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終末の聖書~バイブル~  作者: 森戸玲有
第6章 潔く壁をぶち壊すべし
35/37

5

  二人して、重苦しい衣装を引きずりながら、全力疾走する。


「ハンスさん……?」


 真正面でユリアーナとレイティアを待ち構えているのは、誰よりも軍服が似合っている青年ハンスだった。


(……捕まる?)


 しかし、出口に行くにはハンスの前を通るしかなかった。

 強くレイティアの手を握り返したユリアーナに対して、レイティアは飄々としていた。


「色々と有難う。ハンス君」

「えっ……」

「ハンス君が知らせてくれたんだよ。ここの場所。君を連れ去るのと同時に、ヴォルフ君に紙に書いて渡してくれたんだ」

「猊下。それは言わない約束でしょう?」


 少しだけ表情を綻ばせたハンスが言った。


「依然、一階には見張りが沢山います。先程と同じように行って下さい」

「分かった」

「どうして?」


 目を丸くするユリアーナに、ハンスは微苦笑した。


「――私を撃って、その先に何があるのか。貴方はそう自分に言いましたね。自分も、貴方を撃たない未来を見てみたくなりました。行って下さい。……真っ直ぐ。ユリアーナさん」

「でも」

「自分なら大丈夫ですから……」

「そうだね。君なら大丈夫そうだ。行こう。ユリアーナさん」


 レイティアがユリアーナの手を握り返した。


「二人とも、お元気で」


  にっこりと笑うと、レイティアは軽く手を振った。

  それに応じて、ハンスが足を引き寄せ、右手を真っ直ぐ額に持って来る。

  綺麗な敬礼だった。ユリアーナも敬礼で返したかったが、レイティアに引きずられて上手く出来なかった。


(有難う。ハンスさん)


  やはり、ハンスはユリアーナを助けてくれたのだ。

  最近緩みきっている涙腺を潤ませながら、それでも泣かないようにユリアーナは走った。


「レイティア大司教、病み上がりなのに、本当にすいません。ギュンター本部長を怒らせてしまったから、私だけじゃなく、レイティア大司教も危険だと思うんです」

「ああ、ごめん。僕どうもああいう人見ると、怒らせたくなっちゃうんだよね。ハハハッ」

「ハハハって……」

「平気平気。当分ハゲのおじさんは、再起不能と見たから、大丈夫」


 ――何が平気で、大丈夫なのか?


「大司教。あの球、爆弾なんかじゃないでしょう? 正しい使い方は何だったんですか?」

「ユリアーナさんも知ってのとおり、双六で勝った時に、エズワルド国王陛下から貰った宝物だよ。まさか、こんな形で使うことになるなんて思いもしなかったけどさ」

「やっぱり、あの時の……」


 賭け双六で勝利したレイティアがエズワルドから渡されていたのは、ユリアーナも記憶している。……だけど詳細は覚えていない……というより、最初から聞いてもいなかった。


「あの桃色の煙は、毒……とか?」

「違う違う。媚薬だよ。あれは」

「………………はっ?」

「せっかくの希少な媚薬を、こんなことに使うなんて、僕は大変遺憾だよ」


 しかし、嘆いている割には、レイティアは肩を震わせていた。笑っているらしい。


「今頃、あの部屋は、ハゲ親父の桃色空間に……」

「なんて恐ろしいことを……。想像させないで下さい」


 二階の突き当りまで行くと、窓にかかった大木に移って、二人で協力して下に降りた。

 待ち構えていたのは、車の前照(ハイ)(ビーム)だった。


「遅えぞっ。乗れ!」


 テオの怒鳴り声が響く。


(…………迎えに来てくれたの?)


 嬉しくなって駆け寄ろうとしたら、大砲のような怒声がもう一つ轟いた。


「馬鹿野郎! こんなところで前照灯出す奴が何処にいるんだっ! 見つかるだろ!?」


 運転席から顔を出したテオの頭を、大声と共にカイが殴りつける。


(意外な人……が、何でまた?)


「嬢ちゃん! 早く乗れっ!」


 ユリアーナの次に乗り込んだレイティアがさらっと言った。


「あのさ。どうでもいいけど、前照灯と大声の二重効果で、気づかれちゃったみたいだよ」

「えっ?」


 ユリアーナが聞き返そうとした矢先だった。合図開始ととばかりに、背後のガラスがぱりんと、割れた。


 ――そうして、銃弾の嵐が始まった。


「テオ。お前のせいだろっ!」


 カイは二丁拳銃を構えると、躊躇なく助手席から乱射した。


(……は、激しすぎるっ)


 自分が撃たれているような激しさだ。ユリアーナの頭を抱え込みながら、レイティアも袖を広げて自分を護っていた。


「下手したら、こっちがカイ君に撃たれそうだな。もう少し穏やかにならないもんかね?」

「私は狙いを定めて撃っている。貴方が撃たれそうなのは、私が狙っているからだ」

「…………うわあ。拳銃、上手なんだね。凄いや。カイ君」


 レイティアは虚ろに呟きながら、更に身を低くした。鼻をならすカイをテオが怒鳴る。


「嘘つけ! カイ。ひっきりなしに飛んでくるじゃねえか。弾が当たってねえんだよ。下手糞!」

「何だとっ!」


 嫌がらせのように、テオがハンドルを激しく左に切った。車体が大きく傾いで、側面が地面を刷って、火花が散る。助手席に乗っているカイが落ちそうなった。


「何やってんだ。殺す気かっ!? 運転くらい、まともにしろ。大バカ野郎がっ!」


 まるで、渦潮のように放り込んだような乱暴で危険な運転をしながら、テオが叫んだ。


「なあ。おい! レイティアよ。どうしてコイツを連れてきたんだ。俺一人で十分だろ!?」

「えっ。…………だって」


 レイティアは座席の下に埋もれそうになりながら、上体を起こした。


「エズワルドが連れて行けって、寄越したから……」

「ふん。陛下の極秘命令でなければ、こんなことに、この私が動くはずないのだ。残務処理で寝てないんだよ。私はっ!」

「いや、……カイ君は、自分から志願したって、エズワルドから聞いたけど?」

「……記憶にありませんな」

「あのっ……」


 ユリアーナは背後の席から助手席にしがみ付いて、ぺこりと頭を下げた。


「カイ騎兵隊長。私は貴方にアッシュバルムの軍人だと話してなかったのに、どうして?」

「いや……。私は」


 銃を撃つ手を一瞬やめて、カイが少しだけ口角を上げた。


「貴方のような、見るからに人を殺せないような若い女性を聖職者に化けさせ、密偵させるなんて、そんな卑劣なやり方をするアッシュバルムが気に食わない。ただ、それだけだ」

「それには、同意だぜ……。カイ」


 テオが後ろを向かずに、懐から出した拳銃を後ろにぶっ放した。

 運転席と、助手席の真ん中に置かれた大量の弾丸がみるみる無くなっていく。


「…………戦争には、なりませんよね?」

「嬢ちゃん。見てみろよ。軍服は脱いできた」


 テオはいつもの光沢溢れる革のジャンパーで、カイは軍服に似た漆黒の背広姿だった。まるで喪服だが、私服には違いない。


「ケレンでは暴れられなかったからな。今回は容赦なく暴れさせてもらうぜ」

「大体、セレスティンの領地に不法侵入した分際で、銃撃したことが露見すれば、立場が悪くなるのは、アッシュバルムだ。この屋敷の敷地を過ぎれば、追ってくることはない」


 カイの言う通り、敷地を抜けると追尾してくる車もなく、真っ暗な一本道を自由に駆け抜けるだけだった。

 ほっと一息つくと、ユリアーナはようやく自分のしでかしたことに後悔し始めた。


(何てことをしてしまったんだろう……)


 ユリアーナ一人で決着をつけようと思っていた。

 死ぬ気かと……自殺行為かと問われれば、あのままでいたら、やはり殺されていたかもしれないが、少なくとも、誰も巻き込むつもりはなかったのだ。

 レイティアはおろか、エズワルド、セレスティンの国まで、巻き込んでしまうなんて。

 たった一人の間者の生死で外交問題になるとは思えないが、もしこれで、セレスティンに余計な傷をつけてしまったら、どうしたらいいのか。ローレアンとアッシュバルムの仲にも、ユリアーナのせいで、亀裂が入ってしまうかもしれない。


「今日は、本当にすいませんでした。誓って、アッシュバルムに「エレリオーサ」のことは話していません。でも、皆さんにご迷惑をおかけして、どうお返ししたらいいのか?」

「結局のところ、私は陛下の命で来たのだから、礼は不要だ。礼なら陛下に直接言うんだな。その時、永住許可の申請もしとけ。私は管轄外だからそこまで面倒見れんが、陛下の口添えがあれば一発だ」


 何だかんだで、親切な人だ。テオもけらけらと笑っている。


「まあ、こちとら、好き勝手にやって生きてるんだら、気にすんなって、俺は楽しそうだから、来ただけだ。久々に運動もしたし、今日は、よく眠れそうだ」

「……でも、私」


 いいのだろうか。こんなに甘えてしまって……。

 元密偵がそのまま諜報に入っていた国に永住してしまうなんて聞いたこともない。しかも、ユリアーナは修道女でもないのだ。

 煩悶しているのに気づいたのか、レイティアがユリアーナの肩を叩いた。


「じゃあ。お言葉に甘えて、一つ僕にお礼を下さいよ」


 先程まで、うとうとしていたはずのレイティアが悪戯好きな目をきらきら輝かせている。


「さあ来い」


 ――何処に?

 聞きたい衝動に駆られた。レイティアは両手をいっぱい広げて、謎の態勢を見せている。


「えっ?」

「女神の抱擁というやつだよ。おもいきって、僕の胸に飛び込んでくるがいいさ」

「腐れ神父が……」

「本当に自由すぎて、見境がなくなってきちまったみたいだな。面白いから、いいけど」


 カイとテオが冷ややかに吐き捨てる。……が、ユリアーナだけは、分かっていた。

 レイティアはそういう奴なのだ。ユリアーナが拒むこと前提で、おどけている。少しでも、ユリアーナの罪悪感が軽く済むように、道化になっている。

 でも、ユリアーナがそれを理解していることに、おそらくレイティアは気づいていない。

 ユリアーナがそういうレイティアを、心から慕っていることにも気づいていないのだ。


「いいですよ。レイティア大司教」

「―――へっ?」


 間抜け面で少し後ろに引いたレイティアを、ユリアーナはめいいっぱい抱きしめた。


「これでいいんですか?」

「えーっと。うん。そうなんだけど。……どうしよう。僕」


 本当に、抱き着かれた時のことを考えてなかったらしい。

 自分の胸に顔を寄せるユリアーナの存在に、ただ呆然としている。


「あっ。ずるいぞ。レイティア! 何だ。それっ!?」

「バカ野郎! 前見て運転しろっ。テオ!」


 カイがテオの頭を拳銃で殴ってから、ひとりごちた。


「フローラ妃が大変心配されていたのだ。王都に入ったら、御出迎えにいらっしゃっているかもしれない。これ以上国の支給品の車を破壊するなよ」

「……あっ」


 ハッとして、ユリアーナはすぐさまレイティアから距離をとった。


「ごめんなさい。私……」


 すっかり記憶から、フローラのことが飛んでしまっていた。

 レイティアには、フローラ妃がいるのだ。ユリアーナがこんなことをしてはいけない。


「いや。……あの、ユリアーナさんってさ、何か、大きな誤解をしてないかな?」

「……誤解?」

「まっ、いっか。すぐに分かるだろうし……」


 白み始めた空を見つめながら、レイティアは一言呟いた。

 朝日が昇ってから少しして、見慣れた王都の目が眩むほど高い白亜の塔が見えてきた。


 ――レマエラ大聖堂だ。

 その入口には、朝早くから沢山の人が集まっていた。

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