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「すいません。ユリアーナ嬢。私が勝手に抜けてしまったせいで、セレスティンには不審に思われませんでしたか?」
ハンスは運転をしながら、頭を下げた。その横顔に、以前の聖職者の時のような、あどけなさや無邪気さを垣間見ることは出来なかったが、律儀なところは変わっていない。
唯一の理解者に出会えたようで、ユリアーナは嬉しくなった。自然、声も弾む。
「それなら、大丈夫です。ハンスさんは急用で、ローレアンに帰ったって伝えましたから。誰も不審には思っていないようですよ。大体、会ったのはテオ歩兵隊長とカイ騎兵隊長の二人だけじゃないですか」
「それならいいのですが……。自分はたまに潜入任務もしているので、顔が割れている可能性があるのですよ。特にカイ騎兵隊長は騙し通す自信がなくて、早々に引き上げることにしました。自分がいなければ、最悪バレたところで、知らぬ存ぜぬが通用するでしょう」
「そういうことだったんですか……。ハンスさんは、凄いな」
再会できたのは、喜ばしかったが、自分の至らなさにも気づいてしまう。
ユリアーナは、そういう世界に身を置いているのだ。疎い自分は命取りだ。
だからこそ、置いてきたレイティアが心配だった。
今のところ、ユリアーナの最大の弱点は、レイティアなのだから……。
「あの……。ハンスさん。それで、何処に向かっているのでしょう。あまり長時間かかると、夕食にかかってしまうので……」
大聖堂からだいぶ遠ざかってしまった。舗装された道路を、ゆっくりと蝸牛に似た車で走行している。車の乗り心地はとても良かったが、遠くに外出したことがないユリアーナには、すでに未知の世界だった。往来に面して、高級な洋服店や宝石店が店を連ねている。
(一体、ここは何処なのかしら?)
ここで降ろされたら、絶対一人で帰ることは出来ない。
「ユリアーナ嬢。大丈夫ですよ。自分は大聖堂を目指しているんです」
「はっ?」
ハンスがあっさり言い放ったので、ユリアーナは目を見開いた。
「場所を設けると、話を盗聴される心配があります。運転しながらの方が咄嗟の対応も可能なんです。もし、ここで何者かに追跡されたら、自分はシスター誘拐犯として逃げます」
「そこまで、考えているんですか……」
益々、自己嫌悪になった。……だが、今日のハンスはそれに留まらず、更に厳しかった。
ハンドルを切りながら、正面を見据えて真顔で言う。
「落ち込んでもいられませんよ。ユリアーナ嬢。自分は軍と貴方との橋渡し役となりました」
「ハンス……さんが?」
「まったく知らない人間よりも、顔見知りの自分の方が良いということで。自分の言動は、軍からのものと思って下さい」
「はっ、はい」
ユリアーナは背筋を伸ばした。ハンスも更に鋭い口調と変わっていく。
「貴方は、セレスティン国王に会ったそうですが、エズワルドはどんな人物でしたか?」
「…………それは、その」
形容しがたい人物だ。
しかし、ハンスが待っている言葉を、ユリアーナもさすがに分かってはいた。
アッシュバルムにとっても、エズワルドが「愚王」の方がやりやすいのだ。
思ったことを、そのまま報告するべきなのだろう。
……だけど。ユリアーナは思っていることを口に出すことは出来なかった。
「正直分かりません。掴みづらい人物で……。もう少し、見極める必要があると思います」
「出来損ないの国王という評判もありますが?」
「…………私には、分かりません」
ユリアーナは必死で首を横に振った。報告すれば、アッシュバルムが好戦的になってしまうのではないかと、怖かったのだ。
「セレスティンの国民の大半は、王が愚かなので今後王妃の故国オーネリアに併呑されてしまうのではないかと危惧しているようですね。実際、オーネリアならやり兼ねないでしょう。一応、オーネリアが出てきたところを、アッシュバルムは叩く計画をしていますが」
「そんな……」
両国の勝手な争いのために、セレスティンが戦場になるということだ。
今まで、呑気に日々の生活を送っていた自分が恨めしくなった。
「……それと。レイティア大司教のことですが」
「大司教?」
そうだった。この厄介な青年がいた。ユリアーナは、淡々と言った。
「……もしかして、あの人が司祭でないことでも発覚しましたか?」
「えっ。どうして貴方がそれを?」
ハンスは驚きながらも、巧みにハンドルを操って右折すると、街中から山に入って行った。整備されていない砂利道に車体が跳ね、ユリアーナは舌を噛まぬよう、慎重に話した。
「それは、レイティア大司教が最初の夜に聖書が読めないって言ったからです。だけど、誰にも聞いてもらえなくて。翌日ハンスさんが来ました。もう引き返せなかったんです」
「そうだったんですか。レイティア=キャライ自らが、貴方に告白していたとは……」
ハンスは咳払いをしてから、頭に叩き込んでいるらしい情報を几帳面に述べた。
「……先日の騒ぎの際、同乗していたローレアンの司祭が、レイティア大司教に不信感を抱かれたのです。大方、七面鳥を食べているところでも発見されたのでしょう。それで、軍としては渋々、レイティア=キャライの身元調査に乗り出しました。――結果。レイティア=キャライという名の司祭は存在していないことが分かりました。ローレアンの聖職者名簿を調べましたが、そんな名前の司祭は存在していませんでした。そして、返答のないローレアンに痺れを切らして、ローレアンのカサブ市のアザリア教会の司祭に直に確認したところ、レイティアに、金で買収されたと白状しました」
「…………お金。レイティアが?」
とても裕福そうには見えなかったが、実家が金満家だったりするのだろうか?
「さっぱり分かりません。レイティアの狙いが……」
ユリアーナは静々とうなだれた。少し伸びた赤髪が大きく揺れて、顔にぶつかる。
……分からなかった。
軍人でもないローレアンの一般人が大司教なんかに化けて……。一体、何がしたかったのか?
先ほどの様子からしても、レイティアに策略があったとは思えない。
子供が門限を破って、保護者に叱られているような痛々しい構図だったはずだ。
「軍が重要視しているのは、事前にレイティアが替え玉作戦の存在を掴んでいたことです。内部の情報が漏洩していたことになりますから……」
「そっ、そうですね。知らなければ、こんなことできませんから」
「彼が何処で内部情報を入手したのか、軍は必死に調べましたが、未だ不明です。今回の作戦は、一部のアッシュバルム軍人とカサブ市の司祭。ローレアンの教皇の側近しか知らないはずです。漏洩したとしたとしても、出処は限られるのですが、でもさっぱり分からないのです」
「最初から不審な点が多かったですよね。何だか、今回の任務自体が失敗だったような気がします。軍人が聖職者に化けようなんてしたから、罰が当たったのではないでしょうか」
ユリアーナは正直な感想を言葉に乗せた。一瞬、愚痴にとられてしまったかと後悔したが、ハンスはうなずいている。
「そうかもしれませんね。軍が聖職者と協力するという作戦自体が失敗だったのかも。だから、レイティア=キャライという謎の人物を迎え入れてしまった。自分もね、セレスティンに入ってからのレイティア大司教のことは、気になって調べてたんですよ。たとえば、歓迎式典では国王とのんびり座っているだけで、何もせず、毎日の祭儀は、純朴な司祭補が彼の代理で行っているのだとか。奇想天外な行動。街への徘徊。戒律破りはお手のもの。色々とありますね」
「…………さすがです。見事にまとまっています」
ユリアーナがレイティアについて話し出したら、朝になっても伝えきれなかっただろう。
ハンスは難しい顔をして黙りこむと、細い道を再び右に曲がって、深緑の葉っぱが揺れる草原を走った。――そして、ぽつりと呟く。
「……彼は本当に、七面鳥が食べたかったのでしょうか?」
「えっ?」
「彼の人物評はともかく、すべてが彼の思惑通りに進んでいます」
「それは、たまたま運が良かっただけで……」
確かに……。聖書を読まないように仕向けたのは、レイティアの策略に違いない。
だけど、あの場にエズワルドがいて、ヴォルフがいたのは奇跡的な偶然だ。
「もしも彼が軍の情報を入手することが出来て、セレスティンの内情にも詳しく、テオやカイ、国王の性格を、大変よく知っていたのなら? …………彼は、得体が知れません」
「買い被りですよ……」
笑い出しそうになって、でも、笑えない事態なのだと、ユリアーナは実感していた。
「軍の上層部は、彼を捕えて自白させようと考えました。ですが、すでにセレスティンの王と知己を得ている大司教を誘拐すれば大事になってしまいます。セレスティンに出張られて、痛い腹を探られたくないアッシュバルムは誘拐を諦めました。……が、レイティアという正体不明の怪しい男をこのまま野放しにしておくわけにもいかない」
「どういう……意味ですか?」
「ユリアーナ嬢。この命令は絶対に貴方に伝えるようにと、ギュンター本部長直々に託されました。残念なことに、自分には、ギュンター本部長の命令を覆す権限はないのです」
「ハンス……さん?」
眼鏡の下で、残念そうに瞳を伏せたハンスは、静かに車を停めた。
――戻ってきたのだ。
目の前には天を貫くほど高い塔を持つ大聖堂が温かな明かりを点して、ユリアーナの帰りを待っている。――だけど……。ユリアーナは、帰りたくなかった。――帰ったら。
(私はアッシュバルムの支配下に戻らなければならない)
ハンスが抑揚のきいたよく通る声で、ユリアーナの懸念を決定づけた。
「――北東方面作戦司令本部第一隊所属、ユリアーナ=ベルにアナベル=ギュンター北東方面作戦司令本部長からの命令です。大司教の名を騙る大罪人を可及的速やかに誅すること。方法は、貴官に一任するとのことです」
(…………何で?)
ユリアーナにとって、今まで他人事だった戦争。
……それが。
「……そ……んな」
まるで、自分が死刑宣告を受けたかのような衝撃だった。




