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「……嘘?」
足元にどさりと重い物が落ちたことに気づいた時、ユリアーナの脳内は真っ白になっていた。ただ灰色の硝煙がユリアーナの真横の位置から淡くたなびいていた。
銃を撃った顔面蒼白のヴォルフが、唇をガタガタと震わせ、たどたどしい言葉を紡ぐ。
「……ど……うして、レイティア大司教が……?」
「何で?」
ユリアーナは慄然とした。
(私、どこも怪我してない)
「…………庇った? 私を?」
ユリアーナは倒れ込むように跪いた。急いで仰向けに倒れているレイティアを起こす。
「レイティア大司教。しっかりしてください!」
「うん」
レイティアは目を開けていた。
むしろ、しっかりするべきなのは、ユリアーナの方だ。
「あっ、大丈夫。ちょっと、動けない……だけかな」
ユリアーナの修道服の胸元がぐしょりと濡れた。レイティアは、右腕を撃たれたのだ。
(……手当てしなきゃ!)
ユリアーナは意を決して、レイティアの袖を捲った。幸い弾は掠っただけのようだが、油断はできない。 気を抜いたら、震えて何も出来なくなりそうな手を動かして、レイティアの肩章を取って、腕をきつく縛る。
「急所は外れてます。でも、しっかり手当てをしなければ。感染症を起こしたら大変です」
「ありがとう」
「礼なんて、言わないでください……」
熱っぽい目で礼を言われると、ユリアーナはどうして良いか分からなくなった。
「あっ、貴方は軍の犬なのでしょう! シスターユリアーナ!?」
八つ当たりのように、ヴォルフが怒鳴った。
「私は……」
この際すべて白状しようと口を開いた途端、レイティアがユリアーナの唇に手をやった。
「ともかく……だよ。少し、落ち着いたら? ヴォルフ……君。その声が僕の傷口に響いて、仕方ない。……まずは、何で……そう思ったのか。僕にも説明してよ?」
「…………大司教。申し訳ありません!」
「いや、謝罪はもういいからさ。いててっ」
「ああ……。大司教。私はなんてことを……」
ヴォルフはみっともないほど、泣きじゃくりながら、答えた。
「今朝、シスターの持ち物に銃を見て、気になってテオ様に聞いたのです。考えてみれば、ローレアンが修道女を派遣してくるのも不可解だったので……。そうしたら、その銃は広くアッシュバルムの女性兵が使用する銃なんだと、教えて下さいました。テオ様は何も見なかったことにして、放っておくように、おっしゃいましたが、私は不安で不安で」
「ふーん。それに……したって、銃を用意していたなんて、随分と周到じゃない?」
「いつオーネリア軍がやってくるともしれないと噂で聞いていたので。オーネリアが来たら、合わせてアッシュバルムも来るかしれません。何かあった時のために準備は必要だと」
「それは凄いな。君のような優秀な司教補に会うことが出来て、僕は幸せ者だよ」
「レイティア大司教。貴方はどうして?」
ヴォルフは涙を袖で拭って、倒れているレイティアの前に膝をついた。
「どうしてこの娘を庇ったのです? この娘は、レイティア大司教に銃を向けたのですよ」
「ヴォルフ……君は、そんなことが気になるの?」
「はい」
「逆に、ヴォルフ君は、どうしてユリアーナさんを撃とうと思ったのさ?」
「貴方を殺そうとした軍の……犬だからです」
「…………ははっ。笑っちゃうね」
レイティアは本当に笑おうとして、傷口が疼いたのか咳き込んでしまった。
「ユリアーナさんが軍の犬なら、僕達は神の犬だ。そんなことも分からないのかい?」
「…………えっ?」
その一言には、ヴォルフもユリアーナも目を丸くした。
「人を庇うのに理由がいるの? 気がついたら動いてるもんじゃないの? まあ、人によっては動かなかったかもしれないけど。今回は動いてしまったんだから、仕方ない」
「はあ」
ヴォルフは、懸命に頭を働かせているようだった。
「しかし、私は人殺しを続ける他国の兵士を神の子と認めることができないのです」
「君は、信仰以外まだ何も知らないようだね。世の中は黒か白かじゃない。――僕だって」
言葉を区切って、レイティアは黙って目をつむった。
これから、起こることなど彼にはすでに予見できていたのかもしれない。耳を澄ますと、軍靴の音が響いていてた。
「どうやら、迎えが来ちゃったみたいだね。取り囲まれてるみたいだよ。僕達」
「レイティア=キャライ!」
荒っぽく扉を開けたのは、カイ=ザッファフェルトだった。
夜を駆逐するほど、明るいランプの灯が正面扉から差し込んできた。
カイの後ろには、大勢の制服軍人たちが控えていた。
「貴方の名前は、ローレアンの聖職者名簿には、存在していなかった」
「……へえ」
レイティアは、他人事のように薄笑いを浮かべた。
「それは、また……何でだろうね?」
「私の方がその理由を知りたい。ご説明は願えないのでしょうか?」
「君も……仕事熱心だね。人の身辺……調査に精を出す前にオーネリアとの関係について、考えたほうが良いんじゃないの? ちゃんと、フローラ妃が病気なんだって、オーネリアには伝えてる……のかな? そろそろ、あちらも……痺れを……切らすかもしれないよ」
「……どうやら、お答え願えないようですな」
冷静沈着に結論づけると、カイは後ろの兵士達に「捕えよ」と短く命を下した。
「レイティア=キャライ。ローレアンの司教と偽りを述べたお前の罪は重い。収監するぞ」
「ちょっと、待って下さい。カイ騎兵隊長!」
半狂乱になって、ヴォルフはカイの肩を揺さぶった。
「何を言ってるのですか? 宗教に国家は不介入のはずでしょう。貴方はおかしいです!」
「しかし、ヴォルフ司教補。レイティア大司教は、我々に何もお話し下さらない。疾しいことがなければ、きちんと身の潔白を出来るのではないですか? 丁度、ここは神の御前。身に覚えがないのであれば、ちゃんとお話しなさればいいだけのことでしょう」
「……口に出来ない、やんごとなきご事情が、レイティア大司教はお持ちなのでしょう?」
「今は、貴方の甘い戯言を受け入れられる時代ではないのですよ。ヴォルフ司教補」
いつも冷淡に感じていたが、今夜のカイは更に酷薄さが増していた。
レイティアに、裏切られたという思いもあるのだろう。
それでも、レイティアは怪我人なのだ。
無理に動かすことを、見逃すことなんてユリアーナには出来なかった。
「カイ騎兵隊長。大司教は見ての通り怪我をされています。詮議をするにしても、少しだけ猶予を頂けますよう、お願いします」
「残念ですが、たとえ瀕死であっても、罪人を野放しには出来ません」
「大司教の怪我は、私のせいなんです!」
「シスターユリアーナ。無理なものは無理なんです」
「じゃあ……」
ユリアーナは、躊躇なく覚悟を決めた。
「……私も一緒に行きます」
「えっ?」
戸惑うカイの目を、ユリアーナはしっかり見据える。
「私も彼と同じ罪人です。だから、せめて私も一緒に連れて行って下さい。お願いします」
――それ以外の選択を、ユリアーナは選ぶ気もなかった。




