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終末の聖書~バイブル~  作者: 森戸玲有
第6章 潔く壁をぶち壊すべし
36/37

6

「心配したよ。シスター。アッシュバルムに拉致されたんだって?」


 どうやら、こちらでは、そういうことになっているらしい。


「いえ……。私は」

「怖い思いをしたねえ。無傷で良かった」


 いろんな人に手を差し伸べられ、胸元に十字を切られて、ユリアーナは泣きそうになった。

 皆が信じていることは、偽りだ。

 ユリアーナは修道女ではないし、アッシュバルムの軍人だ。だけど、心底嬉しかった。


「心配したぞ。シスターユリアーナ」


 観客が左右に別れた中心から、派手な鬱金色の上着をまとったエズワルドがやって来た。


「陛下……。今回は大変申し訳ありませんでした。私、どうお礼を言ったらいいのか」

「礼? 懊悩する私の前にレイティア大司教を連れて来てくれたのは君だ。あの時、私には君が神の御使いのように見えたのだ。だからヴォルフ司教補から報告を聞いて焦ったよ」


 エズワルドが目配せすると、エズワルドの背後にいたヴォルフが深々と頭を下げた。


「申し訳ありません。シスター。どうしても黙っていられなくて」

「そんなことありません。本当に本当に、陛下も、ヴォルフ司教補にもお礼を。助けて頂いて、有難うございました。感謝の言葉もありません」

「……なーんかさ。今回は、僕が一番頑張った気がするんだけど。凄い影が薄……。うっ」

「うっせえな。腐敗神父」


 いじけていたレイティアに、車から降りてきたテオが肘鉄を入れた。


「嬢ちゃんが出て行った時、呑気に寝こけていたくせに、よく言うぜ」

「仕方ないでしょう。気持ちよく寝ちゃったんだから。ユリアーナさんは良い匂いがするんだ」

「……いや、何もそこまで白状しろとは、言ってないけどな」


 どうして、そこで真面目に言い返すのだろう。聞いている方が恥ずかしかった。


「そうだ。これからはこんなことがないよう、二人で手を繋いで眠ろう。ユリアーナさん」


 ひゅっと、見物人から歓声が上がった。これが賭けの対象にされることは、間違いない。


「出来もしないことを、そう易々と……」

「今の僕なら、出来るはずだ」

「訳の分からない情熱は、感じますが」

「…………相変わらずだな。愛しの枢機卿殿よ」

「はっ?」


 多分、その言葉より早く足が入っていた。

 前のめりにレイティアが倒れるのを確認した後に、レイティアがいた位置に人がいることを知った。

 今まで気づかなかったのは、その人物の身長が低かったからだ。


「……えっ、ちょっ、ちょっと」


 ――少女だった。

 金髪、巻き髪。桃色のふりふりのドレスを着ているが、その瞳の強さには、お淑やかという単語は当てはまらない。

 むしろ……反骨精神豊かな、テオに近い危なっかしさが漂っていた。

 転がされてのびているレイティアの方に行くべきか、迷っていると、少女がユリアーナを見上げていた。


「そなたが、ユリアーナか?」

「えっ。はっ、はい」

「私は、フローラだ」

「はっ。フローラ……妃殿下」

「そうだ。夫が至らないせいで、そなたにも世話をかけたな」


 少女は、鳶色の瞳を細めた。


(……嘘っ?)


 ユリアーナはあっけにとられて、二の句が継げなかった。

 ……だって、まだ十歳やそこらだろう?


「話は聞いている。私がおたふく風邪に罹ったせいで、こんなことになってしまった。私が元気だったら、オーネリアに殴り込みに行ったものを……。色々と迷惑をかけたな」

「……おたふく風邪?」


 そういえば、ユリアーナも子供の頃にかかったような。顔が膨れてしまい、子供ながらに誰にも見られたくないと思った。重篤になれば大変な病だが。――いや、しかし……。


「それにしても、嬉しく思ったぞ。忘れられるはずがない。大司教殿は私の初恋の人なのだ」

「えっ、あっ、そうなんですか」


 あっけらかんと言われても困る。 再び周囲から「四角関係勃発」の野次が飛んできた。


「この男。蹴飛ばしても楽しいし、殴っても面白いし、馬乗りになると本当に馬になる」

「……えーっと。それは、とても楽しそうですね」

「この男がいなくなった時は、泣いたものよ。私の鬱憤を誰が解消してくれるのかと……。でも、今も、この者は変わってないみたいだな」


 まるで、玩具のような言い方だが、これが彼女の愛情表現なのだろうか?


「……まだ僕がいいの。フローラ様?」


 ようやく腰を押さえて、四つん這いの姿勢を取るほど回復したレイティアが言った。

 フローラは顎を擦りながら、考えこんでいるようだった。


「いや、エズワルドが頑張ってくれているぞ。枢機卿殿には達しないが、なかなか良い馬具合だ。しかし、そなたが戻ってきたのなら……」

「フローラ様。結婚した女性はね。みだりに男性の上に馬乗りになっちゃいけないんだよ」

「ダメなのか? こんなに好きなのに……」

「多分、それ、好きとかじゃないと思う。うん、僕が悪かったんだ。あの頃の僕は荒んでたから、つい実験のようなつもりでさ。君は若すぎたから、ちょっと間違った方向にかかっちゃったんだよ。悪かった。謝るから、もう許して」

「何を言っているのか、分からんぞ。ちゃんと言葉を話せっ!」


 フローラは、げしげしとレイティアを足蹴りし始めた。

 ユリアーナには、レイティアの言わんとしていることが分かっていた。

 本当に、間違った方向にレイティアの力が働いてしまったのだろう。

 多分……。レイティアが施した洗脳が愛情に……。愛情が暴力に変化してしまったのだ。


「なっ? 我が妃は、可愛いだろう? シスターユリアーナ」


 うっとりとした表情で、レイティアを罵倒するフローラを眺めているエズワルドに、ユリアーナは脱帽した。彼は毎日アレを相手にしているのだ。ある意味、レイティアを越える洗脳を自分に施しているのかもしれない。


「……ええ。大変、果敢でいらっしゃるようですね」





 ――――――――――――大盛り上がりの観衆の中で、カイは一人頭を抱えていた。


「まったく、何をやっているのか。あの人達は。これからが大変だというのに……」


 暗く沈んだ背中をどんと叩いたのは、テオだった。


「分かんねえのか? どうなるのか分からないから、今が楽しいんだろ。間抜けな国王と、バカ野郎な大司教がいる。………………愛すべき我らがセレスティン。最高じゃねえか」

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