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「心配したよ。シスター。アッシュバルムに拉致されたんだって?」
どうやら、こちらでは、そういうことになっているらしい。
「いえ……。私は」
「怖い思いをしたねえ。無傷で良かった」
いろんな人に手を差し伸べられ、胸元に十字を切られて、ユリアーナは泣きそうになった。
皆が信じていることは、偽りだ。
ユリアーナは修道女ではないし、アッシュバルムの軍人だ。だけど、心底嬉しかった。
「心配したぞ。シスターユリアーナ」
観客が左右に別れた中心から、派手な鬱金色の上着をまとったエズワルドがやって来た。
「陛下……。今回は大変申し訳ありませんでした。私、どうお礼を言ったらいいのか」
「礼? 懊悩する私の前にレイティア大司教を連れて来てくれたのは君だ。あの時、私には君が神の御使いのように見えたのだ。だからヴォルフ司教補から報告を聞いて焦ったよ」
エズワルドが目配せすると、エズワルドの背後にいたヴォルフが深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。シスター。どうしても黙っていられなくて」
「そんなことありません。本当に本当に、陛下も、ヴォルフ司教補にもお礼を。助けて頂いて、有難うございました。感謝の言葉もありません」
「……なーんかさ。今回は、僕が一番頑張った気がするんだけど。凄い影が薄……。うっ」
「うっせえな。腐敗神父」
いじけていたレイティアに、車から降りてきたテオが肘鉄を入れた。
「嬢ちゃんが出て行った時、呑気に寝こけていたくせに、よく言うぜ」
「仕方ないでしょう。気持ちよく寝ちゃったんだから。ユリアーナさんは良い匂いがするんだ」
「……いや、何もそこまで白状しろとは、言ってないけどな」
どうして、そこで真面目に言い返すのだろう。聞いている方が恥ずかしかった。
「そうだ。これからはこんなことがないよう、二人で手を繋いで眠ろう。ユリアーナさん」
ひゅっと、見物人から歓声が上がった。これが賭けの対象にされることは、間違いない。
「出来もしないことを、そう易々と……」
「今の僕なら、出来るはずだ」
「訳の分からない情熱は、感じますが」
「…………相変わらずだな。愛しの枢機卿殿よ」
「はっ?」
多分、その言葉より早く足が入っていた。
前のめりにレイティアが倒れるのを確認した後に、レイティアがいた位置に人がいることを知った。
今まで気づかなかったのは、その人物の身長が低かったからだ。
「……えっ、ちょっ、ちょっと」
――少女だった。
金髪、巻き髪。桃色のふりふりのドレスを着ているが、その瞳の強さには、お淑やかという単語は当てはまらない。
むしろ……反骨精神豊かな、テオに近い危なっかしさが漂っていた。
転がされてのびているレイティアの方に行くべきか、迷っていると、少女がユリアーナを見上げていた。
「そなたが、ユリアーナか?」
「えっ。はっ、はい」
「私は、フローラだ」
「はっ。フローラ……妃殿下」
「そうだ。夫が至らないせいで、そなたにも世話をかけたな」
少女は、鳶色の瞳を細めた。
(……嘘っ?)
ユリアーナはあっけにとられて、二の句が継げなかった。
……だって、まだ十歳やそこらだろう?
「話は聞いている。私がおたふく風邪に罹ったせいで、こんなことになってしまった。私が元気だったら、オーネリアに殴り込みに行ったものを……。色々と迷惑をかけたな」
「……おたふく風邪?」
そういえば、ユリアーナも子供の頃にかかったような。顔が膨れてしまい、子供ながらに誰にも見られたくないと思った。重篤になれば大変な病だが。――いや、しかし……。
「それにしても、嬉しく思ったぞ。忘れられるはずがない。大司教殿は私の初恋の人なのだ」
「えっ、あっ、そうなんですか」
あっけらかんと言われても困る。 再び周囲から「四角関係勃発」の野次が飛んできた。
「この男。蹴飛ばしても楽しいし、殴っても面白いし、馬乗りになると本当に馬になる」
「……えーっと。それは、とても楽しそうですね」
「この男がいなくなった時は、泣いたものよ。私の鬱憤を誰が解消してくれるのかと……。でも、今も、この者は変わってないみたいだな」
まるで、玩具のような言い方だが、これが彼女の愛情表現なのだろうか?
「……まだ僕がいいの。フローラ様?」
ようやく腰を押さえて、四つん這いの姿勢を取るほど回復したレイティアが言った。
フローラは顎を擦りながら、考えこんでいるようだった。
「いや、エズワルドが頑張ってくれているぞ。枢機卿殿には達しないが、なかなか良い馬具合だ。しかし、そなたが戻ってきたのなら……」
「フローラ様。結婚した女性はね。みだりに男性の上に馬乗りになっちゃいけないんだよ」
「ダメなのか? こんなに好きなのに……」
「多分、それ、好きとかじゃないと思う。うん、僕が悪かったんだ。あの頃の僕は荒んでたから、つい実験のようなつもりでさ。君は若すぎたから、ちょっと間違った方向にかかっちゃったんだよ。悪かった。謝るから、もう許して」
「何を言っているのか、分からんぞ。ちゃんと言葉を話せっ!」
フローラは、げしげしとレイティアを足蹴りし始めた。
ユリアーナには、レイティアの言わんとしていることが分かっていた。
本当に、間違った方向にレイティアの力が働いてしまったのだろう。
多分……。レイティアが施した洗脳が愛情に……。愛情が暴力に変化してしまったのだ。
「なっ? 我が妃は、可愛いだろう? シスターユリアーナ」
うっとりとした表情で、レイティアを罵倒するフローラを眺めているエズワルドに、ユリアーナは脱帽した。彼は毎日アレを相手にしているのだ。ある意味、レイティアを越える洗脳を自分に施しているのかもしれない。
「……ええ。大変、果敢でいらっしゃるようですね」
――――――――――――大盛り上がりの観衆の中で、カイは一人頭を抱えていた。
「まったく、何をやっているのか。あの人達は。これからが大変だというのに……」
暗く沈んだ背中をどんと叩いたのは、テオだった。
「分かんねえのか? どうなるのか分からないから、今が楽しいんだろ。間抜けな国王と、バカ野郎な大司教がいる。………………愛すべき我らがセレスティン。最高じゃねえか」




