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――それから、ユリアーナは体調が悪いと訴えて、ほとんど部屋から出なかった。
毎日、虚ろな目で、机に頬杖をついて部屋の外の景色を眺めているだけだった。
誰にも何にも話さず、ただ一日が終わるまで、じっと動かない。食事も取らなかった。
このまま絶食して自分が死ねば、それはそれで良いのではないかと……。
……そんな些末なことを考えていたから、毎日、部屋の前に置かれていた差し入れも無視していた。だが、三日目の朝、レイティア特製と書かれたスープが部屋の前に並々と置かれていて、さすがに申し訳なくて飲んでしまった。
それからはどういうわけかレイティアが食事を作っているようで、仕方なくユリアーナはそれだけを完食するという毎日を送っていた。……やっぱり、これはどう考えても変だ。
(……私、何で、これから殺そうとしている人に食事を作ってもらってるんだろう?)
レイティアの食事は美味しいし、工夫もされているので、ついフォークを伸ばしてしまうのだが、これで良いはずがない。
(一生、部屋から出ないっていう訳にもいかないし……)
ユリアーナがやらなければ、代わりにハンスか軍に命じられた誰かがレイティアを殺すだけだ。どうせ、結果は変わらないのだ。存在自体忘れていた拳銃を、鞄の底から取り出す。鈍い輝きと、ぞっとする重さに心がずきずきと痛んだ。
――もしも、軍の命令を、レイティアに話せるのなら……?
だけど、上手く対処しなければ、重大な軍務規定違反になり、結局、殺されてしまうだけだ。命を助けてあげるから、二人でアッシュバルム軍から逃げようと……縋ったところで、果たして、レイティアがユリアーナの手を取るだろうか?
(はあ……)
もう何百回とも知れない深い溜息を吐いて、窓の外に向かって十字を切った。
――七日目の朝。
ユリアーナが今日こそ、部屋から出ようか出まいか迷っているうちに、事態は、思いがけないほど、あっけなく簡単に展開した。
――突然、ノックもなしに、部屋の扉が足蹴りされたのだ。
「ああっ。もう僕は耐えられないっ!!」
「………………へっ?」
謎の叫び声と共に、もつれあいながらユリアーナの部屋の中に入ってきたのは、真っ赤な祭服の青年レイティアと、黒の平服をまとった金髪少年ヴォルフだった。
「酷いよ! ユリアーナさん!!」
「えっ!? あっ、はいっ?」
突然の乱入に、ユリアーナは動転する。
まず、無礼な行いに怒った方が良いのか、料理の礼を言った方が良いのか……。
(嫌だ……。私、修道服も着てない)
ユリアーナが身に着けているものは、寝間着代わりの地味な薄桃色のワンピース一枚だ。邪魔な髪も一つに結わっただけで、凶器の拳銃に至っては無造作に机に置きっ放しだった。
(物騒すぎるわよ!)
「ど、どうしたんですか? 二人とも。こんな朝から」
ユリアーナは、後ろ手に机の引き出しに拳銃を放り込んで、愛想笑いを浮かべたまま椅子から立ち上がった。レイティアは依然ヴォルフと格闘している。ヴォルフが必死に前に進もうとしているレイティアの腰のあたりを抱きかかえていた。
「駄目です。大司教! いくらなんでも女性の部屋に土足で踏み込むなんて!」
「だけど、いつまで経っても出て来てくれないし、出てこなきゃ、僕だって謝れないし」
「……あ、謝る?」
「そうだよ。ユリアーナさん。僕がテオと温泉掘ってたこと、まだ怒っているんでしょう?」
「……はっ?」
それは、一体いつのことだろうか?
(ああ、確か一週間以上前の……)
さすがに、呆然としているユリアーナの様子を目の当たりにして、レイティアも感じるところがあったらしい。
「あれ。……違ったの?」
「大司教。シスターユリアーナは、本当に体調が良くないんですよ」
ヴォルフがすかさず庇ってくれたが、レイティアはヴォルフを引きずったまま、ユリアーナのもとにずいずいと近づいてきた。
「でも、顔色良いよね?」
「げっ」
ぎくりとユリアーナは、肩を震わせ、両手で頬を擦った。
(そういえば……)
毎日、レイティアが作った食事を取っているだけで、あとは横たわっているだけだ。
夜は眠れなかったが、傍目には、顔艶も良く、健康そのものに見えるかもしれない。
「ですが、大司教。シスターの目の下の隈はすごいですよ」
「そうだね……」
「…………それは、すいませんでしたね」
(まったく、人の顔のことをずけずけと……)
ユリアーナは、頬を膨らませて、むっとした。
「あ、もしかして、恋煩い?」
「違います!」
一体、この青年は何をしに来たのか? ただ、ひやかしに来ただけなら……。
(机の中に隠した拳銃をぶっ放して、そのまま逃走してやるわよ)
「じゃあ、何? 僕なんかした?」
「いえ。別に」
「……じゃあ、誰かに何か言われたの?」
「いいえっ!」
声がひっくり返りそうになって、ユリアーナは口元を押さえた。
(コイツ……。当てに入ってきてるわ)
「みんな心配しているよ。……で、主に僕が君を苛めたことになっている」
「苛め? レイティア大司教が私をですか?」
……何で、そんなことになってしまうのか?
(……いけない)
このままでは、レイティアにしても、ヴォルフや他の神父たちまで、ユリアーナに不審を抱いてしまう。
(私が不審な態度とって、どうするのよ。軍の命令をコイツに感づかれたら、おしまいだわ)
でも、レイティアがハンスの言うとおり、只者でないのなら、ユリアーナの考えていることなど、一目瞭然なのかもしれない。
(とても、そうは見えないけど……)
ハンスなら、きっと上手く潜入できたに違いない。
要するに、ユリアーナは、こういう仕事にむいてないのだ。
――だけど、いくら、むいてなくったって、自分を見限って、自らここで命を絶つことなんて、出来そうもなかった。
「すいません。少し疲れただけで。ご心配をおかけしましたが、私はもう大丈夫です」
ぎこちなく笑ってみる。自分の散々な演技力に泣けてきた。
見逃して欲しいと思うのに、レイティアは片眉を吊り上げて、唇を尖らせる。
「…………なんか嘘っぽい」
「嘘じゃないですから……」
何で、こういう時だけ彼の嗅覚は鋭いのだろうか?
「こちらのことは、お気になさらなくていいんですよ。遠いところ遥々セレスティンまでいらっしゃったのですから、疲れも出るでしょう。ゆっくりと休んで下さいね」
ヴォルフに心配そうな視線を向けられて、ユリアーナは慌てて首を横に振った。
「いいえっ。もう大丈夫ですから。ちょっと着替えてから、ちゃんとシスターの仕事……。奉仕活動とか頑張りますので!」
「えーっ。いいよ」
レイティアがユリアーナの手を両手できつく握った。
「そのままの格好で……」
「はっ?」
……今、何と言った? 聞き違いかと思ったが、レイティアは恐ろしい言葉を重ねた。
「私服姿のユリアーナさんって新鮮だな。いいね。とても可愛い。君はさ、もう少し肩の力を抜いた方がいいんじゃないかな。毎日、そんな張りつめた顔してちゃ、疲れも溜まるでしょ? 丁度いいから、今日は僕公認の休みということで、ずっと二人で一緒にいよう」
「馬鹿なことを言わないでください。告解室以外で神父が女性と二人きりになることは原則禁止です。修道服を着ていない私と一緒にいることで、またどんな噂を流されることか」
「僕のことを心配してくれているんだ。ユリアーナさんは」
「違います」
(……違うのよ)
レイティアと二人きりなんかでいたら、嫌でも命令を実施しなければならないだろう。この青年が隙を見せたら、ユリアーナは何をするか分からないのだ。
――それが、怖い。
(絶対、嫌だわ。私は理性的に判断するのよ。きっと、何か突破口があるはずなんだから)
ユリアーナはレイティアの手を解こうとするが、彼の力は意外に強く、びくともしない。
「つまり、恥ずかしがり屋なんだな。ユリアーナさんは」
「ウェラー教の常識だと思いますが?」
「でも、その常識の規範たる僕がそう言っているわけだよ。ユリアーナさん。これぞ、ウェラー教の常識っていうヤツじゃないの。ねっ。僕の言いたいこと、分かるでしょ?」
(大司教の命令は、絶対というわけですか?)
上手いこと反論できないかと隙を窺っていると、しかし、レイティアはすでにユリアーナを引っ張って、走り出していた。
「えっ。ちょ、ちょっと!」
「ヴォルフ君。あとは頼んだ!」
「承知しました」
ヴォルフが何の違和感を持たずに、レイティアに服従していることが信じられなかった。
「レイティア大司教!!」
ユリアーナの悲鳴は尾を引いたが、誰も助けてはくれなかった。
そして、ユリアーナはその時、まったく気づいていなかった。
―――慌てて閉めた机の引き出しは、微かに開いていたのだ。




