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終末の聖書~バイブル~  作者: 森戸玲有
第3章 非情な命令と葛藤
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3

  ――「誅する」という言葉の意味について、ユリアーナは考えてみた。

 

どう考えても、罰と称して、食事を抜いたり、大聖堂の前を百周走らせる……なんて甘いことではないはずだ。その証拠に軍人のハンスは、ユリアーナに冷ややかに言った。


「銃弾は足りていますか? 何か入り用があれば、自分が持ってきます」


そして、アッシュバルムの軍部では、レイティアを抹殺した後、作戦を続行するか否かで揺れているのだと付け加えた。彼らの中では、とっくにレイティアは消されているのだ。


(私だって、どうなるか……?)


軍にとって目障りなのは、レイティアだけではないはずだ。

だけど、レイティアを殺さなければ、ユリアーナの身が一番危うくなる。


(…………速やか。速やかって言ったって?)


どのくらいの猶予が設けられているのだろう。大体、今までペンの数や、包帯の数を数えていただけのユリアーナに、人殺しなんて、難易度が高すぎるのではないか?

憔悴しきって、大聖堂の裏門から中に入る。

とぼとぼと歩いていると、何がそんなに楽しいのか満面の笑顔のヴォルフと出くわした。


「シスターユリアーナ。今、戻られたのですか? 大司教が遅いと心配されていましたよ」

「…………すいません」


心ここにあらずで、曖昧に詫びるとヴォルフが寂しそうに眉根を寄せた。


「まだレイティア大司教のことを怒っていらっしゃるのですか?」


(……あっ)


小声で囁かれて、ユリアーナははっと思い出した。


(そういえば、私……怒っていたかしら?)


先ほどまでレイティアの浮ついた姿勢に、ずいぶんと腹を立てていた。

だけど、今はもう……。そんなことは、些末なことだったと感じられる。


「シスターユリアーナ。ちょっと見て行かれませんか?」

「えっ……えっ?」


珍しく強引にヴォルフに腕を引っ張られて、ユリアーナは、祭壇の脇の聖職者専用の細い通路から、覗く格好をとらされた。


「ヴォルフ司教補?」

「ほら。ご覧になって下さい」


ユリアーナは訝りながらも、教徒が集まっている祭壇前の身廊(しんろう)に視線を走らせた。

そこには、とっくに夕方の祭儀は終わったはずなのに……。


(……終わってない)


正確にはとっくに終了しているのだが、教徒たちは帰っていなかった。

みんなが笑っていた。その中心に、神が遣わした奇跡のように麗しい青年。

――レイティアがいた。


「今度俺んところの店に来いよ。まけてやるからさっ!」

「ああ。近々お邪魔するよ。よろしくね」

「大司教様……。私の悩みを聞いて下さりますか?」

「いいよ。あ、でも聞くだけね。僕が関わると事態がややこしくなるって評判があるから」

「それは、違いねえな」


バンバンと大男に背中を叩かれて、レイティアは吹っ飛ばされそうになっている。

みんなが笑顔だった。……みんなを笑顔にする才能を、彼は持っているのだ。


(彼は、こんなにもいろんな人から愛されているのね)


ヴォルフがしみじみと言った。


「シスター。私は聖書を読んでいれば、苦しむ人達の救いになるだろうと考えていました。でも、レイティア大司教がいらっしゃってから、考えが変わったのです。ああして、教徒の中に入り、彼らの声を聞き、笑わせてあげることが、聖職者の務めなのではないかと。最近の聖職者には、戒律には拘るくせに、軍に脅されただけで、簡単に信仰を捻じ曲げてしまう不届き者が多く存在しています。レイティア大司教は戒律を破りますが、とても立派な神父様です。私にとって、いえ、この国にとって、必要な方なのだと思います」

「つまり。ヴォルフ司教補はレイティア大司教に、私を説得するよう言われたんですね?」

「あ、いえ。それは、その……」


ヴォルフが慌てている。やっぱり、そういうことらしい。


「私から話すより、普段のレイティア大司教をご覧頂ければ、お分かりになると思って」

「そうですね。……私も、分かってはいるんです」


外はとっくに暗くなっているけど、レイティアの周囲だけは光がさしたように明るい。

……そう、ユリアーナには分かっていた。


(こういう奴なんだって、私は知ってたわ)


レイティアのもとには、沢山の人が集まってくる。

彼らをすっぽりと包んでしまう広い懐を、彼は持っていた。


「大司教様。セレスティンはこの先どうなります? オーネリアに吸収されてしまうのでしょうか。既にセレスティンの上層部には、そういう動きがあるのだと聞きましたが?」


長椅子に座っていた子供連れの女性が心配そうに、レイティアに問いかけた。

若い男が立ち上がって、得意げに話し出す。


「何かよぉ。国王陛下がだらしくなくて、家臣がオーネリアに働きかけてるって、俺、聞いたぞ。同盟国って条件らしいけど、属国扱いになるかもだって?」


レイティアは腕を組んで考えているふりをしてから、弾けたように笑った。


「さあ……。どうなんだろうね。分からないや。でも、別にどうってことないんじゃない? みんなが思っているより、陛下は面白い人だよ」

「面白くったってさあ……」


すかさず入った野次に、レイティアは体をそらして高笑いした。


「面白いのは凄いことだよ。このご時世、なかなか面白い人には出会えないからね。いいじゃない。何があろうが、なかろうが……。分からないことを悩むより、楽しくいこうよ」 


ユリアーナは双眸を細めて、下を向いた。


(貴方も、面白い人よ……)


だけど、レイティアを「殺せ」と言う人がいる。軍の中で生きる者として、上からの命令は絶対だ。そんな命令に従えないと、駄々をこねれば、自分の方が殺されてしまう。


(私、そこまで聖人にはなれないわ。大体……。貴方が大嘘をついたからいけないのよ)


レイティアが騙し討ちのように、大司教になどならなければこんなことにならなかった。


(悪いのは、レイティア……)


そう思っていないと、ユリアーナが崩れてしまいそうだった。


「今日はちょっと調子が悪いので、眠ります。夕飯はいりませんから……」

「えっ。ちょっと、シスターユリアーナ?」


ヴォルフの前から離れて、ユリアーナは足を引きずるように、暗い回廊に消えていった。


……どうしたら良いのか、自分でも分からなかった。


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