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終末の聖書~バイブル~  作者: 森戸玲有
第5章 枢機卿の能力
27/37

3

「いやっ!」 


 平手を振り上げて、後ろを見返すと、両手を挙げて降参の姿勢を取るレイティアがいた。


「…………あっ。レイティア…………大司教?」


 夢なのではないかと思うほど、彼の姿は神々しく懐かしかった。


「本物ですか?」 

「偽者に見える? それとも幽霊だったりして?」


 レイティアは、肩を竦めて笑った。


「ごめん。そんなに驚くとは思わなかったんだ。ユリアーナさん、怒った?」

「とんでもない。ただ、嬉しかっただけで。……あっ、レイティア大司教、いえ……レイティア枢機卿かしら? それとも、猊下?」

「しーーっ」


 言うや否や、レイティアはユリアーナの口元に人差し指を立てた。


「いやいや、やめてよ。大司教でいいよ。枢機卿だなんてヴォルフ君にばれてみなよ。本気で肖像画とか書かれちゃうから」

「……それも、そうですね。大司教」

「うん。……って。いや、ちょっと。待ってよ」


 レイティアは長ったらしい赤い衣の袖で腕を組むと、真摯にユリアーナの顔を凝視した。


「えっ?」


 ユリアーナは、頬を赤くして、それでも目をそらすことなく瑠璃色の瞳を見つめ返している。

 ――と。


「そうか。ユリアーナさん。だったら、やっぱり呼び捨てにしてよ。その方が僕は嬉しいな。試しに、「おはよう。レイティア」って言ってみて。鼻血が出るかもしれないけど……?」


 ……ああ。痛い。

 それは、いつものレイティアだった。そういえば、こんな奴だった。

 レイティアは、何も変わっていない。変わったのは、ユリアーナの方だ。


(この人をこんなふうに想う日が来るなんて、思いもしなかったな……)


「……あの。レイティア大司教」

「やっぱりツレナイなあ。ユリアーナさんは。でも、それがユリアーナさんなんだよね」

「…………心配したんですよ。大司教」


 ……本当に。


(本当に、怖かったんだから……) 


 ユリアーナはハンスと別れてから、初めて下を向いた。


(……どうしよう)


 涙が零れてしまいそうだった。


(何で、いつもそうやって、私が弱くなっている時に、この人は私の前にいるのかな?)


 張りつめていたものが一気に弾けて……。

 目前でぽかんとしている青年に抱き着きたくなる。だけど、それはできなかった。


(私はレイティアに、酷いことをしてしまった)


 自分の正体を隠して、安泰だった地位を放ってまで、レイティアはセレスティンの大司教に化けていたのだ。絶対、自分の正体を口外したくなかったはずなのに……。

 ユリアーナは、よりにもよって、アッシュバルムの軍部に告げ口をしてしまった。


「あれ。ユリアーナさん。どうしたの?」

「…………おはよう」


 目を真っ赤にして、ユリアーナは顔を上げる。

 潤んだ瞳で見上げると、逆に目を丸くしているレイティアがいた。


「……えっと、その。おはよう。ユリアーナさん」

「おはよう。レイティア。…………これで、いいですか?」


 にっこりと微笑みかけると、急にレイティアが顔をそらして、しゃがみこんだ。


「不意打ちを放ってくるなんて。ユリアーナさんったら」

「はっ?」


 何を言っているのかさっぱり聞こえなかったユリアーナは、レイティアに手を差し伸べた。


「大丈夫ですか? まだ病み上がりですし、少し横になってた方が?」

「いや、せっかく教徒のみんなと、ヴォルフ君から逃げてきたんだ。フローラ妃のもとにオーネリア国王から手紙が届いて七日以上経っている。そろそろ何か国境で起こる頃でしょう。とりあえず、陛下が車を手配してくれるって話だから、今頃、裏道に迎えが来てるかもね」

「もしかして、オーネリアとの国境近くに行くのですか?」

「そうだよ。陛下から手紙が届いてね。フローラ妃に叱られて、王様辞めるのやめたって」

「……はあ?」

「多分、そうなるだろうと思ってたけど、エズワルドは退位しない。つまり、ドンパチ大歓迎ってことさ」

「…………そう……ですか」


 ユリアーナの声は我知らず、沈んでいた。

 個人的にエズワルドが降参しないのは、有難かったが、大国オーネリアを相手に勝てるはずもない。

 こうとなっては、アッシュバルムも危ないかもしれない。

 もっとも、たかが小娘一人、ユリアーナがどう言おうが、アッシュバルムは動く時は動くだろうが……。


「大丈夫だよ。ユリアーナさん」

「……でも」

「まだ何も始まっちゃいないからね。陛下も皆も、兵が来るって聞いただけで、実際本当に来るかどうか分からないんだ。一応、フローラ妃が回復したって、オーネリアには手紙書いたらしいし、これで、言いがかりをつけられる理由は消えたでしょう。それに、オーネリアだって、何の断りもせずに攻めては来ないよ。一応、特使くらいは出してくるはずさ。――狙いはそこ」

「相変わらず、貴方が何を言っているのか、私には……」

「一緒に行こう。ユリアーナさん」

「えっ?」

「ここに君を置いておいたら、それはそれで危険が多そうだ。だったら、最前線でも、僕の側にいてくれた方がまだいい」


 言うやいなや、レイティアはユリアーナが出していた手を乱暴に掴んで、すたすたと裏門に向かって、歩き始めた。

 振り回されているのか、振り回されたいのか、ユリアーナには自分が分からなくなっていた。

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