふと、冷たい感触を額に覚えたと思ったら、それは銃口だった。
ユリアーナの額には、今、拳銃の先端が押し付けられているのだ。
首は動かせないので、目だけ動かす。銃を手にした橙色の髪の男がユリアーナの前に立っていた。精悍な面持ちの中に、子供らしさも垣間見える男の相貌は、こんな局面でなければ、親しみやすさも感じられたかもしれない。
男の背後から、武器を手にした二十人近い集団がやって来て、ユリアーナはようやく今起こっている現実を認識することができた。
「あっ……、貴方たちは?」
問いかけながら、おずおずと両手を挙げる。
反撃は無理だ。鞄の底に詰め込んだ拳銃を取りだす前に、男に発砲されてしまう。
「何に見える? シスター」
ふざけた調子で、主犯格らしきその若い男が笑った。
長身で体格の良い男は ユリアーナが想像していたオーネリアの軍服姿ではない。
黒革のジャンパーに揃いの革パンツ姿だ。主犯格の男の背後に群れる男達もみな似たような格好をしている。
――まるで、田舎の不良のようだった。
(この辺りって、山賊でも出るのかしら?)
……そんなはずはない。山賊が大砲なんて持っていたら、情報くらい聞いているだろう。
「シスター。何も殺そうっていうんじゃないんだ。そう怯えないでくれよ」
男はそう告げると、ユリアーナからゆっくりと銃を遠ざけて腰に仕舞った。ハンスには依然男の仲間が銃を向けていたが、当面、殺されることはなさそうだった。
(それにしたって……)
殺す気がないのなら、なぜあんな危険な攻撃をしたのか?
下手したら、ユリアーナもレイティアもハンスも、みんな死んでいたはずだ。
怪訝な表情のユリアーナに気づいたのだろう、男の仲間たちは申し訳なさそうに、ユリアーナの前で十字を切ると、ぺこりと頭を下げた。
「悪かったな。シスター。隊長は夢中になると加減を忘れるからな。普通は、死んでるよ」
「隊長?」
聞き返すと、彼らはあっけないほど単純に白状した。
「おう。俺達の隊長。テオ様よ。年は若いが、まあ……なかなかやるんだぜ」
そして、男達はわっと哄笑すると、居酒屋の酔っ払いのような調子でハンスにも絡んだ。
「お前もいい腕してんな。隊長は、一発目で運転止めると思ってたぜ。勇気ある神父だ」
「あ、有難うございます」
陽気に頬ずりされて、肩まで組まれて、ハンスの修道帽は脱げ、笑顔は凍り付いていた。
……ということは?
(偽者って、バレてたわけじゃなかったの?)
そうでなければ、今までのことは一体何だったのか?
「確かに。俺の嫌いな神父にしては肝が据わってたな。まあ、それは認めるけどな」
まるで、長年の戦友を労うようなテオという男の口調に、ユリアーナは違和感を覚えた。
「テ……オ隊長? 貴方たちは一体何者で……?」
「勿論、噂は知っていると思うが、俺はセレスティンの歩兵隊長テオ=ルクセンハイムだ」
「……いや、あの。そういうことではなくてですね」
そんなこと。ユリアーナは聞いたことも、知ったことでもなかったのだが?
――しかし。
(……セレスティンって?)
つまり、テオ達はセレスティンの命令で、ユリアーナ達を狙ったということなのか?
「あのさ。俺、昔から思ってたんだ。セレスティンに聖地なんざあるから、厄介なんだろ。全部の教会なくして、聖地も壊せばセレスティンは安泰だ。そう思わないか。シスター?」
「ええっと……。それは、あの……」
突然、意図不明な同意を求められ、返事に困っていると、テオの部下が渋い顔で言った。
「隊長、そんなこと聞いたって答えられるはずないっすよ。この人シスターなんだから」
「ああっ、そうか」
すんなりと引き下がったテオだったが、しかし一方的な演説はやめようとしなかった。
「だからだ! つまり、俺は綺麗ごとばかりの神父が嫌いなんだよ。前の大司教のジジイも気に入らなかった。セレスティンには神父なんて必要ねえんだ。近いうち他の神父もローレアンに全員返すから、大人しく大司教連れて引き返してくれねえかな。シスター?」
「…………テオ隊長」
ユリアーナは、震える唇を懸命に動かした。
「つまり、今までのことは、隊長の一存で実行したことだったんですか?」
「当たり前だろ」
テオは痛々しいくらいに、きっぱり肯定すると、てかてかの革のジャンパーを指差した。
「だから、隊服も脱いできたんだ。ほら。あくまで国は関係ない。俺の義挙だ」
……義挙という単語に力を込めて言ったのは、そんな自分に酔っているからだろう。
「別に、あんた方の信仰や仕事を咎める気はないんだ。とにかく、俺が気に入らない。だから、帰れ。分かったか?」
……分かるはずがなかった。そもそも、そんな理屈が、まかり通るはずがない。
(隊服脱いだら国は関係ないって? さっきぶっ放してた大砲は、国のものでしょうが?)
セレスティンと名乗った時点で、テオは国を背負ってしまったのだ。
ローレアンひいては、ウェラー教を敵に回すつもりもないくせに、極めて危険な橋をテオと仲間は渡っているのだ。…………馬鹿だ。
しかし、その最たる愚者がいつの間にかユリアーナの肩口から顔を覗かせていた。
「素っ晴らしいっ!」
しんと冷えた空間に、レイティアの間抜けな声がこだました。