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――エズワルドに釈放されてから、三日がすぎた。
お咎めなしで帰ってきたレイティアを、ヴォルフをはじめ、神父たちは、当初、勝者のようにもてはやした。
ヴォルフは深く反省したようで、ユリアーナに対しても、直情的にやってしまった過ちだったと、許しを請うてきた。
――だが、レイティアは大聖堂から帰って来てすぐに、倒れた。
それから、ずっと眠ったままだった。
やはり、いくら掠り傷とはいえ、無理が祟ったのだろう。
レイティアが目を覚ますまでは、傍で看病しようと誓ったユリアーナだったが、しかし、毎日、五千の兵がこの地を目指して迫っているのかと思うと、どうして良いか分からなくなっていた。
セレスティンの国民には、箝口令が敷かれていたが、とっくにみんな知っている。
徴兵制のないセレスティンでは、軍人以外の人間が出兵することはないが、逆に軍人が出払ってしまっていることに、恐怖を抱く信徒たちが大聖堂に続々と押し寄せていた。
やはり、エズワルドとフローラが手紙を送っても、オーネリアの態度は変わらなかったのだ。
結局、フローラの見舞いに託けているだけで、オーネリアはセレスティンの領土が目的なのだろう。
どうしてオーネリアがこんなに突然、国王を暗殺までしてこのような小国を手に入れたいのか分かりもしなかったが……。
ユリアーナには、セレスティンの皆を励ます上手い言葉が見当たらなかった。
(いつもいつも……。私は誰の役にも立てないんだわ)
温かく迎えてくれたセレスティンのみんなに対しても、祖国アッシュバルムに対しても……。
――本当は……。
すぐさまアッシュバルムに、今回のことを報告するべきなのだ。
その気になれば、連絡手段はいくらだってある。だけど、あいにくユリアーナは、アッシュバルムに対して愛国心や軍に対しての忠誠心など、持ち合わせていなかった。
(……レイティアなら、どうするんだろう?)
エズワルドには、精々悩めと言い渡したレイティアだ。
悩み抜いた先に、答えがあるのだと突き放すかもしれない。
そんなことを考えつつ、レイティアの怪我の手当てに使う消毒液を買いに行った帰り道だった。一刻も早く戻ろうと、石畳の道を小走りに駆けだしたユリアーナの前に一人の男が現れた。
皺だらけのシャツに、よれよれの鼠色のジャケットを羽織った男。
まったく見覚えがなかったのに、男はくたびれた帽子をとると、ユリアーナに会釈をした。
(…………えっ?)
「ユリアーナ嬢」
その呼び声で、ユリアーナはようやく彼が誰なのか分かった。
(ハンスさん?)
変装が完璧で、まったく分からなかった。
(いや、それより何より……)
――殺される!?
逃げる隙なんてなかった。
金縛りにあったように動けないユリアーナに、しかしハンスはにっこりと微笑し、ついて来るように促した。
無言の圧力にユリアーナは恐々としながら、肩を並べて歩くことしか出来なかった。
そして、どうやって辿り着いたのか分からないほど入り組んだ道の先で、ようやくハンスの歩幅は狭くなっていった。
――そこは、小さな公園だった。
水たまりのような池と、まばらな花が寒々しく植えられている。
「車は、どうしたんです?」
小さな公園の敷地内に車を停めていられるような場所などない。どこに停めたのだろうと、ユリアーナがきょろきょろしていると……。
「今日は、ありませんよ」
ハンスは飄々と答えた。
後ろで手を組んで、公園の散策を始めている。
機嫌は良さそうだが、天気もそんなに良いわけでもないし、楽しめる景色がここにあるとは思えなかった。
「車は、密かに話すには便利ですが、セレスティンの軍用車が横行している車道を平然と走れるほど、自分は神経が図太いわけではありません。それに、いまだに旧式の車を使っているセレスティンは、どうも馴染めなくて」
ユリアーナはごくりと息をのんだ。
セレスティンを取り巻く現状を子供ですら理解しているのだから、ハンスが知らないわけがない。
だが、ハンスはあっさり話題を変えた。
「まったく。貴方が牢に繋がれたと知った時は、肝を冷やしましたよ。ユリアーナ嬢」
「…………えっ?」
ハンスは帽子を深くかぶり直して、がくりとうなだれる。
「レイティア大司教の暗殺の件は、こちらだって素人に頼んでいるのだから、時間がかかるのは承知していますよ。でも、せっかく、カイ騎兵隊長の様子がおかしいことを察知して、大聖堂から逃げるようにって伝言したのに。逃げ遅れるなんて駄目じゃないですか?」
「……す、すいません」
――そうだったのか。
あの時、ハンスに殺意はなかったのだ。
そして、レイティア暗殺の件も、ユリアーナの立場を理解してくれていたのだ。
ユリアーナはハンスの気遣いを深読みしてしまったのだ。
まったく、どうしようもない。
「それで、改めて聞きますけど、貴方は、尋問すらされずに牢から釈放されたのですか?」
「今回は、カイ騎兵隊長の勘違いということで、お咎めなしということでした」
「そんなに甘い処分で済んでしまうことが、かえって不気味なんですけどね。しかし、貴方を疑うにしても材料がないんですよね。今だって、自分以外に、セレスティンの尾行もなかったようですしね。泳がせているというふうでもなさそうだ」
「ええ。私にも何だか分かりません」
「……分かりませんね。いま一つ、納得できませんが、それはそれとして、時間がありません。本題に入りましょう。ユリアーナ嬢」
軍人特有の無感情で、冷徹な話し方にハンスは早変わりする。
この人は、ユリアーナが知っている誰よりも、軍人っぽかった。
「そのカイ騎兵隊長を含めセレスティンの軍隊が総勢で、オーネリアとの国境付近に向かったようですね?」
「彼らはその……。戦争をするつもりで行くのではない……みたいです」
「では、威嚇目的ですか?」
「そう……かもしれません」
「セレスティンが他国に救援要請をしていないことから、セレスティンの国王が王位から退き、オーネリアに統治権を譲るのではないかという仮説もたてられますが?」
「……すいません。その辺は私にもよく分からないのです。その。牢に入っていたもので」
「貴方も分かっているとは思いますが、セレスティンがオーネリアの手に落ちれば、アッシュバルムは窮するのです」
「それは、もちろん承知してます。……でも。私は今回、両国に軍事的衝突はないものと考えています。二国が争わないのに、アッシュバルムが先走って介入してくれば、ただの侵略者になってしまいます。大義名分が得られない戦いの方が不利なのではないですか?」
「なるほど。しかし、それは貴方の憶測ですね。軍事衝突がないという、その根拠をお話し下さい。そのような報告ならば、セレスティンの街中の人の声を拾うだけで十分ですよ」
「……それは」
だって、根拠などあるはずがない。
――軍事的衝突がないなんて、嘘ばかり……。
今、まさにセレスティン、アッシュバルムに直面している状況を、ユリアーナは知っているのに、口に出したくなかった。
本当のことを話せば、アッシュバルムは確実に派兵してくるのが分かっている。
現実に、ハンスの言う通り、エズワルドは、退位も考えているのだから……。
(どうしたら、いい?)
縋りつくよう、首から下げている丸に十字の首飾り。
ウェラー教の象徴を握りしめる。
(私、神様にすがったことなんて、なかったわ……)
――だけど。
ユリアーナの脳裏には、レイティアの笑顔があった。
(……ごめんなさい)
……ごめんなさい。レイティア。
(でも、私信じたい。このセレスティンで争いなんて起こるはずがないって……)
だから。無知な自分には、それしか手がないのだと、ユリアーナは思い定めた。
曇天の下、三分咲き程度の花園の真ん中で立ち止まったユリアーナは、振り返ったハンスを見返した。
ハンス相手にユリアーナの嘘や、はったりが通用するはずがない。
……やっぱり、本当のことを話すしかないのではないか?
「私がそう考える根拠は、レイティア大司教なんです。ハンスさん」
「つまり。彼が何者であるのか分かったのですね。でも、最初にそれを貴方が口にしなかったのは、彼が解放された理由を喋りたくなかった。……そういうことでしょうか?」
「……はい」
さすがの頭の回転の早さで、ハンスはすぐにユリアーナの言わんとしていることを察したようだった。 公園に誰もいないことを確認してから、ユリアーナはゆっくり話し始めた。




