6
――結局、勝負はレイティアが勝った。
夕方の祭儀の前まで、二人は何度も波瀾万丈な人生双六のサイコロを振り続けたが、何度やってもレイティアが勝った。
使用目的の分からない、爆弾のような丸い球を渡されて、レイティアはエズワルドに何やら耳打ちをされていたが、ユリアーナにとっては、どうでもいいことだった。
二人の会話は遊戯のことに集中していて、特別な話など何もなかったのだ。
個人的には、レイティアが負けた方が良い情報が手に入ったのかもしれないが……。
(結局、こうなるのよね)
そんな予感はしていたのだ。どうも、ここにいると、おっとりした人が多いからユリアーナも引き摺られてしまう。こんなことをしている暇はないのに。
そういえば、双六の升目にもこんな項目があったような気がする。
――振り出しに戻る。
(私、また振りだしに戻ったってことかしら)
エズワルドを見送り、私服姿で神父たちと食事をとるわけにはいかず、夕食のパンとスープを盆に載せて、離れの自室に戻ってきたユリアーナだったが、足を踏み入れた瞬間、すぐに異変を感じ取った。――窓枠に二つ折りにされた藁半紙が挟まっていたのだ。
(……何?)
びらびらと風に音を立てている紙片を窓枠から抜いて、広げてみると、そこには、殴り書きで一行だけ文字が綴られていた。
――至急。大聖堂を出るべし。
「……えっ」
名前はなかったが、こんなことが出来る人物を、ユリアーナはハンス以外知らなかった。
(どういうこと?)
まさか、ハンスがユリアーナを監視していたとか?
そんなことも出来るのか……。いや、ハンスならきっと、出来てしまうのだろう。
もし、彼に役立たずと認定されたら、ユリアーナはおしまいだ。
(いや、絶対に認定されるわよ。私、七日間ぼーっとしていただけよ)
外で、ハンスが待っている?
(…………それとも?)
急に寒気を覚えて、ユリアーナはじっとしていられなくなった。
混乱しながら修道服に着替えて、ベールをかぶり、鞄の中に荷物をまとめていく。
そして、机の引き出しから、ずっしり重い拳銃を取り出した。
(これからどうしたら……)
急いで支度をしたころで、何処に行く?
外に出たところで、この文面だけでは何が待っているのか分からないのだ。
痺れを切らしたハンスが殺意を持って、ユリアーナを待っているかもしれない。
(こんな荷物……持って行ったところで……)
ユリアーナは鞄を部屋の中に置いて、拳銃だけを袖の奥に忍ばせて、離れを出た。
部屋の中も、まだ誰かに監視されているのではないか……。そんな恐怖があったのだ。
まさか、書き置き通りすぐ様外に行く勇気もなく、ユリアーナは大聖堂に入って行った。
――夕方の祭儀の熱が少し残っている身廊。
教徒たちがいつも使用している長椅子の横を通過して、ユリアーナは一段だけ高くなっている祭壇の手前に立つ。
赤い敷布の上に二本の蝋燭が置かれている講壇の背後に、金一色の壮麗な祭壇がそびえていた。祭壇の頂きには、丸と十字のウェラー教の信仰の印が、ユリアーナの弱い心を見透かすように、燦然と輝いている。
「神様……」
(何で、私って、いつも、こんなことになっちゃうんでしょうね?)
――ついてないのか、要領が悪いのか……。
ユリアーナは十字を切り、袖の中からゆっくりと銃を取り出した。
女性用に軍で導入されているものだから、筒は短く、使いやすさが重視されている。
これを、レイティアと出会った時には、鬱憤解消にぶっ放していたなんて信じられなかった。
――銃は、人を傷つける道具なのに。
「…………私。どうしたら、いいのかな?」
人類愛を説く神が坐す祭壇の前で、もっとも似合わない凶器を持ち出している。
ユリアーナは信仰を持ってはいないが、でも、ここに来る人の願いを否定はできない。
――いよいよ,進退窮まってきたということだが……。
(祈りの場は、穢せないわよね……。いくら何でも)
軍にも大聖堂にもユリアーナはいるべき人間ではなかった。自分のような弱い人間には、何もかもが無理だったのだ。
――だったら、もう。逃げても無理だ。殺されたって仕方ない。
深く頭を下げて、ユリアーナは踵を返す。――が。
……その直後に、後ろ髪をひくように声が響いた。
「――ねえ?」
「…………?」
「どうして、行っちゃうの?」
振り返ると、そこには漆黒の髪と深い瑠璃色の瞳。
今までいなかったはずのレイティアが講壇の上で頬杖をついていた。
「嘘? …………どうして、貴方がそこに?」
「貴賓室のステンドグラスが綺麗だったでしょ。ここのステンドグラスはもっと綺麗だって君が言うから、見てたのに……」
「……何処で?」
「ここで」
レイティアが講壇の下を指差した。彼は講壇を背にして座っていたようだ。確かに、ステンドグラスは祭壇の後ろの天井まで嵌め込まれていて、夜であっても、その美しさは損なわれていなかったが……、それにしたって、偶然と呼ぶには恐ろしいものがあった。
「……で?」
レイティアはいつもの悠然とした笑みで、ユリアーナが隠そうとした拳銃に目を落とす。
「君は、その銃で僕を撃つ予定だったんじゃなかったの?」
「な、何で、そう思うんですか?」
図星をさされて、声が跳ねあがった。平然としているレイティアが、信じられなかった。
「いや、そろそろバレる頃だろうと思ってたからさ。色々とね」
「一応、予想はしてたみたいですけど。じゃあ、何で貴方は……」
――嘘を重ねていたのか?
だが、ユリアーナが目的を突きとめる前に、レイティアが得意げに捲し立てた。
「まあ、色々想像は働かせてたつもりだった。……けど、想定外だったのは君だったかな」
「はっ?」
「そっ。ユリアーナさん。君が一番厄介だったよ」
レイティアは、ユリアーナを指差して、珍しく小さな溜息を零した。
「もっと、すぐに僕に頼ってくると、思ってたんだよね。僕から申し出ても良かったんだけど、強情な君だから、むしろ臍を曲げちゃうかなって。そう思ったから、待ってたのに、引きこもるだけで一向に靡かない。これには僕も頭を抱えちゃったよ。君も疲れたでしょ」
「…………待ってた?」
「そうだよ。もっとも、君が僕を殺せないことは分かっていたから、気楽にだったけど」
「私は……」
膨れ面で反駁しようとしたユリアーナを、レイティアは片手で制した。
「だって、そうでしょ? 何となく軍に入隊しただけ。テオとカイの喧嘩を見ただけで、気分を悪くしている。そんな女の子が人殺しなんて出来るはずがないもの。無理無理」
「確かに、そうかもしれませんけど……」
でも……。何で、こんなに癇に障るんだろう?
ユリアーナは、まるで自分が無能なのだと断言されているようで、悲しくなった。
レイティアの独壇場は、まだ続いている。
「君には軍人なんて無理なんだよ。人を活き生かす仕事の方が合ってるんじゃないかな?」
「……そんなこと言ったって、他に私に何があるって言うんです?」
疲れた笑いを浮かべてユリアーナが言い返すと、レイティアがぽんと手を叩いた。
「そうだ。良いこと思いついた!」
「はっ?」
「……僕と結婚しよう。ユリアーナさん」
―――刹那、ユリアーナの脳内が真っ白になった。
「……あっ、貴方は? 神父という設定だったのでは?」
慌てふためいて、めちゃくちゃなことを口にして、更に慌てた。
(何、言ってるのかしら? そんな言い方をしたら、求婚自体認めているみたいじゃないの)
しかし、赤くなったり青くなったりしているユリアーナと比べて、口にした方のレイティアは、怖いほど落ち着いていた。
「うーん。聖職者って「設定」じゃないんだよね。本当に僕は聖職者なわけだけど、まっ、そんなこと気にしないでさ。ほら、戒律っていったって変えちゃえばいいわけだし。神様だって一人の女性を救ってこそ万人も救えるんだって、そう言っているような気がするもの」
「ちょっと、待って下さい。貴方が司教というのは、本当だったのですか? だって、名簿には貴方の名前が……?」
「……で、ユリアーナさん。子供は何人がいいかなあ? 名前は何がいい?」
……ああ。
(コイツは、やっぱりそうなのよね)
そんなふうに……。
ユリアーナの言葉をわざと遮るのは、レイティアに全部を告白するつもりがないからだ。求婚したのだって、話題をそらすためのこと。
ユリアーナは、からかわれているのだ。本当に恥ずかしくて嫌になる。
(真に受けて、どうするのよ……)
ユリアーナは、ほとんど無意識のうちに、片手でぶらさげていた銃を、両手で構えた。
「あれ?」
意外そうに、レイティアが切れ長の瞳を細めた。
「やっぱり、撃つの?」
ユリアーナには、絶対に撃てっこないという自信なのか、命なんてまったく惜しくないという悟りの境地なのか、レイティアは祭壇から離れて、ユリアーナの方に近づいてきた。
まるで、「的はここだ」と言わんばかりに、無防備な体を晒している。
一歩一歩近づいてくる足音がやけに響いて、ユリアーナの鼓動が早くなる。
――撃てない。
そんなことユリアーナにだって、分かっている。
手がぶるぶると震えている。じっとりと滲んだ汗で、トリガーに掛けた指が滑っている。
目が潤んで、照準が定まらなかった。どうして、こんなことをしているのか自分でも分からない。
ただ、ユリアーナは揶揄されっぱなしの自分が悔しかった。
「軍の命で、私は貴方に訊いているのです。いい加減、全部白状したらどうなんですか? レイティア=キャライ」
「ふーん。一応、僕を脅迫しているつもりなんだね?」
レイティアの澄みきった声が胸にずしんと落ちてくる。
眩い神の祭壇が、レイティアの存在を後光のように包み込み、浮き立たせていた。
「やんごとない身の上の神父が絶賛家出中ってことで、勘弁してくれる訳なさそうだね?」
「私は、貴方のようにはなれませんから。嘘を見抜いて流すことなんて、無理なんです」
苦しくて、切なくて涙が零れる。
……しかし、いくら涙を流しても、ユリアーナは依怙地で、他人に縋りついて、甘えることなんて出来やしないのだ。この場で大泣きしたら、楽になれるだろう。
――分かってはいるけれど。
「無理なんですよ。私には。貴方のような生き方は出来ません」
――常識、良識、戒律。
殊更、ユリアーナがそれにこだわるのは、自信がないからだ。
ユリアーナは普通で……。もしかしたら、普通より下かもしれなくて……。
一生懸命働いて、知ったかぶりして、初めて人並みになれたのだ。
人より不器用だから、要領よく職を変えたり、結婚相手を見つけたり、上手にレイティアに頼ることだって出来なかった。
レイティアのように、自由に生きて、言いたいことを言って、それでも万人に好かれるような、人徳なんてありはしない。
上手に抗うことを知らない。だけど、恭順する勇気もないのだ。
ハンスより長くレイティアと一緒にいたのだから、ユリアーナだって分かっている。
――レイティアは、並みではない。
だからこそ、恨めしくて、妬ましくて、腹が立って、むかついて……。
最高に、憧れていた。
「レイティア大司教から離れなさい! 悪しき娘よっー!!」
「えっ?」
怒声と、ほぼ同時だった。
―――ぱぁぁぁん。
乾いた銃声が冷えた堂内に轟いた。
瞬間、ユリアーナの眼前が紅色に染まり……。
やがて、気が付いたら、紅色の……その人は自分の足元に崩れ落ちていた。




