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終末の聖書~バイブル~  作者: 森戸玲有
第6章 潔く壁をぶち壊すべし
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3

「落ち着いていますね。ユリアーナ嬢?」

「そんなことないですよ」


 ハンスとの会話を早々に切り上げ、ユリアーナは助手席から降りると、眼前に聳えている廃れた建物を見上げた。ここは、まだアッシュバルムではない。

 先日のセレスティンとオーネリアの一件で、情報収集のためにギュンター作戦司令官がセレスティンに潜入しているらしい。何処の国においても、お金を積めば協力者は必ず出てくるのだと、ハンスはこっそり教えてくれた。


 ――アッシュバルムとの国境付近。


 荒地の空風が吹きつける小さな村に、城のように君臨している大きな邸宅がアッシュバルムにとっての協力者の持ち物だった。

 車で門を潜ってからも、しばらく屋敷には着かずに山道を走ってきた。

 多分、ここで軍事演習を行っていたとしても、誰も気づかないのではないか?

 それほどまでに、土地は広大で鬱蒼としていた。


「ギュンター本部長、作戦司令官はこの邸宅を拠点に、現在情報収集をされています。貴方も気づいていると思いますが……。今回の呼び出しは、決して良い意味ではないですよ」

「そうでしょうね」


 ユリアーナは玄関を目指して、階段を上っていた。大股でハンスがついて来る。


「……どうして?」


 ――自分のもとに降ったのか……と聞いているようだった。

 そういうふうに、仕向けたわりには、今更である。

 だけど、もしかしたらハンスは、自分の姿をさらすことによって、ユリアーナに危険を知らせて、大聖堂から逃がそうとしていたのかもしれない。

 そう考えると、愚かなのはユリアーナだろう。自殺行為に等しい真似をしているのかもしれない。


(でも、ここに来ても、まだ、もしかしたら生き延びる機会はあるかもしれない)


 それなら、それでいいと思う。


「私、いいんです。ハンスさん」


 ユリアーナは正面玄関まで来たところで、ハンスを振り返った。


「アッシュバルムにセレスティンに侵攻しないよう、伝えて下さったんでしょう。有難うごさいます。ハンスさん。おかげで、大きな戦争にならずに済みました。私、未熟すぎるから。ハンスさんには、色々と助けてもらいました。いつか、レイティア大司教の所も訪ねて下さい。きっと喜ぶはずです」

「ユリアーナ嬢」


 ハンスが何かを言いかけた瞬間、丁度、大柄な軍人が現れて、ユリアーナを浚うように屋敷の中にいざなった。橙色の絨毯が敷き詰められた床を、早歩きして、幾つもの悪趣味な骨董品の前を通過する。一言も会話なく、黙って通された部屋は、二階だった。

 入室の許可があって、ユリアーナ自ら、重厚な錆色の扉を開ける。

 部屋の中には、相変わらず丸坊主のギュンターが真ん中に座り、それを囲むように初対面の若い男達が四人立っていた。


「――あっ」


 一瞬、呆けてから、ユリアーナは慌てて姿勢を正して、敬礼をした。

 我ながら、相変わらず下手な敬礼だった。指先が震えて仕方ない。


「……しっ、失礼しました。北東方面作戦司令本部第一隊所属ユリアーナ=ベル。ギュンター作戦司令部本部長の命により、こちらへ参りました」


 内容的には間違っていなかったはずだが、言葉の選択には問題があったかもしれない。

 部屋の中の人間は暫時無言となった。

 やがて、ギュンターが大仰に咳払いをして、椅子から起立した。


「久しいな。ユリアーナ=ベル君。君の評判は色々と聞いている。君自身、今回ここに呼び出された理由も分かっていることだろう?」

「……理由ですか?」

「情報によると、君は既に、大勢の人間に正体を知られてしまっているようだね。君が一人の軍人……いや、まともな感覚の持ち主であるのなら、常識的に考えて、この任務は失敗だということは分かっているはずだろう。それでもセレスティンに留まった。これは、重大な軍務規定違反にあたる。任務が失敗したら、速やかに本国に戻るのが鉄則だ」

「そう……ですね」


 ユリアーナは口元に笑みを乗せた。


 ――規律。

 ――規則。


 そんな言葉ばっかりが当然のようにはびこっている世界。

 気づいてしまうと笑ってしまう。レイティアの笑顔の理由はこれだったのかもしれない。


「何かおかしいことでも?」

「いえ。何でもありません」


 ギュンターが部屋の奥の机上から、鞭を持ってきたので、さすがにユリアーナも神妙になった。笑ったくらいで、あんなもので打たれたくはない。


「まあ、安心したまえ。アッシュバルム軍も悪魔ではない。君が長年、後方支援部で活躍していたこともよく知っている。今回、君は死罪が妥当かもしれないが、場合によっては、謹慎、減給、降格処分程度で勘弁しよう。感謝したまえ。君が無傷で私のもとに来ることができたのは、私の温情によるものが大きい」

「…………ありがとうございます」


 ユリアーナは、棒読みで礼を述べた。恩着せがましいとは、このことだろう。

 どうせ、ユリアーナに利用価値があったから、ここまで無傷で連れてきたのだ。


「それを踏まえた上で……だ」


 ギュンターは、にやにやした怪しい笑顔を振りまきながら、ユリアーナの周りをぐるぐると回った。夕陽はすっかり沈み、室内は、仄暗いランプの明かりだけが光源だった。


「君に聞きたいことは二つある」


 ――予想通りだった。

 ギュンターは飴の時間は終わったとばかりに、軽く鞭で自分の手を叩きながら、ユリアーナの周囲を回り始めた。よほど回るのが好きなようだった。


「一つは、つい先日起こったセレスティンとオーネリアの睨み合いについてだ。オーネリアは将軍自らが軍隊を指揮して、セレスティンの国境沿いにまで来たのに、たった数十分で退散して行った。これがどうしてなのか、君なら、その理由を知っているだろう?」

「オーネリア国王の親書を持ってきただけだと、聞いていますが……?」

「そんなことは、こちらだって分かっているっ!」


 怒りを爆発させたギュンターは真っ赤な顔でユリアーナに噛みついて来た。 


「具体的な理由を聞いているのだ。忘れたのなら良い。思い出すまで待とう。その間に二つ目の疑問点を聞く。二つ目はレイティア=キャライ大司教。ローレアンの枢機卿の件だ」


(やっぱり、伝わってたか……)


 ユリアーナがハンスに報告した。それをギュンターは、ちゃんと確認したようだった。


「枢機卿自らが、こんな小国の大司教に甘んじるなど聞いたことがない。何か目的があるのではないか? ……ローレアンの策略、あるいは、オーネリアの謀略とか? 知っているのだろう。ユリアーナ=ベル君」

「レイティア大司教は、ただセレスティン国王の妃フローラ様にお会いしたかったのだと、申されていました」

「貴様は、私を舐めているのか?」

「違います。私は本当のことを言っているだけです」


 ……何だろう。まるで、レイティアが乗り移ったかのように、ユリアーナの口からはぺらぺらと言葉が零れ出てくる。

 青筋を立てているギュンターの大きな顔を眺めているのも飽きてきて、ユリアーナはこの男の後ろに注目した。

 机の後ろの壁に、誇らしくかかっているのは、アッシュバルムの軍旗だ。

 アッシュバルムの軍服より薄い緑色に、丸い円。その中に星形があった。


 ――あれが、希望の星なのだと……。


 温かい食事欲しさに入隊したユリアーナに、教官が最初に教えてくれたことだった。


「ユリアーナ=ベル君。そんなに君は死罪になりたいのかね?」

「好んで死罪になる人間なんていません」

「ふん。どうせ、レイティア枢機卿に籠絡されただけだろう?」

「…………どうして、そういうことになるんです?」


 さすがに目を剥いたユリアーナを、蔑むように、ギュンターは瞳を細めた。


「女はこれだから、ダメなんだ。国のために貢献するという強固な意志が最初から欠如している。すぐに感情に走り、男に走る。せめて、アッシュバルムのために子供を生むくらいしか、能力がないのだから、大人しく、正道を生きていれば良かったものを……」

「……私の人生は、私のものだわ」

「嗤わせてくれる。子供の遣い程度の任務すら、こなすことができない小娘が何を言う? まともに生きることも出来ず、逃げることもできない。自分の人生だと? 私に逆らって、このまま自分の人生が続くと思っているのかね?」

「……では、壊しましょう」

「はっ?」 


 ユリアーナは、多分、今まで生きてきた中で、一番綺麗に微笑んだ。


「目の前に立ち塞がる壁があるのなら、壊せばいいんですよ」

「…………何を?」


 血迷ったとか、気がおかしくなったとか……、そういう印象でユリアーナを見ていたのだろう。

 ギュンターの対応は、ユリアーナより遥かに遅れた。

 刹那、ガーターホルダーから銃を取り出したユリアーナは、目にも止まらぬ速さで、撃鉄を起こした。

 迷いはなかった。両手で構えて、狙いを定めて、思いのままに引き金をひいた。

 銃弾はギュンターの肩章を掠めて、背後の壁を撃ちぬいた。


「…………当たっ……た」


 硝煙がもくもくと上っているのは、さきほどからずっと睨んでいたアッシュバルムの国旗だった。星の中央に銃弾がめりこんでいる。


 ――狙い通りだった。


(何が……希望の星よ)


 そんなもの、(ここ)にはないのだ。


「撃て! この小娘を撃つんだっ!!」


 ギュンターの怒声がこだまし、我に返った兵士たちが急いで銃を身構えた。

 ………………が。


「よくやった!!」


 切れ味の良い刃物のような声と共に、扉がぎいっと音を立てて開いた。


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